妖艶
一週間後。
朔弥に振られて落ち込んだ気持ちも、少しだけ和らいだ。
私は、また信楽さんに頼まれて刺繍をしていた。
刺繍をしていると、嫌なことを忘れられるので少し気持ちが楽になる。
細かい花柄の模様をあしらった布が、2時間ほどかけて出来上がった。
早速、私はそれを信楽さんの部屋へ持っていくことにした。
信楽さんの部屋の襖を叩く。
「千夜璃です。失礼します」
襖を開け部屋を覗くと、いつものように忙しそうな信楽さんがいた。
こちらに気づくと、信楽さんは顔を上げ、立ち上がった。
「また、綺麗な布が出来上がりましたね。いつもありがとうございます」
「──いえいえ。刺繍をしていると、嫌なことを忘れられますから」
私は口にしてから、ハッとした。
「なにかあったんですか?」
案の定、不思議そうな顔をして信楽さんが覗き込んできた。
「いえ、なんでもないです」
私は笑って誤魔化した。
「それならいいんですが──」
そして信楽さんは布を広げて見たあと、少し間を開けると眉を下げて言った。
「実は──雅様が、貴女に会いたい、と」
「え?私に?」
私は驚く。
「ええ、雅様のお考えは私もわからないのですが──」
私は雅様がどんな人なのか少し気になるというのもあり、会いにいくことにした。
「わかりました」
信楽さんに案内されて、雅様がいる離れへ続く廊下を歩いた。長く薄暗く、空気が冷たい廊下だった。
しばらく歩くと、襖が見えた。
「こちらです」
部屋には、たくさんの着物や書物が置いてあった。が、そこに彼女の姿はなかった。
部屋にはまた、襖があった。
信楽さんは襖を叩いた。
「雅様、千夜璃さんがいらっしゃいました」
すると、中から静かに声がした。
「入って」
信楽さんが襖を開けた。
「失礼します」
緊張で早くなる鼓動を落ち着けながら、私は恐る恐る畳を踏んだ。
部屋の奥に、華やかな着物を着た美しい女性がいた。
私はその美しさに、思わず息を呑んだ。
妖しげな雰囲気をまとったその女性は、魔女のように美しく妖艶な笑みを浮かべて言った。
「そこにお座り」
言われた通り私は彼女の前に座った。
「貴女が千夜璃さんね」
彼女は静かに、でもはっきりとした声で言った。
長いまつ毛の隙から覗く漆黒の瞳に見つめられ、私は再び息を呑む。
「──はい」
「この娘があのろくでなしの──ふふ」
──ろくでなし、とは朔弥のことだろうか。
「朔弥──ですか」
私は恐る恐る尋ねる。
ええ、と彼女は艶かしい瞳で私を見据えた。
身動きが取れなくなりそうだった。
「──あれとなにかあったんでしょう?」
彼女は朔弥のことを、「あれ」と呼んだ。
この人はどこまで知っているんだろう?そんな疑問が浮かぶ。
表情の読めない笑顔で見つめられた。何もかも見透かされてしまいそうだ。
「──朔弥には、振られました」
その空気に耐えきれず、思わず口に出した。
「──ふふ、そう」
彼女は優しく微笑んだ。色のない瞳で。
「──あれは、貴女を愛しているわ」
彼女はまた、妖艶な笑みを浮かべた。
「──え?」
ふふふ、と笑った。
そして彼女は口を開いた。
「駆け落ちでもするかしらねえ……?」
私は言っている意味がわからず、口を噤んだ。
「──それにしても、千夜璃さん、可愛らしい娘ね」
こんなに美しい人に言われ、私は思わず頬を染めた。
「貴方のお父様やお母様によく似ているわ」
「父と、母を知っているのですか?」
驚いて尋ねた。
「ええ、もちろん──だって彼らは」
「雅様、そろそろです」
彼女の話を遮るように、信楽さんが口を挟んだ。
「え、まだ話の続きが……」
私は慌てて口を開いた。
「行きますよ、千夜璃さん」
私の言葉など耳に入っていないように、正確に言うと無視したように、どこか強引に信楽さんは私を立つよう促した。
「──意地悪なのね」
立ち上がった私たちの背に、雅様が声をかけた。
私は訳が分からず立ち尽くしていると、信楽さんが口を開いた。
「真幸様の命です」
「1番悲しいのは、知らないことよ」
私には話の内容がわからない。それでも2人は続けた。
「彼女のためです」
「──自分を恨むことになるわ」
信楽さんはハッとした表情を浮かべ、雅様を一瞥してからまた歩き出した。
訳の分からない私は、慌てて信楽さんについて行った。
そして振り返り、雅様に礼をした。
「またいらっしゃい」
と、彼女は優しく微笑んだ。
私は笑顔で頷いて、足早に部屋をあとにした。