96.じたばた、従者退場
「せーれんひゃま、お手が邪魔れすう」
「邪魔じゃない! どいてくれよアリカさん、てーかおかしいぞあんたあ!」
「おかひくないれすよお……ぐぐぐ」
シーヤ・セイレン18歳、ただいま変な方向に推定貞操の危機、なんて現実逃避してる場合じゃねえ。
上から全力でキスしにかかってきてるアリカさんが、やたら怪力なんだよ。このままだと俺、多分えらいことになる。どういう意味でかは、ともかくとして。
あと、無理やり壁に押し付けられるとかそういうのって、反撃できないのな。いやもう俺、男時代にんなことしなくてよかったよ。いや、そんな度胸ないけどってそれどころじゃない。
「いい加減になさい、アリカ」
「ふぇ?」
不意に、押し付けられる力が消えた。ぶっちゃけると、目の前ギリギリまで迫ってきてたアリカさんの顔が急にぐいと引き上げられたんだよな。てか、今の声はミノウさんか。
「セイレン様、ノックも声掛けもせずに失礼いたしました。緊急の要件と判断しましたので」
「……あ、うん。結構緊急。ありがとう、ミノウさん」
「ええー? ミノウ、何で邪魔するのー!」
あー、気が付かなかったけど心臓ばくばくいってる。そのままそろーりと起き上がると、ミノウさんがどこから持ってきたのかロープでアリカさんをボンレスハムみたく縛り上げているところだった。まるで荷物か何かみたいな縛り方だから、色気もへったくれもない。そんなもん、あっても困るけどな。
「おそらく、アリカは寝ぼけているのでしょう。では、これで失礼します」
「ちょ、ミノウ、離してー! わ、私はセイレン様とお!」
じたばたもがいているアリカさんを縛り終えて小脇に抱えると、ミノウさんはぺこりと頭を下げてさっさと寝室を出て行った。
わーわー喚いてるアリカさんの声がどんどん遠くなっていくのを聞きながら、俺は正直ぽかーんとしていた。一体何がどうしたんだよ、あれは。
『ミノウは間に合うたか?』
「ひゃっ!」
背後からいきなり声かけないでくれよ、ご先祖様。あーびっくりした、と言うか俺の枕の上ってそんなにお気に入りかよ。
「あ、ミコトさん……えと、ミノウさん呼んでくれたのミコトさんですか? 助かりました」
『そうか、間に合うたか。……そなた、接吻はされておるまいな?』
振り返りつつ答えた俺の顔を至近距離でガン見して、ミコトさんはそんなことを尋ねてきた。あーやっぱり、何かあったんだな、あれ。
「ギリギリで阻止しました。やっぱ、何かあったんですね」
『要するに、悪意を口移しされる危険があったからの……よもや、ああいう方向で来るとは思わなんだわ』
「……あれ、悪霊の影響なんですか」
『うむ』
ものすごーく難しい顔で、ミコトさんは頷いた。
……どう答えたらいいのやら。
「……えーと」
『カヤの場合はそなたに対するちょっとした悪意を利用されたが、あれはなあ……好意を暴走させられたようじゃなあ』
「…………あはははは」
って、笑うしかないだろ、これ。顔ひきつってるの、よく分かる。ミコトさん、額を指で抑えて頭振ってるけど、あれもよーく分かるなあ。
いやえーと、好意の暴走ってのはちょっと違うけどトーカさんで経験あったけどさ。けど、何でトーカさんもアリカさんも人の話聞かないかなあ。いや、聞いてくれるんだったら暴走なんて言わないけどさ。
「……こうなると、タイガさん呼ぶわけにもいかないですね」
『まー、分かりやすく悪霊が手を出しそうじゃからのー』
アリカさんだったからミノウさんで何とかなってくれたけど、もしタイガさんがあんなふうになったら。
……あーうん、いや、その、そういう風にその内なるんだろうなあとは思うんだけどさ。何か現実味ないっていうかその、正直良くわからん。だけど、せめて本人正気の方がいいよなあ。よりにもよって悪霊なんぞの思うままになんて、なりたくはねえし。
そうなると俺、タイガさんに頼らないで頑張って耐えなきゃだめか。きっついなあ。
そんなこと考えてる俺を、ミコトさんはまじまじと見ている。で、何か思いついたように『よし』と大きく頷いた。
『かくなる上は、致し方あるまい。少々反則じゃが、援軍を呼ぶ』
「え、呼べるんですか」
『と言うても、せいぜいもう1人来る程度じゃろうがの。それでも、力にはなろうぞ』
「……すみません、お願いします」
タイガさんに頼るわけにはいかない。でも、アリカさんみたいにまた誰かが影響受けたりしたらたまったもんじゃない。
そうなるとジゲンさんとクオン先生、そしてミコトさんと彼女が呼んでくれる援軍が望みの綱、ってやつだ。
後は俺が、頑張るしかないんだ。
「おはようございます、セイレン様ー」
「ひゃっ!」
慌てて跳ね起きると、ベッドの横でメイド姿のオリザさんが目をまんまるにしていた。あ、あれ、俺いつの間にか寝てたみたいだな。ちゃんと布団の中に入ってるし……あれ、昨夜のアリカさんって夢か?
「あー。おどかしちゃいましたか? ごめんなさい」
「あ、いやうん、大丈夫……」
夢なんならそれに越したことはないんだけど。あ、そういやオリザさん、クオン先生に診てもらってたんだよなあ。
「おはよう、オリザさん。もう大丈夫なのか?」
「はい、クオン先生のお墨付きですー」
ガッツポーズしてみせるところ見ると、ほんとに大丈夫みたいだな。状況が状況だからクオン先生、無理させないと思うし。
ひとまずほっとしてるとオリザさんは、「あのー」と言葉を続けてきた。
「ところで、昨夜遅くにミノウがアリカ縛り上げて運んできたんですけど、何かやらかしたんですか?」
「ぶっ」
吹き出してもいいよな? どうやら昨夜のあれ、夢じゃなかったらしい。マジかよ。
「あー……うん、やらかしたというか何というか……」
『うむ、悪霊の影響を受けて思い切りやらかしおったぞ。クオンは何と言うておった?』
「あー、ミコト様おはようございますー。えっと、アリカはカヤさんと同じく、しばらくジゲン先生んち預かりだそうですー」
しれっと会話に加わるミコトさんに、オリザさんが伝えてくれた状況。そっか、アリカさんも預かってもらえる……なら、まだいいのかな。
「アリカさん、大丈夫なのかな」
「よく分かんないです。ジゲン先生かクオン先生に聞けたら、聞いてみますねー」
「そうだな。頼むよ、オリザさん」
『うむ、頼りにしておるぞ。オリザよ』
「ありがとうございますー」
にゃは、という笑い声を最後に付けて、ほんとに大丈夫らしいオリザさんはたらいを差し出してくれた。あー、そういえば顔拭くの忘れてたし。
慌てて顔拭いた後着替えしてると、ミノウさんが慌てたように入ってきた。
「すみません、遅くなりました。セイレン様、おはようございます」
「おはよう、ミノウさん。昨夜は助かったよ」
「あ、いえ。アリカがお恥ずかしいところをお見せしました」
俺が挨拶と礼を口にすると、ミノウさんはちょっとだけ頬を赤くして深々と頭を下げた。いや、お恥ずかしいって俺もだったけどさ。ってか、今朝遅れたの、昨夜のことがあったからかな。
状況がわかってないのは、昨夜のあれを知らないオリザさんだけ。
「……アリカ、マジで何やったんですか」
『アリカが口を割る気になったら、当人から聞け。妾からはとてもとても』
「……あ、俺もちょっと無理。ごめん」
「はあ」
さすがにミコトさんも俺も、説明する気にはならなかった。ミノウさんは無言で首をぶんぶん横に振ってて、絶対言いたくないって顔してる。ごめんな、オリザさん。不思議そうに首捻ってるのは悪いと思うけどさ。
いや、さすがに悪霊の影響とはいえ、夜這いに来たって他人の口から知られたくはないだろう。なあ。
説明は、自分の口からしてもらうからな。アリカさん。




