68.おちつく、婚約者邸
ゲンジロウが見えなくなったところで、俺は改めてサヤさんに向き直った。
前から、この人に会ったら言いたかったことがあるんだ。
「えっと、サヤさん。サリュウをいい人間に育ててくれて、ありがとうございます。姉として、いい跡継ぎがシーヤの家に来てくれて嬉しいです」
「え」
あれ、びっくりしてる。えーと、俺変なこと言ってないよな?
もしかして、カヤさんに知られたら怒られるようなこと……じゃないよなあ。カヤさんは、サリュウにシーヤの家を継いで欲しいんだし。うむ、よく分からん。
ああ、そうだ。カヤさんのこともだ。
「それと、お姉さんのカヤさんにはお世話になってます」
「あ、はい。姉は元気ですか」
「ええ。母の元でしっかり頑張ってくれてます」
俺は母さんとこでお茶飲んだりするときくらいしかお世話にならないけど、カヤさんが、しっかり頑張ってくれてるからシーヤの家のメイドさんたちがしっかりしてるんだよなあ、っていうのは何となく分かる。いい意味でお局様っていうか、そんな感じ。
なので、あんまり詳しく言わないけどそう伝えると、サヤさんは胸に手を当ててほっとした感じだった。
「それはよかった。正直、姉はちょっと身びいきがすぎるところがあって、私ちょっと困ってるんです」
「あー、そうなんですか?」
「カヤは僕のこと、シーヤの跡継ぎとしてしっかり育てなきゃって思ってるところあるからなあ。僕だって自覚くらいあるんだよな」
サリュウが呆れたように呟くのを聞いて、俺は胸の中だけでため息をついた。
おいおい。カヤさんのサリュウびいき、もしかしてサヤさんも困ってるのか。何か大変だなあ。
家に帰ったら、それとなく言っとくか。直接じゃなくて、母さんに。また睨まれそうだけど、それはそれで。どうせ俺、後継ぐわけじゃないしさ。
サリュウの言葉をきっかけにしたのか、サヤさんは気を取り直したように顔を上げた。そうだ、彼女俺とサリュウの案内しなくちゃいけないんだっけ。
「と、ともかくご案内いたします。セイレン様は客間に、サリュウ様は昔使っておられた部屋にご逗留くださいませ」
「え、部屋残ってるの?」
「内装は変わっておりますが」
サヤさんの答えに、サリュウはぱっと明るくなった。
そっか、子供部屋っていうかちゃんと残してあるんだ。俺の部屋は俺が帰ってきた時のためにって残してもらえてたけど、シキノの屋敷でも似たようなことになってるんだな。
サリュウがこうやって遊びに来た時に、泊まれるようにって。
元々は自分の家なんだし、そのくらいいいよなあ。うん。
屋敷のちょうど真ん中辺にある玄関を入ると、やっぱりホールになっている。居住スペースは東側に集中してるそうなので、俺たちはホールからそちらの方に進んでいった。
サヤさんに連れられて奥のほうまで行くと、オリザさんと一緒にシキノのメイドさんが1人待っていた。ほっそりとした長身で、癖のない黒髪をポニーテールにしてて、何か妙に眼光が鋭い。
で、緑のメイド服の下にぴったりとした、黒のアンダーを着けてる。脚はまあいいとして、首元とか手首とかも見えるんだよな。いや、かっこいいからいいけどさ。
サヤさんは彼女の隣に進み出ると、くるりとこちらを振り返った。
「この先に、客間がございます。これより先、セイレン様のお使いになる客間に関しましては、このフブキが担当となります」
「客間のご案内とお世話を担当いたします、フブキと申します。どうぞ、なんなりとお申し付けください」
「ありがとう、お世話になります。オリザさん、待たせたね」
「はーい。お部屋の方は、アリカとミノウが準備を済ませてありますー」
フブキと名乗ったメイドさんが、深く頭を下げる。その横でのほほんと、いつものように笑ってるオリザさんとは対照的だなあ。見ててちょっとおもしろいかも。
「では、サリュウ様はお部屋にご案内いたします。どうぞ、ついてきてください」
「分かった。では姉さま、また後で」
「うん、また後で」
そこで手を振って、サリュウとは別れた。家族の居住エリアは、ここから分岐するんだそうだ。平面だとひたすら横に歩くから、大変だなあ。
で、俺とオリザさんはフブキさんについて更に奥へ。階段はない代わりに廊下がちょっと長いんだけど、壁や天井を白っぽい色で統一してるから重苦しい感じはないな。柱はちょい濃い目の茶色で、メリハリが効いてる。
あと、シーヤの屋敷よりも、じゅうたんがちょっと厚手。慣れてないと足を取られそうで、慎重に歩く。その道中、フブキさんがいろいろ話をしてくれた。
「セイレン様のことは、タイガ様よりくれぐれもよろしく頼むと申し付けられております。どうぞ、ごゆるりと」
「ほんと、お世話になります。タイガさん、忙しいんですね」
「はい。先代様からの引き継ぎはほぼ終了したのですが、そろそろ領地内の農作物が収穫の時期を迎えておりますので、税収の計算などが大変なようですね」
「それで村長さんと打ち合わせ?」
税金の計算でかな、と俺が首を傾げたところでオリザさんが、教えてくれた。
「セイレン様。シキノの領地では一昨年、確か大水がついた地域があったはずですー」
「大水……あ、洪水か」
それで、分かった。
向こうの世界でも時々ニュースとかで見たけど、洪水って水が引いたらそれで終わり、じゃないんだよな。畑や田んぼで作ってた作物はだいたい駄目になるし、そしたら農家さんは収入がなくなる。その日だけじゃなく、その後の生活が大変になるんだ。
で、向こうだと政府とかからお見舞いやら何やらでお金が出たはずだけど、村長さんが来るのってもしかしてその関係か。
「はい。それで、一昨年と昨年に関しましては生活資金などの支給と、一部融資を行っております。村長殿の用件は、農機具の購入に関する融資の返済について、ですね」
「そうか。2年くらいだと、まだまだ大変ですもんねえ」
農機具って、さすがにトラクターとかじゃないよな。多分、馬にひかせるやつだ。田畑と一緒に、洪水で流されちゃったり壊れたりしたんだな。
で、新しいの作ったその代金、か。稼いだお金はまず生活に回すだろうから、どうしても借金返済は後に回っちゃうってことか。
いつだったか院長先生、借金返済するのにアルバイト掛け持ちしてたっけ。俺も少し手伝ったんだよなあ。
「ご理解が早くて助かります。それと、その当時シーヤからも援助物資や資金融資のご助力をいただきまして、その折は大変に助かったと先代様は申されておりました」
「そうなんですか。私はその時屋敷を離れていましたから、詳しく知らないんです」
なるほどなるほど。
1年2年で畑が回復できればいいんだけど、場所にもよるもんな。山奥とかだと、道が崩れちゃったりしたかもしれないしな。
打ち合わせの相手の村長さんとこ、きっと大変なんだろうと思う。タイガさん、ちゃんとやってくれるといいんだけど。
てか、トーカさんもちゃんと領主はしてたんだよな。父さんと母さんも協力してたし。俺のことがなければ、今でもトーカさんはトーヤさんとして、普通に領主の座にいたんだろう。何でこう、あんなふうになったんだろうな。
「セイレン様。お部屋の準備はできております、どうぞ」
そんなことを話しているうちに、俺が泊まる客間に到着した。アリカさんが出迎えてくれて、しっかりした木の扉を開けてもらって中に入る。
入口入ったすぐ横に、もう1つ扉があった。向こう側に開いてるその奥は、また別に部屋があるらしい。覗いてみたらテーブルとソファ、奥に小さなベッドもある。自分たちの荷物広げてるらしいミノウさんが気がついて、慌てて出てきてくれた。
「あ、セイレン様!? お出迎えもせず、申し訳ありません!」
「いや、いいよ。ところでこっちの部屋は?」
「ああ、使用人専用の部屋だそうです」
「はい。シキノでは、専属使用人の方々はこちらの前室をお使いいただくことになっております」
ミノウさんの説明を、フブキさんが引き取ってくれた。はー、専用の部屋か。
「シキノは昔からいろいろありまして、こういった形でご家族やお客様の警護を固めております。さすがにシーヤのお屋敷のように、魔術の壁を重ねがけするまでには至っておりませんが」
なるほど。うちと違って、オリザさんたちはここで泊まって俺の周りのことしてくれってわけね。
まあ、うちはちょっと警備強すぎっていうか、俺のことがあったからなあ。口にはしないけど。
で、メイドさんたちの泊まる前室は、お茶の準備とかいろいろできるようになっていた。うちだとお風呂や厨房からその都度お湯持ってきてもらったりしてるらしいんだけど、こういうところはシキノさんちを見習ってもいいんじゃないかな。
「では、奥のお部屋へどうぞ」
フブキさんに手を差し伸べられて、前室の横を通り客間に入った。テーブルとソファ、タンスに鏡台などなど、必要な物はちゃんと揃っている。ベッドルームとの間は壁と扉じゃなくて、大きな衝立で仕切られていた。
室内の説明はメイドさんたちにしてくれたとのことで、俺が教えてもらったのはやっぱりちょっと奥まったところにあるっていう風呂とトイレの場所と、あとは食事の時間くらいだった。
「朝食は8時、昼食は12時、夕食は7時となっております。迎えの者について食堂までおいでください」
「ありがとうございます」
うちとそんなに変わりなし。というか、だいたい同じくらいの時間帯じゃないと準備とか、その間にやってしまう部屋掃除とか使用人さんの食事とかが無理なスケジュールだったりするんだと思う。
アリカさんが既にお茶を準備してくれていたので、俺はソファに腰を下ろした。お、ちょっと固めだけど結構座りやすいな。高さとか、俺に合ってるのかも。




