19.ばったり、夜身支度
肩を、軽く揺さぶられる。聞こえてくるのは、いつもの声。
「青蓮。いつまで寝てるんだ、そろそろ起きないと遅刻だぞ」
えー。院長先生、いつもそう言ってめちゃくちゃ早い時間に起こすじゃないか。
いいだろ、もう少し寝かせろよ。
「こら、青蓮。そういうこと言ってる場合じゃないだろう。待たせてるぞ」
待たせてるって、誰をだよ。
だーかーらー、眠いから、もうちょっとだけ……。
「駄目だ。起きろ、セイレン」
「っ!?」
「きゃ」
妙な迫力に跳ね起きた瞬間、横から小さな悲鳴が聞こえた。
えっと思ってその方向を見たら、アリカさんが目を白黒させている。俺、驚かしちゃったかな。
つか、夢か。院長先生、夢でまで俺を起こすなよなあ。
「せ、セイレン様。お目覚めになりましたか」
「……あ、うん。おどかした? ごめん」
「いえ、大丈夫です」
うん、そういうと思った。これがオリザさんなら「驚きましたよ、もー」とか言うんだけどな。いや、そういうキャラだろ、彼女。
……って、あ。
俺、ソファに横になってたのかよ。腹の上には上掛けが掛けられててって、もしかして。
「俺、寝てた?」
「はい、それはもうぐっすりと」
「ごめん。確か何かあったよね」
うわちゃー、と頭を抱える。えーとこれで何回目だ。
すとんと意識が落ちる直前に、寝るなとか何とか言われたのはおぼろげにだけど覚えてるぞ。けどさ、ミノウさんのマッサージが気持ち良すぎてさ……いや、言い訳だよな、これ。
「戻りました……あ、セイレン様。お目覚めになりましたか」
ちょうど、そこにミノウさんが戻ってきた。手の上に、俺の制服が乗っかっている。そうなると多分、その下の箱には靴が入ってるんだな。そういえば、洗ってもらってたんだよな。
「あ、うん。ごめん、寝てたね」
「お目覚めになられたのならよろしいです。ああ、こちらの服が仕上がりましたので、お持ちしました」
「ありがとう」
ミノウさんから服と箱を受け取る。あ、ちゃんとアイロン当ててあるんだ。
返してもらったのはいいけど、この服も靴も今の俺にはサイズが大きすぎる。多分もう着る機会はないんだろうけど、でも俺にとっては大事なものだから。
「どこかにしまっておけるとこ、あるかな。タンスの奥でいいか」
「でしたら、洋服ダンスの中に貴重品を入れておける棚がございます。大きめのものも入りますから、そこでいかがでしょうか」
アリカさんが教えてくれた場所。タンスの扉を開けてドレスがぶら下がっているところの下、奥の隅っこに小さな金具があった。それを押すとくるんと回って、取っ手が出てきた。うわ、こんな仕掛けあったんだ。
取っ手を掴んで持ち上げると、ちょうど引き出しと同じくらいの空き場所。あれ、と思って引き出しを引っ張り出してみたら、奥行きがタンスの半分くらいしかなかった。なるほどなー。
「そこはよくある隠し場所ですから、実際に貴重なものをおしまいになるには役に立ちませんが」
「ここで十分だよ。ありがとう」
お礼を言って、制服と靴をそっとその中にしまう。一度だけその表面に手を当てて、そっちにもありがとう、とお礼を言った。
タンスを元通りにして、ふと気がついた。
そういえば、何かあって寝るなって言われたんじゃなかったけ、俺。
「えっと、何があったんだっけ? 多分晩ご飯だと思ったんだけどさ」
「ああ、そう、そうです。お夕食の前に、お支度がございますので」
「ええ。ですから、私が戻った時点でまだお休みでしたらお起こししようと思っておりました」
俺が尋ねたところでやっと思い出したらしく、アリカさんが上掛けをたたみながら軽くあたふたしてる。対照的に平然と答えたミノウさんが、時計の方に視線を向けた。
えーと、そろそろ6時になるくらいか。あれ、時間大丈夫なのか?
「あ、そうなんだ。時間、大丈夫?」
「はい。ちょうど良いタイミングでお目覚めいただけて助かりました」
そうかー、そりゃ良かった。晩ご飯に遅刻って、さすがに間抜けだもんなあ。
にしても、6時か。これから身支度整えてってことになると、6時半か7時くらいからが晩飯ってことらしい。朝も昼もわりかしゆったりと食べてたから、晩も結構時間かけて食べるんだろうなあ。
「すぐ、お湯をお持ちします。お身体を清めた後着替えをいたしまして、それからお夕食に向かうことになります」
「了解。いってらっしゃーい」
お湯を取りに行ったアリカさんを見送ってから、ミノウさんを振り返ってみる。背もたれのない椅子を引っ張り出して、テーブルの前に据え付けている。で、テーブルにはスタンドミラーって言うんだっけ? 大きな鏡が置かれていた。
「っていうか、晩ご飯の前に身体清めるって、毎日するわけ?」
「はい、そういう慣習になっております。ご家族皆様が揃ってのお食事ですし、特にお夕食はお客様がいる場合などもありますので」
「そういうもんなのかね」
「人前にお出になるのですから、綺麗な方がよろしいと私は思いますが」
「それもそっか」
晩飯前に風呂に入る、っていう認識すればいいのかな。施設にいた時は食事が先で、その間に風呂沸かして順番に入ってたから。小さい子がいる時は、大きい奴が交代で一緒に入ったりもしてたっけ。
アリカさんは、お湯を持ってすぐに戻ってきてくれた。お風呂に使ってるタンクから持ってくるんだそうだ。まあ、身体に使うもんだもんなあ。浸かるか拭くか、の違いだけで。
全身を拭くってことなのでソファじゃなくて、ミノウさんが出してきてくれた背もたれのない椅子に座る。あ、クッション固めだけど高さちょうどいい感じだな。
ふと視線を移すと、目の前の鏡に自分の顔が写った。昨日の晩にちゃんと見た顔だし、もともと女顔だったのがマジ女になったわけなので意外と違和感がない。
そこがちょっと困るんだけどな……仮にも男から女になったんだから、少しはおかしいと思わせろよ。
「お着替えはこちらに置いておきますね」
お風呂代わりに身体を拭くので、下着と服は取り替えるそうだ。アリカさんが持ってきてくれたドレスは、今までとは違って深みのある緑色だった。夜だとこういう方がいいのかな?
顔は自分で拭いた。つい以前の癖でごしごし力を入れて拭いたら、ミノウさんに「もう少し優しくなさってください」とたしなめられた。はい、気をつけます。何かちょっと痛かったし。
そこからタオルを渡して首筋、肩、腕。胴体も、ちゃんとブラジャーを外して拭いてもらう。お尻……まではいかず、腰回りくらいまで。下は外してないこともあり、そこから太ももに飛んでふくらはぎと足先。
あーうん、昨夜洗ってもらったのに比べればまだ、マシかな。熱出して寝てた時とか、こんなふうに院長先生に拭いてもらったことあるし。あの時のことを思い出すと、同じくらいさっぱりした感じだ。
「痛いところやだるいところなどはございませんか?」
「うん、平気。足も大丈夫だよ」
「それはようございました」
足の指の間まで丁寧に拭かれると結構くすぐったいんだけど、これは我慢しような、俺。
で、新しい下着を着けてドレスを着替えたところで、髪を整えてもらう。ドレスは、着てみると足元までさらっと流れるような感じの……しわ? 何て言うのかね、そういうのが結構綺麗にできていた。
ミノウさんは、男だった時より伸びている俺の髪をうなじあたりでまとめて、上に持ち上げてくるりと丸い感じにしてくれた。着けられた髪留めには、小花とリボンがついている。
「似合うかな? これ」
「似合うと思うものを選んで、着けさせていただいておりますから」
「……あーうん、ありがとう」
ミノウさんはきっぱり言ってのけた。つまり、似合う、のか。
まあ、目の前の鏡に写ってるのが自分だと思わない限りは似合って……るんだろうなあ、うん。俺にそういうのが分かるかこんちくしょう。
「靴下と靴をお持ちしました。柔らかいものを選びましたが、歩いている時に痛むようでしたら遠慮なく申し付けてくださいね」
「あー、うん。そうだな、変なふうになっちゃったら大変だもんなあ」
靴下は、濃い目のブラウンの膝くらいまであるやつだった。靴は黒で、アリカさんが言ったとおり柔らかい布でできてる。で、足首のところでリボン使って止めるタイプ。
俺の着る服とか、結構アリカさんセレクトなんだよな。ミノウさんやオリザさんが選んだら、どんな感じになるんだろ。ちょっと気になる。
「では、まいりましょうか。セイレン様」
「はーい」
ミノウさんとアリカさんに手を取られて、俺は立ち上がった。
ところでさ、このスカートふくらはぎ見えてるんだけど。
「可愛らしいですよ? セイレン様」
きっぱり断言してくれたアリカさん、すっげえ自信満々だな。まあ、彼女が選んだしな。
……だから、可愛いって言葉に慣れてる自分が怖いって。




