39.たたかえ、山羊牧場
しばらく馬と遊んだ後、多分サリュウ待望の山羊エリアに移ることにする。
いや、サリュウってば結局、馬の柵の側まで近寄れなかったのな。将来、タイガさんみたいに馬に乗れないと大変じゃないのかなあ、とは思うんだがまあしょうがないか。
山羊がいるのは馬がいたところよりもちょい高いところで、ちょっと傾斜が急だ。オリザさんやミノウさんに手を貸してもらって歩くけど、なかなか大変だ。
「かかと低い靴で来て良かったよ……」
「さすがにここでハイヒールを履いてくれ、などとは申せません」
「ま、しょうがないですよねー」
メイドさんたちも当然、ぺたんこに近い靴で歩いてる。舗装されてる道なんてないし、やっぱりスニーカー欲しいなあ。
で、やっとたどり着いただいぶ傾斜のある、でもきれいな緑色の草原で山羊はもふもふと草を食べていた。たまにめえ、めえと聞こえるのは山羊の声、でいいんだよな?
馬が鳥頭だったんで多少覚悟はしてたんだけど、あごひげがなくって前足が物つかめる感じになってるところを除けばわりかし山羊だった。何か言葉が変だけど、これが俺の感想。あ、角は太めで、あれで頭突きされたら痛いだろうなあと思った。
「こちらが山羊のエリアでございます。ゴドーには、乳や肉をよう買い上げてもろうてます」
「お身内でも、ちゃんと取引はされるんですね」
「そりゃもう、こちらも商売でやっておりますからな」
だよなあ。馬と山羊育てて売って生計立ててるんだから、いくら兄弟でもちゃんと金のやりとりしないとな。内々でごにょごにょとかすると、後で面倒なことになりかねないし。
一度だけ、院長先生が愚痴ってたことあったっけなあ。弟に金貸して、結局返ってこなかったって言ってたっけ。
……院長先生も、弟いたんだ。その時しか聞いたことなくて、すっかり忘れてたけど。
弟か。そういえばサリュウ、さっきからそわそわしてるな。……チーズのことも聞いてみよう。
「サリュウが、山羊のチーズが好きなんですよ。こちらの山羊の乳で作ったものですか?」
「ゴドーが仕込んでおるものならば、そうでございます。牧場でも、チーズやバターなどを作っておりますね」
「ガドーが作ったのも食べたことあるんだけど、なんて言うか、違うんだよなあ……」
ガドーさんの言葉に、サリュウが首をひねった。マキさんが小さく肩をすくめて、言葉を紡ぐ。
「別荘で作られるか牧場で作られるかで、やっぱりちょっと風味が違うみたいなんですよ。シーヤのシェフが肉や野菜の産地に結構こだわるんですけど、理由が分かりますよねえ」
「あ、そうか、作るところで味が変わってくるんだ。……ゴドーさんのチーズは頂いたので、こちらでガドーさんのチーズを食べてみたいんですけど、いいですか?」
「はい。ぜひ、食べ比べてください。どちらのチーズが美味くとも、わしら兄弟の誇りとなりましょう」
頼んでみたら、ガドーさんは深々と頭を下げてくれた。いや、そこまで仰々しいことじゃないと思うんだけどなあ。そんなにシーヤの家の名前、すごいんだろうな。未だに実感、ないけどさ。
「あー、セイレン様あぶないですー下がりましょうー」
「へ?」
オリザさんのちょっと間の抜けた警報に、慌てて顔を上げる。えー、何か山羊が1頭こっち向いてやる気だ。やたら角がでかいから、ボスとかそういうやつかな。前足で地面蹴ってって、闘牛の牛じゃあるまいし。
「こりゃ、ゴンゾウ! お前、シーヤのお嬢様の御前でまで喧嘩を売る気か!」
身構えた一瞬、ガドーさんの声に転びそうになった。ゴンゾウって、あの山羊の名前かよ。
あと、『まで』って何だ。あいつ、そんなに喧嘩っ早い性格なのか。それから、さすがに山羊には貴族だの領主だのってのは分からない、と思うんだけど。
まあそんなこんなであっけにとられた俺の腕を、オリザさんが引っ張ってくれた。急いで下がると、代わりに進み出る人がいる。
「……また私と対決するおつもりか。しつこいな、ゴンゾウよ」
指をばきばき鳴らしながら歩み出たのは、ミノウさんだった。えー、ゴンゾウがやる気なの、もしかしてミノウさんがいるから?
「……えーと、ガドーさん。あれ何ですか」
「うちの山羊のボスで、ゴンゾウと申しますじゃ。ミノウ殿には力負けしておりましてな、彼女がおいでになるたびに再戦を申し込むのが恒例となっておりまして」
「……毎回、負けてるんですか。もしかして」
「ええ。山羊仲間では向かうところ敵なしなのですが」
ふう、と深くため息をついたガドーさんの表情は、ガチで真剣なんだか芝居がかってるのかよく分からなかった。
ってかさ、ゴンゾウ。お前山羊なんだから、山羊相手に無敗ってところで納得しろよ。まあ、できれば問題ないんだろうけどさ。
「あらあら。ゴンゾウさん、山羊としてはもうかなりのお年じゃないんですか?」
「ですな。そろそろ後進にボスの座を譲っても良い頃なのですが、見ての通り元気でしてのう」
クオン先生、楽しそうに笑ってるし。サリュウは何か遠い目になってる、現実逃避するんじゃねえよ。カンナさんとマキさんが反応に困るだろ。
それにしても。相手が山羊とはいえ、ミノウさんって毎回勝負に勝ってるのか。もともと力自慢っぽいところあるけど、そんなに強いのか。
「……オリザさん。ミノウさんって、強い?」
「だから、セイレン様のおつきに選ばれたんですよ?」
にっこり笑って答えてくれたオリザさんに、俺は何も返せなかった。
強いから、俺つきのメイドに選ばれた。つまり、そもそも護衛も兼ねて選ばれたってことか。
18年かかってやっと帰ってきた娘が、もう手の届かないどこかに行かないように。
安心して暮らせるように、あの両親は強い人をそばに置くように選んだ。
「もしかして、オリザさんやアリカさんも?」
「本気出せば、そこらの男性になら勝てると思いますー。さすがにタイガ様みたいな人とか、あと複数相手だと1人じゃ厳しいですけど」
「私もそれなりに、です」
「……まだまだ未熟ですが」
オリザさんの後にカンナさん、そしてマキさんが続いた。あー、サリュウつきのメイドさんもそうなのか。そういや、サリュウに気付かれないように朝の自主練見てたみたいだし。
戦闘能力と、人に気づかれないように気配を消せるのと。
何か、マジでこっちのメイドさんって忍者、かも。
「姉さま」
サリュウの声に、意識を目の前に引き戻す。突進準備を済ませたゴンゾウが、地面を蹴る瞬間がちょうど視線に入った。
迎えるミノウさんは軽く腰を落として、半身に構えている。胸元で立てた腕が、まるで盾か何かみたいだ。
「ふっ」
軽く息を吐いて、ミノウさんは突進してきたゴンゾウの大きな角を、がっしりと掴んだ。で、突っ走ってきた勢いのままに持ち上げて、放り投げる。
「めえええええええええええええっ!?」
あー、こいつの鳴き声も山羊だ。何かほっとした、じゃなくって。
ゴンゾウはそのまま頭から落ちる、と思いきや空中でうまく回転して、前足から着地した。あ、掴めるようになってる前足が草をしっかり掴んでる。
「本日も、私の勝ちですね」
「めえ、めええ!」
ふふん、と勝ち誇るミノウさんの表情が何か珍しくて、可愛い。一方ゴンゾウは……山羊の表情なんて分からないけど、ちくしょう次こそは負けないぞーって言ってるようにいななくと、そのまま走り去ってしまった。
山羊の後ろ姿を見送って、クオン先生がぱちぱちと手を叩いた。なお、拍手も使い方というか何というか、は俺の知ってるままでほぼ間違いないらしい。馬や山羊見なきゃ、本当に別の世界かどうか分からなかったよ、うん。
「お見事です、ミノウさん」
「いえ。……セイレン様には、見苦しいところをお見せしてしまいました」
クオン先生の称賛にはちょっと照れたミノウさんだったけど、俺に向かった途端深々と頭を下げた。見苦しいって何が、と思ったけど対ゴンゾウ一本勝負なんて試合を見せたこと自体に、かな。
「あーいや、怪我がなくて何より……」
ま、何にせよ俺にはこれしか言うことがなかった。普通、山羊に突進されてぶつけられたら怪我するもんな。
というか、あのゴンゾウって山羊、年寄りじゃなかったっけか。
「やれやれ。いつになったらゴンゾウは隠居するのかのう……」
「ミノウさんに勝てたら、じゃないですかー?」
「ふむ。では、ゴンゾウはいつまでも隠居できませんね」
山羊って、隠居するんだろうか。こっちの山羊だけかな。
というかさあミノウさん。そもそも、何で山羊と真面目に勝負してるんだよ。楽しそうだからいいけどさ。
真面目に、といえば。
「僕、頑張って強くなりますから。マキやカンナに負けないくらいに」
ミノウさんとゴンゾウの対決をガン見していたサリュウが、妙にやる気を出していた。拳握って決意するのはいいんだけどさ、そのきっかけがどうもなあ。
まあ、もともと朝の自主練とかやってるから強くなりたがってるのは分かってるけどさ。俺としては多分、今後体力で追い抜かれるのは確実だし、頑張れとしか言えないな。
「はい、期待していますよ。サリュウ様」
「あ、でもゴンゾウと張り合おうとはしないでくださいねー?」
でさ。普通に答えたマキさんはいいけどカンナさん、それ比較対象絶対間違えてるから。




