☆☆10
フェナの花っていうのは、年に二度ほど咲く花で、薄紫色の可愛らしいから女性の人気が高い。見た目だけじゃなくて、すごくいい匂いがするから、そのせいもあるんだ。
「うわぁ!」
田舎育ちの僕だから、花なんて珍しくもない。それでも感嘆の声を上げてしまうほどには絶景だった。
丘一面に広がるフェナの花は満開で、青空がそれをさらに美しく見せてくれていた。風が吹くと小さな花がふわふわと飛んで、そのたびにすごくいい匂いがする。
夢見心地ってこういうことを言うのかな。忙しない日常を忘れる瞬間だった。
無人っていうわけじゃないけど、広い丘だから他に人がいても遠い。少しくらい騒いだって雰囲気ぶち壊しだって怒られたりはしないだろう。
「師匠! いー匂いがしますよ!」
キャッキャと走り回って喜んでいるのは、ヘルトさんよりもむしろ僕の方だった。
いや、思えば僕の人生だって、生まれてこの方、遠くに旅行とか行ったことないし。僕って真面目で健気だから、父子家庭で家事も手伝ってたし、あんまり遊んでいられるような時間はなかったな。勉強も忙しかったし。
僕がはしゃいでいるのを師匠は呆れているのかと思えば、ヘルトさんが僕の方に優しい目を向けて微笑んでいたせいか、そんなに厳しい顔はされなかった。
「本当に綺麗ですね」
ヘルトさんが穏やかにつぶやいていた。師匠はそんなヘルトさんの隣で、ああ、とか相槌を打ってるだけだった。もうちょっと気が利いたことを言ってほしい。
遠目に見ても二人は美男美女で似合わなくはないのにな。
この時、風がザァッと吹いてフェナの花を撫でるように揺らした。その途端、花の芳香が強く感じられる。そうして、小さな花がいくらか風に攫われていく。星形の小さな花が空を舞う様子は表現しがたいくらい、幻みたいに綺麗だった。
僕は、ふぁああ、と声を上げながらその光景に見惚れていた。ヘルトさんも目を輝かせて上を見上げている。
こんな光景を見られて、来てよかったよね。いい気晴らしになってるはず。
しばらく丘にいた僕たちは、そこから歩いて丘を下った。そうしたら、フェナの花を使ったアイスクリームを売っている屋台があって、僕は瞬きを繰り返して師匠にアピールする。
師匠は何も言わず、ただ溜息をついて僕に小銭を握らせた。
「食べたいなら買え」
「うわぁい」
いや、僕が食べたいっていうより、女性は甘いものが好きだから、きっとヘルトさんも喜びますよって意味だったんだけど、もちろん僕だって食べたい。僕はすっ飛んでいってアイスを三つ注文した。
「三つください!」
「ありがとうございます!」
優しそうなお姉さんが花柄の可愛いカップにアイスを盛りつけてくれて、僕は支払いを済ませるとそれを両手でバランスよく持って戻った。
「はい、どうぞ」
って言っても師匠のお金だけど。
「ありがとう」
ヘルトさんがにっこり笑って受け取った。師匠は無言で。
ヘラですくって口に運んだら、冷たさと一緒にフェナの花の香りが鼻から抜けた。後口もサッパリしてて、しつこくない。美味しいな。
僕は当たり前のように立ち食いだったけど、ヘルトさんはもしかすると少し抵抗があったのかもしれない。食べつつも周りを気にしていた。
「ヘルトさんってお嬢様っぽいですよね?」
もしかして、育ちがいい? うん、上品だしさ、もしかするとイイトコのお嬢様なんじゃないかって今さらながらに思った。
そしたら、戸惑ったヘルトさんより先に師匠が何食わぬ顔で言った。
「まあ、ヒディング准男爵の娘だからな。一応お嬢様だろ」
准男爵ってどの程度の爵位なんだかよくわからないけど、貴族ってことだよね? そうなの?
「そんなにご大層なものじゃありません。本当に素朴な家ですから」
ヘルトさんはそう言うけど、ド庶民の僕からしたら貴族サマだよ。
「ライニールさんももしかして貴族なんですか?」
のほほんとしてるし、そうかも。
――と思ったら、違った。
「いいや、あいつは商家の次男坊だ。まあ、実家は結構手広く商売をやってるから、裕福ではあるけどな」
「へぇぇ」
ライニールさんだっていかにも育ちがよさそうだもん。お金に困ったことななんてなく、ゆったり構えていられたからこその人柄なのかもしれない。
父子家庭でお金に苦労した僕――。
貧乏だから魔術学園にも推薦してもらえなかったし。
うん、それにしちゃ僕って素直なイイコに育ったよね。
そこで僕は一人で納得してたけど、ヘルトさんの笑顔が泣きそうになってた。
ああ、なんで僕、ここでこの名前を出したりしたんだろっ。
「ヘ、ヘルトさん、アイス溶けますから食べちゃいましょう! ね? ね?」
なんで僕がこんな苦労をしているのかといえば、のん気にお見合いしているライニールさんのせい。
くそぅ。