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思い付きの初投稿です

お手柔らかに

「なんだこれは」



 ドーバー伯爵ノーラン・セイヤーズは人事案の中に入っていた一枚の紙を読んで不機嫌そうに呟いた。長年の懸案事項が解決したと聞いて最高だった気分は音を立てて急降下していた。


「ああ、キャクストン嬢に関する異動願いでしょう」


 斜め向かいの机のネイトは書類から目を上げずに言った。


 キャクストン嬢――ブリジット・キャクストンはノーランの六つ下の幼馴染である。女性で初めて王立学院を主席で卒業し、これまた女性で初めて文官として王宮に登用されるほど優秀だ。尚且つ美人である。


 そしてノーランの――これが彼を不機嫌にさせた原因なのだが――元婚約者だ。



 ノーランは人事院の副長官だ。ネイトは副長官室長で、実質各省庁の人材に関する諸々は全てここを通るといって差支えない。


 秋の人事異動発表前のこの時期は異動に関する諸々の要望を募集している。大多数は部下達が調整した結果に目を通すだけだが、目ぼしい人材に関しては書面に纏められノーランに判断が求められる。

 今回もそういう一件だが、内容が不可解だ。


 ノーランはしかめっ面のままネイトに言った。


「財務院の主計局から何故、王宮侍女なんだ」


 主計局と言えば予算編成を担当する財務院の花形部署だ。それに引き換え王宮侍女はどこに配属になるかはわからない。何なら人事院のこの副長官室でお茶を淹れる事になるかもしれない。仕事柄、職に貴賎は無いとは思っているが、王立学院を主席卒業している才女にさせる事なのか? いや彼女がやりたいならば否やはないが。


「さあ。彼女の希望では無いようですけど」


 ネイトの言葉で書類をめくると推薦者はポズウェル公爵フィリップとある。思わず顳顬(こめかみ)を揉んだ。


 ポズウェル公爵、フィリップは外務院の高官でノーランとは王立学院時からの親友だ。どうせ何か考えがあるのだろう友を思うと憂うつになる。


 だが、ネイトが放った一言は、ノーランに憂うつどころか衝撃を与えた。


「このままポズウェル公のお手付きになるのではと専らの噂です」

「何だとっ!?」



 昨年に臣籍降下したフィリップは、31歳になる今まで結婚のけの字も浮かんでない。王族らしい整った容姿と穏やかな物腰で遊ぶ女性には事欠いていないようで華やかな話を振り撒いているが、こと婚姻に関しては王弟という難しい立場のため、フィリップ自身消極的だったからだ。


 どこで手に入れた情報なのか、ネイトはノーランにお茶を淹れながら言った。


「先月の予算会議で外務院と財務院がやり合った時、彼女が騒動を収めたのがきっかけだとか」


 あのお転婆が。


 ノーランは舌を打ちそうになった。想像ができる。


 長いまつ毛に彩られた切れ長の漆黒の瞳。抜けるような白い肌、桜色のぽってりした唇。


 男の庇護欲を掻き立てる見た目に反し、女性にしては低くはっきりした声と真っ直ぐな視線で思わず話を聞いてしまう説得力が彼女にはあった。


「で、会議後の王宮の夜会あったでしょ?あれでポズウェル公からダンスを誘ったらしいですよ。またそれが見事なもんだったとか。その日は二回踊ったらしいです」


 年若い頃から外交官として活躍しているフィリップはダンスの名手として知られるが、中々実力を発揮できる相手が居ないからなのか国内ではいつも付き合い程度しか踊らない。


 それが二回。


 ブリジットにしても夜会では何時も壁の花になっていたはずなのに。


「そのあと王太后も交えて話していたようですが、絶賛していたようです」


 王太后はフィリップの実の母親だ。

 ノーランが人事院で働き始めた頃、彼女はまだ王妃で後宮人事の最終決定権を持っていたことから、振り回された記憶しかない。まあ可愛がられたともいえるが、かなりうるさがたの女性である。


 確かにブリジットのカーテシーは完璧だし、頭の回転もいいから会話も楽しい。王太后が気に入りそうなタイプだ。


「それ以来度々北の中庭でポズウェル公とキャクストン嬢が目撃されているようですし」


 北の中庭とは、財務院や人事院が入っている西の宮と外務院等が入る中の宮の間にある中庭だった。比較的背の高い植物が多いため王宮で働く男女の逢引場所の鉄板である。


「まあ、彼女も女性文官の星とはいえ、ああも美人で独身とくれば、そろそろねぇ」


 我慢できず思わずガタと立ち上がったノーランに、ネイトが言った。


「あ、駄目ですよ、副長官。今日はこの後夜会でしょう。それまでに消化すべき書類があります」





 結局ブリジットの異動に関しては結論を出せぬまま、ノーランは今シーズン最後の夜会に来ていた。


 あの時、元婚約者の噂に、立ち上がってどうするつもりだったのかノーランにも分からない。


 2人の婚約解消は8年も前の話だ。

 そもそも婚約は幼い頃互いの両親が決めた事だったし、彼が王立学院で寄宿生活を始めると、それまでと違い年数回会うだけになり、主なやり取りは手紙だけになった。それでも手紙は彼女と喋っているような気にさせる楽しいものだった。



 まあ、

 全て終わったことだ。



 先程まで財務院の長老方と話をしていたはずだが、取り留めないことを考えながらだったせいか気付けば獲物を狙う令嬢方に囲まれていた。


 ノーラン自身、王弟フィリップに負けず劣らず未婚女性からは垂涎の的だ。長身で整った顔立ちの独身の伯爵、その上仕事振りは優秀とくれば当然だろう。


 普段のノーランで有れば、囲まれるなど間抜けはおかさないが今日はどうやらあまり調子が良くないらしい。


 ――そろそろ俺も考えないとなぁ


 調子が良くない理由を考えないようにしてグラスの残りを煽った。傍らの給仕に渡すと、すぐ後ろ側にいた令嬢に手を差し出してダンスに誘った。


 もう誰でも良い、やけくそである。


「良ければいっきょ―」

「珍しいこと」


 ブリジット、という言葉は声にならなかった。


 ワルツは既に始まっている。曲を聞いて条件反射のように彼女の腰にあてた手が異様に熱い。


 それがバレないようにわざと他人行儀に名を呼んだ。


「久しぶりだな、キャクストン嬢」

「…ノーラン」


 拗ねたようにノーランと呼ばれて一瞬で何かが沸き立つようだった。思わず名を呼んでしまう。


「…ブリジット」

「なあに」


 楽しそうに目を細め上気した頬で見上げてくる彼女に勘違いしそうになる。


 昔はどういう話をしていたんだろう。わからない。だが、これも良い機会か。異動の件を確認しよう。俺にはどうせ仕事しかない。


「…主計局はどうだ」


 ふ、と柔らかく笑ってブリジットが答えた。


「まあ、面白いわよ」

「そうか。それでその、他の仕事とか興味あるか。例えば、その…」

「新しい仕事ってこと?」

「そうだな、例えばやりたいこととか…」

「そうね…」


 少し目を伏せて考える様子を見せたが、やがてノーランを見上げた目は心なしか潤んでいた。

 やけに距離が近い。気がする。


「ずっと昔からなりたいものは決まってるの。それは…確かにそろそろとは思ってるわ」





 いつの間にかワルツは終わっていて、気付けばノーランは一人、テラスでグラスを傾けていた。


 ワルツで初めて彼女をこの腕の中におさめた時。


 先延ばしにしてきた自分の気持ちを改めて突き付けられたようだった。


 ブリジットが好きだ。


 あのまま腕の中に閉じ込めておきたかった。

 あの黒々とした瞳も桜色の唇も柔らかい頬も、艶々の髪も落ち着いた心地よい声も何もかも俺のものだ、と叫び出しそうだった。


 まだこんなにも諦めきれていない。

 絶望的な愚かさだ。


 自分から婚約を解消したという変えようのない事実は、ノーランを臆病にさせフィリップのことは聞けずじまいだった。


 彼女が幸せになるならば祝ってやりたいと思うが、ちょっとキツい。しばらくはフィリップとも距離を置くしかあるまい。己れの器の小ささにがっかりだ。



 いや、待てよ。


 自分の手で幸せには出来ない上、祝えないのなら、せめて彼女の夢は応援したい。彼女自身、実力は十分ある。


 それになんせノーランは人事院の副長官だ。

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