63.ばたばた、食後翌朝
「……冗談はやめてくれますか」
さすがに、冗談でもマジでも浮気は嫌なので俺は、怒ってる感情隠すのやめた。にらんでみるけど多分、女の俺じゃあ迫力ないと思う。その証拠にレオさんは、俺をにこにこ笑って見てる。ちっとも驚かないし、怖がらない。
と、彼の目がすっと細められた。うわ、向こうの方が迫力あるよ。
「あら、割とマジよ? セイレンちゃん、今後どっかの男に騙されちゃうかもしれないじゃない。練習よ、練習」
ん。口調に変化はないんだけど、声が何か真面目になってる。って、ガチで浮気しないかと言ってきてるわけか。練習とか言ってるけど、ほんとに冗談じゃないぞ。
「練習でも嫌です」
「んもう、真面目さんなんだからあ」
断固拒否、と声と態度で示してみせると、さすがにレオさんもこっちが本気だと分かったのかお手上げポーズをしてきた。いや、ほんと勘弁しろってーの。俺はそこまで器用でも、気が多くもないんだよ。
「レオ様」
ほら、アヤトさんだって声で怒ってる。一瞬ビクついたレオさんは、それでもあははと笑いながら彼と、その隣でむっつりしてるマイトさんを振り返った。冷や汗かいてるかな、もしかして。
「分かってるわよう。無理強いはしません」
「押しかけてきた時点でかなり無理強いです」
「しつこい男は、嫌われます」
「あうー、マイトまで言う?」
俺もちょっとびっくりした。マイトさんがはっきり言うの、会って1日もしてないけど珍しいってことくらいは分かるし。
でも、さすがにマイトさんにまで言われて折れたんだろうなあ。レオさん、素直に頭を下げてくれた。
「ごめんね。忘れて」
「次はないですよ?」
「はあい」
ちょっと膨れてみせると、レオさんはふるふると首を振りながら肩をすくめる。さすがにここで、無理やり押してくるような人じゃなくて安心。いや、そんなことになったら屋敷全体巻き込んでやるけどな。
「ん、でも気をつけてね。セイレンちゃんってきゅんとしちゃうくらい可愛いから、わらわらと虫寄ってきちゃうわよ」
虫、って言葉にビクリと震えてしまったのは、無意識にだった。
レオさんは俺を褒める意味で言ってくれたんだろうけれど、でも。
俺は、俺に虫がつかないようにって、男にされたんだ。多分、未だに何か頭の中に、嫌なのが残ってるんだと思う。正直、今の言葉だけは気持ち悪い。
「ミノウさん、椅子」
「はい」
単語だけで、ミノウさんは意味を汲み取ってくれた。さっき持ち上げてた椅子を掴んで、殴る態勢。
いや、俺殴れって言ってないからね。ミノウさんもそれは分かってるし、向こうにはアヤトさんとマイトさんもいるんだから多分無理、止められる。
でも、俺にはある意味地雷だったから。
「きゃー! おやすみなさあい」
「おやすみなさいませ、レオ様」
「おやすみなさいませ。お気をつけて」
慌ててソファから飛び上がり、扉の向こうに消えたレオさんをミノウさんは椅子を持ったまま、アリカさんはお茶を片付けながら送り出した。慌てて追いかけようとしたアヤトさんとマイトさんが、扉のところでピタリと止まってこちらを振り返る。2人とも姿勢を正して、一礼。
「おやすみなさいませ、セイレン様。レオ様にはきつく申し上げておきますので、どうぞお許しを」
「……すみませんでした」
「ああうん、アヤトさんとマイトさんは悪くないですから。お疲れ様です」
「お言葉、痛み入ります。では」
俺の答えにほっと息をついて、2人は部屋を出て行った。ばたん、という扉の閉まる音を合図にしたように、ミノウさんは椅子を元に戻す。アリカさんが、俺の顔を覗き込んできた。
「大丈夫ですか? セイレン様。少しお顔の色が悪いようですが」
「あ……うん、大丈夫」
うわ、顔色にまで出てたか。やばいやばい、気にしないようにしないと。
いや、さすがにトーカさんみたいなのは特殊だって分かってるよ。だけどなあ……あーうん、免疫がないのも確かか。春祭りのことがあってからあんまり屋敷の外に出なくなってるし、男が男に接するのと女が男に接するのとじゃあいろいろ違うしな。うん。
「……寝る前に、タイガさんに文書くよ。明日の朝一番で、出してくれるかな」
「承知いたしました」
いかんいかん、1人で考えていても答えは出ない。だったら、誰かに話を聞いてもらおう。その方が、絶対にいいから。タイガさん、面倒だったらごめん。
とりあえずレオさんという居候が来たこと。彼の性格と、虫寄ってくるから気をつけろって言われたこと。その虫って言葉が気持ち悪かったってことは書いた。浮気推奨発言は……あ、一応書いておこう。ちゃんと断ったから、と付け足して。
怒られるかな……心配してくれるといいな、と少しだけ思った。ほんと、かっこ悪くてわがままだな、俺。
翌朝、鎧戸を開ける音で目が覚めた。
よっぽど疲れてたんだろうなあ、夢も見なかったよ。
「おはようございます、セイレン様ー」
「おはよう、オリザさん」
そうだ、今日はオリザさんが来る日だ。ミノウさんやアリカさんに比べると、割と話をしやすい相手なんでこう助かるというか。と、そういえば今日のお休みはミノウさんだ、椅子は投げられないな。いや投げないけど。
「おはようございます、セイレン様。よくお休みでしたね」
「おはよう、アリカさん。何か疲れてたみたいでなあ」
「お気持ち分かります。どうぞ」
アリカさんが桶とタオルを持ってきてくれたので、顔を洗ってさっぱりする。ふー、よし、目が覚めた。
「文はおっしゃられたとおり、朝一番で差し出しておきました」
「あ、うん、ありがとう」
あー良かった。手紙、昨夜のうちにちゃんと書いて蝋封して置いといたやつ。明日には、タイガさんちに届くかなあ。
そんなことを考えてたら、オリザさんがいたずらっ子の顔になって俺を手招きした。窓のそばにいるから、外で何かあるのかな。
「セイレン様、今日もいい眺めですよう」
「何かあんのか?」
「えと、割と面白いものが」
「面白い?」
オリザさんが窓の下指さしてるからサリュウの朝練だと思うんだけど、何だろうなあ。そういやカンカン音がするから、誰かと手合わせ中か、あいつ。
ともかくベッドから下りて、窓まで寄って行って下覗いたら。
「うわあ……」
サリュウが木剣持って、同じ剣持ったレオさんに向かっていっている。以前タイガさんとやってるの見たことあるけど、今朝はレオさんが相手なんだ。
タイガさんも上手くサリュウの攻撃いなしてたけど、レオさんも綺麗にかわしてるなあ。タイガさんが実戦的な感じだとしたら、レオさんはまるで踊ってるみたい。くるくると回りながらがん、がんとサリュウの攻撃を受け止めている。
ほんとにあのひと、何者だ。
「ね、面白いですよね?」
「……あー、うん。すごいな」
ぽかーんと見とれてると、そのうちレオさんのほうが俺に気づいた。サリュウには目もくれず、こっちに手を振ってくる。おいおい、隙だらけだぞ。
「あら? セイレンちゃーん、おっはよう!」
「隙ありっ!」
「あまーい」
かーん、ととてもいい音がした。
顔はこっちを見たままで、レオさんの手に持った木剣がきっちりとサリュウの木剣を弾き飛ばしている。うそー、気配とか風を切る音とかでサリュウの一撃分かったのか。マジすごいな。
「……おはようございます。サリュウ、今度はレオさんが相手かー?」
「お、おはようございます、姉さま。この人、こんななりですけど強いんですよ!」
「そりゃねえ。一応武術の1つや2つもたしなんでおかないと、いろいろ大変じゃない?」
木の剣を片手でくるりと回して、レオさんは腰に収める仕草をした。ふふん、と嬉しそうに笑ってるから、サリュウとの手合わせ楽しかったんだろうなあ。
「あと、こんななりってちょっと失礼よ? ま、自覚はあるんだけど」
「あ、それはすみませんでした」
まあ、サリュウの言いたいこともよく分かる。だってレオさんの服、紅葉みたいな真っ赤なワンピースみたいなのだもん。サッシュベルトの黒で腰んとこ引き締めてて、膝丈の服の下にはやっぱり黒の細いスラックス、みたいな。
朝から見るには派手も派手。うっかり見たら目が痛そうだ。
で、まあ俺が起きたってことはタイムアップってことだ。サリュウの朝の準備もあるし、部屋に帰さないとな。
「やれやれ。で、そろそろ時間だぞー」
「はい、分かりました。では姉さま、失礼します!」
「時間って、朝食? あらら、じゃああたしも失礼させてもらうわねえ。また後でね、セイレンちゃん」
「はい、後で」
俺とサリュウの会話で素早くそのことを察したのか、レオさんも納得したように頷いた。ひらひらと手を振って去っていくレオさんを、俺も手を振って見送る。
あ、アヤトさんとマイトさん、やっぱり後ろにくっついて来てた。朝から大変だなあ。
で、皆がいなくなった後で昨日のどたばたを知らないオリザさんが、俺の顔をまじまじと見てきた。
「……セイレン様。ちゃん付けされてるんですかー」
「サリュウもちゃん付けだよ。それに比べりゃマシかも」
「……何とも言えないですねえ」
オリザさん、肩をすくめた。まあ、彼女は俺が男だったこと知ってるからな。レオさんはその辺知らないはずだから、女の俺をちゃん付けしてもおかしくないか。サリュウは、だいぶ年下だしな。




