第六十九章 芹沢外科医院に手術設備整う
芹沢小児科医院では、週に一度外科外来があると聞いて、怪我をした子供がよく医院に来ていた。
ある子供が母親に、「他の小児科や外科に比べて、ここの先生は、あまり痛くなかったよ。」と痛い事を覚悟していた為に、喜んでいた。
子供が喜んでいた為に、母親が外科医に注目すると、どこかで見覚えがあり、帰宅した主人にその事を説明した。
主人は、「治療が上手で見覚えがあるのか?有名な外科医なのかな?来週の水曜日は創立記念日で会社が休みなので様子を見てくるよ。」と外科医を確認しようとしていた。
女房が、「覗きみたいな事は辞めてよ。」とみっともなく主人を止めた。
主人は、「何、人聞きの悪い事をいうのだ。まだ子供の怪我が完治していないので、子供に付き添って病院に行くだけだ。」と不愉快そうでした。
子供に付き添った主人が帰宅後、「お前、世間の事にうといな。週刊誌ぐらい読めよ。」と週刊誌を持ってきた。
「彼女は神の手を持つと噂されている世界一の名医じゃないか。治療が上手い筈だよ。」と週刊誌を女房に渡した。
女房は週刊誌に掲載されている菊枝の顔写真を見ながら、「確かにこの先生だわ。何故そんな名医が小児科医院で外科外来をしているのかしら。」と不思議そうに週刊誌に目を通していた。
「あっ、そうかその外科医は芹沢小児科医院の院長先生の娘さんだ。」と納得した。
芹沢小児科医院の待合室で、週刊誌を見ながら噂話に花が咲き、世界的な名医である院長先生の娘さんが診察しているという噂が広まり、手術が必要だと思われる子供がよく親に連れられて受診に来る事が多くなり、芹沢小児科医院は大繁盛した。
菊枝は、やくざの女房だけではなく、何故開業したのかは、外科医は内科医と異なり、治療する時には治療用の道具がなければ簡単な応急手当しかできない為に、その道具を堂々と手っ取り早く入手するのは開業する事が最適だと考えたからでした。勿論、医師のみが使用を許可されている麻酔などの薬品を入手する目的もあった。
菊枝の人柄や手術の腕が超一流でしたので、勤務医として外科医をしていた頃の患者も芹沢外科医院に通っていた。
旧姓で開業したのは、そのような患者に病院を捜し易くする目的もあった。
また丸東組の組員が、喧嘩等で怪我をした時には往診で対応していた。
丸東組への往診は看護師に、「ヤバそうな患者なので、私一人で行きます。」と看護師を連れて行かずに一人で行っていた。
その看護師は、関西病院から菊枝を慕ってついて来た看護師でしたので、「先生は昔からやくざや不良などの患者が多いですね。」と納得して菊枝を見送った。
菊枝は浜田にも、結婚相手の茂が丸東組の次期組長で、現在茂が丸東組の組長だとは説明してなくて、浜田も菊枝の結婚相手は、やくざだとしか知りませんでした。
警察が来ても、医師には守秘義務がある事を楯にして一切漏らしませんでした。
ある日、菊枝が浜田に、「先日説明した体調の悪い友達が会社を退職して就職先を捜していたので、ここで働いて貰う事にしました。看護師の資格は持っていませんので、資格不要の看護助手の仕事をお願いしています。軽作業でないと無理かもしれませんのでお願いしますね。たまに、遅刻や欠勤があるかもしれませんが、私に免じて大目に見てやってね。来週から勤務します。皆にはその日の朝礼で紹介して体調の事も説明します。」と説明した。
浜田は、「解ったわ。私も彼女の体調には気を付けるわ。」と菊枝に協力的でした。
ある日、以前菊枝が勤めていた関西病院に、大学病院や専門医に見離された子供の手術を、菊枝に依頼したいという重症患者の須藤親子が来た。
芹沢外科医は結婚退職したので他の外科医が診察したが、とても手術できる状態ではなく不可能だと診断した。
須藤は、菊枝の連絡先を病院に確認したが、「個人情報になる為に教える事はできません。」と断られた。
須藤は、「芹沢外科医に、この病院に来て頂き手術して頂けませんか?」と菊枝の名声を聞き、どうしても菊枝に手術を依頼したい様子でした。
病院側は、“やくざの身内に頭を下げて、そんな事を頼めるか。”とプライドが許さず、「この状態では、芹沢外科医でも無理でしょう。例え可能であっても、芹沢外科医はこの病院のスタッフではないので、それなりの契約が必要になります。契約を結ぶ為の打ち合わせをしている時間もないでしょう。」と断った。
須藤は、四方八方手を尽くし、私立探偵まで雇って調べて、やっとの思いで芹沢外科医院を訪ねた。
菊枝は診察後、「手術は一人では不可能です。麻酔医、助手、看護師などの優秀なスタッフがいれば、私が執刀する事は可能です。今なら充分助かります。何とか助けてあげたいのですが、残念ながらここは開業して間もないので、それだけのスタッフや設備が揃っていません。現在、外科外来のみです。」と須藤に手術はできない理由を説明した。
須藤は、「その事は親戚から聞いています。私の親戚は医師です。麻酔医や助手・看護師など手術に必要なスタッフはここに連れて来ます。ただ困難な手術なので、先生にしか執刀できないと親戚の医師から聞いています。その医師は、是非あなたの助手に着き、“神の手“と噂されている、その素晴らしい手術を自分の目で見たいと希望しています。そのお礼という訳ではないのですが、設備が整ってないのでしたら、手術に必要な設備はこちらで準備させて下さい。手術が成功すれば、その設備は寄付させて頂きます。」と菊枝に手術を依頼した。
菊枝は、「解りました。しかし宜しいのですか?手術に必要な設備と申しましても半端な額ではなく、高額ですよ。」と個人で払える額ではなく、疑問に感じて確認した。
須藤は、「お金の事は心配しないで下さい。親戚の医師は、あなたの助手に着き手術を拝見できるのであれば、大金を払うだけの価値は充分あると申しています。私も含めて、親戚で負担します。手術に必要な設備につきましては、私の親戚の医師が、後ほど打ち合わせに来ますので、宜しくお願いします。」と子を思う親の心に押し切られて、結局手術を引き受ける事にした。
やがて、その親戚の外科医と麻酔医の二名がカタログを所持して、打ち合わせに来た。
業者とも打ち合せを行い必要設備が決定し搬入日が決まりました。設備のセッティングやテスト期間、試運転期間などを考慮して手術日が決まった。
菊枝は、丸東組が地上げして入手した広い土地に、芹沢外科医院を開業する事について養父母を説得する為に、大手術室のスペースや入院施設のスペースも考慮して建設し、菊枝と茂の新居も併設していた為に、手術に必要な設備は大手術室にセッティングした。
芹沢外科医院で手術当日麻酔医の、「手術を開始して下さい。」の合図により、菊枝の執刀で手術が開始された。
通常は各種機器で内臓を持ち上げたりして、内部を詳しく観察しますが、菊枝は透視力で確認していた為に確認する振りをしただけでしたので、その素早さに驚いていた。
更に執刀の様子を見て、“そんな切開だと患者の容態が悪くなる。”と思ったが、容態が悪くなるどころか、アヤメから遺伝した、死人を生き返らせる事ができる能力で、手術中に容態が徐々に良くなってきた。
“切開は多かれ少なかれ患者に負担を掛けるが、患者に負担をかけない切開でも信じられないのに状態が良くなっていく切開ができるなんて信じられない。手術が終了する頃には退院可能なまで状態が良くなりそうだ。まるで神業だ。そうか、だから神の手を持っていると言われているのか。”と納得している間に、手術は終了して、患者は助かった。
手術に参加した親戚の外科医と麻酔医は、「芹沢外科医の噂は聞いた事がありますが、まさかこれほどだとは思いませんでした。私は夢を見ているのでしょうか?この目ではっきりと見ましたが、まるでアニメの世界に迷い込んだ感じで、未だに信じられません。あんな手術は絶対に不可能です。神の手としか説明できません。」と須藤に手術中の様子を説明した。
須藤は大富豪でしたので、この事をマスコミが取り上げ、「大学病院や専門病院で専門医の診察を受けたが、どの病院の専門医も、“手術は不可能で、もう助からない。早ければ半年、長くても二年程度です。”と診断されました。世界的名医で神の手を持つと噂されていました芹沢先生が、個人病院を開業されていると聞きましたので、それこそ神に祈る思いで、芹沢先生を訪ねて診察して頂くと、“今なら充分助かります。“と説明されたので手術をお願いしました。今は、自宅近くの専門病院に入院していますが、その病院の専門医は、“この手術は絶対に不可能です。完治してない可能性があると判断して検査しましたが、完璧な手術でした。芹沢先生の噂は聞いた事がありますが、まさか、この患者の手術が、これほど完璧にできるなんて、とても信じられません。”と驚いていました。」とインタビューに答えた。
それから芹沢外科医院は大繁盛して、遠くから、重症患者が訪ねてくる事もありました。手術が必要な場合は、芹沢先生の手術を是非拝見したいと希望している医師は沢山いて、助手や麻酔医、看護師などのスタッフは、直ぐに集まりました。
芹沢小児科医院でも、菊枝が診察した患者で、他の専門医が手術不可能だと診断した患者には、「今ですと充分手術可能です。ここは小児科医院で手術に必要な設備もなく、スタッフもいません。明日芹沢外科医院に来て下さい。そこで私が執刀します。」と説明していた。
それらの患者を養父母が見て、“あの状態で本当に手術できるのかな?”といつも不安でしたが、菊枝はその全ての手術を成功させていた。
次回投稿予定日は1月5日です。