ダンジョンへ 1
ガタガタと細かく揺れるこの音がうるさく聞こえるのは、この車内が気まずい沈黙に包まれているからか。
広くはない馬車の室内にぐったりと横になり、一つの席を占領している黒髪の美女、セラフはまるで全てのやる気を失ってしまったかのように、無気力な表情でそこに伸びてしまっている。
彼女が二つしかない席の一つを完全に占領してしまっているため、荷物と共にもう片方の席に押し込まれた乗客は、その狭いスペースに窮屈そうに肩身を狭めていた。
それはただでさえ狭いそのスペースに、二人の乗客を詰め込んでいるのだから、尚更だろう。
「お嬢様、そろそろ目的地でございます・・・身支度を整えませんと」
その二人の内の一人、白髪の紳士がセラフに対して控えめに声を掛ける。
彼の言葉の通り、先ほどまで木々や花々といった自然しか映らなかった窓の外の景色がその様相を変え、喧騒の気配を映し始めている。
それは確かに、彼の言う目的地へと近づいた合図なのだろう。
しかしそんな紳士の言葉にも、セラフはそのだらしない姿勢を改めることはなかった。
「はぁ~・・・・・・だっるぅ」
だらしなく横になった姿勢のまま、セラフは尻をボリボリと掻き始めている。
そんな主の姿に、この馬車に同乗したもう一人、ケイシーはどうにか諌めようと手を伸ばすが、何かに迷うようにそれを遊ばせるばかりで、結局声を掛ける事が出来ずにいた。
「お嬢様、はしたのうございます。このベンジャミン・ブラックモア、お嬢様をそのように育てた憶えはございません。どうか、お止めくださいますように」
しかし彼女の隣に座る老紳士、ベンジャミン・ブラックモアは躊躇わない。
彼ははっきりとセラフの下品な仕草について諌めると、そんな事は許さないと表情を険しくしている。
流石のセラフも、生まれた時から面倒を見てもらっているこの老紳士の言には逆らえないと、お尻へとやっていた手を制止させていた。
「うっ!確かに、それはそうかもだけど・・・でも、ベンジャミン。私にどうしろって言うのよ?私は今まで、人生を掛けてお洒落に・・・うぅん、女を磨く事に全力を傾けてきたのよ?それを今更、レベル上げるためにダンジョンに潜れだなんて・・・やってらんないわ!」
ベンジャミンの言葉に、流石に今の姿はだらけすぎだと反省したセラフはしかし、その姿勢までもを改めはしない。
彼女はその姿勢のまま、自分が何故こんな態度になっているかという理由を説明する。
それはこれまでの半生を否定された、彼女の魂の慟哭だ。
それを言い終わった彼女は、自らの言葉を身体で表現するように、うつ伏せになっていた身体をひっくり返しては、仰向けの姿勢で勢いよく席へと横になっていた。
「それは、重々存じております。このベンジャミン、お嬢様のご心中、お察しするばかりでございます」
「そ、そうですよ、ベンジャミン様!お嬢様はお疲れなのです、もう少しお休みになられた方が・・・」
セラフの成長を間近で見守っていたベンジャミンは、だからこそその痛みもよく理解出来る。
彼女の言葉に胸元からハンカチを取り出し、目頭を押さえた彼の声は確かな同情に震えていた。
そんな彼の態度にケイシーも意を決すると、どうにかセラフを休ませられないかと彼に掛け合っていた。
「しかしですなお嬢様、こうも考えられませんか?レベルが社交界の、ひいては婚活の第一条件となったのならば、レベル上げもまた女を磨く行為の一環であると」
ベンジャミンへと掛け合おうとしたケイシーの腕はしかし、その寸前にスッと姿勢を正した彼によって簡単に躱わされてしまう。
彼は一切感情を窺わせない執事然とした表情で、セラフへと説得の言葉を並び立てる。
それは確かに理の通ったものであったが、今の彼女にとっては辛い言葉だ。
そんな言葉を飄々と口にする彼の胸元には、よく見ると全く湿った様子のないハンカチがきっちりと収め直されていた。
「そう考えれば、今回の事もこれまでと変わらず、お嬢様の女磨きの一環といったところですな」
「うぅ・・・そう言われれば、確かにその通りです。お嬢様、どうでしょうここは。心を入れ替えて、頑張ってみるというのは・・・?」
涙の跡一つない整った相貌で、セラフにこれまでと同様に頑張ってみてはと提案するベンジャミンに、ケイシーも納得する様子を見せている。
彼女はベンジャミンとは違い、控えめにセラフに頑張ってみませんかと誘う。
自らの面倒を見てくれている二人に、そろって同じ事を言われたセラフ今だ、横になったまま二人の姿を眺めていた。
「やだ」
そうして、彼女は憮然とした表情のまま、見も蓋もない返事を返す。
「は?お嬢様、今なんと?」
そのあまりに短く、見も蓋もない言葉はだからこそ、聞く者の耳にうまく届かない。
いやそれは、ただ単にその言葉の意味を理解したくないからか。
セラフの言葉がうまく聞き取れなかったと彼女に聞き返すベンジャミンはしかし、その表情にどこか怒りを湛えているようだった。
「いーやーなーのー!!今まで、私がどれだけ頑張ってお洒落に邁進してきたと思ってるのよ!?今更、土に塗れてレベル上げなんてやれる訳ないでしょ!!!ぜったい、ぜーーーったい嫌よ!!!」
ぴきぴきと青筋をその額に浮かべながら、さっきのは冗談ですよねと問い掛けるベンジャミンに、セラフは駄々っ子を捏ねるように手足を振り回しながら、絶対に嫌だと叫んでいる。
彼女のそんな振る舞いは当然、ベンジャミンの怒りを加速させ、そんな二人の間に挟まれているケイシーはどうしたらいいか分からずに、ただただオロオロと二人の間に視線を彷徨わせていた。
「お嬢様。どうしても、お嫌と?」
「当ったり前でしょ!?私に魔物を倒して血と泥に塗れては、洞窟の中を駆けずり回れっていうわけ!?そんな事出来る訳ないじゃない!!?大体、何よこの格好?私に、こんなダサい格好で人前に出ろっていうの?ふざけんじゃないわよ!!!」
僅かに息を吐き、気持ちを落ち着かせたベンジャミンがセラフに再び問いかけたのは、彼女に最後のチャンスを与えたかったからか。
しかしその言葉を受けたセラフは、そんな彼の気遣いなど気にも留めようとせず、さらに怒りを加速させては手足を振り回す。
彼女の怒りの矛先は、その服装にも向かっていた。
彼女の今の服装は、普段の華美でひらひらと布地が舞っているようなものではなく、簡素で動きやすそうな、まさに冒険者然としたものであった。
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