97.あんしん、従者休養
お昼を済ませて部屋に戻ると、程なくクオン先生が来てくれた。今日は向こう、大丈夫なのかな。
「こんにちは。お疲れ様です、セイレン様」
「こんにちはー。……クオン先生こそ、お手数掛けてすみません。お家の方は大丈夫ですか?」
「今日は祖父が見ていますから、ご安心ください。……あらどうしたの? オリザさん」
「いえ、アリカが何かやらかしたみたいなんですけど、皆さん教えてくれないんですー」
「……あー。ごめんなさい、私の口からはちょっと」
ははは。さすがにクオン先生も、説明する気にはならなかったようだ。顔がひきつってるよ、うん。
オリザさん、ほんとごめんな。
って、そうだ、アリカさん。
「あ、アリカさんはどうしてますか?」
「ああ。今朝方何とか正気に戻りまして、べこ凹み中ですわ。カヤさんもですけど」
「ですかー」
「……ほんとにアリカ、何やったんですかー」
うん、何やったんだろうねあの人、と思わず現実逃避してみる。いや、逃避したいのはカヤさんとアリカさんだろうけどさ。
いやもう、正気じゃない時に自分がやったことを正気に戻ってから思い出すとこう、布団に顔埋めてうわあああとか叫びたくなるよな。
んで、ある意味1人蚊帳の外だったオリザさんは、しばらく考え込んだ上で結論にたどり着いたらしい。
「要するにアリカ、セイレン様に失礼ぶっこいたわけですね?」
「うんまあ、ぶっちゃけてしまうとそうなる」
「分かりましたあ。後でアリカに自白させます」
そうしてくれ。さすがに俺、メイドさんに襲われましたーなんてとっても言えないし。
にしても、アリカさんが暴走したきっかけというか何というか。
「アリカさんが暴走したの、多分俺とタイガさんの文通が原因ですよね。タイガさんの文、アリカさんが俺に渡してくれたんですし」
「そうですわねえ。ここ数日、彼女はそのくらいしか外部との接触はないようです」
『ふーむ、やはりそこかのう。しかし、文には特に問題はないように思えたぞ』
「アリカが文に触っておかしくなって、文自体に異常がないなら飛脚屋さんじゃないですかあ?」
ミコトさんが手紙に問題ないって感じたのなら、実際そうなんだろう。
タイガさんの手紙に何も仕込まれてないんならもう、オリザさんの言うように飛脚屋さんしかないよなあ。いや、すれ違いざまにどうとかいうところまで行ったら正直、原因探すの大変だし。
『クオン、頼まれてくれるか?』
「お任せくださいな。あ、もし私が影響を受けたら……」
『任せよ。ジゲンとともにぶっ飛ばしてくれようぞ』
いやいや。クオン先生がおかしくなったら、それこそやばいって。
テーブルに突っ伏した俺に、オリザさんがお茶のお代わりを差し出してくれた。いただきます。
さて、クオン先生が来てくれた今日の本題は、薬屋さんについてだった。そう、カヤさんが麻薬を手に入れたと思われる先。
「薬屋さんに、それとなく調べを入れてみましたわ。どうも、臨時で働いていた店員の1人が、カヤさんが薬を買いに来た当日から行方知れずだそうです」
分かりやすいというか、なんというか。悪霊にしてみればバレてもその当人のせいにできるしー、とかいう感じなんだろうな。やだなあ、そういう裏でこそこそ動くやつ。
『それか。身元は割れておるのかの?』
「長く働いている店員さんのお身内だそうなんですが、その方にも今の居場所は分からないとかで。衛兵に調査依頼を出しております」
『ふーむ……』
こっちの世界では、特に薬とかそういう取り扱いに気をつけるものを扱ってるお店の場合、信頼できる人を雇い入れるって不文律があるらしい。まあ、向こうと違って薬剤師さん、みたいな資格ないっぽいし。
「ああ。長い方の店員さんですが、そちらは問題ありませんでした。少なくとも魔術語で分かる範囲では」
『ふむ。なれば問題は無いと見て良いな』
「はい」
ミコトさんの確認に、クオン先生ははっきり頷いた。てことは、いなくなった人を紹介した店員さんがグルだってことはないのか。
……悪霊の影響受けた人って、カヤさんもアリカさんも影響自体はそんなに長くないはずだから、大丈夫みたいだけど。
もし、行方不明になったその店員さんがもっと長く、うちにミコトさんが来るくらいから影響されてたら、どうなるんだろう。
大丈夫かな。大丈夫だといいけど。
『いかがした? セイレンよ』
「わ」
ついつい考えこんでたところに名前呼ばれて、ちょっとびっくりした。ミコトさんが俺の顔覗き込んでるその向こうからクオン先生、オリザさんやミノウさんもじーっと俺のこと見つめてる。
「あ、いや、ちょっと考えてたんです。悪霊の影響長く受けた人って、身体悪くなったりしないのかなって」
『ふむ。相手のことを案ずるのは悪くないが、まずは己の身を案じた方が良いぞ?』
うぐ。
いや、確かに狙われてるの俺なんだけどさ。やっぱり、気になるじゃないか。
「そういった例は聞きませんね。オリザ、何か知らないか」
「わたしもよく知らないですー。クオン先生、ミコト様、何かご存じないですかー?」
んむ、前例ほとんどなしか。ま、俺がレアケースなんだろうけど。
「祖父が数度、そういう者を見たそうですわ。重度になると、精神が破壊されて生ける人形のようになっていたようですが」
『妾も2、3度見たかのう。悪霊に利用された者は、そのうち悪霊を入れる器になるという言い伝えもある。最近ではほとんど伝わっておらんがの』
クオン先生とミコトさんの話を聞くと、割とどこの世界の悪霊もやること変わらないんじゃないかなーと思えた。いやだって、あっちの悪霊って生きた人間に悪さするか取り憑くか、じゃないか?
「ま、重度患者の話ですから。カヤさんもアリカさんも、大丈夫ですよ」
にこにこ笑って付け加えてくれた先生の言葉に、ものすごくほっとしたのは俺だけじゃなかった。オリザさんもミノウさんも、同時にほうっと胸を撫で下ろしてたから。
アリカさんたちが大丈夫そう、ってところで、クオン先生は話題を変えてきた。
「それと。食料に関しては、祖父がその都度魔術透視を掛けているようです。今のところ問題は無いと申しておりました」
おう、ある意味最大の問題か。ご飯は大事だけど、その分人の出入りも多く関わるもんな。やっぱり、そこチェックしないわけがないか。
『手間をかけるな。だが、食料は直接生死に関わることもあるし、何より感染力が強いでな。分かっておるとは思うが、くれぐれも気をつけるように』
「ええ、もちろん分かっております。さすがに祖父のレベルまでくれば、直接触れようと悪霊に惑わされることはないと思いますが」
『ジゲンが堕ちてみろ、こちらに為す術はなくなるわい』
しれっと言ってのけるミコトさんに、クオン先生は「そうですよねえ」と溜息混じりに呟いて答えた。感染力、って考えて食中毒かなって思ったけど、飯食って悪霊の影響食らうのもある意味一緒か。うん。
やっぱりジゲンさん、よっぽどとんでもないレベルなんだ。まーったく分からないけど、それを分からせないのが凄すぎるほどすごい、ってことなんだろうなあ。……その孫であるクオン先生も、なんだけど。
そんなこと考えてる俺に、先生が向き直った。うわ、まだ何かあるのかな。
「それと、セイレン様。タイガ様と文をやりとりなさる時は、こちらにお申し付けください。安全確保のため、伝書蛇を遣わします」
「しゃー」
にゅ、と先生の肩口に現れたいつもの蛇は、やっぱり羽広げて俺に向かって威嚇してくる。ははは、俺よっぽどこいつとは相性悪いのかねえ。
でも、そうか。飛脚屋さんが今ちょっと疑いかかってる以上、そこ使って文通ってわけにはいかないもんな。かと言って手紙出さないと、タイガさんゲンジロウに乗ってすっ飛んできかねないし。
「ああ、ありがとうございます。ただ、こいつ俺に懐いてくれないんですが」
「警戒心が強い分だけ、運ぶ文は安全ですわ」
「……お願いします」
いやまあ確かに。多分この蛇、ジゲンさんとクオン先生にしか懐いてないんだろうな。
それだけしっかりしてるなら、俺の手紙もちゃんと運んでくれるだろ。
頼むぞ。




