83.おかくご、深夜死闘
レオさんの宣言に、フブキさんたちは言葉で答えることはなかった。その代わり、それぞれが手に持った武器を構え、こちらの皆と同じように片足を引く。
……これが答えか。
レオさんもそう受け取ったみたいで、小さくため息をついた。そうして、凛とした声を張り上げる。
「成敗される方をお望みみたいね。アヤト、マイト。遠慮はいらないわ」
「承知いたしました」
「お任せを」
アヤトさんとマイトさんが深く頭を下げた。それから、マイトさんが何かを恭しくレオさんに差し出す。……あ、あれ、剣か。シンプルな鞘に収められてて、実用的なやつ。
その鞘から細身の剣を引き抜いて、レオさんはちらりと俺に視線を向けた。
「セイレンちゃんは多分知らないと思うから、教えてあげる。殺人は基本的には罪だけど、こんな風に主に謀反を起こした者を殺すのとか、あと正式に願い出た仇討ちなんてのは罪にはならない。ま、主の方が部下ハメて殺したのとかだと、また別の話だけどね」
あの人、どこまで知っているんだろう。俺がこっちの法律とか、あまり詳しいこと知らないっての。
というか、服装とかそういうの避けると、こっちってほんとに時代劇に近い世界なんだな。人を斬るのが、まるで当たり前のことみたいにレオさんは言ってる。
当たり前、なんだろう。サリュウだって、毎朝剣の練習をやっている。練習をするってことは、いつ本番が来てもおかしくないからだ。
そういう世界だと、知らないのは俺だけで。
「こいつらは法で裁かれることを望んでない。ましてやこのあたし、というか王冠に刀向けたんだからねえ。この場で片付けてあげるわ」
「レオ、さん」
「怖いなら、目を閉じてなさい。箱入り娘にトラウマ植え込む趣味は、あたしにはない」
済まなそうにそう言って笑うレオさんは、ああなるほど、だから王子様なんだって何か意味もなく理解できた。
俺が人を斬る現実に慣れてないってのもちゃんと分かってて、だからあんなふうに言ってくれるんだ。
そうしてレオさんの目は、俺からほんの僅か離れた。
「タイガちゃん、あんたセイレンちゃん守りなさい。この程度、メイドさんたちとあたしたちで何とかなるわ」
「し、しかし」
慌てて踏み出しかけたタイガさんを、レオさんは視線だけで押しとどめた。次の瞬間ひゅんと音がして、気が付かなかったんだけどこっちに剣を振りかざしてた黒ずくめの1人が、声もなく倒れる。アヤトさんが、その背中に剣を突き立てていた。
1人死んだ。でもこれは、そういう世界だから、だ。俺とタイガさんを狙ったから、アヤトさんが手を下した。
その生命と引き換えに、黒ずくめたちの動きはまたしばらくの間、止められる。どんな隙をついたとしても、必ず反撃されるんだって分かったから。
例によって現実逃避してるな、俺。うん、でもこれ、しなきゃやってられない、かも。
「あんたとセイレンちゃんがメインで狙われてんの。セイレンちゃん、人斬り見慣れてないでしょ? 婚約者守りなさい、これは命令よ」
「……は」
さっきより強い口調でそう言われて、タイガさんはしぶしぶ頷いた。
もしかしてレオさん、タイガさんが人殺すの、俺に見せたくないとか。考え過ぎ、かな。
「レオさん」
「だいじょーぶ、あたしもアヤトもマイトも強いのよ。安心して見てらっしゃいな」
「セイレン様、ご安心を。我々も、強いですから」
「サリュウ様も、お下がりください」
「ぼ、僕だって戦えます!」
レオさんとアヤトさんは、笑って答えてくれる。マイトさんは踏み出しかけたサリュウを、怒ったような声で引き止めた。ああうん、俺でも分かる。本気の戦闘に出したら多分、あっという間に駄目だろうな。
マイトさんのほうがそれはよく分かってるんだろう、彼には珍しく強い口調で言ってのける。
「サリュウ様。これは、生命の取り合いです。朝の練習でも、試合でもありません。よろしいですね」
「……わ、分かりました」
「その代わり、目をそらしてはなりません。見て、太刀筋をお覚えください。実際の戦で使われる力です」
「……はい」
マイトさんの言葉にサリュウははっきり頷いて、その場に仁王立ちした。そうだ、こいつはゆくゆくはシーヤの跡取りとして立つ人間なんだから、きっとそういったことも覚えなくちゃいけなくて。
だったら俺も。
だって俺は、シキノの当主であるタイガさんのところに、嫁に行くんだから。
膝、がくがくしてる。今更、怖いんだって思ってる。だけど、これは見てなくちゃ、いけないから。
「……タイガ、さん」
「セイレン様?」
「俺も、目はそらしません。見なくちゃいけないことなんなら、どうぞ、ご存分に」
「……はい。お守りします」
タイガさんは一瞬びっくりしたように俺を見て、それからゆっくりと頷いた。
俺を自分の背中側に回して、腰に佩いた剣を鞘から抜く。サリュウとの朝練で使ってたような木の剣じゃなくて、きらりと光る金属製のがっしり太い剣。
それに気がついて、レオさんは不思議そうに首を傾げた。
「いいの?」
「多分、いつか見ることになりますから」
「結構。何かあったら、フォローはしたげるわ」
フォローって、何のだろう。聞く間もなくレオさんは、ふんと鼻で笑いながらもう一度黒ずくめたちを見渡した。今まで動かなくてありがとね、なんて言ってるようにも思えるな、あの人。
「さあお待たせ、謀反人のみんな。いかに愚かか、教えてあげる」
「シキノ家当主タイガ。いざ、参る」
タイガさんの名乗りと同時に、俺とサリュウを除く全員が動き始めた。
「バリアー全開っ!」
オリザさんの手のひらから、まばゆい光の壁がどんと広がる。って、俺とサリュウのカバーか。確かにこれなら、皆の意識がちょっとくらいそれてもなんとかなる。多分。
「あああああっ!」
で、その横からアリカさんとミノウさんが同時に飛び出した。ミノウさんは拳を握って、アリカさんはどこから持ち出してきたのか長い棒……じゃねえや、槍を構えて。
「はっ!」
アリカさんがひゅんと振り回した槍をくぐるようにしてかわした黒ずくめの目の前に、ミノウさんが滑り込む。腰の入った拳の一撃で吹き飛んだ相手の腹に、一回転して戻ってきた槍の先端が突き入れられた。
で、槍を刺したことで一瞬動きの止まったアリカさんを狙って、別の黒ずくめが飛びかかってくる。だけどその振り上げたナイフが降ろされる前に、別の小型ナイフがその胴体に突き刺さった。
「とりあえず、お返ししとくわね」
軽口を叩きながらレオさんが、細身の剣ですぱんすぱんとほんとに時代劇の撮影か何かみたいに黒ずくめを斬っていく。あまりにスムーズな動きに、これ現実なのかどうなのかよく分かってない。ばしゃんと血が飛び散るのが見えるから、少なくともドラマじゃないんだけど。
「カンナ」
「はいっ!」
トキノさんが、やっぱりどこから持ってきたんだか分からない長い、こっちは棒をしゅしゅしゅっと素早く何度も突き出す。が、が、がっと音がするのは、その一突きごとに黒ずくめの脚やら腹やらにちゃんと当たるから、なんだけど。あいつら結構素早いと思うのに、動いた先にトキノさんが棒突き出してんだよなあ。
で、そのトキノさんに名を呼ばれたカンナさんは、棒に突かれて動きを止めた黒ずくめのもとにひょいひょいと飛び込んでは、その首に腕をかける。で、ごきりと横に。カンナさんが離れると黒ずくめ、そのまま倒れるから、多分。
マキさんがその足元を走り、両手に逆に構えた刀で下からすくうように黒ずくめの喉元を狙っていく。うわ、まともに入ったの見ちゃった。
「セイレン様」
「だ、大丈夫」
俺を自分の背中で守ってくれてるタイガさんの声に、そう答えるのが精一杯だ。
この世界は、俺が18歳になるまで育ってきた世界じゃない。
王様がいて、領主がいて、剣と魔術が幅を利かせてる世界だ。さすがにモンスターとかはいないみたいだけど、でもそういう世界なんだ。
俺だって生命を狙われたし、狙われてる。皆は、それに対して戦ってるだけだ。
これからだって、そういうことがないとはいえない世界。
だから。
「慣れないなら、見ないほうがいいです」
マイトさんの剣が黒ずくめの1人に突き立てられた瞬間、ちょっと荒れた手で不意に目隠しされた。今聞こえた声は、サヤさんだな。その後ろで「ぐげ」っていう声が聞こえたけど、あれ誰だろう。
「だ、だけど」
「まぶたをお閉じください。このような場にあなたを引き出してしまったのは、警護すべき我々使用人の不覚でございます。本来ならば、セイレン様にこんな血生臭いところを見せるはずはありませんでした」
サヤさんはそのまま俺に目を閉じさせて、それから手を取った。繋がれたのは多分、サリュウの手。
「サリュウ様。後はお願い致します」
「うん、分かってる。頼んだよ、サヤ」
サリュウは多分頷いたんだろう、そして俺の手をぎゅっと握りしめた。
だから、後は俺には音しか聞こえなかった。
激しい足音と、金属同士がぶつかる音。誰かの早い息と、それが止まる瞬間。
肉に突き立てられる、刃の鈍い音。
断末魔の、声にならない悲鳴。
「フブキ」
タイガさんが彼女の名前を呼ぶ声に、俺は目を開けた。
周囲には血の匂いが漂っていて、あちこちに黒い、人だった物が転がっている。これが真っ昼間ならもっとはっきり、例えば死に顔とか流れた血とか見えるんだろうけれど、今は夜だからあんまりはっきりとは見えない。推定魔術灯の光も、お昼みたいに周囲を煌々と照らせるわけじゃないからな。
その中で、たった1人残った黒ずくめが、タイガさんと向かい合っていた。もちろん、フブキさんだ。メイドさんたちやレオさんたちは既に武器を収めていて、全員がその2人を取り囲むように立っている。
「刃を収める気は、無いな」
「ございません。先代様のため、トーヤ様の御為にタイガ様には、ここで幕を引いていただきます」
「では、私も剣は引かない。覚悟せよ」
「参ります」
何かを吹っ切るようにそう告げて、フブキさんは大地を蹴った。逆手に持ったナイフを胸元に構え、タイガさんの懐へと滑り込んでいく。
そのフブキさんを、タイガさんは剣を中段に構えて待ち受けていた。そうして目の前まで迫ったフブキさんをほんの僅か横にずれることでかわし、剣の根元で振り上げられたナイフを受け止める。
がいん、と耳障りな音がしたすぐ後に、ばしゅっという肉が切れる音がして。
「……ごぶ」
血を吐きながら、フブキさんがゆっくりと、倒れた。ナイフを受け止めたタイガさんの剣はそのまま押し込まれて、フブキさんの首筋を切り裂いていたから。




