魔人 3
「そうだ!あんたを食べたいんだよ、俺様は!!」
そうして彼は口にする、自らの本当の望みを。
「?何よ、結局同じじゃない!!」
誤解を解こうとじりじりと近寄ってくるジークベルトを警戒し、同じだけ距離を取り続けていたセラフは、彼が漏らした本音に怪訝な表情を作っている。
何故ならそれは、先ほどの言葉となんら変わらないものであったからだ。
しかし、違うことが一つある。
それはセラフがそれに怒りの言葉を叫んでも、ジークベルトが驚くことも不思議そうな表情を浮かべることなく、にっこりとした笑顔を見せたことだ。
「違う違う、俺様はあんたを食べたいんだ。分かるだろう?食事だよ食事」
笑顔のままに彼は宣言する、セラフの事を食べたいのだと。
それは犯すなどという生易しいものではなく、セラフの存在そのものを咀嚼したいという欲望だ。
三日月に歪んだ彼の口からは、その鋭い牙が伸びていた。
「・・・は?あんた、一体何を・・・」
「何、すぐに分かるさ・・・最後は皆、泣いて喜ぶんだぜ?その辺うまいんだ、俺様は」
種族の隔たりに、絶望と歓喜の叫びは見分けがつくだろうか。
ジークベルトの言葉に、セラフは意味が分からないと呆けた顔をしている。
その硬直は致命的な隙となって、彼が接近する時間を作っている。
今や彼はセラフの腕を取り、その牙を剥いてしまっていた。
「痛っ!?ちょっと、やり過ぎよジーク!!もっと優しく・・・」
「おいおい、本番はこれからだぜ?もっと楽しめよ、別嬪なお嬢ちゃん・・・いや、セラフィーナちゃんよぉ!」
立った歯の痛みも、甘噛みならばそうしたプレイの一環として許容出来る。
しかし皮を突き破り、血を啜ろうとする痛みならば、当にその一線を超えてしまっている。
それに対して文句を零すセラフに、ジークベルトは血で真っ赤に染まった唇をにっこりと歪めるばかりであった。
「そんな、あんた本当に・・・?放して、放しなさいよ、この!!」
その表情を見れば、彼が口にした言葉も冗談ではないと分かる。
つまり目の前の男は間違いなく、自らを咀嚼しようとしているのだと。
「何だ?追いかけっこか?そういう趣向も嫌いじゃないぞ?」
ジークベルトの狙いが自らの身体ではないと、いや本当にこの身体そのものなのだと理解したセラフは、慌ててその手を振り払い逃げ出し始める。
ジークベルトがその手を振り払うままにさせたのは、彼がそういった趣向も嫌いではないためか。
つまりは自らの檻に閉じ込めた獲物、じっくりいたぶり楽しむという趣向を。
「助けて、誰か助けてー!!マックス、ウィリアム!ブラッド!!誰か、誰かー!!」
広くはない部屋の中を隅から隅へと逃げ惑うセラフは、助けを求めて声を張り上げる。
しかし、その声に応える者など存在するだろうか。
「おいおい、冷める事をいってくれるなよ?俺様達、二人だけのお楽しみだろう?」
そんな者はいない。
彼女は一人、戦いに参加しない事でこうして生き残っていたのだから。
芝居がかった仕草で周りを示しているジークベルトの腕の先には、倒れ伏した彼女の仲間の姿が広がっていた。
「助けはこない、そうだろう?だからゆっくり楽しもうぜ、二人っきりでよぉ?」
その姿をまざまざと見せ付けられたセラフは、絶望に首を横に振っている。
しかしそんな否定の仕草を見せたところで、目の前の現実が変わる訳もない。
彼女はついに追い詰められ、ジークベルトによって壁に押し付けられてしまっていた。
「そんな・・・お願い、誰か・・・誰か助けて」
ジークベルトが壁へとついた腕の間で縮こまるセラフは、この期に及んでも誰かの助けを待ち望んでいる。
そんな彼女が、この部屋に最初に足を踏み入れた場所へと逃げ込んでいたのは、ただの偶然だろうか。
いや恐らく、それは必然だったのだ。
「なんだ、もっと抵抗してくれるかと思ったのによぉ・・・もう降参かぁ?ったく、つまんねぇなぁ・・・まぁいい、そんじゃ・・・いただきまーす」
追い詰められ、抵抗を諦めてしまったセラフの姿に、ジークベルトは心底つまらなそうに頭を掻いている。
彼からすれば、激しく抵抗する獲物をもっとじっくりといたぶって楽しみたかった所なのだろう。
しかし如何にその楽しみを奪われ興が削がれたといえ、目の前の獲物は極上の代物なのだ。
それを目の前にして、もはや我慢などしていられない。
彼はその整った唇を裂けるように歪ませ、まるで彼女をひと呑みにするようにかぶりついていた。
「ひぃ!?」
「おっと、慌てるなよ?こんなのはまだオードブルってもんだからな?これから、もっと・・・何だ?扉が・・・?」
首筋へとかぶりつかれたセラフは、その感触に短い悲鳴を上げている。
それが痛みを伴う絶叫にならなかったのは、ジークベルトがまだその牙を彼女へと突き立てていないからだろう。
彼女の怯えた反応に、満足気な笑顔を見せたジークベルトは、それを嬲るような言葉を耳元で囁いている。
しかし彼は気づいていないだろう。
その時、彼女のお腹が眩く輝き始めていたことに。
彼が目にしたのは、それに呼応し既に開き始めてしまっていた扉の姿だけであった。
「あぁ!!やっと開いた!いやぁ~、良かった良かった、一時はどうなることかと・・・おや?これは・・・?」
開いた扉に、それを潜り抜けこの場に足を踏み入れたのは、場違いなほどに間の抜けた声を漏らす男であった。
その長身だが猫背のため背筋が曲がっている男は、興奮にずれてしまった眼鏡を掛け直すと、部屋の中の様子を改めて見回しては、不思議そうに首を捻っていた。
「っ!あんたは・・・ランディ!?どうしてここに・・・ううん、そんな事はどうでもいい。とにかく助けて!!」
「・・・えぇ、勿論ですともセラフィーナさん」
そこに現れた白髪の男、ランディの姿に驚くセラフはしかし、そんな事よりも自らの身の安全を優先し、その背中へと隠れている。
そんな彼女の様子に、ランディも任せろと力強く自らの胸を叩いていた。
「ちっ・・・折角いい所だったのによぉ、これから二人でお楽しみってタイミングだったんだぜ?それをお前、台無しにしてくれちゃってさぁ・・・てめぇ、自分が何やったか分かってんのか!!」
しかし彼の目の前に立っているのは、神話に語られる伝説の魔人なのだ。
それは一介の研究者に過ぎない彼などが、相手に出来る存在だろうか。
無論、出来る訳がない。
「ひぃぃぃ!?か、勘弁してくださいぃぃぃ!!知らなかったんです、知らなかったんですぅ!」
「はぁ!?ちょっとあんた!少しは頑張りなさいよ!!」
こちらへと迫る魔人の迫力に怯えるランディは、すぐに縮み上がり頭を抱えて蹲ってしまう。
彼は余りの慌てぶりのためか、そのポケットに詰め込んでいた何やら薬品の入った瓶を辺りに落としてもしまっていた。
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