18.ただいま、食前一服
結局その後、俺たちはジゲンさんや勉強中のオリザさんと別れて屋敷に戻った。その際来た方とは反対側を回ったから、屋敷の周りをぐるっと一周したことになる。
だけど、父さんやサリュウの部屋の下にはあんまり目ぼしい施設がなかった。反対側と同じ背の高い植え込みはあったけど、そこからはジゲンさんの住んでるコテージや、離れたところにあるらしいいろんな施設まで延びる石畳の道くらいだったから。
「当主がお使いになる部屋の側ですから、何かおかしなものを置くわけにはいかなかったのでしょうね」
とはアリカさん。まあ、昔からいろいろあったんだろうとは思う。
っていうか、要するに防犯対策か? 泥棒くらいならいいけど、まさかとは思うがスパイとか暗殺とか……あーもう、何があってもおかしくなさそうだな、この世界。魔術師がいるくらいだし。
それはともかく。どうにか部屋に帰ってきて、柔らかいソファにペタンと座り込んで思わず、声が出た。
「……はー、疲れたー」
「セイレン様、体力ないんですね」
「というか、靴。この手の靴履き慣れてなくてさ、足だるくなっちゃった」
アリカさんの困ったような言葉に、俺はそう返すしかない。いやだって、慣れない女性の靴で屋敷の中から回り一周までしたんだぞ。疲れるだろうが。
女の子の靴って、何でこう横幅狭かったり爪先細かったりするんだろうなあ。おまけにかかと高いし。何かこう、ふくらはぎと足の裏が痛いんだよなあ。
第一俺、男の時でも革靴とかほとんど履かなかったんだぞ。大概安いスニーカーで、卒業式もそれで出たもんな。
……うんまあ、こっちにスニーカーみたいな靴なさそうだけどさ。
ミノウさんが小さく溜息をついて、俺の足元に跪いた。靴と足の間に指突っ込んだり、外から丁寧に触ったりしてるから、どうやら靴の様子を見てるみたいだ。
そういえば、俺の足のサイズチェックしてくれたのミノウさんだっけな。もしかして気にしてるかな、と思ったところで彼女が顔を上げた。
「サイズは間違っていないと思いますが、靴のほうがまだ新しくて固いので皮膚が擦れてしまっているようです。申し訳ありません、すぐ治療を致します」
「え、擦れてんの? うわあ、気が付かなかった」
そっと靴を脱がされた足の、アキレス腱あたりがちょっと赤くなってた。よくある靴ずれってやつかな。
いや、確かにだるかったんだけど、まさかそうなってるなんて気が付かなかったよ。
「新品の靴を履かれると、よく起こるものです。こうならないように手は入れておいたのですが、足りませんでした。誠に申し訳ありません」
「あーうん。多分、こういった靴履き慣れてないからだから。俺も気をつけないといけないな」
ああ、使い慣れたもんじゃないとこういうこと起こるんだな。それでか、新品の靴で靴ずれできるってのは。
「ミノウ、薬を持ってきたわ」
「ありがとう、アリカ。セイレン様、失礼致します」
「うん、お願いします」
部屋にある戸棚からアリカさんが持ってきてくれたのは、小さい缶に入ってるちょっと不気味な色の塗り薬だった。少しくらいの傷にはこれを擦り込んで、上から布を巻いて靴下で押さえる、らしい。
白い器に茶色い蓋の、俺は使い慣れてたあの軟膏みたいなやつかなあ。
ミノウさんの手で丁寧に擦り込まれた塗り薬は、ちょっとだけしみた。その上から塗り薬を乗せてた白い布、実は包帯を丁寧に巻き付けて、端を巻いた中に挟み込む。
「明日からはしばらくの間、靴下を履いていただいたほうがいいようですね。靴ももう一度手を加えて、足に馴染むようにしておきますので」
「うん、ありがとう」
薬や包帯と一緒にアリカさんが持ってきた靴下を履かせてくれてからそう言って俺を見上げたミノウさんに、俺はほっとした。いや、何か辞めますとか言われても困るしな。まあ、このくらいの靴ずれでどうとなるわけでもないか。
それはそうと。
マジで女の子の靴、大変じゃないのか。これ、毎日履いて歩いたり走り回ったりしてんのか?
女って、ある意味めちゃくちゃすごいなあ。
俺、大丈夫だろうか。だって今後、スニーカーゲットできる機会なんて多分ないぞ。
「靴、慣れなきゃ駄目かな?」
「慣れていただかないと困ります。今後はこれよりも、かかとの高いものを使われる機会が増えてまいりますので」
ぐおう、ミノウさんにきっぱりと断言されたよ。
今日履いた靴って、あれでもかかと低かったのかあ。ってことはつまり、今後履くことになるのっていわゆるハイヒールか。ピンヒールとかいうんだっけ、足踏まれたら刺さって痛そうなやつとかないだろうな。あれで平然と立てる女性、マジ凄すぎ。
あれ、かかとの高い靴を使う機会って。
「……あれか、外出とかパーティとかか」
「はい。あ、パーティの際はダンスを踊っていただくことになりますから」
「こーれーでー踊れってかー」
さらっと笑って答えるアリカさんに、思わず天井を見上げてしまった。うわ、天井もあれか、唐草模様ってのか。昨日はそれどころじゃなくて気づかなかったよ。
じゃなくって、今よりもっとかかとの高い靴でダンスって、絶対転ぶだろそれ。……ああいや、そうならないようにダンスの仕方も教わることになるんだろうなあ。
てか、こういう家で言うダンスってフォークダンスじゃないよなあ、社交ダンスってやつだよな。え、俺男に手を取ってもらって腰に手を回されたりして踊るわけ? 頭抱えていいよなあ、俺。
「セイレン様、どうなさいました?」
「あーいや、大丈夫、アリカさん。これから色々大変そうだなあって思ってさ……」
「それは致し方ありません。先ほど伺いましたが、これまでセイレン様は違う世界で暮らしてこられたのでしょう? なればまずは、シーヤの家に馴染んでいただかなければなりませんから」
うん、分かってる。
しかし、ミノウさんは言いにくそうなことでもしっかり言ってくれるなあ。これからも耳は痛いけど、多分言ってることは間違ってないから、ちゃんと聞かないとな。
ん。ミノウさんって言えばちょうどいいや。
「……そうだ。ミノウさん、マッサージ上手いって言ってたよね。軽くでいいから、お願いできないか?」
「はい、私でよろしければ」
昨日、オリザさんもアリカさんも言ってたもんなあ。足だるいし、一度体験してみよう。機会があったらって言ってたけど、こんなに早く機会が来るとは思わなかったな。
「では、失礼します」
とは言ってもさ、膝ついたメイドさんの膝の上に自分の足乗せてもらうなんて経験、初めてだよ。うん。
で、どうなったかというと、だ。
「んはあ、きもちいい……」
いやあ、ほんと空に上がっちゃう心地ってオリザさんが言ってたの、よーく分かった。
何というか力の入れ加減が絶妙でさ、ちょっぴり痛いんだけどその後にじんわりと気持ちよくなるのな。
あーもう、俺このまんまぐっすり熟睡できそう。
「セイレン様、お顔がその、少々不自由になられてますが……」
「んあー。だってミノウさんのマッサージ、ほんと気持ちいいんだもん」
「……あ、ありがとうございます」
顔が不自由ってどんなだよ、と思った。けど多分、気持ち良すぎて間抜け面晒してるのを遠回りに指摘してくれたんだろうなあ、と思う。
とはいえ、マッサージで極楽味わってるのにシリアス顔とか無理、絶対無理。
結局3回くらい、意訳して変な顔と言われた。あーうー、ミノウさんの腕がいいからだぞ。
マッサージが終わる頃を見計らったように、アリカさんが小さな桶を持ってきてくれた。湯気が立っているから、中身はお湯か。
「セイレン様、お湯をお持ちしました。本当なら足をお浸しになると楽なのですが、包帯を巻いておられますのでお拭きするだけで……」
「おー、ありがとう」
こういうのがリラックスになるのは、どこでも一緒なんだ。
ホントはひとっ風呂浴びたいところだけど、こっちじゃ毎日風呂なんて習慣ないって言ってたしな。贅沢は言わないっていうか、マッサージしてもらって足拭いてもらってってのが十分贅沢だっての。
足元に桶を置いてもらって、丁寧にマッサージされた足を拭いてもらう。あー、喫茶店でおっさんが温かいおしぼりで顔拭く気持ち、何か分かったわ。
……いや、院長先生がやったことあってさ……俺、おっさんくせえって突っ込んだんだよ。そしたら院長先生、「お前もそのうち分かるから」って俺の肩叩いてさ。まさか、こんな形で分かるとは思わなかったけどな。
「セイレン様。やっぱり、ミノウのマッサージは気持ちいいですよね」
「いやうん、ほんと、噂だけのことはあったわ……ふわー、このまま寝ちゃいそう」
うん、変なこと考えてるの、何か頭が働かないせいらしい。ついあくびが出てしまってもう、はしたないって怒られるかな。
と思ったけど、ちょっと違った。
「あら、どうしましょう」
「こ、困ります。もうすぐお夕食の時間で……」
アリカさんは平気な顔してるみたいだけど、ミノウさんが困ってるっぽい。この手のイレギュラー、苦手な人なんだな。でもさ、眠くてさ、しょうがないだろ。
「えー、寝ちゃ駄目?」
「お支度がございますので、その、ちょっと……」
「はーい……」
やっぱり困ってたミノウさんにそう返事をしつつ、俺の意識はぐらっと揺れてそのまま落ちた。
晩ご飯の時間には、起こしてくれる、よな……。




