45.おとどけ、蝋封手紙
それから数日。草原にハイキングに行ったり、村でこっそり買い物したりして、のほほんと時間は過ぎていった。
いやさ、こっちの調べ物は屋敷に残ってるジゲンさんにほぼお任せだし、第一俺たちが別荘にこもって出てこなかったら何してるんだって疑われる、なんて父さんが言ったからなんだけど。ま、確かにお盆にかこつけて夏のお休みを満喫しに来た金持ち一家、だしなあ。
で、今日は屋敷に帰る前日である。行きもそうだったから、帰りも当然一日仕事なわけで、のんびりできるのは今日が最後。
のんびりと朝食を食べながらの会話も、あくまでも普通の一家のものだ。だってさ、ゴドーさんにまで知られるわけにもいかないし。いくら母さんに仕えてくれてる人とはいえ、な。
「明日にはもう、お屋敷に帰るんですね。何か名残惜しいなあ」
「そうだな。でもまあ、いつまでもこっちにいるわけにも行かないだろ、特に父さんは」
「ははは、まあな。帰ったら、ユズルハでは片付かん仕事が山積みだ。領主としてがんばらんとなあ」
「あらあら。ユズルハさんで片付かない仕事なんて、あなたのサインくらいでしょうに」
母さんがそんな風に言い放つと、父さんは「ぐ……」と言葉に詰まった。おいおい、マジじゃないだろうな。
「父さま、できればそこで否定して欲しいんですが」
「無理よ、サリュウ。だって、本当のことですからね」
慌てて口を挟んだサリュウに、母さんはしれっと言ってのける。いやいや、いくらゴドーさんとかしかいないからって駄目だろ。助け舟、出してみるか。
「……せめて、書類を読む仕事くらいは残ってるんじゃないですか?」
「セイレン……お前、メイアに似てきついこと言うなあ」
……あれ?
俺、母さんに似てるの?
っていうか、もしかしてトドメさした?
「あ、セイレン。そこで謝ったりしちゃ駄目よ。追い打ちになりますからね」
「……あ、はい」
謝ろうとする前に、母さんに止められた。そうか、駄目なのか。
うう、母さんに似てるのかー。まあ確かに実の親子だけど、でもなー。
なんてことを考えてる俺の前で、どうにか立ち直ったらしい父さんが表情を引き締めて、俺に向き直ってきた。
「……そうだ、セイレン。あまり言いたくはないのだが、念の為に伝えておくか」
「はい?」
「トーヤ殿がな、タイガ殿との縁談について打診してきておる。こちらとしては、しばらく娘を手元においておきたいと返信しておいた」
「は?」
縁談って、要するにタイガさんと結婚しないか、と向こうから言ってきたってことかよ。
いや、とりあえずその気はないっていうか、まだ中身男だし。いつ女になるかなんて分からないけど、っていうかなるのか?
まあ、地味に親馬鹿炸裂中の父さんには感謝しておく。うん。
「あ、ありがとうございます。俺としても、せめて来年の春くらいまではシーヤの家で過ごしたいです」
「そうねえ。せっかく帰ってきてくれたんだから、1年は一緒にいたいわね」
母さんも同じ意見。そりゃそうだろ、18年探しまくってやっと戻ってきた我が子なんだしさ。
「セイレン様」
朝食が終わって食堂を出たところで、ゴドーさんに呼び止められた。
「あなた様宛てに文が届きましたので、お預かりしておきました。どうぞ」
「ふみ? あ、ありがとうございます」
一瞬考えたけど、そうだ手紙だ。礼を言って受け取ると、白いきれいな封筒に宛名として俺の名前が書かれてた。うわ、この人、字が綺麗だな。俺、習い始めて3ヶ月経ってるけどまだまだでさ。両脇からミノウさんとオリザさんがチラチラと視線を向けてるのが分かる。はいはい、俺だって誰からか知りたいからね。うん。
んで裏をひっくり返すと、ロウで封がしてある。んでその下には、多分出した人の名前が書いてあった。えーと……しきの、たいが?
「……タイガさんからだ」
「タイガ様からですか?」
「そうみたい。合ってるよな?」
「あ、はい、合ってます」
一応2人に確認してもらったけど、間違いないようだ。いい加減すらすらと読めるようにならないとなあ、父さんから本借りて読めないや。
それはともかくとして、さて。
こないだの状況を考えると、タイガさんが俺に手紙出してきたってことは、調べるって言ってたあのことか。そうなると、俺とミノウさん、オリザさんだけじゃ脳みそが足りない。多分。
「……ミノウさん。クオン先生、部屋に呼んでもらえるかな。タイガさんから文が届きましたって」
「すぐ呼んでまいります」
即座に部屋を出て行くミノウさんを見送って、とりあえず俺とオリザさんは部屋に戻った。
「詰まったら、フォローお願いしますね。えーと」
クオン先生が来てくれたところで、改めてタイガさんから来た手紙を開く。大体は読めるんだけど、ところどころ怪しいところをクオン先生にチェックしてもらいながら読んでいった。難しくて普通は使わない言葉とかあるんだよ、貴族って面倒だな、おい。
でまあ、大雑把に言うと、シキノ家はめっちゃ怪しいことだらけだったらしい。
トーヤさんのお母さんとトーカさんのお母さんがそれぞれ亡くなった日が、ほんの数日しか離れてないとか。
大体同じ時期にシキノの使用人さんがごっそり入れ替わってるらしいとか、辞めた使用人さんへの退職金が結構洒落にならない大金だったとか。
こんなこと調べてるのバレたら、マジでタイガさんやばくないか。時代劇の見過ぎかね、俺。
「……まずいですよねえ、これ」
「タイガ様のことですから、慎重に調査なさってるとは思いますが」
クオン先生はそう言うけど、何しろよその家のことだから俺たち、うっかり手出しなんてできないしさ。こんなんでタイガさんが何かえらいことになったら、……俺のせいだ。
ああやめやめ、今そんなこと考えてても始まらない。まずは、目の前にある情報からだろ。
「というか、トーカさんの話って30年くらい前の話でしたよね。こんな簡単に分かるものなんですか?」
「各領主家には、代々伝わる帳簿がございます。少なくとも、シーヤにはこちらの屋敷を本宅にしていた頃からのものが残っていると聞いています。おそらくは、それを調べたものかと」
俺の疑問に答えてくれたのは、ミノウさん。そっか、そういうものがあるんだ。昔から続いてるってことは、ある意味その家の歴史でもあるんだな。
ん。あ、ひょっとして。
「もしかしてその帳簿、日記代わりにメモ書きとかついてたりとか」
「どこの世界でも、そういうのは同じなんですね。備考欄に残っていたメモのおかげでいろいろ助かったことがある、と旦那様がおっしゃっていましたよ」
「あー、そういえば何年か越しのお祭りで必要なものとかー、前回の時の帳簿ひっくり返して探したって聞いたことありますう」
やっぱりかー。院長先生が、施設の帳簿っていうかほとんど家計簿だったんだけど、そのノートの端に今日はこんなことがあった、とかメモ書きしてたの知ってるんだよ。
……院長先生、か。自分と同じ名前、同じ顔、同じ声をした人が、別の世界で何やらやらかしてるなんて、思ってもいないんだろうなあ。
「それにしても、調べれば分かるところに書いて置いといたのかあ。裏帳簿とか、そこら辺なら分かるんだけど」
思わず、そんなことを口にした。刑事ドラマとかでもさ、本来役所に出すような帳簿とは別に裏帳簿が金庫から出てきたりするだろ? そういうの、なかったのかな。
「表に出せない書類、ということですか? 領主家に伝わる帳簿というのは、基本として領主と家令しか閲覧できないことになっているはずです」
「あー、トップとその腹心しか見られないから安心、ってことですか。タイガさんは次期領主だから、見ようと思えばどうにかなるんですかね」
クオン先生の言葉を信じるなら案外、そこら辺はザルだったらしい。一応金庫とかに入れておいた可能性もあるけど、何しろ見たのがタイガさん、跡継ぎだからなあ。
あーもしかして、俺とかが入れない父さんの私室ってそういうものしまってあるのか。そういうことかあ。
さて。せっかく情報を頂いたのに、こっちからは何もなしってのもな。
こっちでも書き取りの練習はしてたから、手紙を書くのに問題はない。
「ん、とりあえず返信すっか。クオン先生、ミノウさん、オリザさん、後でチェックお願いできますか?」
「え? あ、文の内容をですか?」
「そっちもあるけど、主に綴りの方を。人に出すんだし、間違ってたりしたら恥ずかしいんで」
「わっかりましたあ。そういうことでしたら、わたしに任せてくださいねー」
えっへん、と胸を張ったのはオリザさん。実は、地味に魔術語のマスターが3人の中で一番早いらしい。ってことは、言葉とか文章とかが案外得意分野なんだ。
「じゃ、私はサポートに回りますね。ミノウさんはどうなさいます?」
「わ、私はお2人にお任せしますっ」
にっこり笑ったクオン先生に話を振られて、ミノウさんは慌ててぶんぶんと首を振った。脳筋、ってほどじゃないんだけど、本読んだりするよりは身体を動かす方が好きなのは分かる。その一方で俺の髪まとめてくれたりするのも好きみたいでさ、結構可愛いんだよね。
今お休みをとってるアリカさんは、割と普通なメイドさんだ。仕事はテキパキこなすし、頭のキレもいい。そばにいてくれると安心できるっていうか、何でもそつなくこなしてくれるから。
屋敷に帰ったら、アリカさんにもここらへんの状況はちゃんと言わないとなあ。きっと、力になってくれるだろうって思う。
万が一、タイガさん以外の誰かに読まれることを考えて、内容は無難なものにした。いいお話をありがとう、楽しかったです、また機会があれば聞かせてください、みたいな感じ。後、トーヤさんから縁談の打診があったこともちょこっと。
「内容的には無難ですわね。でもちょっと深読みしたら、ラブレターにも取れますよ、これ」
「え? 俺、そんなふうに書いてます?」
クオン先生の指摘に慌てた。いや、俺そう書いたつもりないんだけど。あー、でもそう読めてもまあ、いいかなあとは思う。タイガさんのこと、特に嫌いってわけじゃないしなあ。
「ちょっと気を持たせる感じ、ですね。タイガ様のことを心配してらっしゃるっていうのは分かるんですが」
「セイレン様、気い使いですからー。あ、綴りはだいじょぶですよ。クオン先生に教わってるんですから、自信持ってくださいな」
ミノウさんは困ったように頬に手を当てて、小さく溜息。オリザさんは楽しそうに、全文チェックを終えてくれた。いや、たしかにそうだけどさ。俺もだんだん文字書き慣れてきたけど、タイガさんの手紙見るとなあ。
「あー、うん。いやさ、タイガさん、文字綺麗だから」
「セイレン様の文字も読みやすいですから。あんまり達筆だと、逆に読みにくかったりするんですよー」
「ああ、それは何となく分かる」
オリザさんのセリフに、思わず大きく頷いたのは俺だけじゃなかった。いや、実はカヤさんが達筆過ぎて、メモ読めないことあるんだよ。母さんは読めるから、解読してもらうんだけど。
ミノウさんたちが必要だからって放り込んでくれた荷物の中に、俺専用の蝋封セットが入ってた。
タイガさんから来た手紙のように、手紙は糊で閉じた後、上から溶かしたロウをハンコみたいにペタンと押すのがマナーというか何というか、だそうだ。途中で誰かに読まれたりしないように、ってことだろうな。
ろうそくを灯して、赤いロウを溶かす。封筒の閉じたところにポトッと落として、すぐ上からハンコをぺたん。で、ハンコを外すと、俺の名前をデザイン化したマークがそこにできている。
「っと。これでいいんですか?」
「はい、よくできました」
クオン先生、素直に褒めてくれてありがとうございます。初めてだから結構緊張するんだよ、こういうのってさ。
「えーと、タイガさんに出すのは……ゴドーさんに渡したらいいのかな」
「あ、私が出して参ります。こういう村にも、ちゃんと飛脚はおりますから」
はい、と手を上げたミノウさんに、「それもそうだ」と俺は頷いた。
普段、手紙を届けるときに、クオン先生んとこみたいに蛇は使わない。屋敷の場合は、使用人さんに街中の飛脚屋さんまで持って行ってもらって、そこでお金払って運んでもらう。急ぎの場合は割増料金とか、受け取り確認が必要な時は成功報酬みたいな感じで払ったりするんだって。
「じゃ、お願いします」
「行ってまいります」
封筒とちょっと多めのお金を渡してお願いすると、ミノウさんは深々と頭を下げて部屋を出て行った。余ったら何か買ってきてもいいんだけど、無理かなあ。




