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「あなたがそこまでする必要はないでしょうに」
教室を出てすぐの廊下で声をかけてきたのは、レナルドだった。苦笑気味に、それでいてどこか心配しているようにも見えた。
「レナルド様……いつから見ておられたのですか?」
「移動教室の途中で、モーガンと一緒にアビーの教室の前まで来て、別れたところだったので。わりと最初からですね」
「そうですか……」
リアがうつむき、こぶしを強く握る。それを視界にとらえたレナルドが「怒っておられるのですか? わたしに」と、口を開いた。
「え?」
「モーガンを止めに入らなかった、わたしに」
リアが目を丸くする。そんなこと、考えていなかったとでも言うように。実際は、リアが教室に飛び込んでいかなければ、レナルドはモーガンを止めにいっていただろう。ただし、確実に口論になっていたとは思うが。
(……さすがにアビーの言い分は、言いがかりもいいところだったからね)
かかわり合いになりたくない。その思いが強くて、アビーが学園に入学してからも、一度も顔を合わさないようにしていたが──性格はまるで変わっていないことがよくわかった。そして同時に、目の前の相手がいかにあの兄妹に心労をかけられているか。その一端を垣間見た気がした。
「……レナルド様も、モーガンを止めるべきだと思ったのですね」
リアが、なぜか安心したようにぽつりと呟いた。止めに入らなかった自分に怒っていたわけではないのだろうか。そう思いながら、レナルドは「そう、ですね。アビーのあれは、単なる言いがかりでしたから」と答えた。
「……やっぱり、そうですよね」
呟き、リアは面をあげた。
「レナルド様。こんなことが続けば、二人がどんどん孤立していってしまいます。なんとかする方法はないのでしょうか」
涙ぐみながら、リアが必死に問いかける。その姿に、レナルドは胸が熱くなるのを感じた。
「──あなた以上に、モーガンとアビーを想える人はいないでしょうね」
「……そんなこと」
「ありますよ。どうか、自信を持ってください」
「レナルド様……」
「モーガンに、話してみます。アビーのことに関しては聞く耳を持たないでしょうが……なんとか遠回しにでも、わからせてやるとします。ただし、あまり期待はしないでくださいね」
その優しい笑みに、リアはどこか肩の力が抜けた気がした。
「そう言ってもらえるだけで、じゅうぶんです。ありがとうございます、レナルド様」
(そうは言っても、レナルド様に任せっきりでは駄目よね)
授業を終えたリアは、その足でモーガンの屋敷に向かっていたのだが。
「……あの、ニール。どうかしたの?」
馬車の中。向かい側に座るニールが、疑わし気な双眸でリアをじとっと見ていた。
「──モーガン様に勧められたわけでもないのに、みずから、望んで、アビー様のお見舞いに行かれるのはなぜですか?」
「こ、婚約者の妹のお見舞いに行くことが、そんなに変かしら」
「嘘か本当かはともかく。アビー様の具合が悪いのは、いつものことでしょう」
リアがなにも言い返せずにいると、ニールはさらに続けた。
「──今日。なにかあったのでは?」
ぎくり。リアは肩を揺らしてから、あからさまに目を逸らせた。その後もニールに何度か詰め寄られたが、リアはなんとか無言を貫いた。
「リア! わざわざアビーのお見舞いに来てくれたのかい?」
リアが屋敷を訪ねると、モーガンはとても嬉しそうに出迎えてくれた。リアがアビーと仲良くしてくれること。それはモーガンにとって、一番の望みだったから。ちなみにニールは、モーガンの屋敷内にとめてある馬車の中だ。
「ええ。具合はどうかしら」
「今は自室で眠っているよ。ずっと泣いていて、慰めるのが大変だったけどね」
リアはどう答えたものかと一瞬悩んだが「そうなの……おじさまとおばさまは?」と、わざとはぐらかした。
「父上はお仕事。母上は、お買い物に行っておられるよ」
「……そう」
せめておばさまがいれば、と思ったものの、アビーを甘やかしているのはモーガンの両親も同じだ。娘を、妹を大事にするのはとても素敵なことだ。けれどそれと甘やかすことは違う。これまでは家族としか接してこなかったから、アビーのめちゃくちゃな言い分も通ってきたのかもしれないが、学園に通ういま、それはもう通用しない。このままではモーガンとアビーが、学園から浮いた存在になってしまう。
(……ちゃんと、言わなければ。アビーには伝わらないかもしれないけど、モーガンになら)
リアが、覚悟を決めて口を開こうしたとき。先にモーガンが語りかけてきた。
「ねえ、リア。私はとても心配だよ」
「……アビーのこと?」
「そう」
わたしも。そう返そうとしたリアだったが。
「あの子は可憐だから、すぐにでも婚約者ができて、結婚してしまうかもしれないだろ?」
「…………」
まったく違うことで心配しているモーガンに、リアは思わず、声をなくしてしまった。
「でも、今日のことで思い知ったよ。その相手が、きちんとアビーを幸せにできるか。私はとても不安なんだ」
「……あの」
「あの子のことをわかってあげられるのは、私しかいない。だから、私は思ったんだ」
「なにを……?」
続けられた言葉に、リアは絶句した。
「もしあの子が望むなら、私は一生、あの子のそばにいてあげるつもりだ」