98.ほうこく、従者茶会
翌日、伝書蛇に手紙の配送を頼んだ。しゃー、と普段より柔らかめの鳴き声というか何というか、ともかく声で鳴いてくれて蛇さんは、素早くすっ飛んでいく。へー、ほんとに地面すれすれなんだな。またうまいこと隅っこのほう選んでさ。
「お返事をいただくまであちらの様子を見ておいて、と命じておきましたからね」
自分ちの蛇を送り出してクオン先生は、そうにこにこ笑って言ってくれた。ああうん、俺タイガさんのこと気にしてるってバレバレなんだなあ。……顔が引きつる。ははは。
「え、バレてないって思ってたんですかあ? セイレン様」
そんなことをオリザさんに言ってみたところ、そういう答えが帰ってきた。いや、反問っていうんだっけかな。ともかく、バレバレなのは確からしい。
「思ってないっていうか、あんまり顔に出ないたちだと自分では思ってたからな。実際どうなんだろ?」
「そうですねえ……ミノウといっしょで、表情変わることあんまりないんですけどでも分かりやすいっていうかー」
例にミノウさんを上げてくれたことで、俺にも理解はできた。甘いもの好きとかそういうの、即座に反応に出るから分かりやすかったもんなあ。俺もあんな感じなのか。……はあ。
いや、未だに自分のこと俺って言ってるのは、もう口癖になってるというか。でも多分、そこ以外の中身ってだいぶ女になってきてるんだろうな。下着もほいほい着けられるようになったし、つい服の裾とか気になっちゃうし。
あと、ソファに座るときも当然のように、膝くっつけて座ってる。これは男だった時も、ちゃんとしたところではそうするように気をつけてたけどさ。
てーか、そもそも女として生まれたんだからどこもおかしくないんだけど、18年やってた男よりもまだ1年になってない女の方がすっかり馴染んでるってのがなあ。……いや、いいのかな、それで。
「お疲れ様です、姉さま」
お昼すぎ、クオン先生が来る前にサリュウがひょっこりと顔を出してきた。一緒に来たマキさんの手に、トレイに乗ったホールケーキがある。時期が時期でフルーツは少ないこともあって、シンプルなチーズケーキ。
「これ、差し入れにケーキを作ってもらいました。一応クオン先生に見てもらったので、多分大丈夫だと思います」
「ありがとな、サリュウ。お前にも面倒かけてるな」
「いえ。僕も詳しいことは知りませんけど、姉さまに何かあったら嫌ですから。あ、切り分けたらミコト様にも、ぜひ」
そう言って、幼い笑顔を見せてくれるサリュウ。あーもー可愛いな弟よ、姉はお前に是非いい嫁が来ることを願っているぞ。うん。
せっかくサリュウがケーキを持ってきてくれたので、皆でお茶にしよう。クオン先生に見てもらったんなら、彼女も分かってるだろうしな。……食べに来るよな、多分。
『おお、妾ももらえるのか。セイレンもじゃが、サリュウも良い子じゃのう』
自分にも分け前が来ると知ったミコトさんは、ものすごーく上機嫌だった。
「姉さまも大変ですね……兄さまに力を貸していただくわけにはいかないんですか?」
「それが出来りゃいいんだけどさ」
もぐもぐと切り分けたチーズケーキを味わいつつ、弟の問いに軽く首をひねる。もちろん、ミコトさんの分は大急ぎで儀式の間に持って行ってもらって、今ご先祖様は機嫌よく味わっておられる。まあ、それはそれとして。
サリュウの案は、正直皆考えてるだろうというか真っ先に出てくる案だ。いやだって、一応婚約中だしな。
でも俺としては、タイガさんをあんまり巻き込みたくはない。そうでなくてもいろいろ面倒かけてるのにさ。
「タイガさんも忙しいだろうし、もしあの人が悪霊の影響受けちゃったら俺、どうしていいか分かんなくなっちゃうだろうし……」
「ですよね……僕も、どうやって兄さま止めればいいか分からないですし。姉さま絶対、混乱しちゃうでしょうから」
そこなんだよねー。
って、サリュウにまでこんなふうに言われるわけか。俺、マジでタイガさんにべた惚れしてんだよな。
うわー、自覚ない惚れ方って問題だろ、自分。嫁に行ってもいいって思ってるくらいなんだから、もう少し自覚しろシーヤ・セイレン。
「タイガさんがもし引っかかったら、ミノウさんにお願いするしかないかなあ。何かにつけて籠ぶつけたがってたし」
「何ですかそれ」
「いや、夏に別荘でさ」
もうどうせなので、不意に思い出した夏のことをきっちりがっちり教えてみた。さすがにサリュウ、頭抱えたよ。
「……兄さま、変な方向に積極的なんですね」
「やっぱりそう思うよなあ」
だよなー。何でいきなり会った小娘の寝てる部屋の窓の外にお邪魔してるんだか。単純に考えたらストーカーだろ、タイガさん。そんなところ、トーカさんに似なくていいからな。あとサリュウもな。
で、そんな会話をしているうちにミノウさんが、扉のノック音を聞きつけて応対に出た。
「セイレン様。クオン先生がおいでになりました」
「どうぞ、入ってもらって」
この時間に彼女が来るのは当然のことなので、すぐに通してもらう。小脇に書類か何か抱えて入室してきたクオン先生は、サリュウとチーズケーキを見て目を丸くした。眼鏡の位置をちょちょいといじる仕草、地味に可愛いなあ。
「こんにちは。あら、サリュウ様もおいでだったんですか」
「こんにちはー。さっき見てもらったチーズケーキで、お茶してるんですよ」
「あらあら。せっかくだし、私もお相伴に預かってもよろしくて?」
「いいですよ。オリザさん、頼むねー」
「はーい、ただいまー」
まあ、そうなるよなあ。と言うかクオン先生の授業の時間なんだけど……ま、いっか。多分、いろいろあってそれどころじゃなさそうだし。てかクオン先生、調査とかカヤさんとアリカさんの様子見とかあるからさ。
オリザさんに先生の分のお茶を用意してもらって、俺の隣りに座ってもらう。テーブルの上に置かれた書類にはいろいろ文章が書いてあるんだけど、見ていいものやら。
「先生、その書類何ですか?」
「ええ……ちょっとご報告がありまして。でも……」
俺の問いに先生は、ちらりとサリュウの方を伺った。いやまあ、こいつがどこまで知ってるかは俺も知らないけど。
「……サリュウ。俺のまわりの事情、どこまで知ってる?」
「姉さまが悪霊に狙われているので、ミコト様が護衛に付いているってことくらいですが」
『ほ、ならば良いじゃろ』
サリュウ、ざっくりとしか知らないらしい。ま、カヤさんやアリカさんのことまでぶっちゃけることもないか。
ミコトさんはざっと書類に目を通したらしく、大丈夫だという顔をしている。
「ミコトさんもこうおっしゃってますし、大丈夫だと思うんですが」
「……分かりました。まあ、街での調査結果ですし」
あー、そっか。これがカサイ家預かりなメイドさん関係だとやばかったな、うん。
それにしても、街か。春に行ったっきりだなあ。……また行きたいな。
そんなこと考えてた俺の耳に入ったのは、ちょっと衝撃的な報告だった。
「薬屋の行方不明になった店員なんですが、昨夜遅くに保護されたと衛兵詰め所から連絡がありました。ですが、話を聞くのは無理ですわ」
「無理? 保護ってことは、生きてるんですよね?」
「ええ。ですがその……すっかり悪霊の影響が進んでて、訳の分からない言葉をブツブツ呟いているだけだそうですの」
うわあ。ドラッグとかの急性中毒みたいなもんだろ、それ。
長いことどっぷり浸かってたりすると、あれと同じようになっちまったりするのかね。いや、昔見たテレビでくらいしか知らないから、なんとも言えないけどさ。
「悪霊の影響って僕詳しく知らないんですけど、そういうのってあるんですか?」
『一時的に食らったものなら後遺症はないんじゃが、此度の奴はよほど強力に影響したんじゃろ。まず、正気に戻ることはあるまいな』
「なるほど」
てことは、カヤさんもアリカさんも大丈夫っぽいか。あ、何かほっとした。
……いや、俺襲われた被害者だけどさ、一応。でも、事情分かってるし、やっぱり無事なら良かったって思うだろ。
「飛脚屋の方は、まだ手がかりがつかめていないようですので調査を続行します。今報告できるのは、これくらいですね」
「分かりました。ありがとうございます」
「いえいえ」
むーん。まだまだ先は長そうだなあ。
「あ、そうそう。サリュウ様」
と、先生がいきなりサリュウの名を呼んだ。「はい?」とちょっと声をひっくり返した彼に、クオン先生はびしりと人差し指を立てて言葉を続ける。
「悪霊は、セイレン様に対する誰かの感情を利用している節がございますの。ですから、サリュウ様も十二分にお気をつけくださいましね」
「え? あ、は、はい、気をつけます!」
クオン先生の注意に、サリュウは思わず背筋を伸ばして元気よく返事した。
……うん、頼むよ。シスコンなのは俺、正直言って嬉しいんだけどな。何しろ、今まできょうだいいなかったし。
だけど、その感情を利用されたりしたら、なんてあーもうこんちくしょう、頭にくる。
何で俺、腕力も魔力もろくすっぽなんだろうな。どっちかでもあれば、自分で対抗できるのに。
先生は調査の続き、ということですぐに俺の部屋を離れた。サリュウとはその後1時間くらい大したことない話をして、お茶会はお開きになる。
剣の練習するということでマキさんと一緒に帰る背中を見送って、それまであんまり口を開かなかったミコトさんが、急に『セイレンよ、気をつけるのじゃぞ』なんて言ってきた。いや、今までだってそれなりに気をつけてたけどさ。
『年越しの週まで、後3日じゃろ。まず間違いなく、その間に輩は仕掛けて来よるぞ』
「え、そうなんですか?」
そういえば、カレンダー見てなかったな。確認してみると、確かにミコトさんの言うとおりだった。でも、それで何でだ?
『年越しに入れば、人間側の年越しの祭りが始まる。如何に影響を与える悪霊とはいえ、生ける者が太陽神様に捧げる祈りの力にはまだまだ敵わんのじゃよ』
「そうなんですか……」
はー、そういうもんなのか。でもそれなら、人間が賑やかにお祭りする意味もちゃんとあるわけだ。
あ、お祭りって言えば。
「俺たちが包んだクッキーって、意味あるんですかね」
『あれはいわば兵糧、悪霊と戦うための力じゃな。今ではすっかり形骸化しておるが、少なくとも子供はお菓子をもらえば喜ぶじゃろ? その喜びが、悪霊を寄せ付けぬ力を与えることになる』
「そうなんですか……オリザさん、ミノウさん、そういうのってこっちだと常識?」
「えーと、まあ一応は。でも、言い伝えですしー」
「うちはそこそこ信心が厚い家ですから、ある程度は教えられてましたね。ですが、これは家によりけりだと思います」
ふむふむ。ま、俺はこっちの常識に疎い人間だってのは皆知ってるしな。知らなかったことはちゃんと覚えたり勉強したりして、だいぶマスターしてきてるけど。
『ま、難しいことは考えずとも良い。要は、年越しの週ははしゃいでなんぼ、ということじゃ』
わー。分かりやすくありがとう、ミコトさん。まあ要するに、年越しの週まで頑張れば後は皆で大騒ぎして新年迎えればOK、ということね。
ああ、だからその前に、悪霊はその力をそぎ落とそうとしてるわけか。で、自分たちの勢力を高めるために赤ちゃんとか俺みたいなのを狙って。
『故に、その前に連中はそなたをどうにかして襲い、勝負をつけようとするはずじゃ。その前には我が援軍も到着するはずじゃが、セイレンも気をつけよ』
「は、はい」
後、3日か。
頑張るぞ、俺。




