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姫君は幾度も死ぬ  作者: 雨咲まどか
2.純白と赤色
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白龍草の村ティリトルフ

「ここ、だよね」


 人生で一番と言えるほど歩いたデイジーは肩で息をしながらぱちぱちと瞬きをした。

 看板のもがれた村の入り口は荒れていて、人の姿も見当たらない。


「とりあえず入りましょう」


「……うん」


 デイジーは大きな卵を抱え直し、先を行くサンザシについて村へ足を踏み入れた。


「なんだか静かですね」


「ティリトルフって、花畑が見事な村だって習った覚えがあるんだけど」


 まだ時期ではないのだろうか。一面に畑らしきものは広がっているが、萎れた草がところどころに生えているだけで酷く寂しく見える。


「僕も一度通ったことがあるだけですが、そのときは白く美しい花が咲き誇っていましたよ」


「うーん、見たかったなあ……あ! サンザシ、ちょっとこの子をお願い」


 デイジーは辺りを見回すと、サンザシに卵を渡して畑の隅で膝をついている女性に駆け寄った。女性は足音に気が付くと顔を上げ、デイジー達を不審そうに見つめる。

 スカートの裾を持ち上げて、デイジーは女性のすぐ横にしゃがみ込んだ。


「初めまして、私たち宿を探しているのだけどご存じありませんか。あ、それと、なにか美味しいものが売っているお店と、仕立屋があればそこも」


 女性は面食らった様だが、デイジーが笑いかけるとそれに答えるようにして笑みを浮かべた。


「宿は休業中よ。食事が出来るところもあんまり。少し歩くけど、先にある城下町まで行った方がいいと思うわ。子どもの足でも今からなら今日中にはつけるわよ」


「ご親切にありがとうございます。でも城下町へはいけないんです」


「そうなの?」


「だって私たち、お城から来たから。城下町に行ったら戻ってしまうもの」


「お城から?」


 困ったように眉尻を下げるデイジーを見て、女性は可笑しそうに笑った。追いついたサンザシが背後で呆れている気配がする。しまった、と気が付いたデイジーが彼を顧みると、落ち着いた様子で口を開いた。


「姉が失礼をしてすみません。僕達、お城の使用人なんです。故郷の母が病になったと聞きまして、お暇を貰って里帰りを」


 女性はデイジーとサンザシを交互に見やってから立ち上がった。デイジーも腰を上げる。


「それは大変ね。一体どこまで行くの?」


「ダムバリーです」


「まあ、ダムバリーまで歩いて? お城って馬車の手配くらいもしてくれないのね」


「下働きがお暇を貰えただけでもありがたい事ですので」


「でもどうしてわざわざダムバリーからクローチアへ働きに?」


「魔術を使える者をとクローチアで募集がかかっていると聞きまして。ダムバリーでは魔術が使えても珍しくないですが、クローチアでは貴重らしくお給料がよかったので」


 よくまあこんなにも舌が回るものだとデイジーは感心した。半信半疑そうだった女性も、サンザシの歯切れの良い口調にすっかり納得したようだった。


「かわいそうだけど、この村も今大変なのよ。……あなた、それどうしたの?」


 不意に女性の目の色が変わった。視線の先は、サンザシの抱える大きな白い卵だ。デイジーはサンザシに荷物を背負わせているうえに卵まで持たせてしまっていることを思い出し、慌てて卵を受け取った。


「ここに着く途中で嵐に遭って、飛ばされてきたのをサンザシが受け止めてくれたんです。何かの卵だと思うのだけど……」


 デイジーは卵を手のひらで撫で上げた。女性はじっと卵を見つめ、やがてデイジーたちにこう提案した。


「何もないけれど、私の家に案内するわ。よかったら一晩泊っていって」




案内された民家は村の木で出来た質素な作りだった。お城からほど近い城下町の一角しか見たことのなかったデイジーは少し驚いてしまう。

 女性はアンゼリカと名乗った。肩で切り揃えられた髪はサンザシと似た金色をしていて、この辺りではあまり見ない色だった。

 そういえば、死の呪いをかけた魔女も金色の髪をしていた。


「狭いところでごめんなさい。今お茶を入れるわ」


「ありがとうアンゼリカ」


「……デイズ、言葉遣い。すみません、アンゼリカさん」


 思わずお城にいたときのような口調になってしまったデイジーをサンザシがたしなめる。アンゼリカはそのやりとりに小さく笑った。


「構わないわよ、私は」


「ほんと? ありがとう! じゃあアンって呼んでもいい?」


「何勝手に愛称までつけてるんですか」


「……いいわよ、アンで」


 アンゼリカはくすくすと笑いながらキッチンへ向かった。デイジーとサンザシはそれを見送ってから顔を寄せて声を小さくする。


「やっぱりこの子、なにか珍しいものなのかなあ」


「明らかに対応が変わりましたからね、その卵を見てから」


 デイジーは膝に乗せた卵に視線を落とした。ほんのりと温かく、鼓動を感じる。アンゼリカが信用ならない訳ではないが、どうにも何か裏がありそうだ。いざというときは卵を守らなくては。不思議と、まだ出会ったばかりの卵に対してデイジーの中で庇護の念が育ち始めていた。


「はい、おまたせ」


 キッチンから戻ったアンゼリカがカップをテーブルに置く。湯気の立ち上るカップからは少し変わった香りがする。


「落ち着く香りね。これはティリトルフの?」


「ええ、ここでは変わったハーブや花がよく育つのよ。といっても、最近はさっぱりだけど」


「そういえば、どの畑も寂しい様子でしたね」


 ここに着くまでにいくつも畑を見かけたが、どれも作物が育っているようには見えなかった。

 デイジーはカップを手に取りそっと傾けた。まろやかな香りの奥でスパイスのような刺激も鼻腔へ届く。口にすると疲れた身体にぬくもりが広がった。


「美味しい。お城でも飲んだことないよ、こんなの」


「それは光栄だわ。白龍草の粉末もブレンドしているの。今年はまだ一本も育っていないのだけど、摘み立ての白龍草を使ったハーブティーも絶品なのよ」


 白龍草。デイジーも文献でだけ見たことがある。首の長い茎の先に白い花を咲かすその姿から白龍と名が付いたのだという。ティリトルフでしか咲かず、それ故にティリトルフは白龍の加護を受けた村だと言われていた。


「どうして育たなくなってしまったの?」


 デイジーの問いかけにアンゼリカは目を伏せて小さく嘆息した。


「天候のせい、ね。日照りが続いたと思うと雨が続いたり、急に酷い霧やあられが振ったり、いつまでも雪が降っていたり。それに加えて暑くなったり寒くなったり、最近では嵐もよく起きるの。やっと少し育ったと思ったときに嵐で全部飛ばされたこともあったわ」


「そう……本当に残念ね。こんなに美味しいのに」


 カップの中の美しい琥珀色を見やって、デイジーは肩を落とした。


「白龍草が育たなくなって、村の収入源は見事に無くなったわ。他の農作物も育たないから、生活もままならなくなってしまったの。男の人達はみんな出稼ぎに違う村や城下町へ出ているわ」


「……そうだったんだ。私、何も知らなかった。ごめんなさい」


 自分の無知さに、デイジーは恥ずかしくなった。クローチア城からも遠くない、身近な村で起きたことだというのに何も知らなかった。国から、何らかの形で支援することも出来たのではないのか。こんなに大きな問題に発展する前に。

 すっかり気を落としてしまったデイジーに、アンゼリカは目を丸くした。サンザシは口を閉ざしたまま、静かにお茶を飲み続けている。


「あなたが謝る事じゃないわ。それに、この村だけじゃないのよ。今はどこもおかしくなってるわ」


「確かに、お城でもよく変なことが起きてた」


 どうして自分は呪われているのだろう。こうしている間にも、国民達は苦しんでいるのだ。王女である自分に、出来ることはないのだろうか。助けるどころか助けられてばかりで、嫌になった。

 アンゼリカの目線がデイジーの膝の上へ向けられる。


「それで、その卵だけど」


「この子?」


「私に譲ってくれないかしら」


 真剣な眼差しに、デイジーは思わずたじろいだ。

 コンコン。微かに卵から、音が聞こえる。何かがこの中で確かに息をしている。デイジーはサンザシと顔を見合わせた。


「どうして?」


 デイジーが訊ねると、アンゼリカは一瞬だけ口元を歪ませた。


「私も、本当はこんなこと信じたくないの」


「……何の話?」


「私は学者なの」


 意を決したように、彼女は訥々と語り始めた。テーブルではハーブティーの湯気がまだ揺れていた。






 アンゼリカが初めてティリトルフを訪れたのは三年前の二十四歳になったばかりの時だった。

 見頃を迎えた白龍草が村中に咲き誇り、春風が優しい香りを運ぶ。アンゼリカはその景色に圧倒されて身動きが取れなくなっていた。こんなにも美しい場所が、この世の中にあったのかと思った。


 ティリトルフを訪れたのは他でもない。研究が目的だった。白龍草は香料としてだけでなく、薬草としても多大な効果が報告されていた。アンゼリカはクローチアの国医師たちから依頼され、白龍草をティリトルフ以外の場所で咲かせる方法を探しに来ていたのだ。

 宿に滞在し、白龍草のもつ特徴や土壌、気候などを丹念に調べ上げてゆく。そんなアンゼリカを、ティリトルフの村人の多くは歓迎しなかった。原因は明白で、この村にはとある古くからの言い伝えがあったのだ。白龍草は白龍による加護の証である、と。


 白龍草をティリトルフでない土地で咲かせようとすることは、白龍に対する裏切りであり許されない行為だとされた。白龍の加護がなくてはティリトルフに繁栄はない。村人たちは白龍様と敬い、日々感謝を捧げながら過ごしているのだ。

 あちこちで邪険にされ研究もうまく行えなくなった頃、味方をしてくれたのはクリフという青年だった。白龍草を育てている彼はこっそりと手回しをしてアンゼリカの研究を支えてくれた。


「白龍草が世界中で多くの人の役にたてるのなら、素晴らしいことだ」


 クリフはそう言って笑った。


「でも、他の人達は白龍様の加護が無くなることを恐れているわ」


 研究を続ける事が苦しくなり始めていたアンゼリカは、俯いて白龍草の花弁を指先で撫で上げた。しっとりと滑らかな感触がする。


 そもそもアンゼリカは白龍の存在など信じていなかった。加護がどうだのと、馬鹿らしい。魔術だの魔物だの、世の中はそんなものにばかり気を取られている。もっと確かなものがたくさんあるのに。村人たちに反発されても研究を続けているのはもちろん国からのお達しだからというのもあるが、研究者としての意地という部分も大きかった。もっと世界は、現実的なものを信じるべきなのだ。白龍草を世界的に普及させることで、それを証明して見せたかった。


「白龍様はそんなに器の小さい龍じゃないと思うんだよなあ」


 クリフはのんきに晴れた空を見上げて、アンゼリカも真似をして上を向く。開いた唇から澄んだ空気が喉を通り抜ける。ティリトルフは間違いなく良い村だ。作物が育つのに適した環境と言える。白龍草の育つ理由も、きっとそこにあるはずなのだ。


 それでもアンゼリカは、クリフの言葉がひどく気に入った。その通りだと思った。それほどに白龍を信仰しているのなら、何故恐れたりするのだろう。そんなに心の狭い龍の加護など、本当に必要なのだろうか。

 アンゼリカが宿を追い出されるのも、時間の問題だった。匿ってくれたのはクリフで、彼の家に二人で暮らすことになった。


 そうして研究を進めて、一年が経った頃のことだった。順調だった気候の記録に乱れが生じ始めた。穏やかな安定した気候を保ってきたこの土地に、変化が起こり出したのだ。あんなにも豊かに育っていた農作物は次々と枯れ、村人たちは口々に言った。「白龍様の怒りだ」、と。

 あっという間に、彼らの不満の矛先はアンゼリカへ向けられた。アンゼリカの研究が白龍の怒りに触れたのだと言って、村中から非難されるようになった。


 それから二年近くの時が流れて、とうとう白龍草は一本も咲かなくなった。クリフは城下町へ、仕事を求めて出て行ったきり戻ってこない。

 アンゼリカは一人きりで研究を続けていた。クリフの居なくなった小さな家でひっそりと暮らしながら。

 いつしか白龍や村の歴史についてもよく調べるようになった。すると今から二百年も前に、同じように白龍草が咲かなくなった記録が残っていた。その原因として記されていたのは、白龍の世代交代だ。

 白龍は死期が近付くと一つだけ卵を産む。その産卵で生命力を使い果たし、全てを子に託して命を終える。産卵から卵が孵るまでの期間、ティリトルフには白龍の加護がなくなるのだ。

 卵についての記述は一文だけ残されていた。


――色は世にも美しい純白をして、大きさは人の頭ほどある大きな卵である。




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