56.うとまし、深夜真実
暗い森の中。パーティ後だってことで着飾った姿の皆の中にあって、1人だけよれよれした服装の院長先生は、それでもけろっとした顔ですたすた歩み寄ってきた。それに気づいてか、背後のタイガさんが俺の耳元に話しかけてくる。
「セイレン様。立てますか?」
「あ、うん。大丈夫」
大丈夫、とは言ったものの、結局タイガさんの手を借りてゆっくり立ち上がる。その時にはもう、院長先生は俺たちの目の前まで辿り着いていた。もう一度俺を見てにっと笑うその顔は、間違いなく俺を18年育ててくれた親父代わりの人だ。
「……でも、院長先生、何で?」
「何でって言われてもなあ」
俺の言葉の少ない質問をちゃんと受け止めてくれて先生は、照れくさそうに頭をばりばりと掻く。それから反対側の手に持った布みたいなのを小脇に抱え直して、小さく溜息をついた。
「たまたま部屋片付けしてた時に呼ばれた。まさか、生きてるうちにまたこっちに来れるとは思ってもみなかったよ」
また、こっち。
院長先生は、こっちの人だって、言うのか。
「セイレン!」
「セイレン、大丈夫?」
「姉さま!」
ばたばたと賑やかな足音がして、両親がサリュウに先導される形で走ってきた。その後ろを守るようにドレス姿のアリカさんと、それからユズルハさんもやってくる。そうして皆、院長先生の顔を見て驚いていた。ユズルハさん以外には話したはずだけど、やっぱり現物見るとちがうのかな。
……あれ、サリュウだけ何か納得したように頷いたな。何でだ。
「俺は大丈夫です。タイガさんと、クオン先生に助けてもらいましたから」
「セイレン様には私がついております。ご安心を」
俺の答えに少しかぶさるようにして、タイガさんがそんなふうに答えてくれる。
……後ろ、振り返れない。今、タイガさんがどんな顔してるのか見たくない。
多分、がっかりしてるんだろうなあ。俺がさ、変な経緯たどって今ここにいるからさ。
そんな中で、院長先生は父さんと母さんの顔を見ると、懐かしそうに目を細めた。
「モンド殿、メイア殿。お久しぶり、だな」
「久しぶり、とは」
「……え、もしかして、トーヤ殿?」
「はは。ま、驚くのも無理ねえな。『シキノ・トーヤ』はずっとこっちにいたんだろ? 呼んでくれた爺さんから聞いたぜ」
院長先生の口調からすると、確実に昔の知り合いってやつだよな。だけど、何か、んー。
考え込みかけた俺のところに、サリュウがやってきた。
「姉さま。姉さまを育ててくださったのは、あの方ですね」
「あ、うん」
「……そうですか。ジゲンの言ったことは、本当だったんですね」
おい、1人で納得してんじゃねえよ。説明しろ。
というか、トーヤさんはさっき俺が股間蹴り上げたその人じゃないのか? って、そういえばトーヤさんは。
「逃げようとなさっても無駄ですよ? 伊達にカサイ・ジゲンの孫娘はしておりませんの」
「は、はなせ! くそ、お前の術なんて、ぐおっ」
……あー、やっとクオン先生の顔見ることできたけど、笑った顔して怒ってるよ。で、トーヤさんはその足元でどこから引っ張り出してきたんだって感じのロープでぐるぐる巻きになっていた。術って言ってたから、クオン先生の魔術なのかな。
院長先生の目が、そのトーヤさんに向けられる。軽く肩をすくめて、先生が不思議なことを言った。
「……昔から双子じゃねえかとはよく言われてたけどよ、上手く化けたもんだな? トーカ」
「トーカ?」
あれ、聞いたことある名前だぞ。というか、確かタイガさんから聞いたし。
「って、確かトーヤさんの弟さんで、まだ改葬されてなかったって……」
「そういえば、『シキノ・トーカ』が死んだことになってんのな。上手くやりやがって」
呆れた顔でそんなことを言う、院長先生。父さんたちは顔を見合わせて、深刻そうな表情になる。
トーヤさんがずっとこっちにいたことになっている。
トーカさんが死んだことになっている。
院長先生は、そう言った。
そして、トーヤさんとトーカさんはよく似てる、らしい。40年くらい前にトーカさんと会ったことのある母さんも、確か似てるって言ってたよな。
「えっと、じゃあ、つまり……」
「お前は俺の名前知ってんだろ、青蓮」
「はい。四季野冬也、院長先生」
「ま、そういうこと」
俺が彼の名前を言うと、院長先生はテストで100点取った俺を褒めてくれた時みたいに目をくしゃっと細めた。
しきのとうや。
院長先生の本当の名前が、シキノ・トーヤ。……つまり、シキノの本来の当主である、トーヤさんだってこと?
だとしたら、俺をさらおうとしたトーヤ、と名乗ったこの人はつまり。
「父上は、シキノ・トーヤではなくトーカだった、ということですか」
結論を、タイガさんがため息混じりに呟いた。まあ、そういうことになるんだろうな。
って、いやいやいや。それってマジだったら、やばくね?
「つまり、トーカ殿がトーヤ殿を別の世界に放逐して、成り代わっていたということだ」
「そりゃあ、使用人もごっそり入れ替えちゃうわけですわよねえ。それも、後でちゃんと消したんじゃないですか?」
父さんががり、と髪を掻きながら吐き捨てる。クオン先生は冷たい口調で、さらりと怖いことを言い放った。
そういえば、多額の金をもらって辞めていったシキノの使用人さんたちの消息が分からないって、タイガさんが言ってたっけ。
「う、うるさいうるさいうるさい! わしが正室の息子で魔術だって使える、優れてるのに! 何で兄貴が後継者だったんだ、冗談じゃねえ!」
わあ、ぶっちゃけやがった。
っていうか、全力で御家騒動だったんだ。
跡継ぎに選ばれなかった弟が、頭に来て兄貴をよその世界に放り出して、名前から何から奪ったってことか。
嘘の名前と立場で30年生きてきたなんて、そんなの、虚しくなかったんだろうか。
……なかっただろうな、この人は。
その立場が自分のものだって思い込んで、その立場に入ることができたのなら。
その立場を奪われることになりそうなトーヤさん改めトーカさんの理不尽な怒りは、院長先生に向けられた。まあ、ここに出てこなきゃそんなことにはならなかったもんな。
「大体貴様、何で生きているんだ! わしの中途半端な転移の魔術で、まともな世界に飛べたってのか!?」
「そりゃお前、幸い人間のいる世界に落ちた上に親切な人がいたんだよ。それに、ガキ放り込んだんならともかく、俺は結構いい大人だったんだぜ? 何とかすりゃ、それなりに生きられるさ」
ひょいと肩をすくめて、ひょうひょうと答えてみせる院長先生。そういう態度だから相手怒らせてるの、多分分かってやってるんだよなあ、この人。
でもまあ、そりゃそうだ。あっちの世界のこと、トーカさんは知らないもんな。家がなくて、ゴミ箱とかあさって生きてる人だっているんだよ。その気になれば、どうにかして生きられるんだ。
っていうか、院長先生をあっちの世界に飛ばしたの、トーカさんだったんだ。中途半端とかまともな世界に、なんて言ってるってことは、どこでもいいから飛んで行けーってやったわけかよ。ぞっとしないなあ。
「ま、俺のことはどうでもいいさ。問題はトーカ、お前だよ」
ぎゃあぎゃあわめいていたトーカさんがいい加減に疲れたのか口を閉じたところで、院長先生が反撃に出た。ゆっくりと歩み寄っていって、簀巻き状態で地面にすっ転がされている実の弟を冷たく見下ろしながら。
「俺に成り代わってシキノ継いだのはまあいいよ。ちゃんと領主はやってたんだろ? けどなあ、その後がな」
一瞬だけ俺に向けられた視線は、俺の知ってる院長先生の優しいものだった。でも、何て言うか全身からみなぎるオーラってのか、あれめちゃくちゃ怖い。クオン先生にも負けてない……まあ、当事者だからかな。俺もなんだけど。
「いやまあ、俺もメイア殿のことは好いてたし、おかげで30年経った今でも独身だぜ。でも、メイア殿のことはトーカも好きだったからな。こいつの母親がうるさかったから、表立って言うことなかったけどさ」
院長先生とトーカさんは、確かお母さんが違ったんだよな。トーカさんのお母さんの方が正室だったのに、ほんの数週間遅れて生まれたこともあって院長先生、つまりトーヤさんが跡継ぎってことになったんだっけ。
でも、それだけで跡継ぎって決まるものなのかな。何か、性格その他もあったような気がする。
例えば、30年経ってもずーっとよその奥さんになった女性に惚れてて、その娘に手を出そうとしたりする当主なんてなあ。
「トーカのこった。俺に成り代わってシキノの当主になって、何ぞ近づく手段でも考えてたんだろ」
「ええ。それで時を経て……セイレン様がお生まれになった。メイア様の血を引く、ひとり娘が」
その娘である俺を、トーカさんは手に入れようとした。それで今、こんなことになってしまってる。
「母親が駄目なら娘ってか。俺はそこまで阿呆じゃねえぞ」
「ここは証人がまるでおりませんから、祖父の推測になりますが。おそらく最初、魔術師ドウムはセイレン様を己が懐にしてシキノまで帰参する手はずだったのではないかと」
えー、何だそれ。
そんなこと言ってたら、生まれてすぐうちにお見舞いに来たのってまるで下見じゃねえか。って、まさかなあ。
「それを、うちの魔術師さんが抵抗して止めたんですね」
「はい。おそらく何がしかの結界を以て、外部からの干渉ができなくされたんでしょう。その残骸はほんの僅かですが、残っておりましたから」
残骸って、そういえば変な魔術の残りカスが出てきたってジゲンさんの報告書にあったな。結界ってつまり魔術の壁だから、何かその壁になるようなものを作ったってことか。
えーと、例によって俺、現実逃避してるからな。何でこういう時だけ冷静なんだか。……もしかして、タイガさんが後ろにいてくれてるから、かな。
「で、こちらの魔術師さんはセイレン様を何としてもお守りするために、転移の術を掛けた。魔術の壁の内側から脱出させるには、別の世界に移動させるしかなかったのでしょうね」
「その魔術師は、多分その時に俺の存在に気づいたんだろうな。で、俺のところに青蓮を送ってよこした。が、その直前にドウムが青蓮に術をかけて、男にした。別の世界に行っても、トーカ以外の男に手を出されないように、ってか?」
クオン先生の言葉に、院長先生が頷いて続く。ああ、だから俺、院長先生に拾ってもらえたのか。
同じ世界から移動した人に拾ってもらえますようにって、魔術師さんが送ってくれたから。
「阿呆か、お前。青蓮が死ぬまで戻ってこなけりゃ、どうするつもりだったんだ」
「それならそれで、わし以外のものにはならんからな」
トーカさんはふん、と鼻息を鳴らして、すねたように答える。
……実の息子であるタイガさんには悪いけど、めっちゃ気持ち悪いな、この人。




