すべてがお肉になる
あれは三年前の冬のある日のことでした。
私はその頃、何もすることがなかったのです。大抵は家で家事をしていたり、インターネットをしたりして過ごしていました。えっ? 何もすることがないなんて嘘じゃないかって? いいえ。私は何もすることがありませんでした。だって私自身がそう感じていたのですから。日々はただ無為に流れて行くと。何か私に出来ることはないだろうか、このまま死んでもいいものだろうか? そんなふうに毎日考えていました。
はい、そうです。人生に意味など求めてしまっていたのです。バカですよね。私の34年の人生には何もなかったのに、それより何より人が生きることに本来意味なんてないのに、私はなぜ私が産まれて来たのかなんて考えて、私の命を意味で飾ろうとしていたのです。いいえ、慰めはいりません。えっ? 慰めてるんじゃない、同情してるだけだ? 同情はいりませんよ、刑事さん。あなたに私の何がわかるっていうんですか?
あなたはこんな話が聞きたいのではないでしょう。手短に、要点だけ話しますね。あの冬の日、私は久しぶりに、おそらくは11年ぶりに、外に出たのです。外は凍りつく寒さでした。スケートリンクみたいになっている歩道を、半纏を羽織って、裸足でぺたぺた歩きました。どうしました? ここツッコむとこですよ? まぁ、ツッコんでくださらないのならいいです。とにかく凍えそうな足で、それでもすぐには家に帰らず、夜の冬の田舎道を私は歩いて行きました。
どこへ行くつもりだった……。どこへでも。そうとしかお答えできません。とにかく私は何も変わらない部屋にはじっとしていられなかったんです。確かにインターネットの中では様々なものが変わって行きました。でも私は何も変わらないんです。少し炒飯の作り方が上手になったぐらいで。しかも買い物に行けず、食材は農家のおばあちゃんが持って来てくれるものだけでしたから、肉なし炒飯だったんです。11年間ずっと。
そんなだから飛び上がるぐらいに興奮したんです。目の前に、雪をかぶって男の人が道に倒れているのを見た時は。食材見っけ。そう思いました。11年ぶりぐらいにお肉が食べられる。そう思いました。ですが、はいそうです。生きてらしたんです。よく見ると背中に積もった雪が上下していました。その方は力を振り絞って顔を上げ、私と目を合わせました。どうされました? 私はそれしか言わせてはもらえませんでした。男性はお腹が空いて倒れてしまったのだと言いました。でも私を食べたいとは言いませんでした。
冬の田舎町は凍りついていました。私達の他には動くものもありません。仕方なく私が半纏のポケットに入っていたヤマザキの抹茶羊羹を差し上げると、男性は喜んでそれを貪り食い、少しだけの動けるエネルギーを補給すると、私に一礼してどこかへ去って行きました。
私は火をつけられてしまいました。
お肉が食べたい。
お肉が食べたくて仕方がない。
頭の中がそればかりになりました。
だから罪を犯してしまったんです、刑事さん。いいえあの人のせいではありません。あの男性は、私の心に小さな火をつけただけ。燃え上がるほどにまでなったのは、すべて私の心の弱さのせいです。
冬の田舎町に動くものはもう何もありませんでした。電柱も、ガードレールも、家々も、みんな凍りついていて、そこに赤い月の影が射して、だから私の目にはまるですべてがお肉であるように見えたんです。すべてのものが、私の中で、お肉になったんです。
えっ? いいえ、ガードレールは固くはありませんでした。それはカチカチに凍っていましたが、ペロペロ舐めているうちに溶け出して、脂がじゅわっと染み出して来ました。電柱も、まるでトントロのようななめらかさでした。家も食べました。11年ぶりに食べるお肉に、私は夢中になっていたんでしょうね。住んでらっしゃる老夫婦がびっくりしながら私を見ていても、ちっとも気がつきませんでした。
ですけど刑事さん、信じてください。私はやっていません。その老夫婦までは、食べていません。私の中ですべてがお肉になっただけなんです。それだけなんです。ほんの錯乱状態だったんです。ですから……。えっ? はい。今もまだそうだと思います。あれからやっぱりすべてのものがお肉に見えてしまって。刑事さん。てのひらの親指の付け根がプライドチキンみたいで美味しそうですね。刑事さん……。刑事さん。刑事さん!