風が吹けば塩飴が進化する
光は塩飴をがりりと噛み砕くと、ポケットからスマホを取り出し、机の上にのせた。
「まあ、見てのとおり、スマホだよ。色々と出来て便利なツールだね。これそのものが、ってわけじゃないんだけど、現代に起きている怪奇の根っこを象徴するのが、スマホっていう機械」
「これと、あのハトになんの繋がりがあるんですか?」
「いい質問だ。直接的な繋がりじゃあないんだよ。風が吹けば桶屋が儲かるってわけだね」
風が吹けば、土ぼこりが舞う。
土ぼこりが目に入り、目の悪い人が増える。
昔は、目の悪い人のための仕事として、三味線の弾き語りがあった。
三味線には猫の皮が使われていたから、猫が殺されて減ってしまう。
猫が減るからネズミが増えて、桶をかじって壊してしまう。
だから、桶屋が儲かる。
歌うように、いたずらっぽく光は言った。
「人はその時代、その時代に必要な技術を発展させてきた。戦争ばかりの時代には武器を発展させたし、国内だけじゃ経済を回せなくなったら、船とか飛行機とかの技術を発展させた。
そして、高度経済成長を終えて、豊かな時代を迎えたときに、『コミュニケーション』のための技術が発展し始めた。こうして、風は吹いた」
光がスマホのホームボタンを表示すると、緑色のSNSのアイコンや、青色の鳥のアイコン、Fの文字のアイコンなどがずらりと並んでいた。
誰かとコミュニケーションをとるためのツールが、5個以上は入っている。
「すごい数だよね。さて、コミュニケーションとは一体何なのか。極端な言い方をすれば、3つの要素に分けることが出来る」
光は指を1本立てた。
「誰かの思考・行動に影響を与える」
白く柔らかそうな指が、もう1本立てられた。
「素直に、他から影響を与えられる」
そして、三本目の指が立った。
「他者と自分の違いを認識する。そして、近代という時代は、コミュニケーションに長けた者が結婚をし、子どもを残しやすい時代だね。
裏を返せば、これら3つの能力に欠ける人間の遺伝子は、淘汰されてきた。コミュニケーションできない人は、子どもを残せなくなったんだよ。ダーウィンの進化論さ。そうして先進国の人間は、『コミュニケーションの生物』へと進化を遂げた。誰かが目を悪くしてしまったのさ」
みのるは既に湯気をたてていない、冷めてきた湯のみを握ったまま、話に聞き入っていた。
「その結果、一部の人間は特殊な『コミュニケーションの力』を手に入れてしまったのさ。思い込みを、現実に反映させる力だね。例えば誰かに影響を与える方向に、強い力を得てしまった人は――――自分が殺した死体の存在を、『当然のもの』として認識させる。とかさ。猫は皮をはがされてしまった」
みのるの喉が小さく上下した。冷や汗が、背中を伝う。
「これは、思い込みによって生まれ、思い込みによって強くなる力なんだ。それを知っている人間は、自身の思い込みを強化しようとする。
ほら。さっきの例で言えばさ――人通りが多いところに、ハトを殺して死体を転がしておけばさ。死体に違和感を覚えない人々の姿を見ることが出来るよね。
こうして経験を強化することで、より力をつけようとする。そして、実際にそれをやった人がいる。ネズミが桶をかじって、桶屋が儲かった。そういうことさ」
お茶の表面が揺れた。あえぐように口を何度か動かしてから、みのるは声を絞り出した。
「それじゃあ。その、思い込みの力っていうのは……人の考え方とかを操れるっていうことですか?」
「操る、というほどのものではないが、大きな影響を与えるのは間違いない。悪く言えば、洗脳に近いものがあるな」
光が説明をしている間、沈黙を保っていた撫子が肯定した。
「そして、その力は、みのる君にもあるんだ。思い込みの力――私たちは『信仰』と呼んでいるが――それを持つ者は、他の能力者の『信仰』の影響を受けづらい。この、影響されづらさを『耐性』と呼んでいる。
ハトを殺した者の『信仰』の影響を跳ね除けるほどの『耐性』を持つみのる君には、素質があるはずだ」
「僕に、素質……」
みのるは目を見開いた。
それは信じられないことだった。身体的にも平凡、学力や体力も平均値にぴったりと収まっている。そんな自分に、特別な力の素質があるのだなんて、信じられなかったのだ。
そんなみのるの、湯飲みを持つ手を、撫子の指が包んだ。
「すぐに信じるのは難しいかもしれない。だが、いつか君も自分の力に気付くときが来るだろう。それが、他者に影響を与える力なのか、もしくは、他者との違いを明確にする断絶の力なのかはわからないが」
撫子の指の暖かさは、みのるの指の強張りをほぐしていくようだった。
「あ、あの。ありがとうございます」
少し照れながらお礼を言ったみのるに、光が冷やかすように「仲良いねえ」と呟いた。撫子の耳がほんのりと赤くなる。
「べ、べつにそういう意味じゃ……ないから、な?」
慌てて手を離し、そう言って小首を傾げる撫子の仕草は、思わず仰け反りそうになるほどの破壊力があった。
「まあ、青春している2人に水を差すようで悪いんだけど、みのる君には危険が迫っているのも間違いないんだよね」
「危険?」
「そそ。自分の思い込みを強化したい、ハト殺しの犯人にとっては、違和感を覚えてしまったみのる君の存在が邪魔になったはずだよ。それに、今回の犯人については、もともと動機がより危険なものだと予想されるしね」
そうだな、と頷いて撫子が光に続ける。
「殺しに関する認識阻害を強化したい。ということは、犯人はハトよりも死体が目立つ殺しの予定を控えている、と考えることが出来る。
認識阻害の力が弱ければ、例えば人の死体のような、あまりにも違和感が強いものに対しては作用しない可能性がある。だから、虫なら気付かれなかった……ネズミなら気付かれなかった……ハトなら、犬なら、そして人なら……と思い込みを強化していくわけだ。
……ということは、犯人は人殺しをするかもしれない危険人物、とも考えられる」
「動機がなんであれ、重要なのは『動機があれば人を殺せる』という人格が問題なんだよね。ようは、理由さえあれば人を殺せるってことだからさ。つまり、『殺しの邪魔になる』という理由でも、人を殺そうって考えるかもしれない」
深刻な面持ちで、光はじっとみのるの目を見つめた。
みのるは何かを言おうと口を開いたが、掠れた音しか出なかった。お茶を一口含み、改めて訊く。
「僕が狙われるかもしれない、っていうのはわかりました。じゃあ、どうすればいいんですか? 警察も、認識を阻害されれば、動いてくれませんよね?」
撫子が小さくあごを引いた。
「ああ。信仰を持つ者相手に、警察は期待できないだろう。だから、その代わりに私たちが守る。君を守るためにも、そして君が力に目覚めてからは、同じように困っている人を助けるためにも、生徒会に入ってくれ」
みのるは、なんとか首を縦に振った。
――現実感がわかない。怪奇の世界に足を踏み入れたと思ったら、すぐに命を狙われるだなんて。
顔をすっかり青くしたみのるに、光が安心させるように微笑んだ。
「大丈夫だよ。今日の帰りは、撫子に送ってもらうといい。こう見えても撫子は強いんだよ」
みのるは光と撫子にお礼を言い、連絡先を交換してから、生徒会室を出た。
みのると撫子が出て行った生徒会室で、湯のみを片付けながら、光は呟く。
「『人通りが多い』っていう条件で校門前を選んだということは、犯人はこの学校の人間。もし教員だとしたら、みのる君の住所も割れているかも……」
長い文は意図的に区切ってあります。