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 アビーは哀しかった。同時に、苛ついてもいた。兄であるモーガンの態度が、明らかにおかしくなってしまったからだ。いつだって、どんなときだって味方になってくれた優しくて、愛しい兄。最近では、目も合わせてくれなくなってしまった。


 どうして。誰のせい。アビーの中で、すでに答えは出ていた。頭にその人物の顔を思い浮かべながら廊下を歩いていたアビーは、曲がり角を曲がったところで一人の男子生徒とぶつかり、よろけた。


「す、すみません! 大丈夫ですか?!」


 男子生徒が慌てたように謝罪する。アビーはゆっくり体勢を立て直すと、静かに口を開いた。


「……あなた、わざと私を押したでしょう」


 男子生徒は、ぎょっとした。


「そ、そんなことしてません!」


「いいえ、しました。このことは、きちんとお兄様に報告します。覚悟しておいてくださいませ」


「そんな……っ」


 男子生徒と一緒にいた友人も、わざとではないと必死に説得するが、アビーは聞く耳を持ってはいなかった。いや。アビーにとって、真実などどうでもよかったのだ。大事なのは。


 ──これでまた、お兄様は私のために怒ってくれるはずだわ。


 その一点のみだった。アビーは久しぶりに、上機嫌だった。それなのに。


「──それはあまりにも、言いがかりがすぎるのではないでしょうか」


 後方から響いた聞き覚えのある声色に、アビーは顔を向けた。不快に眉をひそめる。


「赤の他人であるあなたに、失礼な物言いをされるいわれはありません。お兄様に言いつけますよ」


 アビーに睨まれながら、リアは哀しそうに口を開いた。


「……アビー。あなたが自分に都合よく嘘をつく癖を、誰も注意はしてくれなかったのですか?」


「なんですか、それ。意味がわかりません」


 リアは憐れみを込め「──かわいそうな子」と、静かに呟いた。アビーが双眸に怒りを宿し、右腕を大きく振り上げた。手のひらを、リアの頬目掛けて振り下ろす。


 まわりがざわつく。リアは目を見張ったが、それは一瞬で、すぐに諦めたように目を閉じた。


 そのとき。アビーの右手首をつかみ、アビーを止めたのはレナルドだった。


「──アビー。いい加減にしなさい」


「どうして止めるのですか?! 私はとてもひどいことを言われたのですよ?!」


 アビーがレナルドを睨み付ける。レナルドはリアを背中に隠し、アビーから遠ざけた。


「酷くはないよ。リア嬢は、君に同情してくれたんだ。そんなことをしてくれる人は、きっとリア嬢以外にはいないというのに」


「……レナルド様も、その女の味方をするのですね」


 アビーは強引にレナルドの腕から手首を放すと、そのまま去って行ってしまった。その場にいる者が、ほうっと息を吐いた。が。


「……どうしよう。ぼく、なにかされるのかな」


 アビーにぶつかってしまった不運な男子生徒が不安に声をもらす。その男子生徒に向き直り、レナルドは笑った。


「大丈夫。もしなにかあったら、わたしに相談しなさい。力になれると思うよ」


 男子生徒が、顔色を明るくした。


「あ、ありがとうございます! あの、リア様も本当にありがとうございました!」


 男子生徒が頭をさげ、友人と共にその場をあとにする。残されたレナルドは、リアに視線を向けた。


「──まったく、あなたは。前にも言いましたが、そこまでする必要はないというのに」


「……第三者としてアビーを見ていたら、なんだかいっそ可哀想にも思えてきてしまって」


 レナルドはやれやれと肩をすくめた。


「危なっかしいというか……なんだか放っておけない方ですね、リア嬢は」


 切れ長の目を細め、レナルドがリアを見つめる。リアは、僅かに鼓動が速くなっていくのを感じた。


「い、いえ。今回は、たまたまと言いますか……さすがにもう関わるつもりはありませんので。ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」


 赤くなった顔を見られたくなくて、リアは隠すように頭をさげた。公爵家嫡男。端正な顔。真っ直ぐな性格。どうして婚約者どころか、恋人すらいないのか。女性が苦手だとの噂もあるが、真相はどうなのだろう。何度か言葉を交わしてみたが、そんな風に感じたことはない。リアはあらためて、疑問に思った。


 ──心に決めた人でもいるのだろうか。


 思って、胸の奥がずきっと痛んだ気がした。


「リア嬢? どうされました?」


「な、なんでもありません。授業がはじまってしまいますので、これで失礼します」


「ああ、そうですね。では」


 互いに頭をさげ、別方向へと足を向ける。リアは目覚めはじめた恋心を、胸中で必死に否定していた。




「お兄様、お兄様!」


 モーガンの教室へと駆けてきたアビーは、モーガンに抱きついた。モーガンが「どうした?」と冷静に、静かに問いかける。前なら、必死に事情を聞いてきてくれたのに。哀しく思いながらも、アビーは早口にまくし立てた。早く伝えたい。その思いが強かったから。


「私、男子生徒の方に身体を強く押されて、倒れそうになったのです。本当に危なかったんですよ。それなのにリア様が、ひどいことを言ったのです」


「……なんて?」


「それは言いがかりだって被害者である私を叱ったのです。そのうえ私を見下し、かわいそうな子などと嘲笑ったんですよ?!」


 アビーは想像した。モーガンが怒り、その男子生徒とリアを怒鳴りにいくのを期待した。でも、モーガンは怒るどころか深くため息をついただけだった。


「……アビー。もうそろそろ、私に頼るのは止めなさい」


「?! ど、どうしてそんなことを言うのですか!」


 思ってもみないことを言われ、アビーが混乱する。ボロボロと涙をこぼす。


「君がそうなってしまった一番の原因は、私にある。君の言うことをなんでも信じてしまった私のね。本当にすまないと思っている」


「……違います、お兄様……私、謝罪なんて聞きたくはありません……ただ、私はっ」


 モーガンはすがるアビーの腕をそっと自身から放した。


「しばらくは、互いに距離を置こう。きっと、その方がいい」


 アビーが目を見開く。大好きな兄の声が、遠くから響いた気がした。



 それからすぐに、逃げるようにアビーは屋敷に戻った。両親共に屋敷にはいなくて、早退したことを咎める者は誰もなく、アビーは寝台に伏せながらずっと泣いていた。


 どうして。どうしてこんなことになってしまったのか。アビーは世界で、たった一人になってしまったような気がしていた。


 誰のせい? 

 そんなのわかっている。

 憎い。あの女が憎い。


 アビーは強くシーツを握っていたが、ふとなにかを思いついたように、力を抜いた。そしてふらりと立ち上がったかと思うと、主のいない父親の部屋へと向かった。


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