84.しみじみ、未明会話
しばらくの間、何も音がしなかった。風も吹かなくて、本当に静かで。
俺は、倒れたままのフブキさんをじっと見たまま動けなかった。たった今まで動いていたこの人は、もう動かない。
施設で育ったこともあってか、俺はいわゆる葬式とかには縁遠かった。身内がいないから病院にお見舞いに行ったこともほとんどないし、ましてや誰かの死の瞬間に立ち会うなんてこともなかったし。
その俺の目の前で、10といくつかの生命が、ほんの数分の間に消えてった。ここはそういう世界で、そういう状況だったからだけど、でも。
「セイレン様」
俺を呼ぶタイガさんの声が、ちょっと固い。軽く振って血を落とした剣を鞘に収めて、彼は俺の隣に滑りこんできた。
俺は頑張って顔を上げて、タイガさんに見せた。ちゃんと笑えてる、かな。大丈夫だって、顔に出てるかな。
「……大丈夫。こうしなきゃ、いけなかったんだろ」
「……はい」
どうだったのかは分からないけれど、少なくともタイガさんは俺の言葉に頷いてくれた。俺に触れようとした手がびくっと震えて離れたのに気がついたから、その手を掴んで引き寄せる。
「大丈夫。平気だから」
俺がこの人の隣にいるためには、このくらい大丈夫じゃなくっちゃいけないからな。
「アヤト、マイト」
レオさんの声が、夜の空に響く。それで俺たちは、はっと意識を現実に引き戻した。あ、でもタイガさんの手は離さないからな。もう何でも言いやがれ、こんちくしょう。
「急いで片付けて。メイドの皆は、シーヤの2人を頼むわね。後はあたしが上手くやるから」
「承知しました。マイト」
「分かっている」
「シキノの使用人として、お手伝い申し上げます」
2人は顔を見合わせて頷くと、転がっている黒ずくめを担ぎ上げた。片付けるって、それか。サヤさんも、当然のようにその1つを肩に持ち上げる。
……だよなあ。これはドラマじゃなくて現実なんだから、転がしたままで消える訳がないんだから。ちゃんと片付けないと、いけないんだよな。
「セイレン様」
「だいじょぶですか?」
「セイレン様、タイガ様」
「私はかまわん。セイレン様を頼む、やはり厳しかったようだ」
アリカさんを先頭に、オリザさんとミノウさんが駆け寄ってくる。タイガさんはそんなこと言って俺の背中を押すけど、俺今あんまりタイガさんから離れたくないなあ。
……あー、これって女としての感覚なのかな。正直、今俺のどこらへんまで『四季野青蓮』が残ってるのか、よく分からない。
サリュウの方にもマキさんとカンナさん、そしてトキノさんが走って行く。サリュウは膝がくがくしてたけど、でもメイドさんたちを見ると虚勢を張ってみせた。男の子って、強いなあ。
「サリュウ様、大丈夫ですか?」
「ぼ、僕は大丈夫だからな。このくらい、大丈夫なんだから」
「はいはい、よく頑張りましたー。トキノ、お部屋に連れて行きましょう」
「そうですね。まずは落ち着いて、一休みなされませ」
「え、あ、……うん」
……強いのかね。あっさりメイドさんたちに囲まれて、屋敷に戻っていくってのは。ま、ここにぼさっと立ってても役には立たないんだけど。俺も含めて。
そんな俺と、それから一緒にいるタイガさんをちら見して、レオさんはほにゃりと目を細めた。
「タイガちゃん、セイレンちゃんのそばにいてあげなさい。処理とかそのへんは、あたしたちとサヤちゃんでできるから」
「え? ですが……」
「セイレンちゃん見れば分かるでしょ? あんたにそばにいてほしいの」
タイガさんにちょっと怒った口調で言う。うん、俺がタイガさんの手しっかり掴んでる意味、理解してくれよ。メイドさんたちも頼りになるけど、でも。
ふふっと口元だけ笑った後、レオさんはいつものほにゃんとした表情で俺を見た。あ、でも目が笑ってないや。
「セイレンちゃんは、こういう荒事には慣れなくていいからね? 慣れちゃうとね、手っ取り早く力でケリつけたくなるから」
「……はい」
「ま、見てるんなら見てなさい。慣れなくてもこういうことがあるんだってことくらいは、しっかり理解しておかないとね」
慣れなくっていいんだろうか。でも、レオさんがそう言うんなら、そのほうがいいのかな。
少なくとも、見てていいって言われたんだし。俺がこれから暮らしていく世界の、暗い部分をちゃんと見ないと、な。
アヤトさんとマイトさんは、2人で手早く黒ずくめたちを片付けていく。本当に慣れてるみたいで、その顔に感情が浮かんでいるようには思えない。……怖い。
そうして、最後に残ってたうつ伏せに倒れてるフブキさんを、マイトさんが仰向けにした。その時、胸元から赤いものが溢れるのが見えて。
「……あ」
俺は、目を見張った。
倒れているフブキさんの胸元からこぼれた赤。血だと思ったのは、それだけじゃなくて。
俺がおみやげって渡した、スカーフだった。持っててくれたんだ。
あれ渡した時、フブキさんあんなに照れくさそうに笑ってたのに。
最初で最後の、おみやげになっちゃったな。
「……っ」
ああ、やべえ。涙、止まらねえ。
涙といっしょに、何か意識まで、流れだして。
「……はれ」
気が付いたら、ベッドの中だった。えーと、夢……じゃないや。多分。
「セイレン様。お目覚めになりましたか」
「タイガさん?」
「はい」
だって夢だったら、この人こんなところにいねえもん。窓の外でゲンジロウに乗ってて、ミノウさんに籠投げつけられてるって。
ってか、ミノウさん始めメイドさんたち、いないなあ。寝てるのかな。
「あの、俺についてる皆は……」
「後始末と、それから交代で休憩を」
そりゃそうか。メイドさんたちだって人間なんだし、休まないと身体が保たないもんよ。
で、そうなるともう1つ疑問。目の前にいる、この人のことだけど。
「そうですか……それで、えーと何でタイガさんは」
「皆に、あなたについていろと言われました。サヤにも怒られましたよ」
「サヤさんにも?」
「ええ」
……客観的に考えると、婚約者がひっくり返ったので当主てめえ面倒見やがれ、ってことか。あと2人っきりにしてやるから……いや、そこまで考える人いるかな。俺の考え過ぎか。
俺とタイガさんしかいない部屋は、灯りはついてない。だけどタイガさんの顔が見えるのは、ベッドサイドに小さなランプみたいなのが灯ってるからだ。あー、持ち運べる魔術の灯りか。懐中電灯とか、そんな感じの。
さて。俺がひっくり返って、どれくらい経ってるのかな。
「今、何時くらい? もう朝?」
「いえ。まだ日は出ていません」
「そっか」
じゃあ、そんなに時間経ってないのか。今日は朝ご飯食べたら、馬車に乗ってシーヤの屋敷に帰らないといけないんだよな。収穫祭は最終日で、人がいっぱいいて大変だろうから。
……ん? いやいや、ちょっと待て。
「……あ、俺、帰れるのかな?」
「何故ですか?」
「え、だって……事情聴取とか、ないんですか?」
「それは、お屋敷に戻ってからでもできますでしょう? レオ様も、そもそもそちらに滞在していらっしゃいますし」
あ、そうだった。レオさん、遠縁の親戚の嫡男としてうちに居候に来てたんだっけ。
てことは、俺たちと前後してレオさんもシーヤの屋敷に戻って、そこから事情聞かれることになる……のかな。いやまあ、見たこととか話すだけだろうけどさ。
見たこととか、か。
1日前とは、全然違う状況になっちゃったな。
思い出すのは、深紅のスカーフと、照れ笑いしてもらってくれた、彼女。
「……フブキさん、な」
「はい」
「俺がおみやげのスカーフ渡した時、照れくさそうに笑ってくれたんだ。ありがとうって」
「……はい」
「……それでも、あんなことにならなくちゃ、いけなかったのかな」
分かってるよ。俺が何を言っても多分、彼女はああしたんだろうって。
自分の信じてるもののために、なんて臭い台詞とか俺は言えないけど、きっと彼女はそのために。
「フブキは……止められませんでした」
ため息混じりのその言葉は、すごく小さい声だったけど俺の耳にちゃんと届いた。
分かってる。俺もその場にいたんだから。
「……ごめんな。タイガさんが一番きついのに」
「お気遣い、ありがとうございます」
気を使ってるわけじゃないよ。フブキさんはタイガさんの、シキノのメイドさんとしてずっと働いてきたんだろう。それで、タイガさんも信頼して、俺のこと任せてくれたんだ。
それがあんなことになって、きつくない訳がないだろうに。
でも、そんな俺の思いをタイガさんは、笑ってこう返してきた。
「私は大丈夫ですよ。これくらいできついなどと言っていては、伯父上に叱られます。セイレンは渡さん、などと言われてしまいそうですから」
「あー、院長先生なら言いそうだ」
いや、割と冗談で言ってたことあったから。何気に院長先生、俺のことものすごーくかまってくれてたのな。俺のこと、ある程度分かってたからかもしれないけど。
……というかな、タイガさん。今俺のこと呼び捨てにしたの、気づいてたかな。それとも、わざとかな。
へへ。こんな状況なのに、ちょっと嬉しいかも……なんてこと考えてたらこっ恥ずかしくなったので、布団を目の下までかぶってみる。ええい、マジで面倒くさいな、もう。周囲見えてないって、ほんとだな。
ぽんぽん、と布団の上からタイガさんの手の感触。あー、子供寝かせる親って感じ?
「さあ、朝までゆっくりお休みください。私はここにいますから」
「あー、うん、ありがと」
タイガさんは、布団を深くかぶった俺を眠たいんだと勘違いしたらしい。いやまあ、気分転換のためにも寝直したほうがいいかな、とは思ったし。朝までまだあるんなら、もうちょっと寝よう。
……さすがに、口に出しては言えなかった。俺を見てるタイガさんの顔、院長先生に似てるなって。
いやだって、育ての親と似てるなんつーたらその、なあ?