48.だいじな、物的証拠
ふと、アリカさんが表情を暗くした。俯いたせいだとも思うけど、でもなんか。
「アリカさん、どうしたの?」
「……あの。これは噂なんですけど」
俺が尋ねると、アリカさんはおずおずと答える。うーむ、噂って何だ。気になるな。
「タイガ様とサリュウ様の年齢があれだけ離れているのは、サリュウ様をシーヤの養子に出すためじゃないかって」
は?
「何だ、それ」
「シキノ家の領地では、まことしやかに囁かれているそうなんです。少なくともトーヤ様がメイア様を好いていらっしゃった、ということは領民の中でもお年寄りの方には周知の事実だったそうで」
ほんと、何だよそれ。
サリュウが、うちに来させるためにトーヤさんが作った子供ってことかよ。自分の息子を、母さんの息子にするために。いや何だそれ、わけわからないぞ。
えーと。
サリュウは俺より4歳年下で、つまり俺がいなくなってから4年後に生まれている。
対外的には俺は『病弱なので田舎で療養しているために表に出てこない娘』で、その俺に後継がせられないからってサリュウを養子として迎えた。実際には俺が行方不明になっているために、シーヤの家の後継者がいなかったから、なんだけど。
もし。
もしそれが、トーヤさんの思う壺、だったとしたら。
「……それ、誰かに話したか?」
「それはありません」
今度はアリカさんは、はっきりと答えてくれた。首もぶんぶん振ってくれたし。
「そんなこと、口が裂けても言えるわけないじゃないですか」
「当たり前だろ。俺が剣とか持ってたら、今頃流血沙汰になっててもおかしくないぞ」
「申し訳ございません!」
がばっと頭を下げたアリカさんに、俺はさすがにここで止めることにした。いや、さすがに言い過ぎたかもしれない。怒る対象、微妙に間違ってるしな。
だいたい、その発言をしたのはアリカさん自身じゃない。彼女は、どこからか噂を聞いてきただけだ。そうして、俺がいなくなった事件やシキノさんちの疑惑に関わることじゃないかって話してくれたんだから。
……でもまあ、タイガさんとサリュウ、年齢14も離れてるんだもんな。トーヤさんに好意を持ってない人とか、そんなこと噂してもおかしくないか。悪口、ともいうけどな。
「でさ、アリカさん。その噂どこから聞いたの?」
「え?」
「俺の育ったとこのことわざでさ、火のないところに煙は立たないっていうのがあるんだ」
「……噂が立つからには、それ相応の理由があるということですか」
「そういうこと」
ミノウさんが口を挟んでくれたおかげで、改めて俺は冷静になれた気がする。この場には俺とアリカさん以外に、もう1人いるんだって気がつけたからな。
少なくとも、サリュウがうちの養子になったのは事実だ。その時に、どうやらトーヤさんは喜んでたらしい。
その喜んだ意味がうちの養子になれたからなのか、『母さんの子供』になれたからなのか。ま、家と結びつけたからか母さん個人と結びつくことができたからか、だよな。後者だと、下手するとストーカーだぞ、おい。
俺たちはシーヤの人間だから、シキノの家とか領内でどんなことが起きてるかとか分からない。けど、もしその噂が内側から漏れてきたもんなら、これは情報になる。
嘘でもそんなことを言われるような家だってことだし、もしかして本当のことだったりしたら、なあ。
「あの。私の実家は農家なんですが、シキノ家の領地が近いのでそちらの市場に売りに出てるんです。それで、お付き合いのある方が内緒だよ、とうちの親に話したようで」
「あー。それで、シーヤの家に勤めてるアリカさんに伝わった、と。……やっぱりか」
分かりやすく内側から、だなあ。
シキノさんちの領地では、わりと知られた話。いくら何でもタイガさんがそういったことを軽々しく口にするとは思えないから、噂の発信地はトーヤさん回りかな。いや、そっちのほうが口固くないと駄目だろ。
というか、俺の弟馬鹿にすんじゃねえよ。ちくしょう、変な噂立てたやつ、覚えてやがれ。
姉貴というか兄貴というか、少なくとも俺はそれなりにブラコンみたいだからな。
こんこん、とノックの音がした。アリカさんが反応するより先に、ミノウさんが扉に向かった。しばらくして、ミノウさんはこっちに振り返る。
「セイレン様。ジゲン先生がおいでになってますが、いかがいたしますか」
「ジゲンさん?」
え、こんな時間にか。晩ご飯終わって一服してるわけだし、お年寄りってもう寝てる時間じゃないか?
もしかして調査の話なら、時間も遅いし明日行こうかと思ってたのに。
「入ってもらって。アリカさん、お茶もらえるかな」
「あ、はい。すぐ準備いたします」
めっきょり凹んでるっぽいアリカさんに気を取り直してもらうために、お仕事ひとつ。その背中を見送ってから、ミノウさんの先導でやって来たジゲンさんに向き直った。
「遅うに失礼いたしますじゃよ、セイレン様」
「あ、いえいえ。時間が時間だし、明日にでもお伺いしようって思ってたんですよ。そちらこそ、大丈夫ですか?」
立ち上がって、礼をする。しかし、魔術師って夏でもあんまり出で立ち変わらないのな。よく見ると微妙に生地が薄いものになってるんだけど、やっぱりずるずるした長いローブ、ってやつだし。
「ふぉふぉふぉ。何、まだまだ若いものには負けませんでのう。せめてひ孫の結婚を見るまでは、太陽神様も受け入れてはくれますまいて」
「とりあえず、クオン先生のお婿さん探しですか?」
「そうなんですじゃよ。可愛い可愛い孫ですからのう、良い夫に巡りあってほしいと思うておるのですがこれがなかなか」
座りながらそんなことをしゃべるジゲンさんは、何気に爺馬鹿である。いや、いいんだけどさ。
そういえば、俺は祖父さんとか祖母さんとか全く知らないなあ。こないだ墓所にお参りしただけだし。機会があったら、父さんや母さんに思い出話でも聞きたいなあ。
そんなことを考えている俺の前に、ジゲンさんがすっと封筒を差し出してきた。どこに持ってたんだと思ったけど、どうやらローブのでかい袖の中だった模様。
出てきた封筒は、俺の知ってる言葉で言うと多分茶封筒が一番近い。大学ノートくらいのサイズで、中身は書類だろうな。いわゆる魔法陣、みたいな模様の押されたロウで封がしてある。
「こちらで行っております、調査の経過を記してございます。1日馬車旅でお疲れだとは思いましたので、書にしたためましたじゃ。明日にでも、皆様方でじっくりお読みくだされ」
「済みません。気を使わせてしまって」
うわ、つまり調査書かよ。きっちり出してくれて、助かる。
何で俺に出してきたのかだけど、……まあ、俺が男だった辺りだろうなあ。そのこと知ってるの俺とジゲンさん除くと、両親とクオン先生だけだし。変に広めるのも何だしなあ。
と、このまま帰すわけにも行かないよな。幸い、引き止める口実はあるし。
「あ、アリカさんのおみやげのチェリアがあるんですけど、おひとついかがですか? 今、お茶淹れてもらってますし」
「おお、よろしいのですかな?」
「ぜひ。新鮮だそうなので」
ちょうどワゴンを押してきたアリカさんに気がついたのか、ジゲンさんはもともとしわの多い顔に更にしわを増やして、笑ってくれた。
で、まあお茶を飲んで一服。書類渡すだけなら引き止めても帰っただろうから、多分他にも用事があるんだろうな。そう思ってちょっと探るようにジゲンさんを眺めると、ニンマリと目を細めてみせた。うむ、こっちの思惑バレバレだろ。
「書には記してございませんが、少々思いつきがございましてこちらをお訪ねした次第でございます」
「思いつき、ですか」
「セイレン様をお育てくださった方についてです」
ぶ、と吹きそうになって抑えた俺、偉い。ちゃんとお茶飲みこんだ後だったしな。
だけど、院長先生についてか。トーヤさんと同じ名前で同じ顔で同じ声、だってことしかこっちの人はわからないだろうに、何を思いついたんだろう。
「その御方ですが、ひょっとしてこちらの人間だったのではないかと思いましてな」
「へ?」
カップを落とさなかった俺、やっぱり偉い。そーっと皿に戻して、それから改めてジゲンさんを真正面から見つめてみる。
ってか、院長先生がこっちの人?
何でまた、そんな思いつきが出てくるかな。
「たまたま赤子を見つけて、その服の縫い取りからこちらでつけられたのと同じ名をつけられた。その御仁が、こちらにいる特定の人物と同じ顔、同じ名、同じ声を持つ。何やらの結びつきがあっても、おかしゅうはございませんなあ」
「……」
言われてみれば。
まあ、そこまで偶然が積み重なるってのも変か。いや、俺今冷静ってわけじゃないからな? 現実逃避してるからな、多分。
「まあ、俺があっちに行ってたわけですから、その前に行ってた人がいてもおかしくはないんでしょうけど」
「そうそう、そういうことでございます。もっとも証拠は何一つございませんでな、年寄りの妄想とでもお考えくださいませ」
いや、その目は妄想じゃないって言ってるぞ、ジゲンさん。
確かに証拠はないんだけど。
でも、もし院長先生がこっちの人だったら。
俺を大事に育ててくれたのは、もしかして。
「ああ。それと、セイレン様にお願いがございましてな」
「え、あ、はい。な、何でしょう?」
おっと。
唐突に話が変わったんで、一瞬頭の切り替えが上手く行かなかったぜ。っていうか、さっきの話から振り切ってくれたのかな。
「こちらにお戻りになった時のお召し物は、まだ残されておりますかな?」
「あ、ありますよ。多分もう着る機会はないですけど、大事なものですから」
「おお、それはようございました。お願いといいますのは、そのお召し物をわしにお貸しいただけないかということでして」
「へ? ああ、いやまあそれはかまいませんけど、でもどうしてですか?」
制服と靴は、タンスの奥の秘密スペースにしまってある。俺が向こうから持ってきた、数少ない品物。
それを借りて、ジゲンさんはどうするんだろう。
「お召しになっておられた方に掛けられていた術の残りカスが、拾える場合がございますじゃ。セイレン様をお育てくださった御仁のこともございますで、それを調べてみようと思いましてな」
「……あー、証拠探し」
なるほどなあ。
あっちの世界だと魔術はないけど、その代わりに科学で犯罪の証拠とかを探し出す。着てた服の繊維とか、くっついてるちょっとしたゴミとか、いろいろ。
こっちの世界では、魔術のゴミとかが服に残ってる場合があるわけか。魔術のプロであるジゲンさんだからこそ、探し出せるような何かが。
俺、さらわれて性別変えられて別の世界に放り出された被害者だもんなあ。考えてみりゃ、その状況を一番知ってるのは俺の持ち物、ってことか。
「一番近くにあるのなら指輪ですけど、これはいいんですか?」
「セイレン様の大切なお守りですからな。入り用であれば、直接お越しいただきますじゃよ」
「……気を使ってくれて、ありがとうございます。分かりました、服出してきます」
「あ、セイレン様」
「いいよ、俺が自分で出してくる」
いや、確かにベビーリング貸せって言われたらちょっと悩んだけどさ。でも、本当にありがとう。
ミノウさんには断って、寝室に入ってタンスの隠し場所から制服と、靴の入った箱を取り出す。それから、ちょっと考えてお守り袋を棚から出してきた。
俺に掛けられてた魔術のゴミを探すなら、指輪ほどじゃないけど長く持ってたこっちの方がついてる可能性が高い。洗濯もしてないし。
「どうぞ。こっちの箱に、履いてきた靴が入ってます」
持ってきた箱と制服を、テーブル……は靴あるからなあ、と思ってジゲンさんの座ってるソファの横まで持っていった。それから、お守り袋をその上に載せる。
「それと、これも良かったら使ってください。服は3年しか着てませんけど、こっちは作ったのがたしか10歳くらいだったかな……だから、8年持ち歩いてましたから」
制服よりも俺のことを知っている、ベビーリングをしまっておくためのお守り袋。
これ、自分で作るまでは施設の人が好意で作ってくれたものを使ってたんだけどさ。何となく自分で作りたいなあって思って院長先生に相談したら、布と裁縫セットを出してきてくれたんだ。出来上がるまで、指何度も刺したっけ。
「おお、恐れ入ります。ありがたく使わせていただきますぞ」
ジゲンさんは箱や制服を両手で持ち上げて、とってもありがたいもののように顔の前に掲げた。いや、俺としても役に立ってくれるならそれが一番だけどさ。
「切り刻んだりしちゃっても構いませんよ?」
「いやいや、そこまでは。すこうしほつれた糸くずをいただくかもしれませんが」
「はは、そのくらいならいくらでも」
「くれぐれも、よろしくお願いします」
「承知いたしました。セイレン様と、シーヤのお家の御為に全力を尽くしましょうぞ」
深く、大きく頷いたジゲンさんの目は、今までとは打って変わってめちゃくちゃ真剣なものだった。
ジゲンさんがここまで言ってしまうってことは、……やっぱり大問題だよな。
タイガさんが調べてくれてるのはシキノの家に過去何があったかで、ジゲンさんが調べてくれてるのは俺の誘拐関係。
まさかとは思うけどこれ、ガチで関係あったらえらいこと、だもんな。




