55.おぞまし、深夜真実
俺がたどり着いたのは、屋敷を出て少し奥に入った敷地の外れ。石畳もなくて、静かで暗い森の中、だった。
俺は、ここまで誰かに呼ばれて、来た。ぽつんと光っている魔術の灯りが、その目印だ。
「ようこそ、メイアの娘御」
「……来ま、した」
母さんの娘、なんて呼び方をする人は、1人しかいない。
その人、トーヤさんは灯りをつけた小さな黒い馬車を背景にして、とっても嬉しそうに両手を広げている。
俺は、この人に呼ばれて、この人の腕に飛び込むために、ここに来たんだ。
何で?
「さてさて。すぐにわしと共に婚前旅行と洒落込もうぞ、娘御よ」
ああ、そうだっけ。
俺、この人のものになって、それで。
じゃあ、行かなくちゃ。
違うだろ。俺、そんなんじゃないだろ。
ああくそっ、頭が重い。誰かが来てくれるはず、なのに。
……誰だっけ。
ええと。
いま、いちばん、たよりたいひと。
「タイガ、さん」
「お呼びになりましたか、セイレン様」
俺が呼んだ名前に、返事があった。聞き慣れた、だけど静かで落ち着いた声が、俺を引き戻す。
って、何で俺、トーヤさんの目の前にいるんだよ!? てかおっさん、何か顔赤いし息ハァハァしてるし!
気持ち悪いじゃねえか、と思って俺はつい、足を振り上げた。
「……んのっ!」
「ぐわっ!?」
ぐにゅ、という何か気色悪い柔らかい感触が爪先に当たった気がするけど、気づかないことにした。いやだって、一応どんだけ痛いかくらいは俺だって分かるし。思い出したくないけど。
で、股間押さえてもがもが悶えてるトーヤさんから離れたくて後ずさりしかけて、何かに引っかかったのかがくんとバランス崩した。いくら接地面大きくても、かかと高いからどうしてもなあ。
「セイレン様!」
転がりかけた俺の身体は、タイガさんがしっかりキャッチしてくれた。そのまま、ゆっくり地面に座らせてくれる。そこでやっと、俺息止めてたっぽいことに気がついた。ああ、あのハァハァ息吸いたくねえもんなあ。
深呼吸、深呼吸。
「はー、はあ……」
「セイレン様、ご無事で!?」
「あー……はい。ありがとうございます、タイガさん」
背中に当たってる感触は、一緒にゲンジロウに乗った時と同じものだ。何か、安心できた。
けど……きっと誰かが来てくれるって信じてはいたけど、やっぱり怖いな。
というか俺、何であんなにここに来なくちゃって思ってたんだろ。わけわからん。
そんなことを考えていると、目の前で痛みに耐えかねて涙目のトーヤさんが、いきなり喚き散らした。
「いいのか、タイガ! その娘は春まで、男だったのだぞ? それもどことも知れぬ、野蛮な世界でな!」
「……何を、間の抜けた事をおっしゃるか」
ぽかんとした感じで、まあそう言うだろうなって返事をするタイガさん。うんまあ、いきなりそんなこと言われてもなあ。それに、唐突に何言ってるんだって思う。知らなきゃ。
だけど、こればっかりは本当のことだしな。いつか言わなきゃ、とは何となく思ってたし、どうせだからちゃんと言おう。今なら、背中側にタイガさんいるから、顔見なくて済むし。
「タイガさん。信じられないかもしれないけど、トーヤさんの言ったこと、ホントのことだから」
「セイレン様?」
「春まで俺が、男として育ったのは事実だよ。シーヤの家に帰ってくるまで、身体ごと男だったからな」
「セイレン様、言葉遣いが」
驚くの、そこかよ。まあ、開き直ってかぶってた猫剥いだからな。
「ごめんなさい、タイガさん。これが俺、シーヤ・セイレン。18になるまでこことは違う世界で、男として育った俺自身。正直、猫かぶってた。ごめんなさい」
「……」
冗談だろうと思ってたことを、当の俺の口から言われてタイガさん、何も言えずに黙ってしまった。どんな顔してるのか分からないし正直見れないけど、うろたえてるかなあ。
あー、うん。これ振られたな。ショック。
……そか。ショックってことは俺、多分タイガさんのこと。
…………ま、もういいや。覚悟はできてたもんな。
「ただ」
ただ、これだけははっきりさせてやる。
確かに、俺は男にされて別の世界に飛ばされて、男として育ったけどさ。
「何でそれを、トーヤさんが知ってるんですか」
「何で、だと」
「タイガさんは今知りました。うちの中でも知ってるのは父さんと母さんとサリュウ、俺を連れ戻してくれたジゲンさん。それにクオン先生と、俺についてくれてるメイドさんたちだけです。あなたが知ってるわけがない」
だーもー、全部ぶちまけてやれ。クオン先生の言葉を信じるなら、タイガさん以外にも近くに誰か来てるはずだし。何しろここ、人あまり来ないっぽいけどうちの敷地内だからな。金持ちすげえ。
「まあ、セイレン様に術をかけさせた黒幕、だからでしょうねえ」
「しゃああっ!」
「クオン先生」
ほら来た。
肩に伝書蛇載せた、クオン先生だ。彼女は最初からパーティに出る気なかったらしく、いつも着てるような薄手のワンピースの上にカーディガンスタイルだった。そういえばアリカさんが、上の階をチェックしてるとか言ってたっけか。
と言うか、トーヤさんが黒幕なのかよ。そんなことしていいのかよ、あんた領主だろ。
「先にタイガ様に向かっていただいたのですが、それでよかったようですね」
腕組んだままでずかずか歩いてくる先生、何か妙に迫力がある。肩で蛇が翼広げて、がっつり威嚇してるからかもしれないけど。そか、お前がタイガさん呼んでくれたんだな。ありがとう。
そんなことを考えている間にクオン先生は、俺たちとトーヤさんの間に入り込んで仁王立ち。トーヤさんを睨みつけてるんだろう、と思う。一瞬、ビビるのがわかったから。もちろんトーヤさんが。
「殿方であれば、女性を好まれる殿方が近寄ることはありませんわ。つまり、虫除けになりますわね」
「はあ?」
「な、何のことだ!」
虫除けて。
この場合は、男を近づけないって意味だよな。
「……つまり俺、男避けさせるために男にされたわけ?」
「手っ取り早く言えば、そうなりますわねえ。ああ、証言はちゃあんと取ってありますよ」
にっこり笑ったであろうクオン先生の手招きに応じて、馬車の向こうからむっつり顔のミノウさんが姿を見せた。小脇に誰か、男の人をまるで丸めたじゅうたんか何かみたいに抱えている。というか、よく見たらほんとにじゅうたん丸めてしまう時みたいに紐で手足縛られてるし。
「……誰?」
「父の側近の、サイガです」
俺の疑問に答えてくれたのは、相変わらず俺を支えていてくれるタイガさんだった。んー、名前似てて何か気分悪い。いや、俺が言うことじゃないんだけどな。
「サイガ! お前、まさか口を割ったのか!」
「も、申し訳ございません……」
「まあそういうわけで、トーヤ様の側近のサイガさんにお話を伺いましたの。こういう場には、当然腹心の部下を連れてくるものですからね」
クオン先生の言葉は普段通りなんだけど、はっきり言って怖い。どこがどうとか言えないけど、めっちゃ怖い。こっちからは背中しか見えてないのに、ごごごごごって効果音が聞こえてくるみたいだ。
というかトーヤさん、『口を割った』って要するに悪いことしたって言ってるようなものじゃないか。大丈夫かこの人。もしかして、目的達成寸前でぶっ壊されたから内心パニクってんのか。
「ああ、乱暴なことはしておりません。ただちょっと、本当のことだけをお話いただいたくらいですから」
「あの屋敷の中で、魔術は使えないはずだ」
「接触魔術が使えるのは、あなただけではないんですよ。トーヤ様」
魔術で尋問って、許されてるのかな。いやまあ、嘘つけないって術とかあるんならいいんだけど。って、字面で何となく分かるけど初めて聞く単語が出てきたなあ。
「接触魔術?」
「聞いて字のごとく、相手に接触することで発動できる魔術ですね。普通の魔術はちょっと離れてても掛けられるんですけど、シーヤのお屋敷の中ではそれができませんから」
「あらかじめその魔術を掛けた物を準備しておいて、術をかけたい相手に接触。その後トリガーが発動することで、その術は効果を発揮します。この場合は飲み物に混ぜる薬か何か、あたりでしょうか」
クオン先生に続いてミノウさんが説明してくれたのは、多分ジゲン先生の魔術教室で教わったからなんだろうな。俺も、魔術の知識くらい勉強しないと駄目かな。
だって、俺がわけ分かんなくなったのは、グラスがぶつかる音を聞いてからだったし。
もしかして、術掛けられたのってあの乾杯の時か。目の前で取ったグラスに、いつの間にか何か混ぜたのか。
「まさか、シキノ家のご当主様が魔術をお使いになるとは、寡聞にして存じ上げませんでしたけれど」
「……私も、です。父上が、魔術を使えただなんて知りませんでした」
「タイガさんも、知らなかった?」
俺が呟いた言葉に、背後から「はい」って答えが帰ってきた。何だ、そりゃ。
実の息子にすら知られてないなら、ほとんど知ってる人はいないんだろうな。それこそ、クオン先生が『お話を聞いた』側近さんみたいな人くらいしか。それで、魔術を使って俺を手に入れようとしたってか。
……まあそれはそれとして。そもそも、の問題があるんだけど。
「あの。でも、何で俺に虫がついたら困るわけ?」
「簡単ですわ。要するに、トーヤ様はセイレン様をご自身の妻にしたかったんですの。何しろセイレン様は、メイア様の血を引かれる可愛いひとり娘ですもの」
「は?」
「サリュウ様をシーヤの養子にしたのも、メイア様との結びつきを深めたかったからでしょうねえ。何しろ、理由をつけて会いに来られますからね」
いや、えーと、もしもし?
つまり俺、本気で母さんの代わりにされかかってたわけ?
サリュウだって、母さんに会いに来る口実にされてたってことか?
なにそれストーカー? それも俺じゃなくて母さんの。
考えこむ俺の背後から、タイガさんが低い、真剣な声を出した。
「……父上。確かにメイア様のことを愛しておいでだったことは知っております。ですが、既に30年以上前の話で」
「たかだか30年で、吹っ切れるわけがないだろうが」
うわあ。
30年をたかだか、と言ってのけるあたり、かなりマジみたいだな。俺どころかタイガさんが生まれる前の話だもんな、そもそも。
「だが、さすがのわしも人妻を奪うつもりはないよ。ただ、その血を引く娘はぜひ手元においておきたいと思っただけだ」
「うわキモい」
すいません、本音が口から出ました。いやだって、そうだろう?
30年以上も前に振られた女にずっとベタボレなのはまだいいよ。こっちに迷惑掛けなけりゃ。それが高じて、その娘を嫁にしたいけど他に男寄せ付けたくないからって、男にしたんだぜ? 冗談じゃねえや、こっちの身になれっての。
だいたいそれじゃあ、俺が別の世界で育ったことの理由にはならないぞ。
「そりゃなあ。お前、俺以上にしつこいたちだってのは知ってたけど、そこまでやるとは思わなかったぜ。ほんと」
不意に聞こえたその声に、俺たち全員が反応した。
慌てて振り返ったその視線の先に、もう1人現れている。ここにいるはずのない、俺のよく知ってる人。さっき俺が蹴った人と同じ声、同じ顔、同じ名前のその人が。
「……院長、先生?」
「お、お前青蓮か。見ないうちに綺麗になったなあ、さっすがモンド殿とメイア殿の娘」
よれよれのTシャツにジャージっていう、俺にしたらとっても見慣れた姿で四季野冬也院長先生は、すぐに俺のことを見分けて笑ってくれた。




