従者は気苦労が多い
使用人の控え室は、共同であるために夜になるとあちこちから寝息が聞こえてくる。
サンザシは瞼を持ち上げ、気だるい身体を起こした。もうすぐ交代の時間だ。ベッドを降りて、簡単に身支度を整える。
静かに部屋を出ると、給仕室の扉から明かりと話し声が漏れていた。夜更けだというのに、また女中達が話し込んでいるようだ。男達も夜になると遅くまで酒を飲み交わす事があるが、女はたった一杯の茶で驚くほど喋り続ける。よくも話題が尽きないものだ。
彼女たちの中に入っていくのは気が引けるが、喉が渇いていたサンザシは水を貰うために渋々明かりの方へ足を進めた。
ふと、聞こえてきた言葉に、サンザシは扉を開けるために持ち上げていた腕を下ろした。
「デイジー様、本当に大丈夫なのかしら」
憂いの混じった声色に、他の女中達が賛同する。
「これで四度目でしょう」
「しかも、今回はあのダムバリーいちの占い師だったとか」
「いつもお元気だから、デイジー様が呪われているなんてまだ少し信じられないでいたけれど」
「……本当に、死んでしまうのかしら」
若い女中の一言で、部屋が静まり返る。
サンザシが扉を開けると、沢山の視線が一瞬で彼に集まった。
「すみません。お水を一杯頂きに」
「あ、どうぞ」
一番年下の女中が立ち上がる。重苦しい空気の中でサンザシは差し出された水を一息に飲み干した。生温い水の温度が、喉に絡みつく。
カップを返すと、女中はサンザシをじっと見つめた。
「……サンザシさんなら、デイジー様の呪いのことご存じなのではないですか」
責め立てるような眼差しに、サンザシは目を伏せた。
「姫様は、あまりそういった話はされないので」
「でも、サンザシさんはデイジー様の従者でしょう。それに――」
そこまで言って、女中は口を閉ざした。続けるつもりだった言葉は、容易に想像が付く。
――デイジーが呪われたのは、サンザシのせいではないのか。
目の前に立っている少女だけでなく、ここにいる女中達をはじめとした城中の者達が訴えたいのは、おそらくこのことだ。
しばし逡巡して、サンザシは肩を震わせている彼女を見つめ返した。
「お水、ありがとうございました。見張りの交代に行かなくてはならないので、失礼します」
サンザシが給仕室を出ると、すぐにまた話し声が聞こえだす。
唇を噛みしめて、サンザシは王族が居住している城の本館へ向かった。
例年ならばとうに暑くなっている時期にも関わらず、未だに夜は少し冷える。この数年の間に、気候は随分とおかしくなってしまった。夏が長く続いたと思うと、ものの数日後にはめったに降らない大雪に見舞われたり、雨が一月近くも無かったり、急に嵐が続いたり。学者や魔術師が原因を探っているが、中々解明には至らないようだ。
サンザシは枯れてしまった花を見て肩を落としていたデイジーの姿を思い出した。
草花を愛する彼女は、国王に頼んで庭の一角を自身のものにしていた。庭師達を捕まえて教わりながら、多様な植物を育てている。
庭で花に囲まれているデイジーが頭に浮かび、サンザシは口元が緩むのを感じた。彼女にはいつも、あのように無邪気に笑っていて欲しいと思った。昼間のように、一人で俯くことが無いように。
デイジーはくだらないことはサンザシがうんざりするほど話し続けるのに、大切なことは何も言ってくれない。
「占いのこと、どうして教えてくれないんだ」
ぽつりと呟き、サンザシは見回りの近衛兵に挨拶をしながら城の奥へ進んでゆく。
話してくれれば、とびきりの言葉で彼女を安心させてあげるのに。誰がどんなに、彼女を不安にさせても、サンザシだけは彼女を守り続けると誓うのに。
二階の西側に位置するデイジーの部屋の前に辿り着くと、サンザシは足を止めた。
「お疲れ様です。交代します」
声を潜め、扉の前で座っていた衛兵に告げる。衛兵は一つ頷き、伸びをするとサンザシの肩を叩いて立ち去った。それを見送って、彼のいた場所に腰を下ろす。
夜警は本来衛兵の仕事だ。しかし、デイジーの部屋だけは姫君本人の強い希望によってサンザシも行うようになっていた。
なんだかんだといって、城内の人々は大概デイジーに甘い。思いつきで次々色んな「お願い事」をする彼女に、初めのうちは皆渋るのだが懇願されている内に絆されてしまう。サンザシも、そんな絆されてしまう人の一員だが。
城内への入り口には二人ずつ、王族の部屋にはそれぞれ一人、城内の見回りが複数人、外の見回りが複数人、と夜通し衛兵が警備をしている。以前はこんなにも厳重な警備体制ではなかったのだが、デイジーが侵入者によって「呪われる」事件が起きたあの夜以来、大勢の兵士が配置される事になったのだ。
壁に掛けられたランプの火を見上げる。もうしばらくは消えなさそうだ。
ふいに、背後にある扉から小さく軋む音が聞こえた。驚いて振り返るよりも早く、後ろから脇腹に腕を回され、強引に引っ張られる。声を上げようとすると口を押さえられ、あっという間に部屋の中に引きずり込まれてしまった。
目の前で扉が閉まる。ふわりと花の香りがして、栗色が視界を覆う。
ようやく身体が解放されると、鼻先に得意げなデイジーの顔があった。緑色の瞳が、星屑を散りばめたように輝いている。
「びっくりした?」
「……びっくりしますよ」
「だってびっくりするようにしたもん」
歯を見せて笑うデイジーは、寝間着姿でもレースのたっぷりあしらわれたドレス姿でもなく、侍女が着る質素なエプロンドレスを身に纏っていた。髪型も耳の上の髪を後ろで結い、細いリボンを付けただけの地味なものだ。
「どうしたんです、その格好」
「え、似合う?」
デイジーはくるりと回転して見せ、裾を摘まんで首を傾げる。
「姫様は何だって似合います」
「照れるなあ」
「そうではなくて、どうしたのかと聞いてるんです」
「ミーナに借りた」
「なぜ」
「私の服は目立つものばかりだから」
理解が追いつかずに、サンザシは眉間に皺を寄せた。一国の姫君が、目立ちたくないとは何事だろう。
「さて、急がなくちゃ。見回りが来たらサンザシが居なくて騒ぎになっちゃう」
「何を急ぐ事があるんです」
「い、え、で!」
大きな目を三日月の形に細めてぷっくりした唇を美しくつり上げて、デイジーは楽しそうに笑った。一番好きな筈の彼女の表情に、サンザシは軽く目眩を覚えた。