20.おまかせ、家庭教師
夕食は、無事に終わった。
うん。多分、無事に。
ただなあ。
「つ、疲れた……」
「緊張なさったのですか、セイレン様」
「うん、割と」
ぐだーっとソファの背もたれにもたれる俺に、さすがのミノウさんもツッコむ気は起きなかったらしい。
いやさ、晩飯自体は普通に終わったんだよ。何か、サリュウも嬉しそうに俺のこと見てたしさ。
でも、なーんか緊張しちゃったんだよなあ。
だってさ。
俺には縁のない豪華ディナー、ってやつが目の前に広がってたんだぜ?
カナッペってのか、クラッカーの上にチーズとかいろいろ乗っけた前菜から始まって。
深みのあるコンソメスープ、多分川魚なんだけど塩焼き、その後にどーんとビーフっぽいステーキ。
口直しに柑橘系のシャーベットが出てまた肉、今度はローストビーフ、推定。
んで、生野菜のサラダにデザートのプチケーキ、最後がお茶。
俺の帰還祝いってことで、普段はさすがにここまでフルには出さないらしいんだけど大盤振る舞いだってさ。
どう見ても食器は朝や昼に使ったのよりもずっとお高そうなやつだし、フォークやナイフもピカピカだもん。
テーブルクロスも綺麗な模様が入った新しいものだったし、ナフキンも同じ模様。おそろいかよ。
緊張するだろ。俺、こっちでのちゃんとした作法、マスターしてるわけじゃないし。
「ですが、今後またああいったディナーの機会も増えます。ですから、場に慣れておくのも大事ですよ。今でしたらまだご家族だけですからよろしいですが」
「……その前に、お作法覚えないとなー」
あーうん、ミノウさんの言うことも確かだよ。
これから絶対、ああいうディナーにお呼ばれしたりするんだぜ。回数こなして、場慣れするのも大事だろうな。
けど俺、マナー分からなくてうろたえる方を先に何とかしたいよ。
かんかん、と少し高いノック音がした。アリカさんはベッドルームに行ってるので、お茶の準備してたミノウさんがすぐに「あ、はい」とドアの方に向かった。
しばらく言葉をかわした後、彼女がこちらを振り返る。
「少々お待ちくださいませ。セイレン様」
「何、誰か来たのか?」
俺はユズルハさんかカヤさんかな、と思ったんだけど、答えはどっちでもなかった。
「あの、家庭教師のカサイ先生が、ぜひともセイレン様にご挨拶をしたいとのことです。いかがなさいますか」
あ。
そういえば、夕食の時に父さんが話を通しておいてくれたって言ってたけど、わざわざ挨拶に来てくれたんだ。
ちょっと疲れてるけど、俺も会いたいな。うん。
「あー。そだね、うん、入ってもらって」
「承知いたしました」
というわけで、ミノウさんにお願いして入ってもらう。何か座っててもあれなので、立ってお迎えしよう。
「初めまして、セイレン様」
そう言って頭を下げたのは、明るい茶色の髪をちょうど今の俺と同じようにうなじのところでまとめた長身の女性だった。紺色のシンプルな、あんまり露出のないドレスを着てる。
あと、ポイントとして眼鏡かけてる。横に長い、丸いレンズ……なんだっけ、オーバル? そういう感じの、細いフレームの眼鏡。
ちなみに胸は、俺負けた。あんなに重量感あるなんて……いや、勝負してどうすんだ。
「わたくし、カサイ・クオンと申します。シーヤ家ではお子様がたのお勉強、及び行儀作法を担当させて頂いております」
「あー、話は聞いてます。俺の読み書きと作法、お願いしたと父から聞きましたが」
「はい。お時間さえ良ければ、明日から担当させていただくことになりますね。どうぞよろしくお願い致します」
「こちらこそよろしくお願いします。ええと」
お互い頭を下げ合ってから、はて。
この場合、どう呼べばいいんだろと思った。
お祖父さんのことは成り行きでジゲンさんって呼んじゃったから、下の名前で呼んだほうがいいのかなあ。普通は苗字で呼ぶもんかな、と思ったけど、これは俺が育ったあっちでの考え方だと思うし。
答えは、向こうが出してくれた。
「ああ。カサイが2人おりますし、名前で呼んでいただいて結構ですよ」
「じゃあ、クオン……先生」
「はい、ではそれで。あ、どうぞ座ってください」
「ええ。失礼します」
あーよかった。よし、決定。名前の下は、さんじゃなくて先生にする。
だっていろいろ教えてもらうんだから、当然だよな?
とかそんなことを思ってたら、俺の向かいのソファに腰を下ろしたところでクオン先生はミノウさんを振り返った。ちょうど、先生の分のお茶を出してくれたところだ。お茶菓子って言えば昼にもらったサブレあるけど、さすがに夕食直後なんでパスだな。
「すみません。2人だけでしたい話がありますので、席を外していただけますか」
クオン先生の声が、ちょっとだけ硬くなったのが分かった。
2人ってこの場合、先生と俺だよな。何かあるんだろうか。
ミノウさんはちょっと眉間にしわを寄せて、それでも精一杯無表情を装って尋ね返す。
「……私どもにも、できない話なのでしょうか」
「少々深刻な話なので、できれば」
「承知しました。アリカ、少し席を外すぞ」
「え? あ、はい」
諦めたように小さく息をついた後、ミノウさんは奥にいるアリカさんに声をかけた。2人だけ、だから当然、アリカさんもいちゃ駄目らしい。
慌てて飛び出してきたアリカさんは、クオン先生を見ると深く頭を下げた。そして俺に「失礼します」って言って、ミノウさんと一緒に部屋を出て行く。
「えーと」
バタン、と扉が閉じる音がしてから俺は、改めてクオン先生に向き直った。
2人っきりで話をしたいらしい、彼女。
俺に、何の話があるんだろうか。
「ええと。まず、私はセイレン様に危害を加えることはありません。信じていただけます?」
いきなり、先生はそんなことを言ってきた。よく分からないけど、でも俺は、すぐに答える。
「はい。俺、自分に人を見る目があるかどうかは分かりませんけど」
「済みません。先にこれを宣言しておかないと、ちょっとありまして」
困ったように答えるクオン先生の目元が、ちょっとだけジゲンさんに似ているのに気がついた。
クオン先生のお祖父さん、俺を別の世界からこっちに引っ張ってきた魔術師。
あの爺さん、俺は結構いい人だと思ったんだ。その爺さんの孫娘で、何か目元似てるし。
ほいほい人を信じるな、なんてミノウさんとか院長先生には言われそうだけど。
っていうか、この問答何か意味あるんだろうか、と考える前にクオン先生は、言葉を続ける。
「それと、私は家庭教師ですがお子様がたのカウンセラーも務めさせていただいております。守秘義務はきちんと守りますので、大丈夫ですよ」
あー、カウンセラー兼任。
確かに、俺はともかくサリュウもさ、メイドさんにも知られたくないこととかあるもんな、多分。いやサリュウなんか男だしさ、その、こう、色々とな。
そういった時の相談役を、クオン先生はしてくれてるんだ。それで、2人っきりでの面会もOKなのか。
「例えば。セイレン様がこことは違う世界で、男性として生きてこられたこととか」
「え」
だからなのか、彼女はそんなことも知っていた。
多分メイドさんたちが知らない、俺が帰ってきたあの場にいた3人くらいしか知らないだろう事実を。
「祖父から伺いましたから。そのことで何か問題が起きた時は、相談相手になるようにと厳命されています。これも、外には漏らしませんわ」
「……あー。何か、お願いします」
だよねー。
多分ジゲンさん、クオン先生が俺の家庭教師もやってくれるって知ったから、教えたんだろうな。
はあ。何かホッとした。
それに、何だろうな。さっきの台詞じゃないけど、クオン先生は俺の味方なんだって、理由もないのにそう感じる。信じこませる魔術とかじゃないといいんだけど、ってこれは考えすぎだと思おう。
でも、味方なら、ちょっと聞きたいことがある。知ってるかどうか、わからないけどさ。
「ところで。俺のことを知ってるのなら、聞きたいことがあるんです。こんなこと、誰に聞いていいのか分かんなくて」
「はい。何ですか?」
「俺、生まれたときはほんとに女だったんですかね? 何しろ昨日まで18年ばかり男として生きてたんで、その辺分からなくて」
俺は、物心ついたときはもう男で、四季野青蓮という名前で18歳まで育った。それが昨日いきなり、お前は女でシーヤ・セイレンという名前だと言われて。
指輪っていう物証もあったし、もともと女顔で裁縫したりとかあったせいで、その話を割にすんなりと受け入れてはいるけれど。
「はい。それは間違いないと思います」
そんな俺の質問に、きっぱりとクオン先生は答えてくれた。
そうなのか。
俺、生まれた時はやっぱり女で、院長先生のところに辿り着くまでに男になってた、ってことか。
誰が、何のために。
「理由は分かりませんし、今でも犯人は分かっていないんです。シーヤ家の警備は見えないところで厳しいんですが、そのせいです」
「俺に3人、専属のメイドさんがついているのもそれで、ですよね」
「はい。サリュウ様にも同じく3名ついていらっしゃいます。警備の詳細は私も知らされていませんけれど、祖父が言うにはかなりのものらしいですよ」
おう、あいつんとこにも3人いるのか。オリザさんと似てる子しか知らないけれどまあ、そのうち会う機会もあるだろうな。
ってか、ジゲンさんはどんな警備してるのか知ってるのか。……絶対魔術絡んでるだろ、それって。
オリザさんが今日魔術語とか言うの習ってたけど、それもその一環か。
「祖父がこの家にお世話になることになった時に、話は聞いたんです。ひとり娘が行方しれずになって、その捜索及びお屋敷やご家族の守護に当たるためだと。私は、祖父の身の回りの世話をするために一緒に来たんです」
「そうですか……あれ」
えーと。何か引っかかったぞ。
俺がいなくなったのが18年前。そこからがたがたあってもさ、ジゲンさんを雇うのにさすがに10年とかかかるもんじゃないよな?
で、クオン先生はジゲンさんのお世話するために一緒にうちに来た、と。小さい子なら、一緒に来るにしても世話させるため、じゃないよなあ。
「……すみません、先生お幾つですか」
「あなたのちょうど倍、ですよ」
「え?」
にっこり笑って答えたクオン先生の顔を、思わず穴が空くほど見つめてしまった。
俺の倍。つまり36歳。
うそだろ、どう見ても20代だぞ。しわとかないし、肌つるつるだし。髪の毛もつやつやさらさらしてて、年齢言われても冗談にしか思えないんだけど。
「うわ、もっと若いと思った」
「あら、ありがとうございます。セイレン様、お世辞上手ですね。殿方だった頃はもてたんじゃないですか?」
「いやいや、全然」
お世辞はものすごく苦手だったんだよ、俺。
それに、もてなかったって言うか友人もあんまりいなかったしな。院長先生の手伝いしたり、たまに縫い物したりするのが好きだったせいもある。
……もしかしなくても、暗いって思われてたか、俺?




