5_無自覚な矛盾
「ちょっと待て」
ノアは村へと進める足を止め、前を向いたまま後ろを歩くセシルに手を広げ静止させる。
「帝国兵だ。まだ向こうからこっちは見えてないと思うが……」
村の入り口には身の丈ほどある槍を携えた帝国兵がたむろしており、
よく見ると、見える範囲の建物が打ち壊され、荒らされている。
「もうこんなところまで!」
セシルが木々から顔を出し、そう小さく叫んだ声は、驚きのせいか、兵に対する怯えか、わずかに上ずっている。
兵たちは村から街道にかけて土嚢を積み、村を守っていた大きな木の杭たちは、
先に進むのを拒むように横一線に並んでいた。
運が悪いことに、
これまで轍を作ってきた森も、ちょうどその村の付近で途切れている。
「関所のつもりか」
ノアは首のうしろをこすりながら、隣にで立ち尽くすセシルを一瞥する。
(俺一人だったらまだしも、セシルを連れてだと強行突破が難しいな……)
この街道を通らず、アストリアにたどり着くためには、
ここから北に数日歩き、さらに切り立った山道を進む迂回ルートのみである。
セシルの踵は皮がはがれて血がにじんでいる。
「仕方がない、日が暮れるまで待とう。幸い関所の構築中だし、もしかすると警備体制も甘いかもしれない」
お手上げだとばかりに両手を上げ、木々が生い茂る方へと、元来た道の方へと逆戻りする。
足音が付いてこないことに気づき、セシルの方を振り返る。
セシルは未だ村の方を凝視して身を硬直させていた。
「どうした、見つかる前に隠れるぞ」
「……いやっ…」
手を口の前でかすかにふるわせながら、後ずさりをする。
セシルの尋常ならざる様子に、一足飛びにノアはセシルの隣に駆け寄ったが、それでもまだ彼女は村の方向を凝視したままだ。
「おい!」
セシルのとなりまで来てやっと、ノアにも彼女の動揺の理由が理解できた。
ノアが目にしたのは、ちょうど、
小さな子供たち数名が、
村の入り口に止められた幌をかぶせた荷馬車に、放り込まれる瞬間だった。
「いつの時代も戦争は変わらないな……」
この村はクルーラント王国の領地内に存在している。
帝国からクルーラント王国を通過し、アストリアとの境までははるか遠い。
一軍人が、規律から解放されならず者へと堕落してくには十分な距離と時間だろう。
使命感や正義感を持った人間は、懐にも余裕がある高官たちであり、彼らは中央付近に陣取って動くことはない。
手柄は上官に持っていかれることを分かっている現場の一兵卒は、
占領した村や町を打ち壊し、略奪にはしる。
「けど、ちょっと悪質だな……」
略奪と言っても大抵は、金目になりそうな武具や馬、貴金属などが対象となることがほとんどだ。
これらは仮に略奪品であることが判明しても、それを上回る需要があり、
買い付ける側も暗黙の了解として買い取ってくれることもあり、比較的に換金が簡単だ。
だが、”人間”となるとそうはいかない。
流通経路は限られるため、一個人が簡単に換金することは難しい。
”原価”として奴隷商に仕入れられるか、”戦力や労働力”として賊まがいの傭兵団に買われるか……。
「セシル、クルーラント王国は奴隷商を認めているのか」
「いえ、公には否定されていますが……」
ノアは『そうか』とだけ短く返事をする。
「ガイウス帝国は?」
「クルーラント王国と同様です。基本的に奴隷を生業とすることは不文律ではありますが、容認している都市国家はありません。」
「と、いうことは存在していることには違いないんだな」
セシルは拳を握りしめ下唇が白くなるほど噛んでいた。
「よし、もしかすると、あの馬車が出発するタイミングに警備に隙ができるかもしれない。それまで様子を…」
「助けます」
唇を真一文字に結び、今にも飛び出しそうなセシルを、とっさに肩を掴んで止める。
「おいちょっと待てって!何考えてるんだ今出て行って顔でも見られたらこの先アストリアでも追われることになるんだぞ」
「だとしても…!」
ノアを見つめるセシルの瞳は瞳孔がひらき、わずかに揺れている。
「お前がやるべきことはなんだ!その服装じゃ冒険者や自警団には見えない。もし国の復興や帝国への報復を考えるなら今は身をひそめるべきだ」
「……」
セシルはノアの言葉に数歩後ずさりをし、俯いたまま擦れた声で言葉を紡いだ。
ノアが予想もしない言葉を。
「ノアさん。あなたならあの兵たちを皆殺しにできますか。一人残らず」
「……。はははッ!」
セシルの言葉に、ノアは大きく声を上げて笑う。
もしかしたら数十メートル先の兵にも聞こえたかもしれないほどの大きさで。
「お前ほんとにさっき、帝国兵を殺すことすらためらった人間か?」
そういいながらも笑い続けるノア。
「できますか」
「ああ、訳ないね。自国の人民が優先されるときには、慈悲を掛けようとした帝国兵は殺傷の対象か……。ククっ、歪んだ正義だねぇ。」