☆☆1
ここはとても辺鄙な、森の中の小さな一軒家。
森の奥底に世間から隠れるようにして建っているオンボロ小屋だ。
こんな家に住んでいる人間なんて、大釜でドロドロの薬を煮詰めている魔女くらいのものだと思うかもしれない。
しかし、だ。
この家の主はというと、絹糸みたいな長い髪をした吟遊詩人風の美青年(と山羊)。ただし、ちょっと変な人。
そのちょっと変な人が、実は救国の魔術師だったりする。
国が荒れていた混沌期に、瞬く間に頭角を現した。山の魔獣を駆逐し、侵略戦争を平定したとされる。
それがリューク・アルハーレンという伝説の賢者だ。
正確にはアルハーレンじゃなくてファルハーレン。ややこしいことになってしまったのは本人のせいなんだけど。
そして、僕はレフィ・カーメル。十三歳。
健気で素直な、この伝説の賢者の弟子だったりする。つい二ヶ月くらい前に弟子になった。それは成り行きというか、諸事情があってのことなんだけど、結果としてはよかったのかどうなのか。
僕は住み込みで師匠の世話をしている。そう、師匠は世話が必要なだらしない人間なんだ。
「師匠は、いつになったらお部屋の片づけができるようになるんでしょうねぇ?」
弟子である前に十三歳の少年でしかない僕にそんなことを言われる師匠。
でも、仕方ない。だって、ひと晩で汚すんだ。
僕、寝る前に片づけたんだよ? この部屋を。綺麗に。
それがどうして、朝起きたら足の踏み場がなくなってるんだよ?
毎日同じことの繰り返しなんて、いくら温厚な僕だって物申したくなる。
それなのに、師匠は笑顔で僕の顎を外しにかかるような発言をするのだった。
「片づけって、有限な人生の中で無駄な時間だと思わないか?」
「はぁ?」
「本だって、そこに置いておけばすぐに手に取れる。わざわざ時間をかけて片づけて、また取りに行かなくちゃいけなくするなんて無駄の極みじゃないか?」
本気で開いた口が塞がらない。
最初の頃は、それでも順番通りに並べてあったとか言い訳がましいことも言ってたけど、あんなの嘘だと今ならわかる。
「足の踏み場もないような部屋にいたら、本を踏まないようにって行動が制限されるじゃないですか。 まっすぐ歩けないから蛇行するとか、そっちの方がよっぽど無駄なことしてます。それに師匠、いつも散らかしすぎて読みたい本がどこにあるのか探してるじゃないですか。探し物ほど人生で無駄な時間ってないと思いますけど?」
「ほぅ」
さも、一理あるな、みたいな顔をしてうなずいてみせてるけど、わかってる。師匠は人生における時間の使い方なんてこれっぽっちも気にするタイプじゃない。
つまり、片づけるのが面倒。それを正当化したいだけだ。僕は騙されない。
ルックスと、比類なき魔術の才能。このふたつを兼ね備えた師匠だから、中身がダメ人間なのは神様の采配だなって僕はどこかで少しだけ諦めてる。
「お前はそんな屁理屈ばかりをこねているから、いつまで経っても扉に頼った移動しかできないんだ」
そんなことをズケッと言われたけれど、僕は真っ向から反論する。当たり前だ。
「扉から移動するのは常識人としては当然のことです。扉を使わない師匠が変なんです」
師匠は魔術でフッと消えてフッと現れる。壁を通り越えたりもお手の物。だから扉の開閉ができないほど部屋を散らかしたって構わないって言う。
むしろ、魔術師を志すくせに扉から出入りしようとする僕の方がいけないらしい。
「そんなことはない。魔術師団なんぞは皆こうだった。フッと出てくる。それこそ、こっちが食事中だろうが着替えていようがお構いなしだ。あれは非常識集団だぞ。お前、本当にあそこに入りたいのか?」
――魔術で生計を立てたい、才能を生かせる職に就きたいと願うのは当然のことだ。でも、その魔術師団の職についてから、嫌気が差して退いた師匠からしてみたら、やめておけと言いたいんだろう。
でも、憧れはある。大変だっていうのはなんとなくわかるんだけど。
「まあ、師匠みたいに変わった人が多いっていうのはわかりますよ。でも、僕みたいに空気を読める常識人だったらなんとかなりませんかね?」
現に奇人の師匠と上手くやれている。そう自負している僕だった。
師匠はとてもとても失礼な目つきをして僕を見た。
「お前みたいに図太いヤツのどこが空気を読める常識人だ。自己評価が高いにもほどがある。大体、お前には才能がない」
「才能がないって、そういうこと言って若い芽を摘み取るのってよくないと思います!」
師匠は僕にすぐこういうことを言う。
褒めて伸ばしてくれる気は全然ないんだ。
でも、僕は師匠のもとにいて気づいた。師匠はモノを知らないんだってことを。
自分の値が一万くらいだから、十と一の差がわからない。師匠から見たら皆が凡才。だから、本当に僕の才能がないのかどうか、そこはまだ決めつけなくていいんじゃないかと思っている。
なんていっても伸び盛りだから。
「あんなとこ、なんにも楽しくないからな。ストレスでハゲるぞ?」
「え? 師匠、ハゲたから辞めたんですか?」
思わず言ったら、師匠が僕の頬をにゅぅっと引っ張って伸ばした。
「いひゃいれふ!」
「誰がハゲだ、誰が!」
笑顔が怖い。まったく、冗談が通じないな。
師匠と話していると、僕の頬が今にだるんだるんになりそうだ。すぐ引っ張るから。
それはお前が失礼だからだとか言うのかもしれないけど、僕は常識人としてそこまで外れたことは言ってないのに。
痛いなぁ、と頬を摩りながら僕はぼやいた。
「違うんだったら、師匠はなんで辞めたんですか? 悠々自適に過ごしたかったっていうのもあるでしょうけど、それだけで地位も名誉もあっさり捨てるなんて考えられませんよ」
なんせ魔術師団には近づきたがらない。そのせいで周りが迷惑してしまうほど避けている。
もしかして、何かあったんじゃないかなぁとか邪推してみた。
そんな僕の考えは当たっていた。
師匠は僕からそぅっと目を逸らした。
「……上司とソリが合わなくて」
そんなことだろうと思った。