41.そうして、同姓同名
固まった俺に気づくことなく、サリュウが「あ」と足を踏み出した。その声が何か嬉しそうなそれでいて面倒くさそうな、微妙な感じに聞こえた。
「シキノの父さま? 来られてたんですか」
「おお、サリュウ、帰ってきたのか。元気そうで何よりだ」
サリュウの顔を見て、院長先生……とよく似たその人は、親しげに声をかけてくる。声も似ているその人は、ゆったりとしたガウンみたいな服の上に刺繍の入った赤いベスト着てた。それを除けば、本当に似てる、けど。
シキノの父さま、とサリュウが呼んだってことは。
彼はシキノの家の現当主、シキノ・トーヤ。
俺を育ててくれた四季野冬也院長と同じ名前で。
……同じ、顔。
「……っ」
くらっとした。妙に気持ち悪い。
何だか、見ちゃいけないものを見たような気がする。
ちょうどそこへ母さんが、続けて父さんが出てくる。多分、この人のお見送りに出てきたんだ。
「あら、サリュウ、帰ってきていたの? セイレンも……どうしたの?」
「セイレン? 何かあったのか?」
「セイレン様?」
「姉さま?」
「だ、大丈夫。ちょっと、馬車に酔っちゃった、かも」
慌ててすっ飛んできた両親や弟たちに、頑張って笑顔を作ってみせる。ミノウさんが背中側から支えてくれたから、他人の目の前でぶっ倒れるなんて無様なことにはならなかった。昨日馬車には酔ってるから、俺の言い訳を疑う人はいないだろうな。
だけど、何かきつい。身体は平気だから、精神的に来ちゃったみたいだ。
俺がなんとか姿勢を立て直したところで、院長先生と同じ顔をした人は改めて俺に向き直った。うわ、マジで似てる。髪の色もそうだし、目元とか口とか体格とか。この距離からじゃ、眼の色は見えないけれど。
「おや。そちらはもしかして、セイレンお嬢様ですかな。モンド殿」
「……ええ。春にやっと屋敷に戻ってくることができた、可愛い娘です」
返事は、父さんが代わりにしてくれた。俺は『身体が弱い娘』ってことになってるはずだから、そう言われたって何の問題もない。ただ、もしかしたらあの人はそうじゃない、ってことを知ってるかもしれないのだけれど。
でも、俺は『元気になったから、屋敷に帰ってこられた』んだ。だから、ちゃんと挨拶くらいしなくっちゃ。皆に迷惑ばかりかけてられないよ。
「セイレン、と申します。はじめまして。どうぞ、お見知り置きくださいませ」
「……ええ、初めまして。シキノ家の当主を務めております、トーヤでございます。どうぞ、お見知り置きを」
ちゃんと、クオン先生に教わったとおりにスカートの端を摘んで、小さく礼をする。その俺の挨拶に対して返されたのは、完全に他人としての自己紹介だった。
ああ、よかった。この人は、院長先生じゃない。ただ、やたらと似てるだけの他人だ。
だけど、似過ぎてて、正直気持ち悪い。それに気づいてくれたのは、やっぱりいつも一緒にいてくれてるせいかオリザさんとミノウさんだった。
「セイレン様? あ、ちょっとしんどいみたいですねえ、お部屋に入りましょ」
「そうですね。申し訳ありません、セイレン様が少々お加減を悪くされたようなので失礼します。クオン先生、一緒に来ていただけますか」
「分かりました。では失礼致しますわ、シキノのご当主様」
さらっとオリザさんが話を進める。にこにこ笑いながら、俺の手を握ってくれた。
ミノウさんに答えて、俺の背中を抱えるようにクオン先生が手を回してくれる。それだけで何か、ほっとする。そのまま俺は、皆に抱え込まれるようにして玄関へ向かった。
父さんと母さんは多分不安な顔をしてたと思うんだけど、そのままトーヤさんを見送るためにその場に残ったみたいだ。サリュウも、自分の実の父親だからか俺については来なかった。しょうがないけどな、うん。
そのまま、俺は自分の部屋に何とか戻った。ミノウさんとクオン先生がベッドに寝かせてくれて、顔を覗き込まれた。クオン先生の手が額に当てられたのが、何か冷たくて気持ちいい。
「熱はありませんね……セイレン様、大丈夫ですか?」
「はい、何とか」
「今、オリザに飲み物を持ってこさせます。何か欲しいものはございますか」
「……あー、温かくてほっとするようなの、ほしいな」
「承知しました。クオン先生、しばらくセイレン様をお願いいたします」
「分かっていますわ」
ひと通りの会話が終わった後、俺をクオン先生に任せてミノウさんは小走りにベッドの側を離れた。で、もういっぺん先生が俺をまじまじと見つめる。まあ、気持ちは分かるけど。
「何がありました?」
「……あの、そっくりな顔、してたんです」
うまく言葉が出ない。それだけじゃ、俺が何を言ってるか分からないだろ。ああでも、あんまり名前とか言いたくなくて、でも言わなきゃわからないし。
「戻りました。セイレン様、サリュウ様が来られていますが」
と、そこへミノウさんのよく通る声が聞こえてきた。早いな、と思ったけどそうか、オリザさんに俺の希望を伝えてすぐ戻ってきたわけか。で、サリュウに会った、と。
サリュウか。何か、話聞いてもらいたい、な。
「入ってもらって」
「はい。どうぞ、セイレン様の許可が出ました」
「ありがとう。姉さま、大丈夫ですか?」
俺の答えを聞くが早いか、ミノウさんを押しのけるようにしてサリュウが部屋に飛び込んでくる。クオン先生が呆れたように目を丸くしたのは、多分こんな状態の俺が弟の入室に許可を出したから、だろう。
「何とか。サリュウ、お父さん、帰ったんだ?」
「はい。あの、何があったんですか」
「今、それをお伺いしていたんですよ」
クオン先生がサリュウに答えて、少し横に移動する。で、空いたところに弟がするりと滑りこんできた。俺の顔を覗き込んでくる表情は、うん、ものすごーく心配されている。
「そっくりな顔、してたんだ。声も、よく似てた」
サリュウを見て安心したのか、俺はやっとのことで、それだけを吐き出した。
どうか、分かってくれないか、な。
「そっくり? ……あ、もしかして」
一瞬考えて、サリュウははっと顔を上げた。ちゃんと気づいてくれたんだ。
名前のことを知ってるから、だろうけど。でも、ありがたい。
「姉さまを育ててくださった四季野冬也と、ですか」
「……うん」
ほら。良かった、偶然とはいえ、サリュウに知っておいてもらって。
そういえば、先生やメイドさんたちには伝えてなかったな。何か、言いづらくて。
そのせいで、クオン先生が不思議そうな顔をして、俺とサリュウを見比べる。
「しきの、とうや?」
「俺を、シーヤの家に戻ってくるまで育ててくれた人。四季野冬也、っていうんだ」
噛みしめるように院長先生の名前を告げるとクオン先生も、横で聞いていたミノウさんも目を見開いた。
「シキノのご当主と、同じ名前? まあまあ」
「本当なのですか、セイレン様」
「証拠はないけど、間違いない。同じ名前で、同じ顔で、同じ声。18年、親代わりにそばにいてくれたから、よく覚えてる」
あー、皆の顔、何か見れない。思わず腕で、目元を覆った。
もしかしたら俺、泣いてるのかもしれないな。初めてでなくちゃおかしいのに、懐かしい顔と声だったから。
「……あり得ない」
サリュウのつぶやきも、分かる。
名前も同じ、顔もよく似てる、声だってそっくり。世界を隔てて、そういう人物が2人。
いくら何でも同一人物、なんてことはないだろうけど、でも。
「ええ、普通に考えればあり得ません。ですが、ここまで来ると何かある、と考えざるを得ませんね」
ミノウさんが普段よりも低い声で、だけどそうはっきりと言った。思わず腕を外して、彼女の顔を見る。
ゴンゾウと対決した時の余裕のある彼女じゃない、完全に緊張した顔だ。
クオン先生も、いつもは見せない冷たい感じの瞳で、くるりと皆を見渡した。
「サリュウ様。私や他の皆も気をつけるようにしますが、あなたもお気をつけください。実のお父上のことですから、大変だとは思いますが」
「はい。僕の父は、シーヤ・モンドですから」
サリュウはそう言ってくれたけど、でも不安な表情をしてる。分かるよ、血の繋がったお父さんだもんな。
そのお父さんに、何か変なところがある。少なくとも俺を育ててくれた人と同じ姿で、同じ名前で。
こんな面倒に巻き込んじゃって、ごめんな。
「……ごめん。俺……」
「いいんです。姉さまは『お身体が弱い』んですから、ね」
18年の間人前に出なかった表向きの理由を口にして、まだまだ子供なはずの弟は俺に笑ってくれた。
その表情にふっとタイガさんの顔が重なって、少し驚く。いや、何であの人の顔が浮かぶんだよ。
……サリュウのお兄さん、だからかな。多分、そうだ。
「セイレン様あ、ご所望のスープ、お持ちしましたよー」
話を聞いていないオリザさんのちょっと間の抜けた声で、とりあえず深刻な話は中断することにした。そっか、スープにしてくれたのか。




