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王都は、広いようで狭い。まして貴族。それも公爵の地位ともなれば、数はぐんと少なくなる。だから、小さなころからモーガンの存在は知っていた。でも、直接話し、モーガンの人となりを知ったのは、二人が十三才になり、学園に入学してからのこと。
モーガンは入学当初から、とても目立つ存在だった。立っているだけで、人の目を引く容姿。公爵家の嫡男でありながら、決しておごることなく、誰にでも平等に接した。努力を惜しむことなく勉学にはげみ、弱き者を助けたいと剣の修行にもうちこんでいた。リアが他の女の子たちと同様に、モーガンに惹かれていくのに、それほど時間はかからなかった。
学園に入学してから、半年が経ったころ。学園に向かう馬車の中には、リアとリアの母親、それに六才年のはなれた妹──セシリーが乗っていた。セシリーが「おねえさまといっしょにいく!」と言って泣きわめいたため、仕方なく母親と一緒に、とりあえずは学園まで一緒に行こうということになったのだ。
「セシリー、よいですか? 学園まで一緒にお姉様と登校したら、お母様とお屋敷まで帰るのですよ?」
母親が説得するも「セシリーも、おねえさまといっしょにおべんきょうします。いいですよね。おねえさま?」とセシリーはなかなか納得してくれない。年のはなれた妹がかわいくて仕方ないリアが、言葉に詰まる。
そうこうしているうちに、学園に着いてしまったリアが、馬車からおりようとすると、セシリーも真似しておりようとした。それを、母親が抱き抱えて止めた。
「セシリーには、まだ早いですよ。ほら、お母様と帰りましょうね」
「やだー! おねえさまといっしょがいいー!」
「セ、セシリー。ごめんね。帰ったら、姉様と遊びましょうね」
母親に急かされた馭者が、馬車の扉を閉める。セシリーの泣き声と共に、馬車がもときた道を走っていく。
学園の入り口前には、馬車がたくさんとまっている。当然のように注目を集める中、リアがそそくさと校舎に入ろうとしたとき。
「とてもかわいい妹さんですね」
そんな風に笑顔で声をかけてきたのがモーガンだった。あまりにも突然に、優しい笑みを向けられたリアは頬を赤く染めながら、うつむいた。
「さ、騒がしくしてすみません」
「とんでもない。あれだけ妹さんに懐かれているのは、あなたが優しい姉である証拠ではないですか」
「いえ……年が少しはなれていることもあって、どうしても甘やかしてしまうところがありまして」
するとモーガンは、目を輝かせた。
「わかります。実は私にも一人、妹がいまして」
「そうなのですか?」
リアは目を丸くした。モーガンにも妹がいたことは、初耳だったから。
「ええ。病弱で、あまり表には出てこられないのですが」
「まあ」
そこから二人は少しずつ距離を縮めていき、やがて交際をはじめ、両家共に祝福されながら、婚約した。
そう。きっかけは、妹だったのだ。
アビーとはじめて会ったのは、モーガンと交際してふた月ほど経ったころのこと。
体調がすぐれないというアビーの自室を、モーガンに手を引かれながら訪れたリアは、寝台に座るアビーを一目見たとき、そのあまりの白さ、儚さ、可愛さに目を丸くした。まるでお人形のようだわ。思わず、頬を染めながらそう口に出していた。すると。
「……それは、私の表情が乏しいということでしょうか」
アビーが両手で顔を覆い、泣き出した。リアはパニックになりながらも「ち、違うの。あまりに可愛くて、驚いて」と必死に言い訳をしながらモーガンに助けを求めたが、逆にモーガンにたしなめられてしまった。
「リア、すまない。妹は繊細だから、もう少し言葉を選んでくれないかな」
怒気を含んだ声音に、リアは泣きそうになりながら謝罪した。怒りをあらわにしたモーガンははじめてで、リアはもう、どうしていいかわからなかった。
とはいえ、学園にアビーはいない。身体が弱いアビーが自室から出てくることは滅多にないので、リアがアビーに会うことも滅多にない。アビーがいなければ、モーガンは自慢の恋人だ。だからこそリアは、どんどんモーガンを好きになっていった。無意識に、アビーのことは考えないようにしていたのかもしれない。だからこそ、モーガンにプロポーズされたときは、素直に嬉しかった。
「ご婚約、おめでとうございます。リア嬢」
学園の廊下を歩いていると、ふいに後方から声をかけられた。振り返ると、モーガンの友である、公爵家の嫡男であるレナルドがにこやかに立っていた。
「ありがとうございます。レナルド様」
「いえ。それでその──あいつの妹とはもう会いましたか?」
リアは面をあげ、思わずまじまじとレナルドを見た。
「……どういう、意味でしょう」
「ああ、いや。余計なお世話でした。わたしはこれで失礼します」
「待ってください! とても気になります!」
はしたなくも、レナルドの服の裾をつかんではなそうとしないリアに、レナルドは観念したようにゆっくりと口を開いた。
「あいつはとてもいい奴なんだけど……唯一、妹のことに関してはまわりが見えなくなるというか」
「レナルド様は、アビーに会ったことがあるのですか?」
「数えるほどですけどね。なんというか、あの被害妄想には困ったと言いますか──あ、いえ。なんでもないです。いま言ったこと、くれぐれもあいつにはご内密に」
焦ったように口元に人差し指をあてるレナルドがおかしくて、でもなんだかほっともしていたリアは、クスクスと笑ってしまった。
「ええ、もちろんです。妹のことを悪く言おうものなら、きっとモーガンは鬼のように激怒するでしょうからね」
なんとなく口をついて出た科白に、レナルドは目を見張った。
「……やはり、嫌な思いをされたのですね」
「あっ……えっと。いえ、違います。わたしは、妹を大事に思うモーガンも、愛していますから」
「なら、良いですが……」
本気で心配してくれている様子のレナルドに礼を述べ、リアはその場をあとにした。なんだか少しだけ、心が軽くなっている気がした。
(……アビーのあの態度は、わたしに対してだけではなかったのね)
てっきり、兄を取られた嫉妬からくるものかと思っていたが、どうやらそうではないらしいこと。そして、アビーのあの困った性格を知っている人がいたことが、心を軽くしてくれた理由だろう。
「よし。頑張って、アビーに対する苦手意識を克服しないとね」
いずれアビーも、この学園に入学してくるときがくるのだから。