57.どっきり、深夜真実
それまでじーっと光景を見ていたアリカさんが、軽く首を傾げた。恐る恐る進み出て、院長先生に向き直る。
「っていうか……トーヤ様、ですよね。よく、セイレン様が女の子だとお分かりになりましたね」
「そりゃ分かるさ。これなーんだ」
院長先生はにんまりと目を細めて、さっき小脇に抱えたものをぴろんと広げてみせた。青い、小さなワンピース。ちょうど、赤ちゃんが着られるくらいのサイズ。
それを見て、両親の表情があからさまに変わった。父さんが、ぽつりと呟く。
「それは……セイレンが消えた時に着ていた……」
「だろうな。で、青蓮が俺んとこ来た時に着てた寝間着。どう見ても、女の子用だろが」
ああ、うん。確かに、あのフリルひらひらは女の子用だ。
あれ、俺が着ていたやつなんだ。それで、院長先生に拾ってもらって。
「俺はトーカみたいに魔術は使えねえが、魔術語くらいは読めるからな。女の子の服着てんのに男の子っておかしいからよ、ざっと見て何か術が掛けられてるってのは分かった」
ワンピースをひょいと片足立ちでたたみ直しながら、ごく当たり前の日常を話すように院長先生は説明してくれる。膝の上で洗濯物たたむのさ、たまにやってたんだよな。座ってやれって、何度か怒ったことあったっけ。
ジゲンさんが、魔術語を覚えれば魔術が掛かってるのは分かるって言ってたっけな。院長先生、こっちにいた頃ちゃんと勉強してたんだ。それでも、弟のトーカさんと違って魔術の才能はなくて。
「ただ、外しようがなかったからな。そのまま男として育てるしかなかったさ。名前は刺繍してあったから良かったけど……これ、メイア殿が?」
「え、あ、ええ。世話は乳母に任せていたのだけれど、せめて娘のためにそれくらいはって思って」
たたみ終わったワンピースの襟元を指し示す院長先生に、母さんが慌てたように頷いた。そっか、そこに俺の名前、刺繍してあるんだ。院長先生はそれを読んで、俺に青蓮という名前をつけてくれた。
「そっか。んじゃ、18年掛かったけどお返しするよ。これはメイア殿が青蓮に贈った、大事なもんだからな」
そのワンピースをぽんと母さんの手の上に置いて、院長先生は小さく溜息をついた。まるで、一仕事終わったって感じで。ぽかーんと先生を見つめてる母さん、まだ状況理解しきれてないんじゃないだろうか。
院長先生の方は、「さてと」とこちらに、というかトーカさんに向き直った。途端、それまで笑ってた表情がすとんと消える。うわ、怒った時の顔だ、あれ。
「な、何をっ」
「いや、いくら何でもシキノの醜態を表沙汰にしたくはねえんだよな。お前は個人としては大概だが、領主としてはちゃんと仕事はしてるようだし。その跡継ぎは、それなりにいいやつみたいだし」
ちらりと院長先生が見たのは、多分俺の背後にいるタイガさん。それから一瞬だけ嬉しそうに笑って、すぐにトーカさんに視線を戻す。
「おとなしく身を引け、トーカ」
「な!」
「引退して田舎にでも引きこもって、そこの兄ちゃんに後継がせろって言ってんだ。そうでもしなきゃ、お前が何やらかしたのかすぐにでも広がるぞ。シキノの家だって、無事じゃ済まない」
「じょ、冗談じゃねえ! わしはメイアの娘を嫁にして、このまま……」
「伯父上のおっしゃるとおりになさってください。父上」
もがもがともがきながら反論、という名の犯罪告白ぶちかましかけたトーカさんの口を、背後から聞こえたとっても冷たい声が止める。俺は顔なんて見れないって思ったことも忘れて、慌てて振り返った。
タイガさんは、トーカさんを何の感情もない目で見つめてた。院長先生と同じように表情もなくて、ものすごく怖い。怒ってるのが、一目で分かる。
俺も、きっとこんな目で見られてたんだな、って思ったのに。
「セイレン様。少しだけ、待っていてくださいね。サリュウ」
肩を軽く抱いてそう言ってくれたタイガさんは、俺のよく知ってる優しいお兄さんだった。何か、すごく嬉しくて、泣きそうになった。
その俺の肩をぽん、と優しく叩いてくれて、俺をサリュウの方に押しやった。それからタイガさんは、トーカさんに近づいていく。ああ、あの背中は怒ってる背中だ。
「タイガ! 貴様、わしの息子だろうが! そ、それにほれ、その男女との縁談も考えてやったろうに!」
「確かに私は、あなたの息子だ。ですがそれは、シキノの次期当主だということです。それに」
そこまでで言葉を切って、タイガさんはトーカさんの首根っこを無造作に掴んだ。ひょいと持ち上げて、引きずるように自分の目の前までその顔を持ってくる。
「セイレン様が苦労されたのは、貴様のせいだろうが。貴様に彼女を侮辱する権利など、どこにもない」
「がっ!」
がすっ、と鈍い音がして、タイガさんの拳がトーカさんの頬にめり込んでいた。うわ、首捕まえたままで殴ったから威力逃げないぞ、あれ。痛そう。
「それに、私がセイレン様との縁を望んだのに、貴様の欲望など関係ないだろう」
……えっと。何かさらっと、こっ恥ずかしいこと言われた気がするんだけど。ほら、俺の横でサリュウが顔覆ってるじゃないか。
そんな俺の気持ちはあっちに置かれたまま、タイガさんはもう一度実の父親に一撃を入れた。今度は膝を、トーカさんの腹にどすっと。そうして、ぽいとその身体を投げ捨てる。何しろぐるぐる巻きのまんまだから受け身も取れなくて、ぶぎゃっと変な声を上げてトーカさんは地面にべっちゃりと横たわった。
それから振り返ったタイガさん、えらく清々しい顔をしてた。2発叩き込んですっきりしたんだろうか、実の父親なのに……って思ったけどまあ、俺がタイガさんなら確実に殴ってるからいいか。
「シキノの恥は、シキノの手ですすがねばなりません。しかるべき罰を与え、父上には隠居していただきます。それでお許しをいただけるとは、思っておりませんが」
「いや、それでいい。そもそもはトーカ殿の乱心が招いた罪で、タイガ殿やシキノの家が罰を負う問題ではなかろう。な、メイア?」
「そうですわね。お任せするわ、あなた」
「は、寛大なお裁きをありがとうございます」
……あー、ほっとした。いやだって、タイガさんに何か罰が下ったりしたらどうしようって思ってさ。
だってタイガさん、俺のためにいろいろ調べてくれたし、助けに来てくれたのに。
「終わりましたかー?」
「そのようですな。明朝のお帰りまで、この爺の術で戒めておきましょうかのう。独学のようですが、魔術の腕はなかなかのものですしな」
うわ、いつの間に来てたんだ、オリザさんとジゲンさん。院長先生含め、皆びっくりしてるだろ。
その視線の中、のそのそと歩いてきた爺さんが手に持った杖を軽く振ると、周囲の植物が一斉に長く伸びた。蔓やら葉っぱやら何やらで、あっという間におっさんの草巻の出来上がり。なんじゃそりゃ。
「あら、お祖父様。お疲れ様でした」
「やれやれ、全くじゃ。4ヶ月も開けずに転移の魔法は、さすがに疲れますのう」
「おう、爺さん。こっち連れてきてくれて、ありがとな」
「何の何の。セイレン様からお話は伺っておりましたが、まことにシキノのお方とは思いませなんだ」
ふぉっふぉっふぉ、と大変分かりやすい年寄りの笑い方をしてジゲンさんは、とんとんと腰を叩いてみせた。どこの世界でもそういうもんなのか。
って、そっか。儀式の間にいてたジゲンさん、院長先生をこっちに呼んでくれてたんだ。トーカさんがやったことの、証人として。俺の、保護者だった人として。
ミノウさんがトーカさんと……えーと側近のサイガさんだっけ、を両脇に抱えて持ち去って、準備されていた馬車をユズルハさんが誘導して行った。その場には、馬車から取り外した灯りがぼんやりと残っている。
タイガさんは、サリュウと一緒にずっと俺のそばにいてくれてる。ほんとなら彼の父親がやったことだから事情聴取とかあるのかもしれないんだけど、父さんがいいからって。
そうだよな。タイガさん、まさか自分の父親がいろいろえらいことやってたなんて知らなかったもんな。それにえーと、その、なんだ。俺、タイガさんと一緒にいられるの、うれしいから。
「……伯父上」
しばらく何も言わなかったタイガさんが、何か思いつめたように院長先生に向き直った。
「いえ。セイレン様をお手元で育てられたもう1人のお父上に、お願いがございます。もし、許されるならば、ですが」
「俺にか? 何だ」
えっと、まあ確かに、院長先生は俺にとって親父代わりの人だったけど。
その院長先生に何だろう、と考えかけて。
「セイレン様との婚姻を、承諾頂きたいのです」
「は?」
俺は思わず、こけそうになった。隣でサリュウが、「あちゃー」とか呟いてる。あと両親及びクオン先生、吹き出したの気づいてないわけないからな。見ろよ、アリカさん顔ひきつってるじゃないか。オリザさんは笑うのこらえてるし!
ってか、いやいやいやいや。
タイガさん、俺、春まで男だったって分かってるよな? いいの?
「こら。えーと、名前は?」
「タイガと申します」
そんな中、院長先生は呆れたように名前を尋ねる。素直に答えるタイガさんは、不思議そうに首かしげた。
「うん、じゃあタイガ。承諾もらう相手が、そもそも間違ってるだろうが」
「えっ」
「えっじゃねえよ」
それはそう思う。何でいきなり院長先生に……っていやいやいや、しっかりしろ、俺。
というか、ここで現実逃避するんじゃねえ。これは俺に関することだ。
だから、いいのかよ。俺だぞ。術掛けられて男にされてよその世界に飛ばされてた、変な娘なんだぞ。
「俺とモンド殿は一緒にメイア殿本人にプロポーズしてだなあ、メイア殿がモンド殿選んだんだよ。この意味分かるか?」
「……えー、あー。りょ、了解、しました」
えー、あー。
俺が言いたいよ。何でこんな話になってんだよ。
つか、えっと、何だ。顔熱い。思わず自分の顔ぺたぺた触ってみたけど、やっぱり何か熱い。何でだ。
後、こら。他全員、さっき平然としてたジゲンさんまでニヤニヤ笑って見てるんじゃない。俺、外から見たらどんな感じになってるんだ。
「……セイレン、様」
「は、はいっ」
うわ、声ひっくり返った。というか、何この状況。いつの間にタイガさん、目の前に来て跪いてんの。
何で、そのかっこいい顔赤くなってんの。
「私の妻に、なっていただけませんか」
「え、あ、え、その、えーと」
何で、そんなこと言ってんだよ。おかしいだろ。
「お、俺、あれだよ? この春まで、男だったんだよ?」
「はい、話は伺いました。それが何か」
「いや、何かって……気味悪くないの?」
「何故ですか? 断られるなら、私に非があります。あなたに術と苦労をかけた父親を持つ息子、なのですから」
タイガさん、顔真っ赤なんだけど、でも俺のこと見る目はまっすぐで。俺と初めて会った時から全然変わらない。
全部知られちゃっても、まるで変わらない。タイガさん全然悪くないのに、自分に非があるなんて言っちゃってさ。
何もかも知って、それで。
「私は、今目の前におられるあなたに、私のもとに来ていただきたいのです」
参った。
そんなこと言われたら俺、断る理由とかなくなっちまった。
というか、断らなくて、いいんだ。
よかった。
「……えーと。俺、トーカさんのことは気にしてません。大体、何でタイガさんが悪いのか俺には分からないから」
だからまず、それだけははっきり伝えた。それから、ちゃんと言いたいことは言う。だって、そうじゃないときっと、伝わらないから。
「俺、春まで父さんや母さんとは離れて暮らしてました。だから、せめて1年くらいは一緒にいたいんです」
「はい」
そうだよね、って感じでタイガさん、頷いてくれた。ありがとう。
待たせてしまうかもしれないけど、それでもいいのなら。
「だからその……来年の春まで、待ってくれますか。その間に心変わりとか、えーと他の人とか、出てきちゃうかも知れませんけど」
「では、結婚を前提としたお付き合いを、ぜひ」
即答。しかもめちゃくちゃ嬉しそうに笑ってるし。
……嬉しいっていうか、何かえーと。
俺、ちゃんと女の子、なれてるかな。
「よ、よろしく、お願いします」
パーティが始まる前とは全然方向性の違う覚悟を決めて俺は、頭を下げた。ええいもう、周囲の視線なんか気にしてられるか!




