失恋
朔弥は毎日、私の部屋に来た。
今日も襖を叩く音がする。
「千夜璃ー」
ふらっと朔弥が入ってきた。
その姿を見るだけで、胸が高鳴る。
──好きだなあ。
朔弥と一緒にいるだけで、私は幸せだった。
けれど、そんな幸せは、長くは続かなかった──。
いつものように、朝食を食べるため広間へ向かう。
そこに朔弥の姿はなかった。
珍しく何か用事があるのかと思い、私は朝食を食べ終えた。
部屋に戻って、いつも朔弥が来る時間になっても、朔弥は来なかった。
次の日も、その次の日も。
朔弥の姿を見なくなって4日目の朝、広間に朔弥はいた。
私は思わず駆け寄った。
「朔弥──!」
──が、そこにいたのは私の知らない朔弥だった。
私のことなど見ず、ただ朝食を食べている。
私はその変わりように呆然とした。
「──ねえ、朔弥……?」
震える声で聞くと、朔弥はこちらを見ずに口を開いた。
「──なに?」
低く、冷たい声だった。
こんな声は、初めて聞いた。
まるで私に、話しかけるなと言っているような言い方だった。
頭が混乱して、朝食は喉を通らなかった。
部屋に戻って、頭が痛くなるほど考えた。
今日だけかもしれない、きっとなにか理由があったんだ、と自分に言い聞かせた。
けれど翌日も、それからずっと朔弥は私を避け続けた。
私は、心に穴が空いたような感覚を覚えた。
朔弥に、聞きたいと思った。
なぜ私を避けるのか。今どう思っているのか。
それが分かればこの喪失感が少しでも、埋まるような気がした。
朔弥の部屋の前で、緊張が体を強ばらせた。
ノックしたが、返事はなかった。
でもそこに、朔弥はいる。気配がある。
襖にかけた指が、震えた。
けれど精一杯勇気を振り絞って、襖を開けた。
そこには、窓の外を見ている朔弥がいた。
顔色が悪く、服は乱れていた。
朔弥はこちらに気づき、ハッとしたかと思うと俯いた。
手が、足が、声が──震えた。
けれどここまで来たんだ、と自分に言い聞かせた。
「──朔弥、どうして、口も聞かなくなったの…?」
朔弥は私に背を向けたまま、低い声で言った。
「──お前に飽きたんだよ」
ああ、と私は思う。
──そっか、飽きられたのか。
気づけば涙が頬を伝っていた。
「……どうして」
口が勝手に動いた。
その言葉に朔弥は、くるりとこちらを向いた。
「──どうして?俺がこんな男だって知ってるだろ?男なんて、好きじゃなくてもキスできるし抱くこともできるんだよ」
私を嘲笑うような声だった。
涙が止まらなくても、私は悲しさよりも喪失感に襲われた。
「私は、なにか勘違いしてたみたい」
止まらない涙とは反対に、笑顔でそう言った。
私は部屋で、泣いた。涙が枯れるほど泣いた。心が抉られるような心地がした。
大好きだった。
くしゃっと笑ったあの笑顔が、たまに見せる真剣な表情が。
零に似た、長いまつ毛が。
その隙間から覗く、澄んだ瞳が。
白い肌が。大きな手が。
暖かい腕が。包み込んでくれる体が。
その全てが、大好きだった。
軽いように見えて、私のことをちゃんと見てくれる。
ろくでなしなんかじゃない。
なのに。
もう、ボロボロだった。
──そうだ、人なんて信じられないんだから。信じた私が馬鹿だった。
はは、と自嘲した。
もう、おかしくなりそうだ。
幸せだった日々が、まるで夢だったかのように思えた。
すすり泣く声が月光の差し込む部屋に静かに響いていた。