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「……どういう意味かしら」
「私と君、そしてアビーと三人で暮らすんだよ。素敵だと思わないか?」
目を輝かせるモーガン。リアがなにも答えられずにいると──。
「お兄様。それ、とても素敵な案だと思います!」
階段上から姿を現したアビーが、頬を染めながら拍手する。気づいたモーガンが、慌てて階段を駆けあがった。
「アビー、駄目じゃないか。きちんと寝ていないと」
「……だって、目を覚ましたらお兄様がいなかったものですから」
「そうか。すまない。リアを出迎えていたんだ。わざわざお見舞いに来てくれたんだよ」
「そうなのですね。リア様。ありがとうございます」
にっこりと微笑まれ、リアは「……いえ」と強張った顔でなんとか返答した。
「さあ、ほら。部屋に戻ろう、アビー」
「はい、お兄様。リア様もお早く」
「え? え、ええ」
アビーに呼ばれることが珍しくてどもってしまったリアが、言われるままにアビーの自室へと足を向けた。
寝台に腰かけたアビーが、目の前に立つモーガンに笑いかけた。
「お兄様。リア様に、お茶をお出ししないと。あと、美味しい焼き菓子がありましたよね?」
「アビーは本当に気のきく子だね。わかったよ──リア。好きなところに座って。私はお茶と焼き菓子を持ってくるから」
「……ええ」
アビーと、つかの間であっても二人きりになることは気が重く、リアが部屋をあとにするモーガンの背をなんとなく見送っていると、
「どうされました?」
と、アビーに声をかけられた。
「い、いいえ。それより、具合はどう?」
「身体より、心が痛いです。クラスメイトのみんなは、きっと私が嫌いなのです──リア様と同じように」
リアが驚愕に目を見張った。
「そ、そんなこと……っ」
「いいんです。学園に通うようになって、私は思い知りました。私のことを理解してくれるのは、お兄様だけだって」
「……アビー」
「さっき、お兄様が言ってくださったこと。私、とても嬉しかったんです」
アビーが赤く染まる頬を、両手でそっと包む。
「私は、お兄様とずっと一緒にいたい。ずっとそばにいてほしい。私は、お兄様がいればそれでよいのです」
リアが声をなくす。目の前にいる女の子は、まるで恋する乙女そのものに見えたから。
「──私は、お兄様が好きです」
ふっと顔をあげたアビーが、真剣な顔で呟いた。おそるおそるリアが「……兄妹として、よね?」と確認する。
「いいえ。違います」
きっぱりと答えるアビー。そして。
「だから私は、お兄様の婚約者であるあなたがとても憎い……っっ」
アビーは勢いよく立ち上がったかと思うと、テーブルに置いてある花瓶を両手に抱えた。
「……アビー?」
呆然とするリアに向かって、アビーは花瓶をふりあげた。
「……?!」
リアはとっさに、両腕で顔を覆った。花瓶が顔面の横を通り、背後にある壁にぶつかり、派手な音を立てて割れた。なにが起こったのか確認する間もなく、リアはアビーに右手を思いっきり前に引かれた。リアとアビーの立ち位置が、入れ替わる。
階段を駆けあがる音がし、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「アビー! リア! いま、なにかが割れる音が──っ」
モーガンが、部屋を見渡す。そのモーガンに、アビーが「リア様が……リア様が……っ」と泣きながら抱き付いた。
「なにがあったんだ?!」
「突然怒りだして、花瓶を私に投げつけてきたのです!」
よろけた体勢を整えたばかりのリアが、はち切れんばかりに目を見張った。違う。そう叫ぼうとしたリアだったが。
「なんて恐ろしいことを……っ」
怒りを宿すモーガンの双眸にぞっとし、リアが全身を震わす。
「……アビー。私はリアと話があるから、アビーは私の部屋で待っていて」
「嫌です、お兄様。私、怖いのです。お兄様と離れたくありませんっ」
「大丈夫。すぐに行くから。ね?」
優しく囁かれ、音を聞き付けてやってきた使用人と共に、アビーはしぶしぶモーガンの自室へと向かった。早く来てくださいね。そう言い残して。
「……リア。どうしてこんなことをしたんだ」
リアと向かい合ったモーガンが、重く口を開く。まるでアビーの言葉を疑ってはいない様子のモーガンに、リアは泣きたくなった。
「……モーガン。あなたはきっと信じてくれないでしょうけど、花瓶を投げたのはアビーなの」
「アビーの背後に、花瓶は割れていたようだけど?」
「投げてすぐ、わたしの腕を引っ張って、位置を入れ替えたのよ……っ」
モーガンは、深くため息をついた。
「君は謝るどころか、アビーのせいにしようとするのだね……がっかりだよ」
リアは我慢できず、涙を流した。
「……ねえ、どうしてあなたはあの子の言葉しか信じようとしないの……? どうしてわたしの言葉を信じようとはしてくれないの……?」
「アビーが嘘をつくはずがないからだよ」
きっぱりと告げられ、リアは頭にカッと血がのぼった。
「──そんなに妹が大切なら、妹と結婚したら?!」
ぱあん。
辺りに、乾いた音が響いた。
頬を打たれた衝撃のまま、リアが顔だけを横に向けたまま、固まる。一方のモーガンも、自分のしたことに驚いているようだった。
「す、すまない。こんなことするつもりは……っ」
リアは「……いえ。いい、です」と、ゆっくりとうつむいた。表情はもう、見えない。
「そう、だね……アビーに花瓶を投げつけた君に、私を責める資格などないよね」
モーガンから吐き出された科白に、リアは表情を、身体を凍りつかせた。それからしばらくして。
「……わたし、帰ります」
ようやく絞り出した言葉に、モーガンは眉を寄せた。
「待ってくれ。どうしてアビーにあんなひどいことをしたのか、訳を聞くまで帰すわけには──」
「お兄様。もうよいのです」
はかなげな声を出したのは、いつの間にやら扉の前に立っていたアビーだった。モーガンに駆け寄り、抱き付く。
「私のことを思うのなら、リア様ではなく、私のそばにいてください」
「そんなわけには──リアっ!」
アビーがモーガンに抱き付いているあいだに、リアはふらっと部屋から出て、階段を下った。そのまま、玄関へとふらふら向かう。
頬がじんじんと痛みはじめる。頭が、身体が、なんだかふわふわとする。アビーとモーガンに吐き捨てられた科白を、何度も何度も反芻する。
被害妄想が強く、息を吐くように嘘をつくアビー。その嘘を疑いもせず、信じるモーガン。
リアは、そっとモーガンに打たれた頬に手を添えてみた。理不尽に打たれた頬を。
「……わたし」
リアは玄関の扉を開け、オレンジ色に染まる空を仰ぎ、誰にともなく問いかけてみた。
「──わたし、どうしてあんな人を愛していたのかしら」
それはまるで、悪い夢から覚めたときのような気分だった。