暗雲
「―――でね、それが凄いのなんのって!!」
その興奮した声と共に、金属が擦れる僅かな物音がしゃなりしゃなりと鳴っている。
それは、彼女が飾り立てているアクセサリーが擦れた音だろう。
その全身をどこか、異国情緒溢れる格好で飾っているセラフの衣装はしかし、それほど派手なものではなかった。
しかしその身体の至る所には、彼女が外国で買い込んできたのだろうアクセサリーが飾られている。
それらを身につけ、渡り歩いた諸国の事について放す彼女の機嫌は上々だ。
しかし久々の娘の帰郷にもかかわらず、それを聞いている両親の表情はどこか曇ったものであった。
「そ、そうか・・・それは良かった。し、しかしなセラフよ―――」
上機嫌に土産話を披露する娘に、引き攣った笑顔を浮かべながら相槌を打っている彼女の父親、バーナード・エインズワースはついに決心したように彼女に何かを打ち明けようとする。
しかしそれは、最後まで言い終わることはない。
「お嬢様、そろそろお時間の方が・・・」
「あら、もうそんな時間?」
柱へと立て掛けられた時計へと目をやったケイシーが、セラフの耳元へともう時間がないことを囁いている。
それに驚くように首を捻ったセラフは、どこか残念そうに溜め息を漏らしていた。
「はい。準備の時間も考えますと・・・バーナード様、お話を遮ってしまい申し訳ございません」
「う、うん。いいんだ、気にしなくていいよケイシー」
主の、さらに主である父親の発言を結果的に遮ってしまったケイシーは、それを詫びて深々と頭を下げる。
そんな彼女の姿に、バーナードもそれを責める訳にもいかず、やんわりとその謝罪を受け入れてしまっていた。
「それじゃあ、私はもう行くけど・・・お父様、さっきは何を言いかけていたの?それぐらいなら聞いていけるけど?」
「い、いや!いいんだ、何でもない!気をつけて行ってくるんだよ、セラフ。アシュクロフト伯爵に、バーナードがよろしくと言っていたと伝えておいてくれるかな?」
ケイシーの言葉に席を立ったセラフはしかし、先ほど言いかけたバーナードの言葉が気になると立ち止まり、そちらへと振り返っている。
そんな彼女に話しの続きを促されたバーナードは、何故か逆に戸惑った様子を見せており、明らかに話を逸らすように彼女に出立を促していた。
「?お父様がいいのなら、いいんだけど・・・でも、駄目ねお父様。私がこれから行くのは、コールリッジ伯爵の舞踏会よ。相手方の家名を間違えるなんて、失礼なんじゃないかしら?」
不自然な父親の態度に不思議そうな表情を浮かべたセラフはしかし、それ以上に彼の些細な間違いを弄るのに夢中なようで、すぐに表情を切り替えては悪戯に瞳を輝かせていた。
「お嬢様、バーナード様の方が正しゅうございます。お嬢様がこれから向かうのは、アシュクロフト伯爵主催の晩餐会ですので」
「あら、そうなの?」
しかしそれも、彼女の傍に控えるケイシーによって即座に否定されてしまっていた。
嗜虐の喜びをあっさりと奪われてしまったセラフは、軽く肩を竦めると残念そうに息を吐く。
「でも、良かったわ。人の家名を間違えるなんてお父様、ボケてしまったのかもって心配したのだもの。これで当分の間、我がエインズワース家も安心ね」
しかしそれも僅かな間だけだろう、彼女はすぐに先ほどとは違う種類の表情を浮かべると、華やかに笑ってみせている。
その言葉に嫌味がないのは、それが彼女の本心だからだろう。
「はっはっは!我が自慢の愛娘の花嫁姿を見るまでは、ボケる訳にはいかないさ!ほら、あまり時間がないのだろう。いつまでも話してないで、早く行ってきなさい」
「はーい」
娘の冗談めいた心配の言葉にバーナードも豪快に笑っては、まだそんな年ではないと笑い飛ばしてみせている。
彼はいつまでも娘をここに引き止めてはいられないと、手を振っては彼女を急かしていた。
「・・・言わなくて、よろしかったのですか?」
セラフがその長い黒髪をたなびかせてこの場から姿を消すまで、バーナードはその手を振り続けていた。
そんな彼のすぐ横から、酷く冷めた様子の声が掛かる。
それはこれまで一言も発せずに事態を見守っていた彼の妻、リリー・エインズワースのものであった。
「だって、言える訳ないだろう?あんなに楽しみにしてるのに・・・」
「言わずに行かせる方が、残酷ではないのですか?」
娘がその姿を消しても今だに名残惜しそうに手を振っているバーナードは、その残酷な現実から目を逸らしたかったのだろう。
しかしそれも、リリーから鋭い指摘を食らうまでの話しだ。
「うっ!?それは、確かに君の言う通りかもしれないが・・・」
リリーの最もな指摘に言葉を詰まらせてしまったバーナードは、流石にもはや暢気に手を振っていることも出来ずに、それを引っ込めている。
「しかし、しかしね。やはり僕としては・・・」
妻に鋭い正論をぶつけられ、一度は口ごもってしまったバーナードはしかし、それでもとなにやらぶつぶつと呟き始めていた。
そんな旦那の姿に、リリーは静かに溜め息を漏らす。
「はぁ、この人は・・・いつまで経っても娘に甘いんだから。まぁ、今回は良しとしましょう。あの子にもいい薬になるでしょうし」
自らの言い分をリリーに聞こえない程度のボリュームで呟き続けているバーナードの姿に、呆れる言葉を漏らした彼女の口元は甘い。
彼女はバーナードの振る舞いに呆れながらも、その行動を許していた。
それには、彼女の思惑も関係あるのだろう。
リリーは、娘が立ち去っていった扉を見詰めている。
それはケイシーによってきっちりと閉じられており、その先を見通すことは出来ない。
しかしその先の出来事を暗示するように、雷鳴が轟き、窓の外では雨が降り始めていた。
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