ヘンリエッタの意外な姿
「っ!?も、申し訳ないのだけど、急いでいますの!!もしお怪我なさったのなら、後で保障いたしますわ!!」
落ち込む事で手一杯で、前方不注意な状態でふらふらと前へ進むセラフにも、その先は自然と開いている。
しかし全ての人が、彼女の雰囲気に気圧されて道を譲る訳ではない。
例えば、その人もまた自分の事で手一杯であり、さらにとても急いでいるといった場合などだ。
「ううん、大丈夫。私の方が前を見てなかったから。はぁ・・・また、人に迷惑を・・・あれ?貴女は・・・?」
明らかに大慌てといった様子で、ぶつかった謝罪もそこそこに駆け出していった女性に、地面へと尻餅をついたセラフが、自分の方が悪いのだとさらに落ち込む気配を見せていた。
彼女は漏らした溜め息の終わりに、ぶつかってしまった相手の姿を追う。
その先にはどこか見覚えのある、光り輝く存在の姿が映っていた。
「エッタ?エッタじゃない?どうしたの、そんなに急いで?」
その綺麗な金髪を振り乱しては焦り浮かべ、辺りをきょろきょろと見回している女性はセラフの幼馴染、エッタその人であった。
普段から自信満々で余裕たっぷりに振舞う事が多い彼女の、そんな焦った姿はセラフにも記憶にない。
そんな彼女の焦った姿に、セラフはどこか強い違和感を覚えていた。
「い、急ぎませんと!もうお金が・・・」
セラフがエッタを心配して掛けた声は、彼女には届かない。
エッタはその顔に強い焦りの表情を浮かべて、何かを探すように露天の間を駆け回っている。
それはまるで、借金取りに追われてでもいるかのような姿であった。
「見つけましたわっ!貴方でしょう!?私のような貴族の品を、高く引き取ってくれる者というのは!」
ようやく目当てのものを見つけたのか嬉しそうな声を上げたエッタは、その目の前の男に対して指を突きつけては声高らかに宣言している。
そんな彼女の大声に、男は困ったように眉を顰めると、唇の前に指を一本立てては静かにするように注意を促していた。
「確かにその通りだが・・・お嬢ちゃん、余り大声で喚きたてないでくれないか?一応、裏の稼業って事になってんだ。ま、公然の秘密って奴だがね?」
「そ、そうでしたか。申し訳ありませんわ」
余り大声で騒がれては困ると話す男に、エッタは素直に頭を下げている。
そんな殊勝な姿も、普段のエッタの振る舞いからは考えられず、彼女が今どれだけ追い込まれているかを如実に伝えていた。
「分かってくれれば、それでいいさ。で、何を買い取って欲しいんだ?そのために来たんだろう?」
「え、えぇ!その・・・これなのですの」
素直に謝罪の言葉を告げたエッタの態度に満足した男は軽く頷くと、彼女の用件を促している。
その言葉に前のめり気味に食いついたエッタは、自らが身につけていたネックレスを外すと、それを男へと差し出していた。
「へぇ、こりゃいい品だ・・・サファイアかい?」
「えぇ、お母様の形見の品ですの・・・それで、幾らになりますの?」
そのネックレスに輝く大振りなサファイアの輝きに、男は目を細めると感心したような呟きを漏らす。
その宝石の種類を確認する男の言葉に、エッタは悲しそうに目を伏せるとそれを肯定する。
死んだ母親の形見の品を売り払おうというのだ、その悲しみは如何ほどであろうか。
しかし彼女はそれを振り払うように小さく首を振ると、その値段について男に尋ねていた。
「そうだな・・・これぐらいでどうだい?」
「これだけ!?たったのこれだけですの!?そんなっ、こんなんじゃ全然足りない・・・もっと高く出来ませんの!?」
エッタの質問に、男はなにやら手元に数字を書き込んではそれを彼女に示している。
それを覗きこんだ彼女が声を上げたのは、何もその金額が驚くほどに大きかった訳ではない。
それどころかそんな額では全然足りないと嘆く彼女は、男に食って掛かると何とかその金額を上げれないかと懇願し始めていた。
「悪いが、こっちも商売なんでね。それ以上は出せねぇなぁ・・・それが気にいらないってんなら、他所にいってくんな。最も、俺以外にそんな奴がいるとは思えねぇがな」
「そ、そんな・・・どうにかならないのですの!?私、今すぐにお金が必要なのです!!」
幾らエッタが食って掛かろうとも、男の表情が変わることはない。
貴族ゆかりの品を売り捌こうとすれば、それなりの危ない橋を渡る必要があるだろう。
それをこなせるだけの伝手と経験がある男が、エッタのような小娘に脅された程度で揺らぐ筈もない。
しかしそんな男の態度にも、エッタはどうしても纏まったお金が必要なのだと、彼にすがり付いていた。
「へへっ、そう言われてもねぇ・・・ま、どうしてもって言うなら手段がない訳じゃないが」
「何ですの、その手段というのは!?もったいぶらずに、教えてくださいまし!」
食い下がるエッタに、男は下卑た笑みを浮かべると、彼女に対して思わせぶりな言葉を囁いている。
男のそんな怪しい振る舞いにも、余裕のないエッタはすぐさま食いついてしまっていた。
「なぁに、簡単な事さ。お嬢ちゃんがちょーっと、おじさん達の相手をしてくれればいい。な、簡単だろう?なに、お嬢ちゃんほどのべっぴんさんなら、あっという間さね」
「そ、それは・・・」
男が口にした内容と、馴れ馴れしく回してきた手の意味が分からないほど、エッタも子供ではない。
その内容を理解した彼女は表情を青ざめさせるが、それでも肩に回してきた男の手を振り払おうとはしない。
それは彼女がその提案に、迷ってしまっている事を示していた。
「わ、分かり―――」
「はいはい、そこまでそこまで!」
彼女がそれに頷いてしまいそうになったのは、本心か。
それは分からないがとにかく、それはそれ以上先に進むことはない。
何故ならエッタとその男を無理矢理引き離す、黒髪の美女がその場に現れたのだから。
「セ、セラフィーナさん!?貴女、どうして・・・!」
「そういうのは後でいいかしら?ほら、ここから早く離れるわよ!あ、それは返して貰うから!」
彼女だけにはその姿を見られたくない。
エッタがそう願うただ一人の人物、その当の本人にそれを目撃されてしまった彼女は、驚きよりもショックの方が大きいように見受けられた。
そんな彼女の手を問答無用で引っつかみ、その場を後にしようとしているセラフは、抜け目なくエッタが男へと手渡したネックレスをも回収していた。
「お、おい!そりゃないぜ!!だ、誰か!!あいつを・・・ちっ、俺が騒ぎを起こしちゃ世話ないか・・・」
目の前で獲物を掻っ攫われた男は、当然それを取り戻そうと声を上げる。
しかし裏の稼業を営む男が、そんなことで騒ぎを起こしては自爆以外のなにものでもない。
その事実をすぐさま思い出した男は、張り上げた声をすぐに潜めてしまっていた。
それでも男は、陥落まで後一歩という所まで迫っていた獲物を、いつまでも恨めしそうに見詰め続けていた。
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