無為な日々
眩い朝日に照らされて、この宿の名前の由来になったのであろう対になった岩が鈍く輝いている。
それは本日も気持ちのいい、冒険日和であることを告げる合図だろう。
しかしそんな陽気とは裏腹に、それを見下ろすこの室内の空気はどんよりと淀んでしまっていた。
「はぁ~・・・だっるぅ」
開け放った窓の枠へと寄りかかり、気だるげにその先の景色を見下ろしている黒髪の美女、セラフはその口にした言葉以上にどんよりとした表情で溜め息を漏らしていた。
彼女のそこから景色を見下ろしているのは、単にその寄りかかった姿勢が楽だったからか、それとも単にこの狭い室内に引きこもっているのが退屈だったからか。
セラフの格好は、彼女には珍しいほどに整っておらず、着の身着のままといった感じだ。
その全く手入れしていないぼさぼさの髪は、彼女がこの部屋から長い事外出していない事を示しているのだろう。
「・・・お嬢様、偶には外に出てみてはいかがでしょうか?もう三週間もこうしております、このままでは・・・」
事実、そうだった。
セラフは冒険者ギルドから飛び出して以来、あれから一度もこの部屋から外に出ていない。
それでも彼女が何不自由なく暮らしていけるのは、彼女のメイドであるケイシーが甲斐甲斐しくお世話をしているからだろう。
そのメイド、ケイシーが彼女の背後から控えめに声を掛けてくる。
その声は彼女の身体、特にその精神面を心配したものであった。
「えー・・・?もう、そんなに経ったっけ?うーん、そうねぇ・・・」
ケイシーの声にゆっくりとそちらに振り返ったセラフの瞳には、明らかに覇気がなく死んだ魚の目をしていた。
彼女はケイシーの提案に言葉を濁していたがその表情にもはや、その先は言わずとも分かってしまう。
それを察したのか、ケイシーはその顔に悲しげな表情を浮かべてしまっていた。
「セラフー、ダンジョンに行くよー!一緒に行こー!!」
「一緒に行くぜよー!楽しいぜよー!」
しかしセラフがその先の台詞を言う前に、窓の外から彼女に声が掛かっていた。
それは眩い朝陽に、その栗色の髪を一層美しく輝かせているアリーと、彼女を守るように傍らに佇んでいるウィリアムのものであった。
彼らは精一杯全身を大きく使うと、セラフにそこから出てきて一緒に冒険に行こうとアピールしている。
しかし彼らが彼女から引き出せたのは、短い嘆息だけであった。
「はぁ、あんたらもしつこいわね。もう放っといてって、いったでしょ」
セラフのうんざりとした口調は、彼らがこれまでも何度もそうして訪れた事を示している。
その彼らに届かせる気のない小さな呟きも、それが今まで何度も繰り返されてきたやり取りだからだろう。
「うー・・・今日も駄目そう。仕方ない、行こっか?ウィリアム」
届かない声にも、セラフのそのぐったりと窓枠に寄りかかる仕草を見れば分かってしまう。
今日も、駄目なのだと。
心底残念そうに諦めを口にし、がっくりと肩を落としたアリーは、しょんぼりとした様子でウィリアムへと声を掛ける。
それは二人だけでも、ダンジョンに向かおうというものであった。
「それは別に構わんせよ?しかし、無理矢理連れて行っては駄目なのぜよ?わしなら、すぐにでも・・・」
しょんぼりと肩を落とし、踵を返してはダンジョンに向かおうとしているアリーに、ウィリアムもそれに付き従う。
しかしその途中、彼は不思議そうに首を傾げていた。
それはセラフをダンジョンに連れて行きたいのならば、無理矢理引きずり出せばいいのにという何故それをしないのかという、彼なりの疑問であった。
「そ、それは駄目だよ!!本人がちゃんとやる気にならないと・・・もう、ウィリアムはそうやってすぐ力で何でも解決しようとするんだから!!そういうの、駄目なんだからね!!」
「そうぜよ?うーん、都会のやり方は難しいぜよ・・・」
すでに僅かに身を屈め、そこから一気にセラフが寄りかかる窓まで跳んでいこうとしているウィリアムの姿に、アリーは慌てて彼の事を制止していた。
実際、彼の力であればセラフを無理矢理連れて行くことなど容易なことだろう。
しかしそれでは何の意味もないのだと、アリーは必死に訴えかけている。
彼女は寧ろそうして何でも力で解決しようとする傾向のあるウィリアムに対して、ぷりぷりと肩を怒らしては怒っているようだった。
「お嬢様、一緒に行かなくてよろしかったのでしょうか?」
騒がしいやり取りを行いながら去っていくアリー達に、ケイシーは何かを確かめるようにセラフへと声を掛ける。
それは彼女に、何とかそれについていって欲しいという願いを込めた言葉だろう。
「うーん・・・だって、レベル上げって最低でも二桁は必要なんでしょう?それをやるのに、一体どれ位時間が掛かるっていうのよ?一週間、二週間?下手すりゃ、一ヶ月以上掛かるんじゃないの?その間、泥に塗れながら頑張れって?そんなのやってらんないわよ!」
しかしそんなケイシーの願いは、届くことはない。
以前、ギルドでたむろしていた男達は、冒険者を名乗るのであれば最低二桁のレベルは欲しいと話していた。
今だレベル2になったばかりのセラフが、そのレベルに辿りつくまでに一体どれほどの時間が掛かるのだろうか。
それは当然、レベルが上がるにつれて長くなっていくだろう。
それを考えれば彼女が口にした時間も、案外的外れという訳でもなくなってくる。
そんな長い期間、必死に泥に塗れ、汚れながらも頑張るなんて出来っこないと、セラフは諦めを口にしていた。
「はぁ~・・・もぅ、何もやりたくなくなっちゃった。このまま一年間、こうしてダラダラ過ごそうかしら」
アリー達の姿も見えなくなり、静かになった外の景色を眺めるセラフの口からは、長々とした溜め息が漏れている。
それはまるで、その吐息からやる気が漏れ出ていくような、そんなだれきった呟きであった。
「っ!お嬢様、それはいけません!!近くに市も立っております、どうかそれだけでも見に行ってみてはいかがでしょうか!?」
セラフが口にした言葉は冗談だったかもしれないが、彼女のそのだらけきった姿を見れば、あながち冗談にも聞こえない。
それに何より驚き焦りをみせたのは、彼女を何とか外に連れ出したいケイシーだろう。
彼女は慌てて、セラフを外に連れ出すための提案をしている。
「あぁ・・・その話の途中だったわね。うーん、でもなぁ・・・そうだ、何かいい小物でも買ってきてくれたら考えてもいいかな?」
先ほどはアリー達が途中で割り込んできたため曖昧になっていたが、元々セラフとケイシーは彼女の外出について話していたのだ。
それを思い出しうんざりした表情を見せたセラフは、何かを閃くといやらしい目つきでケイシーへと語りかける。
それはここにやってきてからというもの、何一つ新しく手に入れることの出来なかった、お洒落なアイテムを外出の交換条件におねだりするというものであった。
「小物ですね!畏まりました、すぐに買って参ります!!」
余裕のない資金に、セラフが口にしたそれはここに留まるために無理な条件を吹っかけたつもりだったのかも知らない。
しかしどうしても彼女を外に連れ出したいケイシーからすれば、それに飛びつかない理由などない。
ケイシーはセラフがその台詞を取り消す間も与えないようにすぐに飛び出すと、あっという間に彼女の目の前から消えてしまっていた。
「あれ?これって、もしかして・・・外に出なきゃいけなくなる感じ?はぁ・・・面倒臭いなぁ」
あっという間に見えなくなり、窓の外の景色からも消えてしまったケイシーの姿に、セラフは逃げ場がなくなってしまったことを自覚する。
あの優秀なケイシーが、彼女を満足させるアイテムを手に入れてこない事などありえない。
もってきたアイテムが気に入らないと、ごねられる可能性すら皆無であると悟ったセラフは観念し、渋々と乱れた髪を櫛で整え始めていた。
そして事実、かなりの速度で帰ってきたケイシーが持ち帰ったアイテムは、彼女にとってとても満足のいくものであった。
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