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かいぶつの夜と大好きな人




ずっとずっと昔に、一人の女の子がいた。



その子はお人好しで可憐な所謂ご令嬢という感じの女の子で、とても生真面目でとても優しい、けれども、ありふれた女の子だった。

特別な才能は何一つなかったけれど、家族が大好きで頑張り屋さんで、少しだけ臆病だった。

婚約者の王子様とはずっと仲良しで、どれだけ手紙を交わした事か。



その時からずっと、僕はジュリウスが大好きだ。



けれどもある日、手負いの大きな黒い竜が領地に現れた。


苦痛のあまりに暴れる竜が屋敷に降り立ち、真っ先に犠牲になったのは、危ないからという制止の声を振り切ってバルコニーに出てしまった、可愛い弟だったのだ。




あの日。




あの、よく晴れた春の日の、とてもとても暗い日。



たまたま、王都を離れて屋敷を訪ねて来ていた婚約者は、祝い守護の指輪の贈与を控え、その後にある次の舞踏会のドレスを、わざわざ自分の手で届けてくれていたのだ。

それは、仲の良い婚約者だったからこその事で、本来なら王都と辺境域の距離を考えればそんな事はあり得ない。



そして、弟の遺体に取り縋って泣き崩れた女の子をなんとか逃そうとして、彼も死んだ。



王子様は、暴れ回る竜だって簡単にどうにかしてしまえる程の、手練れの魔術師であった。

けれども、彼の大事な婚約者の慟哭が、弟の亡骸に取り縋った彼女の無防備さが、致命的な一瞬の隙を齎した。


そして、末息子と多くの家人や騎士達を失ったばかりの辺境伯は、結果として王族を一人殺してしまった過失の咎を負い、大きな賠償を背負わされた。


王家と辺境伯との関係は決して悪くはなかったが、それでも、国というものを揺らがせない為に、彼等は、より多くの諸侯が有能な王子の死の責任として納得出来るだけの償いを選ばなければならなかったのだ。




ルクレツィアは、最初の自分がどうやって終わったのかをよく覚えてはいない。



敬愛する王子を喪った王都の騎士団や、愛する息子の死に打ちのめされた王妃から冷遇された辺境域は、国に摩耗されてゆき、やがて、中央との関係悪化をどこからか嗅ぎつけた隣国の兵士達にあっという間に食い物にされた。


勿論、国境域は国にとっては失い得ない大事な要所であるが、あの一族は王族殺しの咎人ではないかという人々の怒りや軽蔑と、そんな者達の為に命をかけて戦いに行くことへの僅かな躊躇いが、援軍の手配をほんの僅かに遅らせ、取り返しのつかないだけの時間が無駄になったのだ。



戦いに出た女の子の父と兄や親族の男達は全員が殺され、辺境域は敵国に蹂躙された。


王都の屋敷でその一報を聞いた母は、最大の敗因は援軍の遅れだとは言え、国境域を預かる者として、その要所を敵国に奪われた責任を負わなければならない。

当時は病弱だった優しい母にそんな余力があるはずも無く、母は、自ら命を絶った。



そして、ルクレツィアは家族の全てを失った挙句に、国民からの壮絶な憎しみを受け止める辺境伯領の最後の一人として、取り残されてしまったのだ。



母とは仲良しだったけれど、最期の母は、もはや正気ではなかったのだろう。

娘を守ろうとして、不慣れながらも様々な人達に助力や援助を請うた人が、どんな心ない言葉や憎しみに晒されていたのかの想像は難くない。


何しろその娘のせいで第二王子は死んだのだし、魔術に長け、ゆくゆくは辺境域の守りの要となる筈だったその王子の死は、彼を愛する人達と同じくらいに国を愛する人達の心にも大きな影を落としていたのだ。


竜の王だったという黒い竜の被害から始まり、今や国境域は、じりじりと敵国に押し上げられている。

それがどれだけの国難なのかを思えば、人々の怒りの矛先がこちらに向いてしまうのも、致し方なかったのだろう。



なんて嫌な運命だろう。

なんと恐ろしく悲しく、悍しい悲劇だろう。



特異さなど何もない普通の女の子だった最初のルクレツィアは、その重さに耐えきれずにぽきんと折れた。

折れて、多分、この世界を呪ったのだろう。



私の愛する人たちに無残な最期を迎えさせたその全てを決して赦しはしないと激昂し、全てを呪った。


そして不幸なことに、ルクレツィアには、それを可能とするだけの魔術の才があったのだ。

さすがに世界をどうこうは出来なかったが、その災いは苛烈で甚大で、隣国との国境域を巡る戦に負けたばかりのこの国を容易く傾けた。

 



ごうごうと燃える荒地の中で、青白く光る流れ星を見上げ、咽び泣いていたのはいつのことだろう。



本当は誰も悪くなくて、不幸な偶然ばかりで、強いて言うなら、あの日のルクレツィアがあまりにも愚かだった。

それなのに、絶望にむしゃむしゃと食べられた心は壊れて、ルクレツィアを怪物にしてしまったのだ。




『ジュリウス』




その名前を呼んだあの流星雨の夜は、最期だったのか、長い長い時間のどこかだったのか。


いつも優しく微笑みかけてくれて、手を差し伸べてくれた大好きな婚約者は、あの日だって、ルクレツィアを守れて良かったと微笑んでくれたのだ。

だからきっと、泣いて暴れるだけの愚かな怪物は、怪物になってもまだ無責任に、ジュリウスに助けて欲しかった。



ジュリウス。

ジュリウス、みんな、お父様、お母様。

お兄様に大好きな弟に、屋敷のみんな。



どうかみんな死なないで。

どうか私を、暗闇の底に一人ぼっちで置いてゆかないで。



そう願い、わんわんと泣いた小さな怪物は、流れ落ちる星々を見上げ、星に祈った。


こんな怖い事がなくなりますように、大好きな人達にまた会えますようにと。

祈りながらも狂っていたので、その流星雨の夜に何が起きたのかまでの記憶はない。



泣き疲れて眠ってしまい、目を覚ましたらルクレツィアは四歳だった。

乳母から、内緒ですよと、蜂蜜のかかったパンケーキをおやつに貰っているところでぱちんと記憶が戻り、小さなルクレツィアはどれだけ驚いたことか。



その時はうまく飲み込めないで、混乱のあまりにばたんと倒れてしまったが、少しすると、ルクレツィアは、自分を取り巻く世界の時間が巻き戻った事を知った。




(だから僕は、強くなりたかった)




父や兄達の不在が長引き寂しさを抱えた小さな弟が、ほんの少しだけ我が儘になって、制止の声を振り切り、あの日のバルコニーの扉を開けてしまわないように。


たっぷり甘やかして、弟が欲しがっていたお兄ちゃんになって、これ幸いと鍛錬を積み魔術を磨いて竜なんて簡単に狩れるようになった。


いささか狩り過ぎてしまったので、これは食べられるかなと思って食用にもしたが、自然のものを無駄にしないというのもいい事だろう。

だが、そうこうしている内に、竜達はあの土地の人間は竜を食べるぞと認識したらしく、辺境域を避けるようになってくれている。



(なぜ、時間が巻き戻ったのかは分からない。あの日の流星雨に願ったからなのか、偉大な魔術師か誰かが現れて、怪物を封じる為にそうしたのか。或いは、怪物の出現を見かねた人ならざるものの手配なのか………)



それでも、二度目のルクレツィアには、やるべきことが沢山あったので、どうしてという理由はもはやどうでも良かったのだ。


ルクレツィアはめきめきと強くなって、両親と兄に頭を抱えさせ、こんな状態ではどこにも出せないぞと号泣させたまま、ジュリウスと婚約をした歳を超えた。


そこから数年経ち、手負いの黒い竜はあっさり討ち滅ぼしたが、特別な達成感はなかったように思う。



あれは、ただの不幸な巡り合わせだった。

手負いの竜だって、痛くてたまらないから、無我夢中で暴れたのだろう。

怪物になった後の、ルクレツィアのように。



ジュリウス。



その名前を心の中で呼び、大好きだった歳上の婚約者が、今はどうしているのだろうかと思う。


だから、最初の人生で全てを狂わせた運命の日が通り過ぎた後に、父と兄がもう一度ジュリウスとの婚約を決めて来た時には、また彼に会えるのだと、大いに喜んでその婚約を受け入れた。



多分、きっと。

もう一度だけジュリウスが手を繋いでくれたなら、あの日のように微笑みかけてくれたのなら、怪物になって泣いていたルクレツィアも、また幸せでいっぱいになれる筈だから。




それだけでもう、充分だから。




それなのに、いざ再会すると、言葉が詰まって何も言えなくなるのはどうしてだろう。

あの日のルクレツィアを捨てて大切な人たちを守った筈なのに、あの日のルクレツィアではないからこそ、いつかのようにジュリウスとお喋りをする事は出来なかった。



そんな事くらい努力でどうにか出来るはずだと焦っても、どうしてだか、普通のご令嬢のような振る舞いが出来ない。


だから、もしかしたら、今代のルクレツィアは、それだけ最初のルクレツィアを殺してしまったのかもしれない。


二度とあんな事にならないようにと、絶対にあの女の子に戻らないように、何度も何度も殺していたのかもしれないと気付いた日に、ルクレツィアは自分が普通の女の子に戻る事を諦めた。

そしてそれは同時に、ジュリウスがいつか自分を見限るかもしれないという覚悟も決めた日だった。



(だから僕は、頑張れるだけ頑張って、ジュリウスが今の僕を必要としないなら、今の僕ではジュリウスに足りないのなら、それで仕方がないと思っていたんだ)




手のひらを夜の光に翳して、月光に煌めく指輪を見つめる。

細やかな模様がきらきらと光る美しい銀の指輪はとても綺麗で、何だかほろりと泣いてしまいそうだった。


やっとずっと欲しかった指輪を貰えたのだけれど、ここでもう、ジュリウスとはお別れなのかもしれない。

それは胸が張り裂けそうなくらいに悲しい事だけれど、やはりルクレツィアは、自分が運命を変えられた事は誇りに思うのだ。




ルクレツィアは、最初の人生で起こったことを、誰にも話さなかった。



国を滅ぼす怪物になれるだけの素養のあったルクレツィアだからこそ、あの日の悲劇を一人で変えてみせるという自信があったし、幸福に穏やかに生きている大好きな人達に背負わせるには、あまりにも酷い出来事ばかりではないか。



知らなくてもいい。

あんな悲しいことは、誰も知らなくていい。

ルクレツィアがしたかったのは、大事な人達に今度こそ幸せになって貰う事だ。

その願いを叶える為には、あの悲惨な過去は、どうしても邪魔だった。



であれば、ルクレツィア一人が抱えてゆけばいいのだ。

もしかしたら、それこそが、あの日にみんなを不幸にしたルクレツィアが背負うべき罰でもあるのかもしれない。




「…………でもいいんだよ。だって僕、とても幸せだから」



そう呟き、くしゃりと笑う。


ルクレツィアが取り戻したかったのは大好きな人達とその人達の幸福で、ここにある当たり前の日々こそである。


こんなにも沢山の宝物が戻ってきたのだから、これが幸せでなくて何だというのか。

あまりにも幸せだから、この酷い秘密は、秘密のまま、ずっとずっと隠しておこう。



そうして、一人きりで二度目の運命の日を迎えたルクレツィアは、けれども、少しも孤独ではなかった。



今では乗馬も狩りも大好きだし、弟はとにかく可愛くて、料理も得意だ。

綺麗なドレスを着て可憐に微笑んでお喋りするような才能は失くしてしまったけれど、この幸せの方がずっといい。



みんながいる。

家族や家人たちや、領民たちがいて、幸せに笑っている。

王都の人達だって、勇気を出して話しかければみんな素敵な人達ばかりで、一度目のルクレツィアが滅ぼしてしまった人達が元気でいてくれる姿を見るのもまた、嬉しくて堪らなかった。


愚かな婚約者のせいで、大好きなジュリウスが殺されることも、もうない。




「……………だから、ジュリウスは幸せになって貰わなきゃ。僕の、大好きな王子様なんだもの」


そう呟きふんすと胸を張ったルクレツィアは、なかなかに刺激的な自分の過去に浸るあまり、背後への注意が疎かになっていたのだろう。


「それは困ったな。私が王子でなくなると、その大好きの対象ではなくなってしまうのかな?」

「……………ほぇ。また後ろにいる」


背後から聞こえた声に愕然として振り返ると、そこに立っていたのは帰ってしまった筈の婚約者で、先程の通り雨に降られたのか、濡れた前髪を後ろに撫で付けている。

着替えてきたのか、着ているのは簡素な騎士服のようなものだ。


「…………王都に帰ったんじゃないの?」

「やれやれ。どうして、そんな事を考えたのだろう。折角、君にドレスを届けに来たのに?」

「………ドレス?」

「そう。来月は私の誕生日だからね。行われる舞踏会には、君も出てくれなければ困る」

「でも、………僕………私の事が不愉快なんだよね?」

「そのままでいいよ、ルクレツィア。…………そして、なぜそんな誤解をされたのか理解に苦しむけれど、私は、君に対してそんな事は言わないよ。もしかすると、先程、私がハインツに言った言葉を聞き違えたのかな?」

「そうだったんだね。……………でも、どうして帰っちゃったの?」


本当はそんな事ではなく、指輪を貰った日にこんな格好をしていたことを謝りたかったのだ。

なのにそう尋ねてしまい、ルクレツィアはむぐっと口を押えた。

こちらを見ていたジュリウスは僅かに目を瞠ったが、先程のようにひやりとするような表情ではなかった。


生真面目と言ってもいい程の眼差しに、優しい微笑みであった。



「急いで着替えてきたんだ。あの装いでは、君は私と一緒に居ても寛げないだろう?……………先程の君を見て、やはり君は、あのように伸びやかに過ごす時間の方が楽しいのだなと考えた。…………それと、君に誤解させた言葉は、私の未熟さ故だ。……………君がまた求婚者を増やしたのかと思うと、気が気ではなかった」

「きゅうこんしゃ………?」

「ハインツだ。君に求婚していただろう」

「ハインツには、お孫さんもいるよ?!それに、僕の頭を撫でてくれていただけじゃないか…………」

「男性が女性の髪に触れるのは、求婚を示す仕草だよ」

「……………あ、……………そう言えば……………」

「それに、アルコルから、君は意外に他者との接触が苦手な一面があると聞いている。なので彼は、ああして厩舎で飾らない笑顔を見せていた君の、線引きの内側の特別な相手なのだと考えたんだ。……………確かに孫もいる年齢だが、あれでもハインツは、妻を亡くしているし、未だに王都のご婦人達に人気があるからね」

「ほぇ…………」




(それって…………)



まるで、昔のジュリウスみたいだね。


そう思いかけて、ルクレツィアは途方に暮れた。

だって、あの日のジュリウスとルクレツィアは、取り戻した幸せの代わりに手放してしまった筈なのだ。



きっと、ルクレツィアが最後までジュリウスを呼んでいたから、時間を巻き戻してくれた誰かは、その対価としてジュリウスを取ってしまったのだろう。


その筈なのに。




「ルクレツィア?」

「…………ジュリウス、それじゃあまるで、僕の事を凄く好きみたいだよ」

「とても好きだが?」

「…………え、すき?……………まぁ、悪くないなとか、思ったより気に入っているってくらいじゃなくて?」

「これ迄にも、手放せなくなっただとか、逃すつもりはないと散々言ってきたつもりだが、やはり理解していなかったのか………」

「……………え、好きなの?………あ!もしかして、僕を驚かそうとして………わ?!」



ひょいと抱き上げられ、ルクレツィアはじたばたした。


大好き王子様に抱き上げられて恥ずかしかったのではなく、通り雨でずぶ濡れになった人に抱えられるのがあまりにも酷い事だったからだ。



「つ、冷たいよ!!………え、その状態で、僕を何で抱き上げたの?!」

「……………君は、時々、本当に私の事を好きなのだろうかと悩ませてくるね」

「ジュリウスだって、素敵に乾いていて、通り雨は回避出来たと思ってほくそ笑んでいる時に、ずぶ濡れの人に抱き上げられてご覧よ!………ちょっと、何で笑ってるのさ!!」

「ルクレツィア、お願いだから、このまま逃げずに私の妻になってくれ」

「うん。それはいいけど、髪の毛!ぽたぽた雫が落ちてきて冷たいの最悪だから!体も冷やしちゃうし、すぐに魔術で乾かすから待って…、……………え?」




(今、………何て?)




呆然として顔を上げると、こちらを静かに見つめているジュリウスがいた。


ああ、この眼差しは真剣な時に見せるものだと考え、それを知っているのが、前のルクレツィアなのか、今のルクレツィアなのかを考えてしまう。



「……………いいのだな?」

「………いいも何も、僕はジュリウスの婚約者で、この指輪だって貰っていて……………それに僕は、ずっとジュリウスが大好きなんだよ」

「ああ。……………それでも、もう一度、このような言葉で、君に求婚したかった。……………ルクレツィア、私の妻になってくれるかい?」

「……………僕を置いて、どこかに行ったりしない?」



そう言えばなぜか、ジュリウスが瞳を揺らしたような気がした。

でもそれは、夜の光が揺らいだだけで、見間違いだったのかもしれない。



「……………ああ。絶対に」

「じゃあ、沢山幸せにするからお嫁さんに………じゃなかった!………ええと、僕と結婚してくれる?僕はこんなだけど、それでもずっとジュリウスを、大事にさせてくれる?」

「……………っ、……………ああ」

「今夜もね、会いに来てくれて凄く嬉しかったんだ。それなのに、大事な指輪を貰った日に、こんな格好をしていてごめんね。星が沢山降る日だし、あまりにも幸せだから何か悪い事が起こらないといいなって思って、ついつい見回りに出ちゃったんだけど、祝い守護の指輪の作法通りに夜を過ごしていなくても、僕がジュリウスのことを大好きな気持ちは、変わらないからね!」

「……………そういうところだぞ」

「あれ?何で怒ってるの……………?」



(……………あ!)



慌てて顔を覗き込むと、ジュリウスが、ふわりと微笑んだ。

優しい優しい微笑みに、ルクレツィアの胸の中で啜り泣いていた在りし日の怪物が、さらさらと壊れてゆくような気がする。



「…………僕ね、これは秘密なんだけれど、……………ジュリウスが一緒に居てくれると、それだけで幸せなんだ」



にっこり笑顔になってそう言えば、ジュリウスはどこか遠い目をして、いっそわざと煽られていると言われた方が腑に落ちるなと呟くではないか。

さっぱり分からないので、どうか分かりやすく解説して欲しい。



「そう言えば、流星雨の夜の宴には出なくていいの?」

「儀式の後で、君は少し不安そうにしていただろう。このような夜であるし、私は君に指輪を贈ったばかりだ。なので、儀式にだけ参加し、宴は最初の乾杯だけで退席させてもらうことにしたんだ」

「……………僕の為に、大事な儀式や宴を放り出してくれたの?」

「いや。君が気にするといけないので、王子としての必要な役割は果たしてある。なので、こんな時間になってしまったんだ。……………不安に思う事があったのなら、予めこちらに来ると伝えておけば良かったな」

「……………有難う、ジュリウス」



万感の思いを込めて。

そう伝えると短く頷き、ジュリウスが微笑む。


その背後の空にひゅるりと流れたのは、一筋の銀色の光。

それを追うように、次々と星が流れてゆく。


いつの間にか雨雲が晴れ、夜空には銀色の筋が幾重にも描かれていた。



「流星だな………」

「わぁ。流星雨だね。…………お腹空いたね」

「……………君には、私に対しての少しの気遣いもないという事がわかった」

「あれ、何でまた怒らせたんだろう?」

「なので、良いだろうかと尋ねるのはやめておこうか」

「ジュリウス……………むぐ?!」




ゆっくり落とされた口付けには、生きている人だけが宿す優しい体温があった。



(え、……………ええ?!)



目を瞬き、ルクレツィアは、呆然とジュリウスの瞳を見返す。

体を少しだけ離し、にっこりと微笑んだジュリウスに、何が起きたのかをじわじわと理解して真っ赤になったルクレツィアは、こんな時に言うべき小粋な一言の準備もなく、声もなくわなわなするしかない。


不意打ちでびっくりしたし、恥ずかしくて死にそうだし、けれども胸の奥がほかほかするようなこの思いをどう説明すればいいのだろう。


だが、こちらを窺うように微笑みを深めた色めいた眼差しのジュリウスと目が合うと、ルクレツィアは、びゃんと飛び上がってしまった。



それは、可哀想な怪物が跡形もなくなって、星降る夜空の下で、ルクレツィアが恥ずかしさのあまりにぎゃわんというおかしな悲鳴を初めて上げた日のこと。

後に辺境伯となる第二王子は、あの時の婚約者は珍獣のようでとても可愛かったと、兄である王太子に大真面目に話していたという。











明日で本編は完結となります!

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