120.ゆっくり、敷地散歩
身体測定から少し経って、我が家はお客様を迎えた。いや、タイガさんなんだけどね。
式次第の打ち合わせ、という理由をつけて俺に会いに来い、と母さんが炊きつけたらしい。あのうもしもし?
いやまあ、俺だって久しぶりにタイガさんに会えるのは嬉しいんだけどさ。でもなあ、タイガさんだって領主だぞ。仕事あるだろうに。
「セイレン様、お久しぶりです」
「タイガさん! お久しぶりです!」
そんな文句は、タイガさんの顔見たら綺麗さっぱり吹き飛んだ。ついつい腕にしがみつくくらい、いいよな? うーむ、俺って現金なやつだったんだな。
はは、やっぱりタイガさんの腕はしっかりしてるや。俺、おかしなこと言わなかったぞ、うん。
とはいえ、今日のタイガさんの来訪は結婚式の打ち合わせ、なんだよね。シーヤ領から馬車に乗って行って、シキノ領に入ったらパレードの形になって、んでタイガさんのお屋敷でお式して。
その後は向こうで言うところの披露宴、と言う名のパーティ、にかこつけたどんちゃん騒ぎになるらしい。まあ、賑やかなのは太陽神さんも好きだってことだし、それが一番のお祝いになるんだろうな。
で、その打ち合わせには俺、あんまり関与しないというかできないというかする必要がないというか。こういうところでこういう時の花嫁さんって、何気に見世物だもんな。いや、面倒なこと考える必要ないからいいけどさ。
「ああ、すみませんセイレン様。もう少し話をしていたいのですが、打ち合わせに参らねばなりません」
「そうでした。ごめんなさい」
困ったようなタイガさんの台詞に、慌てて腕を離す。ああでもその後に、言葉を頑張って付け足そう。
「打ち合わせが済みましたら、庭散歩しませんか?」
「え?」
あれ、そこまでびっくりする? もしかして、俺からの誘いってあんまりなかったっけか。
でもタイガさんは、すぐにものすごく嬉しそうに笑って、大きく頷いてくれた。
「ええ、ぜひご一緒させてください」
「は、はいっ。で、ではお待ちしておりますっ」
あんまりタイガさんの笑顔が眩しかったので、速攻部屋に帰ってソファに顔を突っ込むように寝転がってしまった。オリザさんが「ファイトですよセイレン様ー」と楽しそうに仰いでくれるのが何だかなあ。俺、顔真っ赤になってるのかもしかして。
「え、首筋まで真っ赤ですよセイレン様。気が付きませんでした?」
「つくかあ!」
オリザさんの返事に思わず跳ね起きる。というか、首まで真っ赤じゃ顔隠してる意味ないし。
「まあまあ、セイレン様。落ち着いてください。あとオリザ、からかいすぎ」
「ごめんなさーい。だってあんまり初々しいんですもん、お2人とも」
お茶くれたアリカさんのたしなめにも、オリザさんは肩すくめたくらい。って、そんなに初々しいか俺ら。まあ俺はしょうがないとして、タイガさんも………………まあ、否定のしようがないか、あれは。
「タイガさん、ああだから今まで独身だったのかな……」
「逆に、独り身でいらしたからあんな感じなのかもしれませんが」
ま、アリカさんの言うとおりかも。これ、どっちが先かって分からないだろうな、タイガさん本人にもさ。
「セイレン様。お庭にまいりましょうか」
お昼過ぎてちょっとしたくらいで、今日の打ち合わせは終わったらしい。タイガさん、俺の部屋まで迎えに来てくれた。いや、俺が誘ったんだから俺が迎えに行くべきかとも思ったんだけどさ。
「私がお迎えに上がるのが当然ですから」
お昼を一緒にしたからその時に聞いてみたら、そうなんだってさ。いやもう、何か嬉しそうで「あ、はい」としか答えられなかったよ。後、父さんの妙にヘコんだ笑顔と対照的に満面の笑みな母さんとサリュウ、あんまりこっち見んな。
さて、と立ち上がったところでふと気がついた。すっかり一緒にいるのが当然になっている、メイドさんたちだ。さすがに状況的に敷地内でのデートってことになるので、気を使ってくれたのか尋ねてきた。
「セイレン様。私たちはどうしましょうかー?」
「あ、ごめん。ついてきてもいいんだけど、ちょっと距離開けてくれる?」
「はい、分かりました」
「だいじょぶです。デートの邪魔はしませんから」
「ぶはっ」
最後に吹いたの、俺じゃないぞ。タイガさんだからな。つか、オリザさんもアリカさんも今日お休みのミノウさんも、俺と一緒にシキノのお屋敷に行くんだから慣れてもらわないとなあ。
「……タイガさん、頑張って慣れてください」
「善処します……」
冷や汗かきながら頷いてくれたタイガさん、さてちゃんと慣れるまでにどれくらいかかるんだか。
そうして俺とタイガさんは、広い敷地の中を割と適当に歩き回った。あの夏の夜、馬車が待っていたその場所も通りかかったけど、こうやって春先の昼間に見ると森の中にある、ごく普通の小さな草原だった。ただ、散歩道が割と広めに続いてるんで、小さめの馬車ならここまで入ってこれたんだなあと今になって納得する。
そういえば、あの時初めてタイガさんは、俺がその春まで男だってこと知ったんだっけか。
「……何か、変な感じです」
「そうですか?」
なんとなく口に出た言葉に、2、3歩先に進みかけたタイガさんがピタリと止まった。こっちを振り返った顔には、疑問符が書いてあるように見えなくもない。
「タイガさん、知ってるでしょう? 俺はここじゃない世界で18年、男として生きてきたんです。それが、見て下さいよ」
その彼の目の前で、くるりと回ってみせる。着るのが当たり前になった長い、ゆったりしたスカートは俺の動きに合わせてふわっと広がった。
「すっかり女ですよ、俺。タイガさんとくっつくこともおかしく思えませんし、自分があなたの妻になる、って言葉も当然のように口にできます」
「それはそうでしょう。セイレン様は女性としてこの世界に生まれて、女性として帰って来られたんです。元の姿に戻っていくのだと思えば、何もおかしくはありませんよ」
「そういうもの、なのかなあ」
タイガさんの言葉も一理ある、のかなあ。
生まれた時は確かに、俺は女の子だった。それが、1ヶ月後には別の世界に放り込まれて、男になっていた。
こっちに帰ってきて、生まれた時の性別に戻ったから、早く慣れていったのは当たり前、なのかな。
自分のことなんだけど、そこら辺は全くわからない。もうすぐ1年経つけれど、全く。
「それでも、18年の経験が消えるわけではありません。あなたは領主のご令嬢ですが、民の気持ちを良くお分かりになっておられると私は思います。長く生きてきた私より、ずっと」
その俺に、タイガさんは意外な言葉をくれた。いやまあ、領主の娘に戻ったのはここ1年だしな。その前18年は施設育ちの親無し子だったんだ、金持ちより貧乏人の考え方のほうが分かるよ。
「違う世界で生きてきた経験が、セイレン様の心を育まれたんです。今も向こうにおられる伯父上のおかげでもあるのでしょうが」
「ああ、院長先生。はい、きっと」
でも、そうだ。貧乏だったり、親がいないことにあんまりひがまずに済んだのは院長先生、タイガさんの伯父さんにあたるあの人が俺を、そういう風に育ててくれたからだ。
院長先生に育ててもらった18年は、これから俺に何があったとしても消えるもんじゃない。それだけは、確かだ。