17.こっそり、護衛学習
あー、びっくりした。
まさか、あの魔法使いの爺さんとこんなところで会うとは思わなかったよ。
「良いお天気でございますなあ。セイレン様はお散歩でございますか」
「え、あ、えーと」
爺さんはマイペースにそんなことを言って、わっはっはと楽しそうに笑う。ああうん、普通なら散歩してるように見えるよな。
っていや、そうじゃねえ。
何でこの爺さん、ここにいるんだ? しかも服装、昨夜とまるで変わってないじゃないか。
「ジゲンせんせー、どうしたんですかー」
そうしたらいきなりコテージの玄関扉が開いて、そこからひょこっと顔が出てきた。
……あれ、オリザさんじゃないか。
「オリザさん?」
「あれ? セイレン様だあ」
ぴょん、と跳ねるように飛び出して来た彼女はメイド服じゃなくて、シンプルなピンクのワンピースだった。
あんまりふわっとしてないけど、膝までのスカートはその下に何枚か白が重なってる。首元のフリルと、スカートの端にちょこんとついてるリボンが可愛いな。母さん、オリザさんに服選んでやったほうが案外趣味が合うんじゃないか?
だから、そうじゃないだろ俺。
「今日、休みじゃなかったけ」
「セイレン様おつきのお仕事はお休みですけどお、やることいろいろあるんですよー」
「やることと言いますか、私たちの場合は主に勉強ですね。シーヤ家令嬢専属ですから、私たちも学ぶことがいろいろあるんです」
楽しそうな顔のオリザさんと、苦笑を浮かべたアリカさんが教えてくれた。確かに今まで見てきたけど、メイドさんって色々やることあるもんな。その上に、俺についたせいでまた勉強することが増えた、と。
「あ、それで3人交代で休んでその日に勉強ってことか? うわ、大変だよな、ごめん」
「いいですいいですう。結構お勉強楽しいですしー」
けらけら笑うオリザさんは昨日会った時とまるで一緒で、だからこれは本人の性格なんだと納得できた。
それにしても、勉強楽しいのか。サリュウに聞かせてやりたいなあ。
つか、何の勉強してたんだろう。
「勉強ってオリザさん、何やってたんだ?」
「今日は、ジゲン先生に魔術語の読み書き習ってたんですー」
「ジゲン?」
「わしの名でございますよ」
何か言おうとしたアリカさんより前に、爺さんが自分の胸に手を当てて答えてくれた。俺の前に進み出ると爺さんは、深く腰を折って頭を下げる。
「改めまして、セイレン様。カサイ・ジゲンと申しまする。シーヤの家にお世話になっております、専属魔術師ですじゃ」
「専属って……」
「この家の魔術に関わる事柄は、わしが一手に担っておりますじゃ。今後共よろしゅうに」
うわあ。
この家、専属の魔術師までいたのかよ。ってか、これって当たり前なんだろうか。
魔術儀式をやる専用の部屋が、当然のようにあるわけだし。
って、カサイ?
「あれ。カサイって、サリュウの家庭教師の人と苗字一緒?」
「おや、ご存知でございましたか。クオンは孫娘ですじゃ」
聞いたら素直に返ってくる、ってのはいいな。
爺さん……ジゲンさんはからからとどっかのちりめん問屋のご隠居みたいに明るく笑って、それからゆっくりと頷いた。
「わしに似ず頭がようございましてな、そのおかげでサリュウ様のお勉強を見させてもろうてます。おかげさまでわしら、こうやって家1つお預かりして暮らせております」
「えー。ジゲン先生だって、頭いいですよう」
「ええ。魔術師は賢くないとなれない、と聞いていますから。ジゲン先生はその中でも随一と、旦那様が」
ジゲンさんの謙遜をあっさりぶっ飛ばすメイドさん2人。
専属の魔術師がいるのは当たり前として、その専属にすごい人を置いているわけね。
……そのすごい人がいたから、あの両親は18年前にいなくなった娘を取り返すことができたのか。
俺を呼んだのが、この爺さんの魔術で間違いないんなら。
「まあ、立ち話も何ですしよろしければ中でお茶でも。クオンは今当主様の方のお仕事に行っておりましてな、暇な老人の世間話にお付き合い下さいませんかの」
「あ、いいですね」
まあ、魔術師だの何だのは置いといて。
ジゲンさんはこうやって見ると、のほほんとした気の良さそうなお爺さんだ。
そのお爺さんの世間話。字面だけで何だか、ほっとできそうな気がした。
「んむ。セイレン様のおつきは確か、もう1人おられましたの。何でしたらそちらさんも呼ばれてはいかがですかな」
「そっか、ミノウさん」
ジゲンさん、いろいろ知ってるんだなあ。オリザさんから聞いたかな。
ミノウさんは用事があるんだと思うんだけど、せっかくの機会だし来てもらったほうがいいかもな。
俺が行ったら多分ユズルハさんとかミノウさん自身に怒られるし、どこにいるか分からないから。
「アリカさん、呼んできてもらっていいかな」
「はい、行ってまいります」
アリカさんはぺこりと頭を下げると、屋敷の方に駆け出していった。
程なく戻ってきたアリカさんと、一緒についてきたミノウさんと一緒にジゲンさんのお家にお邪魔する。ミノウさんは厨房でおやつ用のクッキーをもらってきたとのことで、せっかくだから皆で食べようか。
室内は、比較対象を屋敷とするとそんなに広くはないけど割と普通の家庭というか、そんな感じの家だった。
ま、住んでるのが魔術師だってことで、壁にわけわからん図柄のポスター貼ってあったり父さんの部屋にあったのとはまた違う装丁の本がズラリと並んでいたりするけどな。とりあえずカエルのホルマリン漬けとか頭蓋骨とかはなかったので、安心する。
勧められてちょっと古めの、でも手入れがきちんとしてあるソファに腰を下ろすと、すぐ隣にある台所が見えた。あーそうそう、こういう生活感のほうが俺には合ってるよなあ、と変なところで納得した。しょうがないだろ、氏より育ちっていうんだぜ。
さすがに台所の方までは魔術っぽくはなくて、冷蔵庫や電化製品がないところを除けば俺の知ってる台所だった。
そっちで準備をしてくれたらしいオリザさんが、すぐにいそいそとお茶を持ってきてくれる。
小さなコテージとはいえシーヤ家の管轄だってことなんだろうなあ、やっぱり家具も食器もいいものだと思う。それでもちょっとお安めというか、俺にはこっちの方が使い慣れてる感じのシンプルなティーカップ。同じシンプルな深めのお皿に、ミノウさんがもらってきてくれたクッキーがどさっと積んである。
「はい、どうぞ!」
「ありがとう、オリザさん。ごめんな、休みなのに」
「いいですよう。せっかくセイレン様に飲んでもらえるんですから。あ、アリカとミノウは台所に準備してあるよ」
「あら、ありがとうオリザ」
「……すまない」
メイドさんは、お茶を飲むのも別なのか。何か大変だよな……と思ってるだけだとあれなので、返事しただけで後ろに立ちっぱなしな2人に声をかけることにする。これ、俺が許可出さないと動けないパターンだろ。
「アリカさんもミノウさんも、お茶飲んでおいでよ。俺ここにいるし」
「はい」
「では失礼します」
「わたしもあっちで待機してますねー」
やっぱり。ほんと、メイドさんって。
3人が頭を下げて台所に向かうのを見送って、振り返る。ジゲンさんはちょこんと1人用のソファで、どうやら自分用らしいちょっといびつなカップでお茶をすすっていた。ん、もしかして自作か、あのカップ。
とりあえずは、俺もお茶をもらうことにする。あ、普通に美味しい。
クッキーを1つ手にとったところで、ジゲンさんが自分のカップを置いた。じっと俺の目を見て、ゆっくりとした口調で尋ねてくる。
「……こちらの世界には、少しは慣れましたかの? 昨日の今日ですが」
「意外にマナーなんかは違わないですし、メイドさんたちや両親が良くしてくれてますから、何とか。けど、この身分制度……って言っていいのかな、あれは面倒ですねえ」
素直な言葉を口にする。なんて言うか、この人には言いたいことを色々言えるような気がした。俺の事情も知ってるしな、ジゲンさん。
あれ、実の両親相手に俺、もしかして気兼ねしてたりするんだろうか。
「そこは、セイレン様に割りきっていただくより致し方ありませんな。こちらの世界は、そういった仕組みで成り立っております故」
「まあ、はい」
それはミノウさんなんかにも言われてるからなあ。けど、ジゲンさんは分かってると思うけど俺、別の世界で別の価値観で生きてたから……はあ、何か疲れそうだなあ。
「お身体の方は、いかがですかな」
「微妙に視線が低くなったのと、あと下着着けるのが大変ってくらいですね。今のところは」
「なるほど。しかし、女性特有の体調不良もございますからの、お気をつけ下さいませよ」
「気をつけます」
……女性特有、か。
気をつけないとなあ。何しろ俺、女の経験がないわけだから。
男じゃ分からんこととか、今後どれだけあるのやら。
「そういやさっきオリザさん、魔術語とか何とか言ってましたけど」
「わしら魔術師が術を行うときにのみ使う、特殊な言葉ですじゃ。これを学んでおきますとな、もしどなたかに何らかの術が掛けられていても、ある程度の解読をすることができるんですな」
「へえ」
おう。この世界の魔術ってのはそういうのがあるわけか。
で、その言葉をマスターして使いこなせる専門家の1人が、目の前にいる爺さん。
「……あ、ジゲンさんが俺のこと分かったの、その魔術語ってやつでですか」
「その通りで。と申しますかな、わしがこちらにお世話になることになったのは、セイレン様の行方を探すためでございますよ」
「そうなんだ。大変だったんじゃないですか?」
「まあ、少々は。時間がかかりすぎていや、皆々様には大変申し訳ないことをいたしました」
「少々じゃないでしょう? それに、よく見つけたもんだと思いますよ」
この爺さんさらっと流すけど、よく考えなくてもすごいよな。
別の世界に行ってて、性別も変わってるたった1人を、18年で探し出してしまうんだから。
爺さんは時間がかかりすぎたって言ったけど、別の世界ってどれだけあるんだか、どこにあるんだか、っていうか最初からあるもんかどうかだって分からなかったんじゃないか?
そこからまずは『娘』を探して、実は男になってるって気がついて。
はー、と息を吐いた後、お茶がなくなっているのに気がついた。慌てて周囲を見回すと、オリザさんが気がついたのか飛んできてくれた。
「ごめんなさーい、セイレン様。魔術語の話でちょっと盛り上がってましたあ」
「いや、いいよ。ぼさっとしてた俺も悪いんだしさ」
おかわりしたお茶はやっぱり美味しくて、多分貧乏舌の俺にはこっちの方が合っている気がする。
きっと、こんなことを考えちゃう俺は贅沢なんだろうな。
「クオン先生もマスターしてるそうなんですけどお、どうせならわたしたちもできた方がいろいろ便利なんじゃないかって思いましたー。セイレン様に何かあっても、何とかできますもん」
ま、頑張ってそんな気持ちを顔に出さないようにはしたので、オリザさんは気にすることなくそんなことを言ってくれた。
そっか、俺を守るためか。何か、たった1日で自分の立場激変しまくってるよなあ。
「ごめん、ありがとう」
「てへ。お礼言われることじゃないですー、これもお仕事ですから!」
だけど、オリザさんの明るい笑顔を見ることができるのは、まあ得だなあと思う。
いや、だって可愛い女の子だし。
俺、まだ中身男だからな?
そのうちに、アリカさんとミノウさんがこちらに戻ってきた。
あ、2人とも満足気な顔してる。お茶、美味しかったんだな。あーよかった、俺の舌間違ってないや。
「お茶、ありがとうございました。美味しかったです」
「頂きました。美味でした」
「おお、揃われましたな。ちょうどええ」
俺の横にくっつくように立っているオリザさんも加えて、俺についてくれているメイドさん3人。彼女たちを、ジゲンさんはくるりと見渡した。わ、目が鋭くなったよ。すげえ、一瞬にして迫力が出た。
「アリカ殿、ミノウ殿、そしてオリザ殿」
「はい?」
「はい」
「はあい。何ですか?」
「セイレン様は、ほん昨日までこことは違う場所におられましたじゃ。それもありましてな、今後お身体にどんな不調が出るか分かりませぬ」
ジゲンさんが口にしたのは、俺のことだった。
うんまあ、昨日まで男だったしな。いきなり女になった身体に何起きても、おかしくないもんなあ。
ていうか、男だったってのは言わないつもりかな。……何か言われるかもしれないから、だろうか。
「それもありまして、セイレン様付きのお三方にはこれから魔術語を学んでいただきますじゃ。オリザ殿には今日からお教えしとりますが、万が一の時はわしも力になりますでな」
「そゆことなんだってー」
ジゲンさんの言葉に続いて、どうやら先に話を聞いていたらしいオリザさんが同僚たちを振り返る。俺も、何となく視線をそっちに向けた。やっぱりさ、自分のことを頼まれているわけだし。
アリカさんとミノウさんはほんの少しだけ顔を見合わせていたけれど、すぐに頷き合った。それからジゲンさんに向き直り、頭を下げる。
「分かりました。そういうことなら、よろしくお願いします」
「ご指導ご鞭撻、よろしくお願いします」
2人とも、受け入れてくれたらしい。仕事って言ってしまえばそれまでだけど、でも俺を守ってくれる、ってことだから。
「俺は、お世話になります。アリカさん、ミノウさん、オリザさん、よろしくな」
だからちゃんと、自分からお願いをする。「はい!」っていう元気の良い返事を3つ同時に聞いて、ほっとした。
しかしまあ、立場が立場だからしょうがないけどさ。
「俺、何か色々お願いしてばっかりだな」
「それで良いのですよ。我々はそれぞれの専門家であり、セイレン様はじめシーヤの家の皆様はそれをまとめるのが御役目、ですからの」
俺が困ってるんだろう、ってのはジゲンさんはすぐに分かるみたいだ。魔術師だからか、年の功ってやつか。
「セイレン様も、これからいろいろ学ぶことがおありです。がんばってくださいませよ」
「はい。ありがとうございます」
うん、がんばろう。
ジゲンさんも、皆もいてくれるし。
だけど。
院長先生。
いつか、また会いたいな。




