92.もんだい、贈呈茶葉
「ただいま戻りましたー」
オリザさんに扉を開けてもらって、部屋の中に入る。いやもうこういうの、すっかり慣れてしまったなあ。
で、声をかけたので寝室からミコトさんがひょこっと顔を出した。うん、文字通り閉じた扉から顔を。
『おお、よう戻ったの……む』
「ただいま、ミコトさん……ん?」
「いかがなさいました? ミコト様」
「どうしたんですかあ?」
その顔が割と露骨に眉をひそめた。そのままひょい、と全身ですり抜けてきたミコトさんは、するすると歩み寄ってくる。お茶を持ってくれている、ミノウさんのところに。
『ミノウ、それは茶葉のようじゃな。誰からもろうてきた?』
「あ、これは奥様からです」
「うん。カヤさんが、疲れが取れるからと買ってきてくれたそうですよ」
ミノウさんに続いて、俺が答える。ほう、とため息とも返事とも分からない声を吐き出してミコトさんは、もう1つ問うてきた。
『疲れが取れる、そうメイアは言うたのじゃな?』
「あ、はい……え、何か」
戸惑ってるミノウさんの手の中にあるお茶の入った袋を、腕組んで難しい顔で見つめてるミコトさん。
……これは、何かあるよな。俺がそう思ったのとほぼ同時に、ミコトさんは俺たちをぐるりと見渡した。
『……オリザ、ミノウ。明日、これをジゲンのところに持ち込んで調べよ』
「え? あ、はい」
「ジゲン先生のところで、ですか」
って、おいおいおい。
調べろってことは、確実にこれがおかしいってことじゃねえか。少なくとも、ミコトさんはそう見てる。
「あ、でもミノウさん、明日休みだよね」
「確かに休みですが、魔術語を学びにジゲン先生のコテージに参ります。ですから、その折に調査をお願いするとしましょう」
『うむ。それまでは、この部屋で預かっておこう』
「あ、じゃあ明日の朝にこれ、ミノウに渡せばいいですね。覚えておきますー」
割と俺を放っておいて、周囲でだけ話が進む。いやまあ、助かるけどな。ミノウさんから渡されたお茶をオリザさんがしまいに行ったところで、とりあえず俺はソファに腰を下ろした。
というか、明日持っていく当人であるミノウさんに、今預けるのもまずいってことか。まあ、俺がもらったもんだし俺の部屋に置いておくのが当然といえば当然だけど。
にしても、カヤさんが買ってきたお茶がおかしいってことは、もしかして。
『ふむ、早うに影響が出たようじゃのう』
「カヤさん、ですか」
『うむ。確かにカヤは、サリュウびいきの気があったからの』
ミコトさんの言葉は、俺の考えを補強するものだった。ミノウさんも、難しい顔になって頷く。
悪霊の魔の手、って狙われてるらしい自分で言うのも何だけどさ。それがもう、伸び始めてるわけだよな。
人間の意識に介入して悪行を代行させる、ってミコトさんは言った。もしあのお茶が変なもんだったら、おそらくそれを買ってきたカヤさんが、そんなふうにされてるってことか。
まあ、心当たりがないわけじゃない。カヤさんは俺に、シーヤの家を継ぐのはサリュウだって言ってた。
妹のサヤさんが乳母として育てた、ある意味甥っ子みたいな存在。俺にとっては義理の弟だけど、あいつがシーヤの跡取りになるのに反対はしてない、っていうか。
でも、何だかんだ言ってもカヤさん、俺のこと気にしてるんだよなあ。
養子で男のサリュウと、実子で女の俺。これって、本来はどっちが家継ぐべきなんだろ。
尋ねてみるとミコトさんは、うーむと首を傾げた。
『それは、その家の事情にもよるのう。実子がすっとこどっこいの場合、そちらを廃嫡すべく出来の良い養子を取ることもあるし』
すっとこどっこいて。ま、どうせ家を譲るんだったら出来の良いほうがいいよなあ、うん。
「うちの場合、俺は継がないって一応はっきり言ってるつもりなんですけどね。それに俺、タイガさんとこに行く予定あるわけですし」
『じゃのう。若領主の妻になるんじゃから、必然的にこちらの家はサリュウが継ぐじゃろうに』
つま。
あー、そういえばそうなんだよなあ。何か微妙に現実感のない言葉だけど、いや迫り来る現実だからな、俺。タイガさんとこに嫁に行くんだから、当然妻だろうよ。いい加減吹っ切れよ、俺女だろ。
「セイレン様?」
ミノウさんに名前を呼ばれた瞬間、ぽんと頭の中にひらめくものがあった。いや、何の脈絡もないんだけどさ。
「……あ、分かった」
『何がじゃ?』
「父さんも母さんも、俺が帰ってきてから親馬鹿の傾向があるんですよ。それで、もしかしたらカヤさん」
当人である俺から見ても親馬鹿に見えるんだから、第三者から見ればもっと見えるんじゃないかな。カヤさんは母さん付きのメイドさんだから、いつでも母さんを見てる。その目の前で母さんが、俺ばっかりかわいがっているようにもし、見えたなら。
『嫁ぐ予定があるとはいえ、よもや養子を差し置いて可愛い実の娘に家督を継がせるのではないか、と不安になっておるということか』
「サリュウ様はお年がお年ですから、あまり奥様に甘えようとかそういう行動には出られませんしね……」
そうそう、それ。あのくらいの男の子って、特に母親に懐くの嫌がるっていうかさ。俺は男だーっていうのがあるっていうか。……まあ、一応経験者だし、何となく分かる。
……でもそれで、カヤさんが大変なことになっちゃったら。
「ミコトさん、どうしましょう? 母さんには伝えないといけないって思うんですが」
『無論じゃ。まあ、まずは茶葉を調べねばならんがな』
俺の質問の意味が分かっているのかいないのか、ミコトさんはそう答えるだけにとどめてくれた。
そして、翌日。
昼ご飯を済ませ、勉強の時間ということで俺の部屋にやってきたクオン先生は、しっかり扉を閉めてこっちを振り返った。その手にあった風呂敷包みの中から出てきたのは、カヤさんがくれたお茶。
「セイレン様、ミコト様。ご依頼の調査は終わりましたわよ」
「あ、すみません。ありがとうございます、クオン先生」
『ご苦労、クオン。さすがはジゲンの孫じゃの、まったくよう頭は回るし魔力も存分じゃし』
「あらあら、過分なお褒めの言葉ありがとうございます。魔術の使いこなしはいまいちなんですよねえ」
『それは、比較対象がジゲンじゃからのう』
比較対象がジゲンさんだから、いまいち。
あー、普通の魔術師さんとかと比べるとかなりすごい、ってことなのかもしかして。クオン先生も、普通の基準で考えればとんでもないレベルだったりするのかね。
……俺取り返すためとはいえ父さんも母さんも、とんでもない人雇ったんだなあ。
いやまあ、今日の本題はそこじゃない。お茶っ葉だ。
「で、どうだったんですか?」
俺が尋ねると、クオン先生はむーと眉間にしわを寄せた。オリザさんとアリカさんが何となく見てるのが分かるけど、少なくとも俺はお茶っ葉なんてどれがどう違うのか、分からない。
「疲れが取れる、のは間違いないんですけど……弱いですが、依存性がある葉が含まれていました。飲んでいたら、えらいことになっていた可能性がありますわ」
「依存性?」
『そなたの育った世界でも麻薬、と言うのかや? そういうたぐいのものということじゃ』
「あ、麻薬なら分かります。ってうわー」
……お茶、どころじゃなかったよ、ちくしょう。
何飲ませるつもりだったんだよ、カヤさん……じゃなくて、これきっと悪霊のしわざだろ。
いくら何でも、カヤさんがそんなことするわけない。母さんが信頼してる、メイドさんなんだぞ。
「この薬屋でも扱っている葉、なのは間違いありません。ですが、余程のことがなければ処方するものではないんですよ」
『カヤが上手く言いくるめたか、薬屋にも手が回っておるか……か』
「……何か、大事になってきてませんか……」
『何、大事というのは領主の屋敷を叩き潰すために領民共を扇動する、などというレベルのことを言うのじゃよ』
全力で待て。それ、向こうで言うところの一揆とかそういうレベルだろ。そんなことまでやってるのかよ、悪霊って。というか、そういう過去があったからご先祖様たち、すごく気にしてるのか。
……もし、シーヤの家がそんなことになったら。せっかく、帰ってこられた俺の家、なのに。
「……母さんのところに行こう。カヤさん、何とかしないと」
「はいー。アリカ、行くよー」
「承知しました。とりあえず、カヤさんですね」
『うむ、その通りじゃな。悪霊ども、メイアにまで何ぞやらかしておったら承知せんぞえ』
「お供いたしますわ。これでもカサイ・ジゲンの孫娘ですし」
立ち上がった俺に続いて、全員が動き出す。
ところでミコトさん、母さんに何もしてなくても承知しないよな、きっと。




