お願い、ソーダ
しゅわしゅわぱちぱち。ソーダみたいな女の子だね。そう告白されて、付き合うことになった翔子と律。高校生って、甘いだけじゃないよね。甘さもいっぱい、切なさもある。でも、二人でいられた時間は宝物だった、よね。
初恋の味は、しゅわしゅわ弾けるソーダみたいなものだった。律くんはよくソーダを飲んでいる。私はというと、炭酸が苦手だった。でも、あの時、律くんに『翔子ちゃんも飲む?』そう言われてソーダを渡された瞬間。私は律くんに恋に落ちた。汗がきらきら光っていて、律くんはいつも眩しい。そういえば、律くんに名前で呼ばれたのは、その時が初めてだった気がする。
間接キスとなるそのペットボトルを受け取った私は、律くんへの恋の自覚と、間接キスに対する思いとで、顔を真っ赤にして走って去って行ってしまった。だから、ソーダは飲んでいない。きっと、今でもしゅわしゅわぱちぱちして、喉の奥で弾けるようなあの感じは好きになれないだろう。
「翔子ちゃん、おはよ」
律くんはそれからも何事もなかったかのように私に接する。きっとあの時に、私の想いなどバレてしまったものだろうと思うのに。
私の隣の席に座る律くんは、部活で日に焼けた肌の色が本当に輝いている。サッカー部で、本人曰くあんまり強くはないらしい。でも、人数の問題でレギュラーになれているだけだとぼやいていた。
「律くん、おはよう」
「今日英語の小テストあるって知ってた? 俺勉強してない」
そう言って机に突っ伏す。こういうところがまだまだ高校二年生の男の子な感じがして、さらに好きになる。
でも、私もあれからというもの、律くんのことをどんどん好きなっていくのに、顔に出たりはしなくなった。好きな人と接するだけで緊張して顔が赤くなるのなんて、中学生くらいまでなのだろう。そんなところからも、私も、少しずつ大人になってきている気がする。
チャイムがなって、先生が教室に入ってくると、律くんはぼーっとした顔をして黒板を眺めていた。私は律くんに恋に落ちてからというもの、他ごとが手に着かなくなったりして大変というわけではなく、冷静に律くんのことを眺めていた。ちゃんと先生の話も聞いている。それでも思う。ぼーっとしている顔も、ちょっと幼くて好きだなって。
お昼休みに購買の近くの自販機に飲み物を買いに行くと、律くんの好きなソーダが目に入る。でも、もちろん私はソーダなんて買わない。お金を入れて、白ブドウのジュースのボタンを押すと、ガコンと音を立てて、ペットボトルが落ちてくる。冷えていて、今の暑い時期にはちょうどいい。
教室に戻って、友達としゃべるのもいいけれど、少しだけ一人になりたい気分で、自販機の隣のベンチに座る。日差しが厳しいから、早く戻るけれど。
「あれ、翔子ちゃん」
「律くんも飲み物買いに?」
「そうそう。なんだと思う?」
当てていいのか迷った。ここで律くんの好きなものを言い当てることは、何故か、律くんの事を好きだという行為に近い気がしたから。
「……ソーダかな」
律くんが買ったペットボトルを私に見せる。嗚呼やっぱり。
「正解」
律くんの笑顔がやっぱり眩しい。その日に焼けた肌と、黒い髪の毛がとても似合っていて眩しい。眩しいよ。
「もしかしてだけどさ」
「何?」
「翔子ちゃんって、俺の事好き?」
なんとなく、聞かれる気もしていた。私がソーダかな、と答えた時点で。この質問には、無限の答えはない。イエスかノー。もしくはどちらでもないよなんて言えばいいのかもしれないけれど。
「好き、だよ」
素直になることにした。別にこれで振られても、私はもう少しの間、律くんを好きで居ると思う。ソーダを美味しそうに飲む律くんを眺めて、やっぱり好きだなぁって思うと思う。
「俺はさ、翔子ちゃんのことソーダみたいな子だと思うんだよね」
「どういうこと」
「しゅわしゅわぱちぱち弾ける楽しい子、みたいな」
普段、私がソーダに対して思っていることだった。でも、そんなソーダを私は苦手だけれど。
「遠回しだけど、俺って、ソーダ好きなんだよね」
「知ってるよ」
「そして、ソーダは翔子ちゃんに似ていると思う」
それは、もしかしてもしかすると。
私の都合のいいように解釈していいのなら。
「律くん、私のこと好きなの?」
「うん」
そう言って照れて笑う。いつもだけれど、やっぱり、眩しいな。
「私はソーダ、好きじゃないんだけどね」
「え、そうなの」
そう言うと、私の隣に座った律くんが美味しそうにソーダを飲む。
「それなら、これから教えてよ。翔子ちゃんの好きなもの、好きなこと」
きっと、私はしゅわしゅわぱちぱち弾けるような女の子ではないと思う。それでも、律くんが私を大好きなソーダに例えてそう言ってくれるのなら。ソーダも嫌いではない、かもしれない。
律くんと付き合うようになってから、家に帰る方向が同じということもあって、一緒に帰ることになった。サッカー部の律くんを私は図書室で待っている。勉強したり、本を読
んだり、図書委員の先輩に構ってもらったりして。帰宅部というのは自由だ。あれもやりたいし、これもやりたい。
律くんを校門で待っていたら「お待たせ」って笑顔で駆け寄ってきた。部活仲間からちょっとからかわれていたけれど、そこはもう高校生。みんな、誰と誰が付き合うかとか、興味はあるけれど、そんなに興味のない振りだってできるんだ。
「お疲れ、律くん」
「翔子ちゃんは勉強進んだ?」
「……白状しよう」
「何、怖い」
「ずっと小説読んでてそれどころじゃなかった」
「なんだ、普通じゃん」
そう言って笑いあう。律くんの歩幅は、もしかしたら私に合わせてくれているのかもしれないなと思った。同じ感じのペースで歩けるこの帰り道。今までなんとも思っていなかった車の標識とかミラーとか。道路に書かれた「止まれ」の文字すら愛しく感じるような気がする。
「俺、小説全然読めない。毎年読書感想文はしんどかったな」
「多分今年もあるよ? でもって、夏休みは比較的もう直ぐです」
「助けて、翔子ちゃん!」
ふざけているのが分かる口調でそう言う。律くんは何事も自分できちんとやりたがるタイプなのだと思っている。
「今度、どの小説にするか一緒に選びに行かない?」
「……初、デート?」
私がドキドキしながら聞くと、嬉しそうに「うん」と頷く律くん。
「あ、でもこれもデートだと思ってる。下校デート」
「うん、そうだね」
ずっと嬉しそうな律くん。あんまり暗い表情を見たことはない。このまま、私が律くんの笑顔を守っていけたらいいな、なんて、思ったりする。恥ずかしいから絶対言わないけど。
夏休み前最後の土日。珍しく律くんが空いているらしいので、約束通り小説を選びに行くデートをすることになった。前日の私は服は何着よう、髪は巻いた方がいいか、メイクは薄くならしていってもいいかなとか、一人で大騒ぎしていた。そんな時間も楽しくて、律くんの事になるとこんなにも楽しい自分にびっくりする。
デート当日。待ち合わせ場所は時計台の下。私たちの住んでいる地域だともう鉄板の待ち合わせスポットで。可愛い女の子がイヤフォンをしてぼーっと待っている様子も、スーツを着た男性が時計台があるのに、時計の腕時計を何度も見てはを繰り返しているのを見ていた。私も友達と待ち合わせにすることはあっても、いわゆる彼氏との待ち合わせは初めてで。そわそわ。どきどき。大丈夫、かなぁ。なんて思っていた。
「翔子ちゃん、お待たせ」
その声に振り向くと、律くんが立っていた。パリッとしたシャツに、ジーンズ。黒い髪の毛がいつもよりふわりととしていて、セットしてきてくれたんだ……! って感動しち
ゃって。
「ごめん、翔子ちゃん、俺、変!? カッコ悪い!??」
小声で、でも必死で一生懸命な律くんの表情を見て、固まっていた私は笑いだしてしまった。もちろん、周りに気づかれない程度に。
「そんなことない、カッコいいよ」
そう言うと、律くんはジーンとした顔をして「張り切ってきてよかった!」とちいさくガッツポーズをした。
「翔子ちゃんは私服も可愛いね。髪巻いてる? すげーかわいい」
私の精一杯の努力に気が付いてくれたんだということに、胸が熱くなる。うん、頑張ったの。律くんに可愛いって思ってもらえるように、私の全力で。
「あの、それで」
「うん。本屋行くんじゃないの?」
「……手を、繋ぐのは、俺にはまだハードルが高いので待っていてもらえませんか」
その一言にまた笑ってしまった。今度はさっきよりちょっと声が大きかったかもしれない。ごめんね、律くん。
「私もー! 手繋ごうって言われたらどうしようって思ってた」
ほっとした表情を浮かべる律くん。
「気が合いますね、俺ら」
「ですね」
「ソーダはお気に召されないようですが」
「そうですねぇ、ソーダは苦手ですなぁ」
そんなやり取りをしてから、私たちはお互いを見あって笑って、行こうかと本屋に向かうことになった。
本屋に着くと夏の百冊を特集しているコーナーにまず向かう。
「あれとこれと、それ。読んだことある」
「え、マジで? 翔子ちゃんすげえ」
「そんなにはまだ読めてないよ。せっかく大きな本屋だし、いろいろ見る?」
「賛成。俺、料理のコーナー行きたい」
「律くん料理するんだ」
「俺の両親共働きで、あんまり家にいないからさ。自分で作る事多くて。中学の時は自由研究のネタにしてたりした」
私の知らない律くんが、これからいっぱい現れるんだろう。ということは、きっと一人でご飯を食べることも多いはずだ。私はと言えば、夕食は家族みんな揃う時に食べることが多い。育ってきた環境が違うから、というスマップのあの名曲が頭の中で流れる。
「翔子ちゃんが暗い顔することないって。俺、料理好きだから全然気にならなくて」
「そ、っか」
「うん」
そんな会話をした後、やっぱり読書感想文の本を真剣に探そうとなって、小説のコーナーに行く。お互い候補を見つけたらLINEしようと言ってその場で少し別れた。
私はやっぱり好きな作家さんの本かなぁと。その中で読んだ事のない本にしようと決めてLINEを送ろうとしたら、律くんからもLINEが来た。タイミング、良すぎだよ。
「俺、これ」
そう言って見せてくれたのは、『星の王子さま』だった。
「名作、だね」
「やっぱ、そうなんだ。タイトルからしていいよなって思って。でも、俺小説本気で全然だから翔子ちゃんがそう言ってくれてよかった」
そう胸をなでおろしたのを見て、私が『星の王子さま』を読んだのは小学五年生の時だったなんて言えないな、と思った。
「でも、律くん、数学得意だよね」
「国語よりは」
そう言いながらお会計を済ますと、律くんがぽつりと呟いた。
「デートっぽいこと、してみたいね」
あまりに無邪気に言うから、その焼けた肌と白い歯のバランスが良すぎて、やっぱり眩しいなと思ってしまう。律くんは、いつも眩しい。
「例えば?」
「これ引かれるかな」
「え、何、気になる」
「女子かって誰かに突っ込まれそう」
「突っ込むの私しかいないから大丈夫」
「……翔子ちゃん、引かない?」
「ことによる」
「えーじゃあ」
「嘘。絶対引かないよ」
そう言って笑顔を向けると、意を決した律くんが、ぽつりと呟いた。
「プリクラ、撮ってみたい」
「……そうなんだ! え、嬉しい。記念になるよね」
なぁんだ、全然引かないよ。でも、律くんはその一言を言うのにすごくエネルギーを使ったみたいだった。男の子からプリクラが撮りたいとは、確かに言いにくいかもしれない。私から提案しようと思っていたから、またシンクロしたな、なんて嬉しくなる。
「行こう、行こう」
「ありがとう、翔子ちゃん」
「ん?」
「何でもない」
その後、ゲームセンターに赴いた私たちは、どのプリクラの機械で撮るのか散々悩んで、一番カーテンに落書きされているプリクラにすることにした。なんとなく、一番人気そうじゃない? って話になって。
「ピースでいいの?」
「指示で言うと、手でハートを作るらしいよ」
「あ、片手のやつか」
プリクラを撮る時、初めて、律くんとの距離にドキドキした。二人きりで、こんなにも近い事に、ドキドキした。真剣な表情の律くんは可愛いなと思った。ここでもやっぱり、律くんの事が好きだなってさらに思った。
「俺、憧れてたんだけど、スマホケースに入れてもいい?」
「え、私も憧れてた」
透明なスマホケースの中に、プリクラを入れる。若い子たちの中で流行っていること。嬉しくて「透明なスマホケース買いに行きたい!」と言うと、「百均に売ってるよ」とゲ
ームセンターの隣の百均を律くんが指さした。
ああ、もう神様。今日、私はいろいろ運を使い果たしてしまったのではないでしょうか。
百均に行ったあと、「家の都合で」という律くんの話でお開きになった。帰る方向は一緒だったから送るよ、と言ってくれたけれど、「もうちょっとだけ今日の楽しかったデートに浸ってたい」と言って別れることにした。見えなくなるまでバイバイって手を振ってくれていた律くんが、愛しくてたまらなかった。
それから夏休みに入ると、律くんは部活で忙しくなった。なので、今日は久々のデートだと思うと胸が高鳴る。
「ごめん、遅くなった」
私たちはまた時計台の近くで待ち合わせをした。律くんが急いで来てくれたことはわかる。でも、十五分の遅刻。
「遅れるのはいいけど、連絡して。心配した」
「ごめん」
しゅんとした顔をして謝れると、もうそれ以上責める気にはなれなかった。
「以後、お互い気を付けようね」
「うん」
「今日は律くん、行きたいところがあるんだよね?」
「そう! 翔子ちゃんを連れて行きたいところがある」
嬉しそうな笑顔に変わる。やっぱり、私は律くんの笑顔の方が好きだな。
「ついてきてくれる?」
「うん」
まだ手を繋ぐこともしない私たちは、隣を少しぎこちなく歩く。デート、まだ二回目だもんなぁ。そうぼーっとしていたら、律くんの目的の場所に着いたみたいだった。
「CDショップ?」
「そうそう。翔子ちゃんにも好きになって欲しくて」
そう言って、律くんは目的だったCDを手に取るとレジに向かった。会計を済ませて、はい、とCDを渡される。
「ヨルシカの。すごく良いから聴いて欲しい」
そういえば、律くんと好きなものの話をした時に、ヨルシカが好きだと言っていたのを思い出した。私は詳しくないなとその時答えた。気がする。
「好きな人に自分の好きなもの、知って欲しくて」
渡されたCDを見つめた。
「ありがとう、帰ったら聴いてみるね」
「こちらこそ、ありがとう」
その後は、本来の目的だった、お勉強デートだった。二人で図書館に向かった。私は国語を、律くんは数学をお互い教えあおうということで。図書館に向かう電車の中で、二人で小さな声で何でもないことを話したり、暑いねってコンビニに寄ってアイスを半分こしたり。幸せ過ぎて、溶けてしまいそうだった。そして、勉強なんて身が入らなくて結局二人で話し倒した。
家に帰ると、さっそくCDを聴いてみることにした。思えば、男の子から何かをプレゼントされたのって初めてだな、と思いながら大事にCDを取り出してプレイヤーに入れた。律くんに今時、CDじゃなくて配信で聴けるのに何で? と聞いたら「翔子ちゃんに俺がヨルシカをすすめたことを形に残したいから」と言っていた。
聴いてみたヨルシカは、すごく良かった。律くんの好きなものを、私も好きだと思えることが、嬉しかった。
三度目のデートは、夏祭りだった。デートの数は少ないけれど、学校では毎日顔を合わせていたし、LINEだって毎日しているし、私たちは決して不仲ではないと思う。そこらへんにありふれている恋愛の一つなんだと思う。
「翔子ちゃん、可愛い! 髪の毛も結ってある、すげぇ、凝ってる、可愛い」
律くんは会ったと同時に金魚柄の浴衣を着た私を褒めてくれる。
「ありがとう」
「それでさ」
「うん」
「浴衣で下駄じゃん? 歩きにくいよね」
「うん、そうだね」
「……危ないから、手でも繋ぎませんか」
顔を赤くして、手を差し出してくれた律くん。もうこれは、応えるしかないでしょ。
「うん!」
繋いでみた律くんの手は、思っていたより大きくて、やっぱり男の子なんだと思い知らされる。
ねぇ、律くん。律くんのこと、カッコいいと私は思っているよ。ソーダを美味しそうに飲むところ、いつも写真に収めてしまいたいくらいだよ。そんな、律くんが大好きで。律くんの隣にいる私は、ちゃんと可愛い女の子でいられているかな。そう、不安になったりする。
「翔子ちゃん、花火始まっちゃったね」
「ほんとだ」
「食べたいものある? 俺買ってこようか」
「……一緒に行きたい」
繋いでいる手に少しだけ力を入れる。傍にいたいの、近くにいたいの。律くんと、できるだけ、一緒にいたいの。
「じゃあ、花火はちょっと楽しみつつ、屋台一緒に周ろう。俺焼きそば食べたい」
「私たこ焼きかな」
「あ、いいな。たこ焼き。半分こしよ」
「うん」
日に焼けていた律くんは、この夏で更に日に焼けた気がする。私の知らないところで、私の知らない律くんがいたんだなと思うだけで、嫉妬してしまう私は、ちょっとよろしくない。
「チョコバナナも! 食べたい」
「分かる、屋台の鉄板だよなぁ」
でも、そんな嫉妬も全部吹き飛ばしてくれるかのように、律くんは私の隣で笑ってくれている。今が大切だから。今を生きる事が、大切だから。律くんは今を大切にしてくれている。今、私といるという、今を。だから私も、そんなつまらない事を考えていないで、律くんと思い切り夏祭りを楽しもうと思った。
「翔子ちゃん、浴衣姿撮ってもいい?」
急に、律くんが言い出す。驚いた顔したら、照れて笑顔を向けてくれた。
「本当にすっごく可愛いから。俺の思い出に残したいんだ」
「あとで二人でも撮ってくれる?」
「お、自撮り? 俺写真写りめちゃくちゃ悪いけど、それでいいなら」
「律くんはいつでもカッコいいよ」
そう言うと、けらけら笑って、ありがとうと言った。
その後、律くんは私の浴衣姿を何枚か撮り、インカメにして二人で写真を撮った。スマホケースには前撮った二人のプリクラ。思い出が、増えていく。きっと、これから、ずっと。
「あ、ブルーハワイ! 舌青くなるんだよね」
「食べる?」
「食べちゃう?」
花火よりも人混みよりも、何よりも律くんの隣にいられるこの時間が愛おしくて、楽しくて、この時間を抱き締められるものなら抱き締めてあげたいと思った。初めて繋いだ手は、少しお互い汗ばんでいた。
文化祭、私たちのクラスは写真映えスポット作りになった。教室に五つ、写真映えするコーナーを設置すること。私が担当したのは、夏は過ぎちゃったけれど、向日葵でいっぱいの映えスポット。置き方とか、メンバーで相談して作り上げた。なかなかいい出来だと思っている。出来上がって初めに、向日葵コーナーを担当した全員で写真を撮った。ああ、なんだか青春だなぁ。そんなことを思いつつ、律くんのチームを見に行くと、夏祭りを表現したいらしいコーナーが出来上がっていた。花火と屋台。ああ、私と律くんの思い出だ。そう思うと心がくすぐったくなる。
「翔子ちゃん。やっぱり俺的にかき氷は外せないんだけど、どう思う?」
「わかる。特にブルーハワイ」
「だよね、さすが翔子ちゃん! みんな聞いた? ということでかき氷のなんとかして作ろうぜ」
「それって、お前らのデートの思い出だろ」
「惚気てんじゃねーよ」
そう言って律くんの友達が律くんにじゃれる。その様子を笑って見ていた。二度と戻らない高校二年生の文化祭。最高の思い出にしたい。といいつつも、フォトスポットなんて作ってしまったら終わりなんだけど。
最近ヨルシカばかり聴いている。律くんがプレゼントしてくれたCD以外は全部借りてきた。配信じゃなくてCDのレンタルをするあたり、私はかなりのアナログ人間だ。
休憩に入ったらしい律くんが『何聴いてるの?』と聞いてきたから、『ヨルシカ』とだけ答える。そうしたら、律くんは目を細めてうんうんと頷いた。とても嬉しそうな様子
だ。
「そこのバカップル、飲み物買ってきて」
「それって俺らのこと?」
律くんが自分と私を指さして聞く。
「お前ら以外に誰がいるんだよ」
「いいよ、何がいい?」
「俺、甘いもの飲みたいからココア」
「俺はコーヒー牛乳」
「じゃあ、行こうか、翔子ちゃん」
「うん」
私たちのクラスのみんなは、私たちが付き合っていることに好意的だと思う。お似合いだと思うとよく言われるし、憧れると言われることもある。私は別に、憧れて欲しいなんて思ったことはない。だから、SNSで律くんとのことを更新したことはない。ちゃんと写真や手紙は大切にしているけれど、それを人に見せびらかす気はない。だって、人に見せえていいでしょって言ったら、なんだか大切な思い出が薄くなってしまう気がする。だから私は、私なりのやり方で、律くんとの思い出を大切にしたいし、一緒にいたいと思う。人にどう思われるかはなんでもいい。
「翔子ちゃん、俺デートっぽいことしてみたいな」
「……お祭りデートはデートっぽくなかった?」
「ごめんごめん」
眉毛を八の字にする律くん。ごめん、私が困らせたかな。
「俺、翔子ちゃんといっぱい思い出作りたいんだ。日常もいいけど、たまには特別なこともしたい」
「デートっぽい……。映画とか?」
「そう! それ! 憧れだよ」
私はたまにちょっと不安になる。律くんの事が好きだ。律くんと一緒にいたい。でも、律くんは、私が好きなわけではなく、私という彼女という存在が好きなのではないかと。
それでも、私は律くんが好きだから、そんなことは言わない。そんなことを言ってしまったら、きっと私たちの関係は簡単に終わってしまう。
「文化祭終わったら行ってみない?」
「いいね、賛成」
自販機に着くと、コーヒー牛乳とココアとオレンジジュース、そしてソーダを買った律くん。ソーダは律くんのだろう。
「オレンジ、頼んでる人いなかったよね?」
「これは翔子ちゃんの。おごりだから」
そう言って笑顔ではいって渡される。私が果物系のジュースが好きなこと、ちゃんと覚えていてくれているんだ。心がぽわりと温かくなるのを感じる。好きな人が、私の好きなものをちゃんと覚えていてくれている。たったそれだけのことかもしれない。でも、嬉しくて。涙を堪えるのに一生懸命だった。
文化祭当日は、律くんと二人で活動することが多かった。定番の屋敷や今でもやるんだ、と思うメイドカフェとか。展示物も見たし、演劇も見たし、へたくそなバンドも見た。写真をたくさん撮ったし、とにかく二人で馬鹿みたいに笑いあった。バカップルと言われるけれど、本当に、バカップルだった。そう思えることが、嬉しくて幸せだった。
最終日、片付けが終わって、みんなが体育館に移動しているときに、律くんが『ちょっとだけ待って』というから、教室に二人きりになった。
「翔子ちゃん、本当に俺の事好き?」
「好きだよ、大好きだよ」
え、何。別れのフラグ? そう思って涙目で律くんを見つめたら、ぎゅっと抱き締められた。
「俺も、翔子ちゃんのこと、大好き」
初めてのキスは、やっぱりソーダの味だった。
「翔子ちゃんのノート可愛い」
私の前の席に座ってきた律くんが、私のノートを見るなりそう言う。前の席の前田くんは気を使ってくれたのか、私にアイコンタクトを送って教室から出て行った。そう、今は休み時間。
「ありがとう。シールとか使ってデコるの楽しいよ」
「……俺のも、やって?」
「もちろん!いいよ。そしたら帰りにノート渡して。家でやってくる」
「楽しみだな」
文化祭が終わり、体育祭が終わり。修学旅行は春に終わっているから、行事はしばらく落ち着くかなと思ったけれど。日本人の行事好きは結構なもので。ハロウィンだのクリスマスだの。大変じゃないか。
きっと、ハロウィンだの、クリスマスだのだった、律くんと一緒なら、楽しくなるんだろうな。新しい思い出作っていけるんだろうな。そう思うだけで嬉しくて自然と笑顔になる。
私、ずっと、律くんの隣にいたい。
「そうだ、今日帰りデートしようよ」
律くんが面白い悪戯を思いついた顔で私に言う。それに私は、思い切りの笑顔で頷く。何でもないようなこんな時間。これからも、ずっと、ずっと続いたらいいのにな。
「ついつい買っちゃうよね……」
「わかる、百均とか魔力だよなぁ」
律くんと、放課後のショッピングデート。いつの間にか律くんの隣を歩く自分が、当たり前のように感じられるようになって、ふわふわとした思いをする。心が、ふわりと。浮いているようで、当たり前のようで。
隣の律くんはやっぱり私の好きな笑顔で笑っている。焼けた肌から流れる汗を見ると、少しだけどきりとした。
「あ」
「ん?」
通りかかった、旅行代理店のお店に、ウエディングドレスが飾ってある。海外で挙式をあげる人向けなのか。
「綺麗だね」
「……やっぱり翔子ちゃんも着たいもの?」
律くんにそう聞かれて、素直に思うままに、伝えることにした。
「律くんの隣で着られたらいいなと思う」
そう笑顔で言うと、律くんが少し黙った。
「そっかぁ」
その瞬間、その一言に、なんだか胸騒ぎを覚えた。いつも通りの律くんとのデート。さっきまでのふわふわした心が、ざらざらとした音を立て始める。何で、だろう。いつも通りのはずの律くんの笑顔を見ながら思う。きっと、律くんだって、思ってくれている。律くんの隣には、私がちょうどいいって。
悪い予感というものは、なんでこうも当たるのだろう。放課後、偶然、告白しあった自販機の近くを通ると、律くんとサッカー部の先輩が話しているのが聞こえた。サッカー部のマネージャーの先輩は私とは違って、少し大人っぽくて、髪の毛がさらさらで綺麗で、手足もすらっとしている。私のなりたかった、理想の女子高生といったところ。外見の話だけれど。そんな先輩と、律くんが何を話しているんだろう。こっそり隠れて、聞き耳を立てた。
「律くん、最近惚気なくなったよね」
「まぁ、そうですね。なんか、ちょっと」
「ちょっと?」
「……重いなぁって思って」
頭を、がつーんと打たれた思いだった。律くんが私の悪口を言っている。悪口というか、不満というか。今日も一日、いつもと同じように過ごして、笑って、喋ったりしていたのに。
「この前、彼女がウエディングドレス、俺の隣で着たいって言うんですよ。まだ高校生だし、俺は全然そんなこと考えられなくて。それ以来、なんか、重いなぁって」
やっぱり、あの時のざらざらした感情は、嘘じゃなかった。もう、これ以上、律くんの言葉を聞きたくなかった。この後、でも違って、と弁解してくれるかもしれない。でも。でも、もう遅いよ。私の好きだった律くんは、ソーダを美味しそうに飲む、笑顔がキラキラした律くんだった。あんな暗い声で私のことを話す律くんのこと、ごめんね、きっと、私、許せない。
最後のデートだなぁ。そう思いながら、律くんと帰り道を歩く。律くんは、サッカー部の先輩に愚痴を言っていたのとは違って、いつも通りな表情をしている。いつも通り、こんがり焼けた肌が眩しい。
ああ、私、この人のこと、すごく好きだったなぁ。そう思いながら、律くんのいうことは右から左に流れていった。ソーダはいまだに好きになれないけど、きっと、ヨルシカは私の青春だし、いろんなものを律くんはくれたと思う。
好きだなぁ、大好きだったなぁ。でも。
「律くん、別れよう」
「……え」
「私は、律くんにとって、重いんでしょう?」
すごく驚いた顔をした。こんな顔は初めて見た。きっと、最初で最後だと思う。
「先輩との話、聞いてたの」
頷くと、そっかぁ、とため息を吐いた。
「私は律くんとの未来、もう描けない。だから、もう、お別れしよう」
「……うん。ごめんね」
「ううん。ごめんねじゃない。ありがとう」
大好きでいさせてくれてありがとう。ああ、私の初恋が終わっていく。ちゃんと、笑顔で終わっていく。ありがとうを伝えあって。ごめんねって言い合って。こんな思い、初めてだった。すごく、しゅわしゅわぱちぱち弾ける、ソーダみたいな思い出になった。ありがとう、律くんを好きになったこと、きっと後悔はしない。この夏、律くんと過ごせたこと、きっと、一生私の宝物だ。
CDショップに、久しぶりに来た。ここに来ると、高校生の時好きだった、律くんのことを思い出してしまうから、あまり寄らないようにしていたけれど。高校生の時大好きだったヨルシカのCDが出るって聞いたから、立ち寄ってみることにした。
ヨルシカを好きになったのは、そもそも律くんがすすめてくれたからだった。あれから何年だろう。私は律くんと別れてからちょっと怖いくらい勉強にのめりこんで、苦手だった数学も少しできるようになって、国公立の大学に進んだ。我ながら頑張ったと思う。でも、就職は難しかった。今は塾の講師をしている。国語を教えている。
ヨルシカのCDを手に取って、会計を済ます。お店を出ようとした時、声を掛けられた。
「翔子ちゃん?」
この声は。
「り、律くん、元気にしてた?」
うんって笑う律くんの左手薬指に、指輪がきらりと光った。ああ、そっか。
「少しだけ、話さない?」
次は私がうんって頷いた。きっと、これが、律くんと会うのは最後だろう。
近くのカフェに入ると、律くんはメロンソーダを頼んだ。相変わらずすぎて、笑っちゃう。そんな律くんの向かい側で私はコーヒーをホットで。もう、季節は何年目か分からない冬が来る。律くんとは秋で別れちゃったから、私が、律くんと迎えられなかった、冬という季節が来る。
「高校の時、俺、本当に翔子ちゃんのこと好きだったよ」
「うん」
「だから、ごめん。やっぱり、俺が悪かったこと、謝れなくてごめん」
スーツ姿の律くんは高校生の時に着ていたブレザーの延長のように、まだ子供っぽさが
抜けていない。でも、だいぶ、日にも焼けなくなったみたいだ。こげたようなあの眩しい肌はもう、街を歩く人に紛れている。
「私ね、いまだにソーダ、飲めないんだ」
「……うん」
「でも、律くんが私をソーダみたいな子だって例えてくれた時、嬉しかった。律くん、ソーダが大好きだったから」
「……うん」
「……じゃあ、もう、行くね」
テーブルの上に千円を置いて立ち上がる。
飲み干してもいないホットコーヒーが冷める前だった。
もう、会うことはないといいな。きっと、お互いそう思っている。大好きだったよ。ありがとう。しゅわしゅわぱちぱち。弾けるような初恋を、ありがとう。
初恋が、あなたでよかった。きっといつか私がまた誰かを好きになってもそう思いたい。
帰り道、自販機の前を通りがかると、律くんのよく買っていたソーダが目に入った。あの失恋以来、初めて、涙が零れ落ちた。
私はソーダが飲めないけれど、きっと、一生、ソーダを嫌いにはなれないんだろう。しゅわしゅわぱちぱち弾けるような女の子。そんな風に言ってくれたのは、きっと、律くん。あなたただ一人だよ。