37.びっくり、別荘朝話
ふっと目が覚めた。まだ暗いんだけど、何か空気が爽やかだなあ……と思って、思い出した。
そうだ、別荘に来てたんだっけ。屋敷よりも山の手にあって、夏の朝だけど割と過ごしやすいんだ。
「失礼します。お目覚めですか、セイレン様」
屋敷の部屋にいる時よりは柔らかいノックの音がする。ああ、起こしに来たな。
「起きてるよー」と声をかけながら起き上がると、扉を開いて入ってきたミノウさんと目が合った。
「おはようございます、セイレン様」
「……ん、おはよう」
「朝食前に身支度を整えるには、ちょうど良い時間ですね。寝起きがよろしくて、こちらは助かります」
にこ、と笑ったミノウさんの目元、微妙に笑ってないんですが。もしかして、もう少し早く起きろって言ってるか?
まあ、なんだかんだで朝からやること多いからなあ。顔拭いて着替えて髪整えて化粧して、ついでにトイレ行ったりしてから朝ご飯だもん。
いや、化粧除くと向こうの世界でもやってたはずなんだけど、結構ドタバタしてたからなあ。あっちじゃ男だったから、あんまり身だしなみに気を使うこともなかったし。
「おはようございまーす。お湯をお持ちしましたー」
「おはよう、オリザさん」
扉が開いて、オリザさんがお湯とタオル持ってきてくれた。あー、だいたいのことはメイドさんたちがやってくれるんだもんなあ、俺ものんきになるかな。
「今日もいい天気ですよー」
湯の入った桶をベッドサイドに置いて、ちょこちょこと鎧戸を開けに行くオリザさん。さ、顔拭いてすっきり目覚めるか。
鎧戸が開いて窓から明るい光が入ってきたところで、急に彼女が固まった。ミノウさんが不思議そうに外を見て、次の瞬間窓の側に置いてあった籠を片手で掴み上げる。大きく振りかぶって……って、窓の外に見えた白いの、タイガさんの馬じゃねえのか!?
「ちょー! ミノウさんストーップ!」
「っ!」
俺の声で、どうにかミノウさんが止まってくれた。慌ててベッドから立ち上がると、その横をすり抜けて窓際に向かう。オリザさんはしばらく固まってたけど、はっと気がついて「何でですかー!」と叫んだ。まあ、気持ちは分かる。
で、窓の外にはほんとに、白いけどカラスの顔をしたタイガさんの馬がいた。それに、馬だけじゃなくて背中にはちゃんと、乗ってる人がいる。
「やあ。おはようございます、セイレン様」
「…………おはようございます、タイガさん」
多分顔ひきつってると思うんだけど、さすがに隠すつもりはないぞ。ってーか、ミノウさんに籠ぶつけられて落っこちてたら良かったかも、とはちょっとだけ思ったけどさ。
「あの、セイレン様、タイガ様。のんきに挨拶交わしてる状況ですかコレ」
「いいんじゃないかな。少なくとも、夜這いとか暗殺に来たわけじゃなさそうだし」
オリザさんがやっぱり顔をひきつらせながら、突っ込みを入れてくる。いやまあ、どう見てもタイガさん武器持ってないみたいだし、第一こんな派手な馬で来たんだから見られた瞬間バレるだろ。
「ご安心を、セイレン様。こちらの別荘には、強力な防護壁が張られております。タイガ様はおそらく、あの位置からは近づけません」
「でも思わず籠投げそうになったわけか、ミノウさんは」
「……申し訳ありません、つい」
ミノウさんの言葉に、ちょっと呆れた。というか強力な防護壁、ってバリアかよ。この別荘、秘密基地か何かか。
……それとも、もしかして俺がいなくなったから、警備を厳重にしたってことか。
そうなんならきっと屋敷にも同じものがあって、それでも夜は早めに鎧戸を閉めたり衛兵さんたちがいたりして。
多分、防護壁を作ったのはジゲンさんなんだろうな。
まあ、そこら辺はあんまり深く考えないでおく。要するに警備が厳重なんだってことで、うん。
まずは目の前の空中で馬に乗ってにこにこ笑ってる、どこぞの次期領主様についてだよ。
「というか、朝も早くからなにやってるんですか」
「実は、墓参の途中なんです」
俺の問いに、タイガさんはごく当然のように答えをくれた。
墓参りか。まあ、お盆に当たる時期なわけだしそれは当然なんだろうけど、そこじゃねえ。とっととご先祖様に顔を合わせて来いよ、何で昨日会ったばかりの女の部屋を外から見てるんだよ。中身男だけど。
思わずジト目になる。タイガさんは軽く肩をすくめて、言葉を続けた。
「セイレン様のお顔を拝見したく、いてもたってもいられずにこのような形で失礼をしました」
……………………。
思わず窓枠に懐いてしまった俺を、とがめる奴はいないよな?
ぽん、と肩に置かれた多分オリザさんの手が、生暖かい感じがするのは気のせいだと思う。
「タイガ様。領主令嬢の部屋を、そのような形で覗くのは感心いたしませんね」
「覗きのつもりはなかったのだがな。結果的にそうなったのだから、申し訳ない」
相変わらずミノウさんは言葉がきついけど、でも正論だろ。
空飛ぶ馬に乗った金持ちイケメン兄ちゃんだから、まだどうにかなってるのであって。これで俺が普通に女の子として育ってたなら、どう思ってたんだろうか。
ま、考えても分からないのでやめとこう。とりあえずは注意しないとな。
「つもりがなくても覗きとしか考えられませんし、そもそもお……私はまだ寝着なんですよ。勘弁して下さい」
「それは確かに。軽率で申し訳ありませんでした」
優雅な礼は、俺から見てもかっこいいと思う。ただし覗いてごめんなさい、ってことでなければ。
「では、失礼致します。次回は正々堂々と、表からお顔を拝見に参りますので」
朝の空気に似つかわしい大変爽やかな笑顔を残して、タイガさんはそのまま飛んでいった。あーまー、いってらっしゃいと手を振るくらいはやってやるけどさ。
うーむ、普通の女の子っていうかお金持ちの娘さんは、ああいうのに弱いのか?
いやまあ、男のほうがカッコつけたい気持ちってのは分かるんだけどさ、される側になってみると寒いわー。教えたほうがいいのかねえ、言葉選んで。
でも、とりあえず俺の口から出たのは一言だけだった。
「……何あれ」
「分かりません」
ミノウさんの答えも一言。彼女たちに分からないのに、俺に分かってたまるか。
いや、もしかしたら俺のほうが分かるのかもしれないけどさ。でも、やっぱり分からん。
「ほんとに、セイレン様のお顔拝見に来られただけじゃないんですかあ?」
「そんな馬鹿な」
そんな中で出てきたオリザさんの脳天気な推測を、だけど俺は完全に否定することもできない。いやだって、ほんとにそれ以外何もなさ気だったしさ。
「セイレン様、モテモテですねー」
「まあ、シキノ家の次期当主であらせられますから、お相手としては申し分ないのですが」
「……あー、そういうこと? もしかして」
オリザさん、そしてミノウさんのセリフで、さすがの俺も分かるっつうの。
俺の方は一目惚れはなかったんだけど、どうもタイガさんに惚れられたっぽい。
そうか、あの人あの歳になってまだ独身なの、女を見る目がないからか。
いや、友人としてなら割といい人そうだけどさ。俺はまだ中身はだいぶ男で、だから男の人相手に色恋沙汰がどうとか正直良く分からない。ま、男だった頃は女の子相手でも分からなかったけど。
「ってか、しばらく考えさせろっての。押せ押せで落とせるほど、女は甘くないと思うぜ……」
タイガさんが独身なわけ、もういくつかありそうだなあ。家のことはともかくとして、さ。
朝食の時に、家族やゴドーさんにタイガさんのことを話した。何気に、隣の部屋のサリュウにすら気づかれてなかったらしい。お前、もしかして部屋抜け出して朝の自主練やってたな?
「ぶっ! げほげほ……た、タイガ殿が?」
「あらま。お父上に似て積極的なのはよろしいけれど、時と場所を考えていただきたいものですわねえ」
父さんは軽く水を吹いてしまって、咳き込んだ。次に顔を合わせたら、何やらかすか分からないなあ。
母さんは単純に呆れてる。てか、タイガさんのあれってお父さん似なのか。ってことは母さんも、ああいったアタックを受けた可能性が………………そらまあ選びたくなくなるよなあ。駄目だろ、シキノ家。サリュウはその辺、大丈夫なんだろうか。姉として心配だ。
「ふーむ。タイガ様は、墓参りと申されたのですな」
で、ゴドーさんはちょっと考える顔。ああ、シキノさんちの領地が近いから事情はよく知ってるんだろうな。
「シキノの墓所はここより更に山の中でしてな、早うに家を出るのはおかしいことではないのですが、わざわざ寄り道でございますか。初めてでございますよ、そういった話は」
……前例、なさそうだな。
てことは、かなりマジ? いやマジでもそうでなくても、こっちは困る。いろいろさ、考える事あるじゃないか。
主に、シキノの今の当主についてだけどさ。だーもー、当人のこと考えるより先に家のこと考えなきゃならないっての、めんどくさいなあ。タイガさんが悪い人じゃないっぽいだけに、余計に。
「墓参りの途中に、わざわざ姉さまのお顔を見に寄られたんですか。兄さまは……」
うん。でもまあ悪い人じゃなくてもああいう兄貴を持って、実の弟として頭抱えたくなる気持ちは分かるぞ、サリュウ。というか、俺もあれが実の兄貴だったら頭抱えるか、ミノウさんじゃないけど籠投げつける。




