29.じんわり、体調回復
結局のところ。
寝込んだ日の推定昼過ぎに始まって、そこから4日ほど腹痛でベッドの中の人になった。腹っていうか、股間の奥辺りかな、あの辺がじんじんと鈍く痛くてさ。いやもう、これ毎月やるのかよ。きついなあ。
で、湯たんぽ……こっちでいうところの湯器の威力は絶大だった。お湯入れてちょっと厚手の布でくるんでお腹に当てると、しばらくしてじんわりと暖かさが移ってくる。それで、何か楽になるんだよ。いやほんと、先人の知恵すげえ。
湯器のおかげで、食事は何とかとれた。シチューとかポトフみたいな具が柔らかくて食べやすいものを作ってもらって、ベッドの上でゆっくりもくもくといただく。食べ物もあったかくてほっとする。
あ、トイレもちゃんと行けたぞ。上にガウン羽織って、メイドさんの誰かに付き添ってもらってさ。で、終わって拭くときにうわあ、となるわけだ。ナプキン交換もそうだけどさ。
トイレ用の紙って、こっちでは綿とかの繊維の屑をかき集めて紙みたいにしたやつで、柔らかいけど薄い。材料のかさ増しと補強のためにって普通に紙に使われる草木の繊維も入ってるらしいんだけど、でも何枚も使っちゃうと申し訳ないと思う。
「サリュウ様からお見舞いです。春祭りのおみやげだそうで」
2日目、寝込んだ日の翌日にはそう言って、ミノウさんが小さなガラス瓶を持ってきてくれた。中身は……ああ、ビオラの砂糖漬けか。ケーキに乗ってて、サリュウがお茶に入れて飲んだあれ。
俺が気に入ったの、気づいてくれてたのか。いい弟だよなあ、あいつ。
「元気になったら、これでお茶を飲んでくださいねという言伝をいただいております。セイレン様に代わり、お礼を申し述べさせていただきました」
「うん、ありがとう。あのお茶、美味しかったもんなあ……普通のお茶でも美味しいかな?」
「砂糖漬けを入れて飲む、ということは時々ありますから大丈夫です」
ミノウさんの言葉にほっとする。
塩漬けは保存食だってのは知ってるけど、砂糖漬けもそうらしい。結構日持ちがするものだそうで、日陰の涼しいところに置いといてもらった。元気になったらサリュウ呼んで、一緒にお茶飲もう。姉弟だし、おかしくないよな?
どうにか終わったらしい日には、久しぶりにお風呂に入った。毎日身体拭いてもらってたとはいえ、さすがに結構汚れるしな。
俺がベッド離れてる間に布団からシーツから上掛け、あと枕とかもごそっと入れ替えるらしい。ミノウさんが「お任せください。セイレン様が気持ちよく眠れるよう、整えておきます」とやたら力強く言ってたんだけど、もしかして力自慢なんだろうか。
「見てませんから、丁寧に洗ってくださいねー」
湯船に浸かる前に、そんな風に言われてオリザさんとアリカさんに布で周囲を囲まれた。……いやまあ助かる、ありがとう。
で、局部洗う用……こういう時以外にも病気で寝込んだ後とかで洗う場合に使う桶があって、そこでこう丁寧に洗った。格好も大概だけどさ、べとっとするの気持ち悪いな。あと、鉄の匂いするのも。
あとあと、どうしてもこすれるせいで微妙に変な感じしたけど、これはまあ、なあ。
言わせんな、今後ずっと付き合っていかなきゃならない自分自身の身体のことだから、こっ恥ずかしいんだよ。
で、全身洗ってもらってすっきりしたところで、これも久しぶりに家族一緒に食事を摂った。濃い緑のドレスの上に、白いボレロっていうらしい短い丈の上着を着て、恐る恐る食堂に入る。
「姉さま!」
「セイレン。もう大丈夫なの?」
サリュウは嬉しそうに、母さんは心配そうに声をかけてきた。俺は何とか笑って、「ご心配をお掛けしました」と頭を下げる。父さんは……自分の席で腕を組んで、じっと黙ったままだ。母さんが一瞬目を細めて、ちょっと怒ったような口調で呼びかける。
「……あなた」
「……む。せ、セイレン、その、身体は大丈夫、なんだな」
「はい。おかげさまで」
えーと父さん、なんで微妙に口ごもるんだと思ったんだけど、やっぱり女の身体のことなんで聞きにくいとかだろうな。まあ、これは難しい問題だろ。いい年の娘を持った父親としては、さ。
「そ、そうか。ならばよかった。今後も、あまり無理をするでないぞ」
「はい」
この『無理』は体調だけ、じゃないよな。ほんとに、気をつけないと。
俺、あんまり外とか出歩かないようにしないとな。
さてさて、それから数日後。
俺の体調も落ち着いたので、ベッドで寝てる間に考えたとおり、サリュウを呼んで部屋でちょっとしたお茶会をした。前に母さんからもらったサブレとか、サリュウが買ってきてくれたビオラの砂糖漬けもあるもんな。
春祭りに一緒に来てくれたカンナさんを連れて、弟はちょっと緊張した面持ちで俺の部屋に入ってきた。あー、ちょい年離れた異性の部屋に入るんだもんな、そりゃ緊張するか。姉だし、中身兄だけど。
「し、失礼します」
「失礼しまーす」
「うん、いらっしゃい。サリュウ、祭りのおみやげありがとうな」
置いといてもらったビオラの砂糖漬けを示すと、サリュウはびしりと背筋を伸ばした。おーい、授業参観でも入試でもないんだからそこまで緊張するなよなー。……いや、そんなもんこの弟は経験なさそうだけどさ。
「い、いえ! カンナがこれがいいんじゃないかって言ってくれたんです」
「え、そうなの?」
「はいっ。セイレン様、サリュウ様の真似っこして砂糖漬けを落としたお茶を飲まれた時、すっごく優しい顔になられてましたから!」
「あー、はは、そっか。カンナさんもありがとう」
それもそうか。このくらいの男の子が、そこまで敏感じゃあないよなあ。俺はこの歳になっても鈍感だったらしいけど。うん、人から言われていまいち自覚ないくらいだから鈍感なんだろうなあ。
ま、ともかくサリュウに座ってもらって、オリザさんが淹れてくれたお茶に砂糖漬け落として飲む。カンナさんにもご馳走したら、「ありがとうございますーわーい」ってものすごく喜んでくれた。ただ、同じテーブルじゃなくて少し離れたところで、だけど。
「そういえば、姉さまが休まれている間に実の父が来たんです」
サブレを1つ食べ終わってから、サリュウがそんなことを言ってきた。そういえばこいつは、俺がいなくなったこの家を継ぐために養子として来たんだっけなあ。そういうことなら実の親が会いに来てもおかしくはない、のか。
「実の? ああ、遠い親戚とか聞いたかな。来てくれたんだ?」
「はい。久しぶりだったんですが、姉さまのことを妙に聞いて来られました。それで気になって」
「俺のこと?」
思わず自分を指さすと、サリュウはこっくりと頷いた。何で俺、と思ったけどすぐに自分がどう思われているか、に気がつく。
「ま、そりゃ気になるだろ。療養とか言って、どこに行ってたか分からない娘なんだからさ」
「いえ、それが……」
俺はそう返したんだけど、妙に弟の表情が真剣なものになった。口ごもってしまって、お茶を一口飲み込む。それから俺を見る目が、何かこう、深刻というか。
「遠いところからよくお戻りになられましたね、と言っていたんです。それが、ものすごく遠くを見るような目で」
「は?」
遠いところから、よくお戻りに。
俺は、家の外では『身体が弱くて療養していた娘』ってことになっていたはずだ。
その言い方だと間違ってないけど、でもなんか文章のニュアンスが、そうじゃないって感じで。
「……ええと。サリュウの実のお父さん、俺がさらわれたってことは」
尋ねると、サリュウはふるふると首を振った。横に。
ここらへんのジェスチャーも俺の知ってる通りなんで、ほんと助かる。
「知らないはずです。僕もシーヤの家に来て何年も経ってから、初めて聞かされましたし」
「……療養先から戻ってきたと思ってる、にしては言い方が変だな……」
「ええ」
どこからか、俺のことがバレてるってことなのかな。
俺がさらわれて遠い、別の世界にいたなんてことをひた隠しにしてるのは、こういろいろ問題が起きてもおかしくはないからだ。
別の世界にいたことは両親とジゲンさん、そしてクオンさんしか知らない。
さらわれていたことはシーヤの家の人たち、そして使用人さんたちしか知らない。
けど。
「……っていうか、いいのか? サリュウ」
ふと気がついて、弟に問いただす。
そんなことを言ってきたってことは、こいつの実の父親が怪しいんじゃないかって言ってることになる。
「何がですか?」
「いやだって、そういうこと言ってたのってサリュウの本当のお父さんだろ? お前にとっては、大事な親御さんだ」
「ですが、今の僕の父はシーヤ・モンドです。僕の名前はシーヤ・サリュウなんですから」
「そりゃそうだけど……」
きっぱりと答えてのけたサリュウに、答えを返せなかった。
俺だって、ここに来るまでは四季野青蓮だったんだし、その気持ちは分かるけど。
でも、今の父さんと母さんはやっぱり、父さんと母さんで。
「ですから、今の僕にとっては親戚のおじさんなんですよ。シキノ・トーヤは」
「………………は?」
一瞬、耳を疑った。
今、サリュウは何て言った?
「えと、今、なんて」
「え?」
「しきの、とうやって言ったか?」
「はい。シーヤ家の遠縁に当たる辺境領主シキノ家の当主トーヤが、僕の実の父です」
目を見張ったままの俺が噛みしめるように言った名前を、サリュウは頷いて受け止めた。
シキノ・トーヤ。
四季野冬也。
同じ名字で、同じ名前。
サリュウの実の父親と、俺を育ててくれた院長先生が、まるで同じ名前。
「……まじかよ。同姓同名って……」
「同姓同名?」
「俺を育ててくれた人、四季野冬也っていうんだよ」
「は?」
今度はサリュウのほうが、目を見張る番だった。そりゃそうだよな。
サリュウにとっては知らない遠いどこかにいる人が、自分の実の父親と同じ名前だなんてさ。
「偶然って、あるんですね」
「……そ、そうだな」
呆然と返された言葉に、俺は頷くことしかできない。
あの日、俺が見つけて追いかけた背中。
院長先生が、まさか。