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銀の指輪と小さなひび割れ



祝い守護の指輪が出来上がったのは、それから五日後の事だった。



もしかしたらまた、指輪が届く前にみんながいなくなってしまうのではと怖くなったルクレツィアは、指輪の授与を行う儀式の為に、王宮に向かう馬車に乗っているところだ。


ごろごろと音を立てるのは石畳を走る車輪の音で、蹄の音がそこに重なる。

晴れた空を馬車の窓から見上げ、ルクレツィアは、まだ猶予がある筈だと自分に言い聞かせていた。



今夜は、百年に一度の流星雨の夜だ。



特別なお祝いなどはないが、王都ではお祭りの日にしか出ない屋台なども出るようだし、あちこちで流星雨に因んだ記念品なども売られているらしい。


儀式的な側面が強いものの、願い事を司る流星雨を祝う宴が王宮でも行われるが、王族と魔術師達が主軸となるものなので、まだジュリウスの婚約者でしかないルクレツィアは不参加である。



窓の向こうで、立派な商店の扉に飾られた流星雨を模した飾りのあるリースを眺め、ルクレツィアは、じりじりとする心を何とか宥めた。



「……………姉上?」

「ん?どしたの、ベル。お腹空いた?」

「……………屋敷を出る前に、昼食を食べてきたばかりですよ。………それよりも、少し緊張していませんか?もし、今回の儀式への疑問や不安があるのなら、……………不本意ですが、あの方と事前にお話出来るよう、僕が取り計らいましょうか?」

「ベル……………」



大真面目にそんな事を言う弟に、ルクレツィアは、目を丸くした。


驚いた様子を見せてしまったからか、ベルナールは少し目元を染めてつんとしたが、この短い数日間の間で、たっぷりと優しさを示してくれたジュリウスに、いつの間にかこの弟も懐いていたようだ。



とは言え五日なのだが、ジュリウスは、今は大事な時だからねと言って、そんな五日間を惜しみなくルクレツィアに使ってくれた。



毎日必ず一度は顔を出してくれ、朝の散歩や昼食、お茶会などの席で、ベルナールとも沢山お喋りをしていたので、互いの人となりを知る事が出来たのだろう。

ジュリウスが王族である事を考えれば、それがどれだけ稀有な事かは、ルクレツィアにだって理解出来る。


兄の言うように、ルクレツィアの婚約者は、心を砕く相手にはとても誠実な人なのであった。



「ジュリウスは、とっても忙しい日なんだよ。こんな日に指輪の儀式を捻じ込んでくれただけでも、前例のない事なんだから」

「流星雨の日だからこそでしょう。殿下の考えそうなことです。…………このような事に情熱を傾けるのは、程度を誤らなければ、悪いことではありませんが」

「ジュリウスと、仲良くなれそう?」

「……………まさか、僕のせいで悩んでいませんよね?」

「まさか!ベルはいつだって、僕の自慢で僕の宝物なんだ。…………だからね、ジュリウスと仲良しになってくれるといいなって思うけれど、それは僕の我が儘だし、そういうものは相性だからね。無理はしなくていいよ」

「以前から思っていたんですが、……………姉上は、時々、思ってもいないような事を言いますね」

「そう……?」



何か変な事を言ったかなと首を傾げたルクレツィアに、向かいの席からこちらを見ていたベルナールが、困ったように微笑む。


いつの間に、可愛い弟は、こんな大人びた表情をするようになったのだろうと考え、そう言えばここはもう、あの運命の日のずっと未来なのだと気付いた。




(あれは、三年前のことだった……………)



ジュリウスがいなくなって、ベルがいなくなって、ミシェエラも、仲良しの使用人たちも、みんながいなくなったのはもう三年前の事だ。


いや、ルクレツィアが星に祈ってから得たやり直した日々を思えば、もう、ずっとずっと昔のことだった。

それなのになぜか、あの運命の日から三年も経ったのだと、忘れてしまいそうになる日がある。


それは、今日のように過去への思いが押し寄せてくる日で、ベルはまだどこかあどけなさを残した少年のままで、自分の手も、もう少し小さかったような気がしてしまうのだ。



最初の時は、幼い頃からの婚約者だったジュリウスとの婚儀は今よりも早い段階で予定されていた。

けれども、あの頃のルクレツィアは、もっと淑女としての作法に長け、落ち着いた令嬢だった気がする。



(不思議なんだよなぁ。あの頃の僕の記憶があるのなら、その知識や技量も引き継げると思っていたけれど、今の僕には、出来ない事が沢山あるんだ)



その代わりに今のルクレツィアにしか出来ない事も沢山あって、だからこそ、今日を迎えられているのだけれど。



ルクレツィアの着ている深い青色のドレスには白薔薇と菫を模した刺繍や装飾があるが、腰の飾り帯にだけ、星を模した宝石飾りが施されていた。

その輝きをそっと指で撫で、ふすんと息を吐く。



「古くより、流星雨の夜は願い事が叶うと言われています。今夜はきっと、美しい夜になるでしょうね」

「…………うん。きっと綺麗だろうね。でも僕は、儀式で緊張し過ぎて帰ったらすぐに寝ちゃうかも」

「……………ルーク、……………本当に、何も隠していませんか?」



すっと瞳を細めたベルナールにそう言われ、ルクレツィアは慌てて両手を持ち上げた。


面倒を見るのが楽しくてならない可愛い弟だが、こんな時のベルナールはとても鋭い。

おまけに、一度気になった事はとことん追求するので、ボールを咥えた猟犬のようだと密かに思っている。


だからこれは、ルクレツィアなりの降参の合図である。



「……………僕はさ、どこかでずっと、……………もう、ジュリウスとは一緒に居られなくなるんだなって、思っていたんだ。だって、ベルが元気に育ってくれて、体の弱い母上の病気も、最近は父上が一緒にいるせいかだいぶ良くなった。父上と兄上も怪我一つしないで元気でいてくれて、僕達の周りの人達はみんな元気でいてくれる」

「それと殿下とのことに、どのような関わりがあるのです?」

「ほら、……………天秤が吊り合うみたいな感じかなって。僕はもう充分幸せだから、その上で更に幸せになるような事まで望んだら、我が儘過ぎるような気がしたんだ。……………だからね、今日だって、本当にちゃんと祝い守護の指輪を貰えるかなって考えちゃうんだよね。空から何かが落ちてくるとか、王宮の階段で躓いて転げ落ちるとか、………そんな事が起きたらどうしようって」




あの日と同じ流星雨の夜に、結ばれていた願いが解けて、全てが消えうせてしまったらどうしよう。

もし、この幸せな日々は全て夢で、ぱちんと泡が弾けるように消えてしまったら、どうすればいいのだろう。




(だから今日は、……………)


今日ばかりは、普段はあまり細かい事を気にしないルクレツィアも、さすがに不安でいっぱいだった。

星の降る夜空を見上げたのはいつだったかなんてもう覚えていないけれど、薔薇の花の咲く季節だったことは覚えている。


だからもし、あの日が一度目の今日だったのなら、何か良くない事が起きたりはしないだろうか。



「………そんな事は、絶対に起こりません。姉上、………いえ、ルーク。あなたは、あの王子の執念深さを知らないでしょう。あのような気質の男は、一度気に入ったものは、絶対に離さないものですよ。ルークがどうにかして逃げ出そうとしても、絶対に追いかけてきて絶対に捕まえる筈です。そして、そもそもが、ルークに逃げたいという気を起こさせるような失態すらなく、誰にも気付かれずに欲しいものを手にするような男です」

「……………え、それって安心させようとしてくれているの?それとも、凄く怖がらせようとしてる?!」


あんまりなジュリウスの評価にそう言えば、恐ろしいことに、ベルナールは、くすりと笑う事もなく重々しく頷いた。

否定してくれないんだ!と愕然としたルクレツィアの手を、そっと握り締める。



「ですが、……………あの方は、姉上を大事にしてくれるでしょう。それに、僕だって、これからもずっと姉上を守ります。なので、どうか安心して儀式の間に向かって下さい」

「……………ベル」




(………いつの間に、君はこんなに大きくなったのだろう)



在りし日は、ちょっぴり扱い難い子供特有の我が儘の目立つ癇癪持ちな、けれども元気な男の子で、大好きな可愛い弟だった。

そんな弟が、今は、すっかり大きくなった手を差し出し、ベルナールを守っているつもりだったルクレツィアを守らんとしてくれる。



「僕は、姉上の自慢の弟ですよ。守り手としては、充分でしょう」

「うん。……………大きくなったね、ベル。凄いや、恰好いい男の子みたいだよ」

「その言い方は、やめていただきたい………」



感動して涙目になってしまったくらいなのに、なぜか、ベルナールはがくりと肩を落としている。

おやなぜだろうと首を傾げたまま、ルクレツィアは、迎えに出てきてくれた護衛騎士に馬車の扉を開いて貰い、王宮に迎え入れられた。



かつこつと靴音が響くのは、天井の高い王宮の回廊だ。


居住棟になると床には絨毯を敷かれるが、このような外客を入れる棟は、警備上、敢えて靴音を消さないようにしてあるという。

冷んやりとした空気に、ふんだんに生けられた薔薇の香りが馨しい。



「殿下は儀式の間でお待ちですので、ここからは私がご案内いたしましょう」


ルクレツィア達を案内する騎士が、王宮の外門を守る騎士から近衛騎士に入れ替わり、進み出た一人の騎士が恭しく頭を下げた。

ひらりと揺れた白い騎士服に、青い刺繍の美しい縁取りが目にも鮮やかだ。

目を引くその動作に、回廊をゆく人々がちらりとこちらを見た。



王宮の中とは言え、それは王族だけの持ち物ではなく、この棟では大勢の人達が働いている。

大きな窓からは王妃自慢の庭園が見えていて、書類を手に忙しなく行き交う文官達や、王宮を訪れている他の高位貴族達とすれ違う、賑やかな場所だ。


そして、その中の一人の女性が、真っ直ぐにこちらに歩いてくると、ルクレツィア達の少し手前で足を止めた。



「……………ルクレツィア様」

「まぁ、エルミーシャ様」



おやっと目を瞠ったルクレツィアも立ち止まり、それに気付いて案内の騎士とベルナールも足を止めた。


高位の貴族同士の形式ばった挨拶がないままに名前を呼ばれた事に驚いてしまい、思わず、ルクレツィアも彼女の名前を呼んでしまった。


こちらを見て華やかな美貌をさっと曇らせたのは、ルクレツィアを夜の妖精と称した人々が、暁の精霊という通り名を授けたうら若き美しき乙女だ。


その華やかさ故に少しばかり近寄りがたい雰囲気を作ってしまうが、艶々とした真っ直ぐな金糸の髪は輝かんばかりで、深い森の色の瞳は吸い込まれるよう。

ルクレツィアが、いつ見ても綺麗な子だなと思うご令嬢の一人であった。



「あのような事があったのに、ジュリウス殿下との婚約を継続されますの?」

「ええ。殿下とお話しさせていただき、そうすることとなりました」

「……………っ、…………わたくしには、理解出来ませんわ。あなたが……………」


低く押し殺したような怒りをぶつけられて目を瞠っていると、エルミーシャがルクレツィアに声をかけたことで立ち止まらざるを得なかった騎士が、気遣うようにこちらに歩み戻る。


だが、公爵令嬢であるエルミーシャの家格を軽んじる事なく、会話を遮る事はしなかった。



「これはこれは、不思議な事を仰る。姉上とジュリウス殿下の婚約の継続に、何かご不満がおありですか?」

「ベルナール!」

「…………先に無作法な真似をしたのは、こちらのご令嬢では?」

「いえ、そうではないから………」


代わりに割って入ってしまったのはベルナールで、慌てたルクレツィアがそんな弟を慌てて窘めた。


ここは、王宮内にある大通りと言っても過言ではない回廊なのだ。

周囲の者達の目がある中で、騒ぎを起こす訳にはいかない。



「……………ルクレツィア?」


(えええ、何で来ちゃったの?!)


おまけにそこに、儀式の間で待っている筈のジュリウスまでがやって来たのは、どんな災厄だろう。


ぎょっとして振り返れば、案内の騎士が何やら目配せしているので、こちらの騎士が、魔術を使って儀式の間にいたジュリウスを呼んでしまったらしい。

恐らく善意なのだが、なんてことをしてくれたのだと、ルクレツィアは座り込んでしまいたくなった。



「ジュリウス様、お待たせしてしまい申し訳ありません」

「いや、私の方こそ、儀式の準備で手間取ってしまってね。迎えに行けなくてすまなかった。……………さて、これはどのような状況なのかな」

「何でもございません。ただ、たまたまエルミーシャ様とお会いしましたので、ご挨拶を交わし……」

「このような方が、婚約者として本当に相応しいとお思いですの?」

「……………エルミーシャ様」



何とかこの場をそつなく収めようとしたルクレツィアだったが、とても困った事に、エルミーシャは第二王子がこの場に現れても、先程の会話を収めようとはしなかった。


このような場所で貴婦人の作法を放り投げておろおろする訳にはいかず、しかしながらルクレツィアは、何とかこの場を鎮める為の言葉を、第二王子の婚約者風な感じで構築することが出来ないまま、呻き声を上げそうになる。 



「君は、それを私に言ってしまうのだね」


真っ直ぐにこちらを見たエルミーシャを認め、途端に冷ややかな気配になったジュリウスに、公爵家の侍女達は失神しそうになっているではないか。


「勿論ですわ。まさにその、意地悪な言い方をされる事が問題なのですわ。あなたのような方が、ルクレツィア様を幸せに出来るとは思えません」

「………やはりそちら側の苦言だったか」

「あれ、そっちなんですね……………」

「あああ、エルミーシャ様、これはもう、私も望んで……」

「ルクレツィア様には、私のお兄様の方がずっと相応しいですわ!それかせめて、ダルセニア侯爵家の……」

「エルミーシャ様!!」

「ほお、成る程。……………私の婚約者に、私以上に相応しい男がいると、あなたはそう言いたいのかな」

「少なくとも、たいそう腹黒くていらっしゃる私の従兄弟な殿下よりは、余程善人だと思いますけれど」

「善人………?」

「ベル?!そこで興味を示さなくていいから!!」



うっかりベルナールが興味を持ってしまったので、慌てたルクレツィアはジュリウスの手をがしりと掴み、もう片方の手でベルナールの手を掴むと、両手が塞がったままではあるが辛うじてという程度のお辞儀をエルミーシャにして、慌ててこの二人をエルミーシャから引き離した。


エルミーシャは、以前にルクレツィアが狩ってしまったことのある可愛い女の子で、その日以降、三日と空けずに手紙が届くだけでなく、何とかして兄である次期公爵との縁を結ぼうとしてくれる。


親しくしてくれるのはとても嬉しいのだが、当人であるエルミーシャの兄はいつもとても困っていたので、この上、エルミーシャがあのような形で名前を挙げてしまったことは、あまりにもお気の毒と言えよう。



「……………公爵家の長子とは、面識はあるのかい?」

「お茶会で、偶然顔を合わせて挨拶をしたことはあるけれど、それくらいだよ。あのね、ジュリウス……」

「そうか、であれば二度と君は近付かないよう…」

「ジュリウス?!」

「問題ないよ、ルクレツィア。彼女の兄は、兄上の陣営に席がある。君と二度と会う事がないようにしたところで、私の執務には何ら支障がないからね」

「そういうことをしては駄目だ。君はまだ王子様なんだから………ええと、殿下のお立場で、そのような事をなされるのは、結果として殿下の評判を落とす事に繋がります。どうか、ご配慮下さい」

「……………姉上、念の為に、僕がその人物に会っておきましょうか?もしかしたら、殿下よりもいいお相手かもしれませんよ?」

「ベル、お願いだから、面接をしに行くのはやめようか…………!」



そんな一幕があり、祝いの守護の指輪を用意してくれた婚約者は少しだけ荒ぶってしまったが、幸いにも、儀式の間に着くころには機嫌を直してくれた。


荘厳な佇まいの儀式の間は、夜と星の光を宿した特殊な石材で造られていて、立ち並ぶ円柱の間を歩き進むと、まるで不思議な森の中に迷い込んだような気持ちになる。


立ち会い人の魔術師は五人おり、ベルナールもその隣に並んだ。



(……………わぁ、………なんて綺麗なんだろう)



その奥に現れたのは、澄んだ水色の結晶石を組み上げて作られた円形の舞台のようなもの。

その上に立ち、ジュリウスから祝いの守護の指輪を受け取るだけの、簡単な儀式だ。



けれども、儀式の間に入るのが初めてのルクレツィアにとっては、どちらを見ても感嘆するばかりの美しい建物である。

ステンドグラスから落ちる光の影を踏み、円形の儀式台に上がれば、不思議なくらいに厳かな気持ちになった。



ここまで来てしまえば安心だろうと、指輪を貰えなくなるかもしれないという不安も消え、ただ、美しい儀式の間を見ている。



「緊張しているのかい?私の魔術詠唱の後に、君の指に指輪を嵌めるだけだから、もう少し肩の力を抜いていて構わないよ」

「ええ。有難うございます、殿下」

「ルクレツィア、いつものように呼んでくれないのかい?」

「…………あ、有難う、ジュリウス」



あの日以降、初めてルクレツィアは王宮に上がった。


確かに、本来の言動を知られた後もこれ迄のルクレツィアを装うのはおかしな感じだが、ジュリウスがありのままの言動を促すのはどうかと思う。


ルクレツィア自身は構わないのだが、ジュリウスは王子なのだ。


王子とは言え、その足場を維持するのは彼一人の力ではなく、多くの第二王子派の貴族達の尽力も大きい。

勿論、今後は辺境伯がその筆頭となる訳だが、元よりルクレツィアの一族は武に秀でた一族だ。

王都でのジュリウスの後見を務める一族は、また別にいる。



派閥というものは、国を動かす為の大事な棲み分けだと、ルクレツィアは考えていた。


人間の心はどうしても一様にはならないからこそ、国には様々な派閥があり、その各派閥の均衡が取れていることで、漸く一つの国の内政が整うのだ。


天秤が吊り合っているからこそ維持される平和について、ルクレツィア程によく知る者はいないだろう。


自分達の浅慮な振る舞いで、そんな貴族達の努力を無駄にする訳にはいかなかった。



(だから、ちゃんとしていなければ駄目なんだよ!)

  


そんな思いを込めてじっとジュリウスを見上げると、こちらを見た婚約者は、悪戯っぽい目をして微笑む。

だがすぐに、分かっているよという風に頷いてくれた。



静謐な空間にたなびくのは、香炉から立ち昇る白い煙。


目を伏せたジュリウスが紡ぐ詠唱と、儀式に立ち合う魔術師達の鳴らす、儀式用の水晶のベルの音。

それらがゆっくりと重なり合う中で、見習い魔術師達が花籠から薔薇の花びらを散らし、ぱっと視界が明るくなる。



(わぁ、凄く綺麗だ………!)



はらはらと舞い散る花びらの中で、ジュリウスがそっとルクレツィアの手を取った。


右手の中指に、ポケットから取り出した銀の指輪を嵌めてくれる。


薄暗い聖堂の中できらりと光った指輪にルクレツィアは思わず見惚れてしまい、慌てて儀式を締め括るお辞儀をした。




きらり。

きらきら。



指輪に落ちる光によって、その贈り物は複雑に色合いを変える。

その美しさにほうっと溜め息を吐いて、ルクレツィアは、分かりやすく指輪に夢中になった。


流星雨の夜に備えるジュリウスと過ごせたのは儀式の間だけの短い時間だけだったが、こうして授けられた指輪が素敵過ぎて、とても満ち足りていた。


隣を歩くベルナールに呆れられながら、王宮を出る迄には沢山の人達におめでとうございますと祝福され、すっかり油断してしまったのだろう。


気付いた時には、王都の屋敷に帰り着き、ゆっくりと暮れてゆく空に輝き始めた星を見上げていた。



きらりと流れたのは、始まりの星だろうか。

本来なら、目を輝かせて見上げる筈の美しいそれを、ルクレツィアは呆然と見上げていた。




「…………星が」

「晴れた夜ですが、森の方には少し雲がありますね。王都では流星雨を祝う夜だけの宴があるそうですから、さすがに今夜は、ジュリウス殿下も王宮に足止めでしょう」

「うん。………あの雲だと、雨が降ってしまうかな」

「…………やはり、姉上も参加されますか?儀式的なものですが、姉上はもう殿下の祝い守護の指輪を得ていますから、参加しようと思えば…」



ベルナールがそう言うのは、その今夜の儀式的な宴には、辺境域を代表して、アルコルとベルナールが参加する事が決まっているからだ。

勿論、各王子達も参加するので、ジュリウスの出席も決まっている。



今夜のルクレツィアは、屋敷に一人きり。

使用人達がいてくれるけれど、家族と一緒ではない。



「ううん。僕はいいよ。こんなに早く指輪を貰ってしまっただけでも異例の事なのだから、これ以上、予め決められている事を変えたくないんだ。このような事を快く思わない人がいた場合、矢面に立たされるのはジュリウスだからね」

「その殿下自らが、かなり目立つ事をやってのけましたがね。………ですが、その後ですからね。確かに姉上のご心配も分かります。………とは言え、今夜は指輪を授かったばかりの特別な夜ですし、僕は残りましょうか?」



おやっと思い顔を上げると、心配そうな目をしたベルナールがこちらを見ている。

そんな弟がとても頼もしくて、ルクレツィアはふにゃりと微笑むと、可愛い弟を抱き締めてしまった。



「ルーク?!」

「ベルはいい子だなぁ!僕の自慢の宝物で、大好きな弟だ」

「………っ、僕だって、姉上が大好きです!」

「うんうん。こんなに優しくて格好いい自慢の弟なんだから、儀式には出ておいで。帰ってきた時にまだ僕が起きていたら、どんな儀式だったか教えてくれる?」

「………何も、我慢していませんか?一緒に星見をしたいなら僕は…」

「この指輪を貰えたから、ちょっとしんみりしているだけだよ!我慢なんてとんでもない。僕はとっても幸せで、幸せ過ぎるから、少しぼうっとしちゃうだけ」

「……………それならいいのですが」



(勘のいい子なのかもしれない………)



散々ルクレツィアを心配しながらも、ベルナールは屋敷に戻って手早く着替えると、そのまま待っていてくれた馬車に乗り、再び王宮に向かった。


本来なら、王宮で待っていた方がどれだけ負担が少なかったことか。

それなのに、わざわざ屋敷で着替え直すのだと言い張ってルクレツィアを送ってくれた弟を見送り、ルクレツィアは乗馬服に着替える。



(本当なら、こんな日はこのままドレスを着ていて、ジュリウスから貰った指輪に相応しい装いで夜を過ごすべきなのだろう。………だけど、)



空にぽつぽつと増えてゆく流星を見上げ、ルクレツィアは気を引き締めたのだ。

優しい弟が帰ってきた時に、自分に何かがあったらどれだけ悲しませてしまうことか。

それに、彼等の幸せを損なうものがあるのだとしたら、それを許せる筈もない。



「…………ここで、星にかけた願いが潰えてしまうかもしれないって怖がってばかりだなんて、少しも僕らしくなかった。そんなものは、全部、どこかにやってしまえばいいんだ………」




もし、この夜を脅かすものがいるのなら、またルクレツィアが滅ぼせばいい。


これ迄もそうしてきたように、怖いものは全部滅ぼして、大事なものを守ればいい。


よく分からないが、あるかもしれないルクレツィアの野生の勘的な何かは、今夜を越えればもう安心ではないかと訴えかけてきていた。

それは、弱虫のルクレツィアがただそう思いたいだけだったのかもしれないが、ベルナールとジュリウスが命を落とした運命の日を超えた今、次なる分岐点は、この流星雨の夜だという気がしたのだ。




「………と言うよりも、僕が何かをしていないと不安なだけなのかもしれないけれどなぁ………」


苦笑してそう呟き、ルクレツィアは広大な敷地内を走らせてきた馬の首を撫でてやった。

夜薔薇の開く時間になり、夜風には瑞々しい薔薇の香りが混ざる。

意気込みも新たにくまなく敷地内の見回りをしてきたが、特に問題になりそうな異変はなく、ルクレツィア自身にも変化はない。

少しだけ拍子抜けしたが、同時にとてもほっとした。



(でも、…………一雨来そうだな)



ベルナールも気にかけていた森の方の雲が育ち、王都のこちら側にだけ、雨雲となって広がっていた。

王宮の方の空はまだ晴れているので、儀式は無事に執り行えるだろうかと眉を寄せながら、ルクレツィアは厩戸に向かう。


愛馬を降りて手綱を持ち直すと、厩に引き入れて、水飲み場に繋いでやりながら、壁に下げられていた馬用のブラシを取る。


そして、ちょうど他の馬達の世話を終えて出てきた、顔馴染みの馬丁に声をかけた。



「やぁ、ハインツ。この子もお願いしてもいい?僕がやると少し時間がかかるから、雨がくる前に、馬達を休ませてあげた方がいいかなと思って」


ルクレツィアのお願いに、にっこり微笑んだのは、元騎士のハインツだ。


以前は辺境域で騎士団長をしていたのだが、五年前の戦いで膝を痛め、王都の屋敷付きになった。

騎士のように戦うことは難しいが、大好きだという馬の世話をしながら、こちらの屋敷に足りない経験と知見を補い、若い騎士達の良き相談相手になってくれている。


ルクレツィアの父親の一つ年上なのだが、未だに若々しく、くしゃりと笑うとアルコルと同世代の騎士のようにも見える人だ。



「ええ。勿論ですとも、お嬢様。………それと、また何か狩りましたね?」

「あ、分かっちゃう?星が落ちる夜だから、ちょっと悪いものもいるよね。大事な夜だからさ、少し減らしておいた」

「ったく、気を付けて下さいよ。星が流れる夜は、運命が動く夜だ。そんな隙を狙って蠢くもの達は狡猾で残忍です。いくらお強くとも、過信なさらぬように」

「わっ、………ハインツ!」


孫娘にでもするようにわしわしと頭を撫でられ、ルクレツィアは笑顔になった。

こうして触れ合える大事な仲間達がここにいれば、こんな夜だって簡単に乗り越えられそうな気がしてしまう。



だが、その時の事だった。



「……………ルクレツィア」



背後から響いた、ここにいる筈のない人の呼びかけに、ルクレツィアは、はっと息を呑む。


厩舎の入り口に立っていたのは、王宮で流星雨の儀式に参加していた筈のジュリウスで、彼は、儀式礼装だと思われる漆黒の盛装姿のまま、どこか所在なげに立っていた。



会いに来てくれたのだと笑顔になりかけ、ルクレツィアは、今の自分の状態に気付き、ぎくりとした。



「……………あ、」



馬を走らせてきたばかりで、尚且つ、悪い妖精を退治していたので、髪の毛はくしゃくしゃだろう。

おまけに頭の上にはハインツの手が載せられていて、前髪は惨憺たる有様に違いない。


美しく整えたジュリウスに対し、ルクレツィアが着ているのは着古した乗馬服で、貰ったばかりの指輪のある手には、馬用のブラシを持っていた。



こちらを見たジュリウスの眼差しに、失望や落胆のような色が過ったように見えたのは、気のせいだろうか。


ハインツはすぐに手を下ろし、何歩か下がって臣下の礼を取った。

だが、ルクレツィアは途方に暮れたように立ち尽くしているばかりだ。




「殿下の婚約者様に、御無礼をいたしました」

「……………そうだね。不愉快ではないとは言わないでおこう」


ハインツとのやり取りで聞こえた静かな声に、ルクレツィアの心の中で、何かが不安にひび割れる。

それが怖くておろおろしていると、ジュリウスがこちらに視線を戻した。



「…………君の様子を見に来たのだけれど、お邪魔だったかな」

「あ、…………ううん。儀式はいいのかい?ええと、……王宮では、大切な宴があるのだろう?」

「…………やはりか」

「ジュリウス?」

「いや、…………何でもない。ひとまず、私は戻ろう」

「え、……………ジュリウス?」



いつもなら優しく微笑みかけてこちらに来てくれるジュリウスが、なぜか踵を返した。


びっくりしたルクレツィアが慌てて追いかけようとしたものの、ジュリウスは片手を上げて、王族らしくそのままでという合図を出す。



そのままで。

そのまま、こちらには来ないでいいと。




(でも、……………ジュリウスは行っちゃうのに?)




それはまさか、もういいやという事だろうか。


がつんと打ちのめされたような思いがして、ルクレツィアは、伸ばしかけた手を力なく落とす。

その事に気付いたハインツが、小さく呻くと、慌ててルクレツィアに駆け寄った。



「お嬢様、すぐに追いかけて下さい。こういう拗れ方をすると、男は厄介ですよ」

「……………追いかけても、……いいのかな?僕、もしかして嫌われちゃった?………さっき、不愉快だって言っていたよね……」

「いえ、まさか。…………と言うよりもあの反応は俺に向けられたもので………お嬢様?!」




失望されたかもしれないと思い竦み上がっていたくせに、気付けばルクレツィアは、弾かれたようにジュリウスを追いかけていた。


しかし、厩舎を出て屋敷からの明かりの落ちる庭に出ても、ジュリウスの姿も、ジュリウスが連れて来たかもしれない護衛騎士や、第二王子をこちらに通した家人の姿も、どこにもなかった。




(…………そっか。あの夜のように、転移でこちらに来たのかな。……………だからもう、帰っちゃったんだ………)




ぎゅっと指先を握り込み、なぜジュリウスは会いに来てくれたのだろうかだとか、もう会えないのだろうかだとか、どうにかして会えたら何て謝ろうかだとか、沢山のことを考える。



屋敷では、そろそろ晩餐の時刻だ。

そう考えれば、王宮での宴はこれからという時間に違いない。


それなのに、そんな時間に顔を出してくれたジュリウスに対し、ルクレツィアはなんて仕打ちをしてしまったのだろう。



(……………これじゃ、貰ったばかりの指輪を、少しも大事にしていなかったみたいに見える。特別な日なのに、僕はよりにもよって、こちらの手で馬用のブラシなんかを持っていた………)



今のルクレツィアはこんな有様だけれど、ルクレツィアには、女性用の鞍でしか馬に乗れないようなご令嬢だった頃の記憶がある。


だからこそ、この仕打ちが、王族からの祝い守護の指輪を貰ったばかりの令嬢としてはどれだけ無作法なのかに気付いてしまった。



祝い守護の指輪を貰うことは、女性にとっての大切な慶事である。



本来なら、儀式に出た際に着ていたドレス姿のまま晩餐を迎え、貰った指輪に相応しい淑女として過ごすべき夜なのだ。


家族で過ごすようなお祝いではないが、婚姻を控えた女性として慎ましく過ごすことが、指輪に対する礼儀とされる夜なのに、流星雨に気を取られていたルクレツィアは、すっかりその作法を軽視していた。


家族は屋敷を空けているし、ジュリウスも来るはずがないからと、淑女としての夜を過ごそうだなんて、一度も思わなかった。




「……………この指輪を大事にするってあんなに言っていたくせに、………僕は、自分の事しか考えていなかった……」



そんな自分が情けなくてくすんと鼻を鳴らすと、ごろごろと空が鳴った。

お誂え向きに通り雨まで降るのかと眉を下げ、ルクレツィアは、とは言えここで雨に打たれてとぼとぼ歩く程に繊細ではなかったので、慌ててガゼボに向かう。

ジュリウスを探してうろうろしていたので屋敷に向かうには少し遠かったし、今はまだ、一人でいたかった。



やがて、ざあっと音を立てて降りしきる夜の雨が、ぶ厚い雲と共に星空を隠してくれた。


くしゃくしゃの心のままのルクレツィアが、星に願いをかけたりしないように、丁寧に星々を覆い隠してくれたのかもしれない。













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