夜の庭園と婚約の話
国王主催の舞踏会の夜である。
それなのに、辺境伯の持つ王都の外れの土地でなぜか、婚約の解消を提案されたばかりのルクレツィアと、提案したばかりの第二王子が向かい合っていた。
月の光は眩いほどであったが、ここは外であるし、二人の周囲にはお付きの者達の姿もない。
ジュリウスは第二王子だが、この国一番の魔術師なので、そんなこともあるのかもしれないが、突然現れたとなると魔術転移なので、明らかに不法侵入だ。
それはいけないので、後できつく叱っておこう。
(………は!意識が逸れてしまった………!)
「………状況を整理……いや、寧ろ、材料が足りなさ過ぎるな。その理由を説明して貰えるかな?それと、………さては、その話し方が本来の君だな?」
にっこり微笑んでそう言われて、ルクレツィアはまず、がたがたと震える。
よく分からないがとても目が笑っていなかったので、処罰されたりするのかなと考えたからだ。
だが、こちらを見たジュリウスが怒ってはいないと分かると、とても単純なルクレツィアは、ぱっと笑顔になった。
ぎくりとしたようにジュリウスが目元を染めたが、こんな風に笑ったことはないので驚いたに違いない。
「ふむ。今のジュリウスは、その話し方が素なんだねぇ。凄く怒っているのかなと思ったけれど、ただ、普通に話しかけてくれているだけなのかぁ。……そっちの方が、少し温度があって素敵なのに」
「……………ルクレツィア?」
「あ、僕のことはルークって呼んでね。ルクレツィアって呼ばれると、ちょっと申し訳なくなるんだ。なんて言うか、僕がいつも大人しくしていたからか、謎にいい評判だけが暴走した感じで、王都に来てからは夜の妖精とか言われていて本当に肩身が狭くて………」
「……………ルークとは呼びたくないな。まさかとは思うが、……………君は女性だよね?」
「ぼ、僕は女の子だよ!!……………って、ええと、こんな感じになっちゃったのには、理由があって……」
失礼しちゃうなとぷんすかしていたルクレツィアは、くしゅんと項垂れた。
これでも一応恋する乙女なのだが、自分の残念さをすっかり失念していた。
(そうか。今はもう、そう思われても仕方がないのか………。だって、僕はあの頃とは違うんだ。今はもう、こんなだものな………)
男物と言われても不思議のない装いで、馬を駆ってここまでやって来たのだ。
それも一人でとくれば、もしや男ではと疑われても不思議のない言動と言えよう。
いつもは隙のない振る舞いのジュリウスが頭を抱えがちなのも、自分の婚約者が男性かもしれないと思ってしまったのなら、当然なのかもしれない。
ルクレツィアは今の自分を恥じてはいなかったが、ジュリウス王子に恋をした一人の令嬢としては、今の自分の至らなさを痛い程に感じていた。
開始がそのくらいの水準で、そこから更にこんな事になれば、激しく動揺もするだろう。
(何度、可憐に微笑んでいる他の令嬢達を、羨ましく思っただろう)
お茶会で出会ったふわふわと可愛らしい女の子達のようになれたのなら、ルクレツィアも安心して恋を出来たのだろうか。
微笑みながら情けなくて泣きたくなったりせずに、大好きな人に笑顔で話しかけ、お喋りをしながらダンスが出来たかもしれない。
だとしても、それは羨望で、自分の選択を恥じることはない。
ルクレツィアには、自分の恋を生かすだけの才覚はなかった。
ただ、ただ、………それだけのこと。
「君が女性で何よりだ。………では理由を、………いや、まずはどこかに移ろうか。ゆっくりと話をするのに相応しい向かい合い方ではない」
「それなら、この丘の中腹に、薔薇園に囲まれたガゼボがあるからそこにしないか?今夜はとても月が綺麗だから、きっと気持ちがいいだろう。………秋になると森で男たちが狩りをして、ご婦人達は、あのガゼボを中心としてテーブルを並べて、お茶会をするんだ。そんな時はさ、秋の森の色彩と秋薔薇がとても綺麗で、………ん?ジュリウス?」
ふと、じっとこちらを見るジュリウスに気付いた。
いやに熱心な眼差しなので、微笑んだまま、首を傾げてみる。
如何なる時もにっこり微笑むのは、悲しみに暮れた小さな弟の為にお兄ちゃんでいる為の極意なのだ。
目の前にいる人はルクレツィアが初めて恋をした人だけれど、ジュリウスの事を好きなルクレツィアでいたら、話すべきことも話せない。
舞踏会までの自分はあのドレスと共に脱ぎ捨てて、ここからはまっさらなルクレツィアでいよう。
恋は叶わなかったけれど、もう、嘘はお終いだ。
そう考えると、やはり終わりなのだなとしょんぼりしてしまい、ふにゅりと微笑んだルクレツィアは、しっかりいつも通りの自分をお見せするんだぞと自分に言い聞かせるのに必死で、くしゃぼろの悲しげな微笑みを腕を組んでじっと凝視しているやや様子のおかしい婚約者に気付かずにいた。
「………君が、そんなに話してくれたのは初めてだ」
「はは、これが本当の僕だよ。………お喋りって程ではないらしいけど、沈黙の乙女なんてものじゃない。だからね、ルーク…」
「却下だ。男の名前ではないか」
「…………君は頑固だなぁ」
「ルクレツィア?」
「ああ、理由だったね。効率が悪いから、話しながら歩こうか。君はあまり時間のない人だろう」
「……………ああ。だが、婚約者のための時間を割くくらいのことはするよ。………効率か……効率……」
「うん。効率重視でいいよ。婚約はちゃんと解消するから、気にしなくていい」
「……………さて、それはどうするべきか」
「ジュリウス………殿下?」
「ジュリウスと。君はまだ、私の婚約者だろう」
さくさくと下草を踏み、ルクレツィアは、むぐっと息を呑んだ。
ガゼボまで我慢しようと思ったが、どうやら、ルクレツィアの心はとても打たれ弱かったらしい。
にっこり微笑んで当たり障りのない会話をするのは、もはや限界だった。
(だって、ジュリウスのことはまだ好きだもの!!)
それなのにこんな風に言われたら、諦めるのがどんどん難しくなるではないか。
それは困る。
「こ、婚約は解消だよね!うん!解消するしかないと思うし、君には素敵で可愛い御令嬢が沢山いるよ。僕はさ、君のことは大好きだけど、この通りなんだ」
「…………これまでは、隠しおおせていたようだが?」
「その結果、僕がどれだけ喋らなかったと思ってるのさ!この普段の僕の話し方を、僕は、第二王子の婚約者に相応しい言動に置き換えるだけの頭の回転が、全然足りないんだよ!!」
「全然………?」
「どうしても駄目!僕だって婚約者でいたいから頑張ったし、弟を練習相手にして何度も練習したんだよ?!でも、出来なかったんだ!!………それに、今日は頑張って可愛くするぞって思っていても、いざとなると他の御令嬢達が可愛すぎて気後れしちゃって、うんとはいくらいしか言えなくなっちゃうんだからね……!」
わあっとそこまでを言い切り、ぜいぜいと息をしたルクレツィアは、ぽかんとしてこちらを見ているジュリウスに気付き、さあっと青ざめた。
「…………ほお」
「お、弟とは練習してない!あの子は何も知らなかったから、壁に向かって練習していたんだ!」
「ルクレツィア、そこじゃないからね」
「………え、そこじゃないの?………じゃあ、ええと、………僕の頭が、残念なくらいに回転が足りないところ?」
「教育係からは、座学については完璧に近いと言われているようだけど」
そう言われ、ルクレツィアはがくりと肩を落とした。
一人で歩けるのに、なぜかジュリウスはこんな夜も紳士的にエスコートしてくれている。
馬達を木に繋いで来た時には離れていたので、いつの間にだろうかと考え、ルクレツィアは少しだけそわそわした。
「咄嗟に喋り方を言い換えられないんだよ。多分僕は、書物の上での勉強は出来ても、生きた会話を回すだけの才能がないんだと思う………。それってさ、王子妃になるには致命的だなって、本当はずっと思ってた………」
「それでも、練習したのだね」
「うん。だって、君といると楽しいのだもの。………でもさ、それって君に対しても失礼だろう?君は王子としての役割に見合うだけの努力を、それこそ寝る間を惜しんでやっているんだ。そんな君が好きなのに、僕は出来なかったから、努力しただけで足らなくていいよねだなんて、そんな事言えるものか」
「……………二度目だね」
「ほぇ、………二度目?」
「うん。君はどうやら、とても私が好きらしい」
そう言わたルクレツィアは、はくはくと口を動かした。
嘘は吐いていたけれど、誠実であろうとしたのだと言い訳を言うのに夢中過ぎて、本人に向かってたいへんに恥ずかしい告白をしてしまっていたと、今更ながらに気付いたのだ。
だが、ぐぬぬっと眉を寄せて深い深い溜め息を吐くと、まぁいいかと考えた。
好きなものは好きなのだ。
ずっと、ずっと前から。
あの、星の降る流星雨の夜まで、ずっと。
「…………そうだね。隠しても仕方ないか。僕は、君が好きだよ。こんなところを見られてしまってから言うなんて、今更でちょっと格好悪いけれどね」
「そうかな。私は好ましいと思うけれど?君のように真っ直ぐな言葉を私に向けてくれる人は、とても少ないからね」
「そんな事はないさ。君を好きな人は沢山いるよ!御令嬢も御令息も、礼儀作法のしっかりした人達ばかりだから、こんな風に無作法に言えないだけなんだ」
「そうだろうか?」
「君は努力を怠らない人だし、成果も出すけれど成果主義じゃなくて、そこに至るまでの過程を含め、周囲をきちんと評価出来る人だ。ずっと、僕の自慢の婚約者だったんだからね」
「けれども君は、私と婚約を解消したいのだろう?」
「…………あれ、僕、説明下手?」
理由が伝わらなかったのかなと首を傾げると、こちらを見たジュリウスが微笑んだ。
その瞳はひどく楽しげで、ルクレツィアはどきりとする。
「では、どうして私と婚約を解消したいのか、教えてくれるかい?」
「僕には、こんな話し方しか出来ないからだよ。僕はお兄ちゃんになる為にこうなっちゃったんだけど、そこに尽力し過ぎたのか、今更この話し方や嗜好を変えるのは難しかった。とてもではないけれど、王子妃の役割は果たせない」
「………嗜好?」
「馬に乗るのが好きだし、コルセットは大嫌いだ。ダンスは大好きだけど、楽しくて顔が笑っちゃう。あと、苦手な人とのダンスだとしょんぼりしちゃう。………それから、舞踏会ではもっと食べたいし、本当は騎士達と討伐とかにも出たい」
「…………ふむ。それくらいなら問題ないかな。婚約の解消はやめておこう」
「…………ほぇ」
思いがけない言葉が、どこからともなく聞こえたような気がする。
ぱちぱちと目を瞬き、ルクレツィアは、この人が何かとても自分に都合の良いことを言っただろうかと、ジュリウスをじっと見つめた。
「おや、あらためての婚約の続きで、口付けでもした方がいいかな?」
「……………ひぇ」
「しなくていい?」
「……………しなくていいとおもいます」
「それは残念だ。さぁ、ガゼボに案内してくれるのだろう?こちらに行けばいいのかな?」
「ジュリウスは、………ついさっきまで、僕が君の婚約者である事が望ましくないのなら、解消しようねって雰囲気じゃなかったかい?僕のことそんなに好きじゃないのに、どうして………?」
思わずそう尋ねると、こちらを見たジュリウスが小さく笑う。
その微笑みはなぜか、とても美しいけれどあまり良くないもののような気がした。
ひやりとするような美貌に、光を孕むような美しい瞳がこちらを見る彼は、とても楽しそうだけれど、夏至祭の夜の妖精達のダンスのような、決して近付いてはいけないものに見えた。
「そんな事はない。私は君を気に入っていたよ。だからこそ、逃してあげようと思ったんだ」
「………僕を、逃してくれようとしたの?」
「私は魔術師であり、騎士でもある。その役割を生かすにあたっては、どう考えても辺境伯令嬢との婚約が妥当だろう。けれども、君の事は珍しく気に入っていたからね。もしこれが君にとって望ましくない婚約なら、逃げてもいいよという提案だったのだけれど」
「…………という事は、僕のことがその時より嫌いになったから、逃してくれなくなったのかい?」
「いや。思っていた以上にずっと気に入ったから、逃す訳にはいかなくなった」
「………逃す訳にはいかなくなった」
「そう。なので、婚約解消の話はお終いだ。二度と君にはその機会は訪れないから、諦めておくれ」
「ええと、僕お兄ちゃんな感じだけど、…………これはとてもまずいのでは………」
「…………そう言えば、なぜそうなのかを聞きそびれていたね。念の為に聞くけれど、ベルナールの為かい?」
二人はちょうどそこでガゼボに辿り着いたので、短いアプローチを上り屋根の下に入ると、なぜか向かい合わずに並んで座る事になる。
どうして隣なのだろうかと困惑したルクレツィアに、逃げられると困るだろうと言われたので、狩り的な理由なのかもしれない。
男性は幾つになっても少年のような心を隠していると聞くので、自分の獲物や玩具を掴んで離さないという感じに違いないと考えたルクレツィアは、こくりと頷く。
「ベルナールはまず、世界で一番可愛い」
「……………あくまでも、君の主観だ。私に同意を求めないでくれ」
「え、………そこを理解してくれないと、話に付いてこられるかな?大丈夫?」
「そんなに困ってしまわなくても、きちんと聞いているから説明してくれるかい?」
「じゃあ、………ベルナールの可愛さはいつでも追加説明出来るから、必要だったら言ってね」
「…………そうしよう」
そこでルクレツィアは、その世界一可愛い弟が、危険な愛くるしさで、姉であるルクレツィアを容易く狂乱させる事が出来た、三歳の頃のことだったのだと語り始めた。
「ベルナールはね、やっぱり男の子だからか、兄上が大好きだったんだ。…………けれども、父上と兄上は、隣国との戦争で長らく不在にされていただろう?」
「ジャルマスの戦いだな。辺境伯とその兵士達には、一年程、国境域の守りにかかりきりになって貰わねばならなかった。そのお陰で国の安全が保たれたのだ。あらためて礼を言う」
「うん。そしてその戦場は、僕たちの家が国境域の守り手である以上は、領地と隣り合わせだった。だからね、僕とベルナールは、この王都の屋敷に預けられていたんだよ」
「ああ。そう聞いている」
生真面目に頷いたジュリウスに、ルクレツィアも頷いた。
「……………でも、家族と離れて王都に来たら、ベルナールがね、兄上に抱っこして欲しいって泣いちゃうんだ。こちらの屋敷に残った騎士達や使用人達が、頑張って抱いてあやしてくれたけれど、少しも効果がなくてね。…………だから、僕は姉ではなくて兄だった事にした」
「…………少し待ってくれ」
「ベルナールが凄く可愛い話する?」
「いや、短い文脈の中で突然の転換期を迎えたので、少々混乱している。……………続けてくれるかい?」
「うん。お兄ちゃんになった僕は、ひたすらに兄上の真似をした。話し方や振る舞い方、馬に乗ったり、ベルナールの欲しがった竜を捕まえてきたり、ベルナールを虐めた妖精の女王をずたぼろにしたり」
「……………もう一度待ってくれるかな」
「ベルナールの…」
「それは必要ない。その時の君は、何歳だったのかな?」
ふうっと悩ましげに息を吐いて、ジュリウスが尋ねる。
「四歳年上だから七歳だね。でも、お兄ちゃんになってからは三年間そのままだったから、十歳までだ」
「一年後には辺境伯が屋敷に戻った筈だが」
「うん。でも、父上と兄上は戦後処理で忙しくて、何度か顔を合わせたくらいだよ。王都にある僕達が領地に帰れたのは、父上や兄上と離れて暮らすようになってから、三年後のことだった」
「そうか………。辺境伯は驚いただろう。アルコルもだ」
「うーん、父上と兄上は………沢山抱き締めてくれて、……………泣いてたかな。やっと家族で暮らせるようになったからね。母上は一度倒れた」
「そうか。思っていたよりも動揺したようだ。…………だが、そこから今迄であれば、言葉の矯正は間に合わなかったのかい?」
そう言われて、ルクレツィアは少しだけ微笑んだ。
瞼の奥を、あの日の流星雨が流れ落ちていき、胸の奥がつきんと痛む。
「……そこで兄上は帰ってきた訳だけど、僕がドレスを着ようとすると、ベルナールが、もう一人の兄上はドレスなんて着ないって泣いて暴れるようになったから、そこから更に四年間お兄ちゃんを続けていたんだよ。そうしたら、ほら………なかなか長くこんな感じでいたからね」
「やっと、君の背景が掴めた気がするよ。今度、辺境伯とアルコルとはゆっくり話をしておこう」
その言葉に、ルクレツィアは首を傾げた。
どこからともなく薔薇の香りがして、やはり美しい夜だ。
いつかの流星雨の夜もこんな夜だった気がしたけれど、もうよく思い出せなかった。
「婚約の解消、本当にしないの?…………僕、やっぱり他の女の子達のように振る舞えないよ?」
「構わないさ。公式の場では、今日まで頑張れたのだろう?成婚まで、もう少しの我慢だ。その後は、私も辺境伯領に入るのだから問題ないよね」
「………え、……僕の家、兄上もいるけれど」
「アルコルは、婚約者の家に入る。聞いていなかったのかい?」
怪訝そうにそう問い返され、ルクレツィアは目を瞠った。
「あれ、………そうなの?僕はてっきり、家は兄上が継ぐものだとばかり。だってほら、兄上とは凄く歳が離れているのに、全然結婚しないから……」
「いや、私が君の家に婿入りする形で、辺境伯の役割を引き継ぐ筈だったので、それ迄は国境域の戦力を落とせないからと、家を出られなかったというだけだ」
「……大変だ。僕が婚約破棄されたら、兄上は結婚出来なくなるところだった………」
「なくなりはしないが、更に待たせる事にはなっただろうな。今回の婚約が解消となれば、王家は、君の弟の教育が終わる迄、辺境伯領への支援を約束するつもりだった。とは言え、婚約を解消することはないからその必要もなくなった」
「…………うん」
「………どうだい?時々王都に招かれる時くらいであれば、どうにかなりそうだろう?その時には、私が伴侶として隣にいるのだから、君の手助けもしてあげられるよ」
「…………コルセットは……」
「君は元々華奢だろう。コルセットの必要がないドレスを仕立てればいい」
「ダンスで、にこにこしちゃってもいい?」
「勿論」
「……………じゃあ、一晩考えてみる」
「……………ルクレツィア?」
なぜかジュリウスの声が低くなったが、これは簡単に返事をしてはいけないのだと、ルクレツィアにもわかっていた。
ジュリウスの優しさに甘えず、彼に負担をかけないようにしなければならない。
だが、兄には是非早めに結婚して欲しい。
あまりにも結婚しないので、領民から、あちらの領主の御子息はどんな趣味なのだと疑われ始めていたのだ。
とても申し訳ない。
「でもね、君の伴侶になれるかどうかだもの。折角の機会だし、本当に僕に務められるかを考えてみるよ。君は、この国にとって大事な人で、僕や、こちらの家の事情で不利な婚姻を強いてはいけない人なんだ」
「…………婚約を解消するつもりはもうないと、言わなかったかい?それに君は、私が好きだと話していたようだけれど、もうそんな気持ちはなくなってしまった?」
「まさか。今でもジュリウスの事は大好きだよ!………それに、こんな僕の話を笑わずに聞いてくれたのも凄く嬉しかった。ますます好きになっちゃうよ。………でも、だからこそ、僕なんかでいいかどうかちゃんと考えなきゃだ。舞踏会で君が話していたように、辺境伯になるにせよ、元王族としての君の責務は軽くないだろう。他に、僕より相応しい人が沢山いるのは間違いないんだから、それでもと言えるだけの覚悟は必要だよね」
「それだけのことを考えられるのなら、伴侶としては充分なのだけれど、この場で決めるには、私の何かがまだ足りないようだね」
生真面目な顔でそう呟いた婚約者に、ルクレツィアは小さく微笑んだ。
やはり、この人はとても優しい。
今回はあまり接点がなかったが、以前はずっとこんな感じだった。
「うーん、そんな事はないんだけれど、…………王子の婚約者じゃなくて、………ただのベルナールのお兄ちゃんに戻れると思ったら、少しだけほっとしたんだ。もしかすると僕は、誰かに尽くすよりも、誰かの面倒を見る方が向いているのかもしれない」
「……………ルクレツィア。………これは気恥ずかしいのであまり言いたくなかったが、私は、兄とあまり親しくないんだ」
「え、………そうなの?仲良しに見えていたのに」
「兄は王太子だからね。そんな忙しい人に、私の我が儘で甘えられる時間は殆どないと言ってもいい。……だから、君のような人にこそ隣にいて貰いたい」
「………んん?………弟的な感じで、ちょっぴり甘えたいってこと?」
思わずそう問い返せば、ジュリウスはどこか引き攣った微笑みを浮かべた。
「……………そうだな。…………もう、そういう事にしよう」
「ジュリウス?」
「いや、独り言だよ。…………だから、こんな話は他の御令嬢には出来ないだろう?君だからこそ、打ち明けられるようなことだ。妻と過ごす時間くらいは、心から寛げれば嬉しい。そうなるともう、君でなければ駄目なのかもしれないね」
「そうなると、………うーん。確かに僕でもいいのかなぁ。ジュリウスも、頑張ってばかりだと、疲れちゃうものね」
(そっか。ジュリウスには、そんな悩みがあったんだ………)
王族も大変なのだなと思えば、ルクレツィアは、こちらはお兄ちゃんの技であればそれなりに豊富だぞと頷いた。
ジュリウスがそれを望むのであれば、ルクレツィアの得意分野とも言える。
それに、王子妃や元王族の妃としては不恰好でも、大好きなジュリウスを幸せにしてあげられるのなら、それでいいのかもしれない。
(僕は、今度こそ君達を幸せにしたいんだ。………もう二度と、あんな悲しい事が起こらないように)
「…………ジュリウスは、竜は好き?取ってきてあげようか。何匹でも捕まえて来てあげるよ?」
「……………そうだな。取り敢えずそれは必要ない。私は、どちらかと言えば側に居て欲しいから、竜を狩りには行かないでくれた方がいい」
「うん、分かった」
にっこり微笑んだルクレツィアに、ジュリウスはがくりと項垂れて頭を抱えている。
本当はこんなに疲れていたのかと知り、びっくりしてしまったルクレツィアは、慌ててそんな婚約者を慰めたのだった。
次のお話は、明日の18時前後更新となります