☆☆4
師匠とヘルトさんが出ていって、僕は昼食の支度に取りかかった。
ゆで卵と、長老(山羊)のミルクで作ったフレッシュチーズと、ピクルス――具材を適当に切っておく。こんがりと焼いたパンにバターを塗って、ホットサンドだ。
王都までは通常、二日くらいかかると思う。でも、師匠だったらお湯を沸かすより早く着いちゃうから、もう焼いておいてもそんなに冷めないはずだ。
パンの香ばしい匂いが漂い始めた頃、扉を叩く音がした。
「え? 師匠、どうしたんだろ?」
王都まで往復、それも大人一人連れてだからちょっと疲れたのかな。扉から戻ってくるなんて珍しいや。
ってか、僕、今手が離せないんだから勝手に入ってくればいいのに、来ない。扉を開けてってこと?
手のかかる師匠だな。
「もう、なんですかししょ――」
ピクルスの汁でベタベタの手を拭きながら呆れて扉を開ける。
そしたら、そこにいたのは――師匠じゃなかった。
「ど、どちら様で?」
紫がかった長い髪をした人だ。
顔立ちは中性的で、年齢もよくわからない。化粧が濃い。目と、口と、爪まで紫だし、濃い。
化粧をしてるってことは女の人かなって思ったけど、それにしては大きい。でも、細い。えーと、おにいさん? おねえさん? どっち?
その人は僕を胡散臭そうに見ると、ハスキーな声で言った。
「ここはアルハーレンの住まいだろう?」
――この人、師匠の知り合いみたいだ。いや、師匠は有名人だから、知り合いとも限らないかも。
でも、この人の恰好、白いローブに金の装飾品だ。魔術師っぽい。やっぱり知り合い?
うーん、どうしよう。師匠、早く帰ってこないかな?
僕は時間を稼ぐことにした。
「違います。『ファルハーレン』です」
僕がそう返したら、ムッとした。
「どちらも同じことだ」
どちらも同じだって知ってる。
それなら、ある程度師匠のことを知っている人だ。困ったなぁ。出なきゃよかった。
「えーと……」
ここからどうしようかと僕が困っていると、その人は僕を上から下まで舐めまわすように見た。まったくもって好意的じゃない。嫌な目つきだ。
「お前はここの下男か?」
「下男っていうか、弟子です。でも、やってることはそんなに変わらない気がしないでもないです」
すると、その人は細い眉をギュッと寄せた。眉間に皺が寄る。
「弟子……。アルハーレンの? まさか……」
ブツブツとつぶやいている。
僕に言ってるんじゃない。きっと独り言だ。
「騎士団の中で噂にはなっていたが、何かの間違いだろうと思っていた。彼が弟子など取るわけがない。しかも、こんな貧相な子供を――」
ひんそう?
え、ちょっと、それ、口に出すことなくない?
子供だと思って侮りすぎ!
僕は子供だけど――子供だからこそ、師匠にツゲグチしてやる!
「ところで、あなたはどなた様ですか?」
僕がじっとりとした目を向けると、その人は明らかに気分を害していた。
「アルハーレンの弟子だと言いながらも私を知らない。それでは下男と変わりないな」
むっかぁ。
腹立つなぁ、この人。
早く帰ればいいのに。師匠が帰ってくるまで居座る気かな、やっぱり。
「……すいません、僕、料理中なんです。師匠ならそのうち帰ってきますから、お好きなようになさってください」
じゃっ! と僕が扉を閉めようとしたまさにその時、師匠が帰ってきた。ヤなタイミングだな。
その人はもう僕のことなんかまったく目に入らなくなった。師匠だけを見据え、声を張り上げる。
「アルハーレン!」
甲高く、その声には喜びが滲んでいた。――それに対し、師匠はというと、あからさまに嫌な顔をした。それこそ、毛虫を見るような目つきだ。
「なんでここに……」
開口一番にそう言った。家を教えてないのに勝手に来たっぽいな。
しかし、その人は師匠がこんなにも露骨に嫌な顔をしているのにめげなかった。
「メイツが君を呼び寄せる役割を果たさなくなったから、これはどうにかしなければと地道に足を使って人にそれらしい人物を見なかったかと訊ねて回り、あたりをつけて捜したのだ」
メイツ――ライニールさんのことも知ってるみたいだ。しかも偉そうに呼び捨てだし、もしかしてこの人、偉い人?
僕が呆然としていても、二人にとって僕はすでに空気だった。
「そうでしたか。とりあえずお引き取りください」
うわぁ、素っ気なっ。二秒以上相手をする気ないみたい。
それでも相手はめげない。強いな。
「こんなところで隠居なんて、君には似合わない。さあ、再び私と共に国のために働こうではないか」
なんか芝居がかった調子で手を差し伸べるけど、師匠はその手を無視してこっちにスタスタと歩いてきた。
「そろそろ昼食時なのでご遠慮ください。非常識ですよ、ルーベンス団長」
ああ、師匠に常識を説かれるなんて。
でも実際、この人も十分変だしなぁ。フォローのしようもないや。
――ん?
ルーベンスって、ライニールさんが言ってた名前。それから、団長って。
もしかして。もしかして。
「し、師匠、この方ってもしかして――」
「魔術師団長リニ・ルーベンス殿だ」
すっごい嫌な顔をしながら教えてくれた。
ああ、ソリが合わないんでしたね。