118.ばたばた、領主帰還
そして、更に2日。
ほどいて編み直した毛糸のマフラーもどきは、あんまり気が急いてないこともあってか50センチくらいになるかならないか、のところまでしかできていない。
だけどそのかわり、編み目の数が急に変わることもしっかりしたたわしもどきになることもなく、それなりにマフラーの端っこと言われればそうだろうなあ、って感じになっていた。すごいな、頑張ったぞ俺。
「よ、よし。ちょっとはましになったかな」
「さすがはセイレン様。上達が早いですね」
「ほら、触ってみれば分かりますよ。前のよりもちゃんとふわふわしてます」
ミノウさんが楽しそうに笑ってくれる。アリカさんがひょいと持ち上げてくれたマフラーもどきの端を、編み針を膝の上に置いてから触ってみた。
「あ、ほんとだ。力の入れすぎって良くないんだなー」
「ええ、何事にも力加減というものは必要ですから」
「ミノウさんが言うと実感こもるねー」
「……それなりに苦労はしましたので」
あ、うん。何かごめんなさい、微妙にデリカシーが足りないようだ、俺。
変なところで四季野青蓮が残ってるんだよなあ。このままで嫁行って大丈夫なんだろうか。タイガさんは笑って許してくれそうだけど、サヤさんとかいるし。
「ま、セイレン様のそういうところがタイガ様のお眼鏡に適ったのだ、と思うんですが」
「そうですね。セイレン様も、多分お相手がタイガ様でよろしかったんですよ」
「なら、いいんだけどなあ」
これってあれかなあ、割れ鍋に綴じ蓋ってやつ。だめじゃん。
さて、いい加減寝ようかなあと編みかけのマフラーもどきを籠にしまったところで、ノックの音が響いた。ほぼ同時に聞こえてきたのは、ユズルハさんの声。
「セイレン様、遅くに申し訳ございません」
「あ、はい! 大丈夫です、入ってください」
こんな時間にユズルハさんがわざわざ来たってことは、重要な用件だってことだ。父さんが怪我して帰るのが遅くなる、って話だったからもしかして、と思って俺は、彼を迎え入れることにする。
入ってきたユズルハさんは……あれ、何か嬉しそうな顔してるぞ。え。
「間もなく、旦那様がお戻りになられます。先触れがございました」
「え? あ、はいっ」
父さんが、帰ってくる。
俺は慌ててソファから立ち上がった。帰ってくるなら、迎えに行かなきゃ。大急ぎで部屋を出ようとして、「セイレン様!」とアリカさんの声に止められた。
「夜着のままではいけません、せめてガウン羽織ってください!」
「わ、ごめんっ」
おおう、さすがにネグリジェのままじゃやばいやばい。というか、ユズルハさん驚かせてごめんなさい。
俺と同じくガウン着た母さん、そしてサリュウがばたばたと玄関ホールに集まる。何だかんだで結局皆、父さんのこと心配してたんだからな。まったくもう。
程なく玄関の大扉が開いて、父さんが行った時と同じ格好のまま姿を見せた。後ろにはちゃんと、ジゲンさんもついてくれている。俺の顔見て、ウィンクしながらサムズアップって爺さん年考えろよ。さりげにかっこいいからいいけど。
そうだよなあ、カサイ・ジゲンがついてるんだから大丈夫なんだよなあ。って、ほんとにほんとで良かったよ。
「あなた!」
「父さんっ!」
「おお、こらこら余り急ぐんじゃない。転んだら大変だろう、特にセイレン」
急いで駆け寄った俺たちを見渡して、父さんは普通の普通に笑ってくれた。ああうん、確かに俺転んだら何かサリュウ辺り巻き込みそうだけどさ。いや、そこじゃないんだろうけど。
「それに、夜着か。悪かったな、少しでも早く帰って無事を知らせたかったのだ」
「いえ。えっと、大丈夫です、はい」
「父さまこそ、大丈夫だったんですか」
ああまあ、インターネットとかテレビ電話とかそういうのない世界だからなあ。ちゃんと無事を知らせる一番の方法って、直接顔を見せることなんだよね。
で、サリュウが念を押すように尋ねたのに気がついて、俺はあれっと思った。
「……あれ。怪我したって、聞いたんですけど」
「ああ。向こうはまだまだ雪が残っておってな、ついつるんと滑って坂をざざっと落ちてしまったくらいだが。それで足首を捻挫してしまってな、ちと帰るのが遅れた。すまん」
「そっちですかー……はあ」
相手がサリュウや院長先生だったら、そっちかーいと裏拳でツッコミ入れるところだった。はは、要するに熊相手は大丈夫だったわけね。あーもう驚かせやがって、いや口にはしないけど。
「ともかく、無事でよかったですわ。お帰りなさいませ、あなた」
「おかえりなさい、父さん」
「父さま、おかえりなさい」
「うむ、ただいま」
ほにゃ、と笑ってくれた父さんは、それから俺たちを3人まとめて抱きしめてくれた。ちょっとだけ血の匂いがしたけど、これは熊のなんだろうな。
でまあ、父さん寒かっただろうということで、食堂でお茶することにした。これは、俺たちへの大雑把な報告も兼ねている。いや、自分たちの住んでる領地で何があったか知っておいてもいい、って両親の意見でな。
俺はもうすぐよそとはいえ領主の妻になるわけだし、サリュウはいずれこの領地を継ぐんだから、知っておいて損はないってこと。
「とりあえず、衛兵を増やして対応することにした。赤大熊の出没するエリアに近い集落を巡回させる」
「え、他にも出るんですか」
「可能性がないとは言えん。それに、群れからはぐれた狼が森の外れをうろついている、という報告が別の集落からだがあってな」
「熊はともかく、狼は冬眠しないものね」
狼もいるんかい。てことは、野生の草食獣も結構住んでるってことなのかなあ。狼も熊も、食うものなければ移動するか死ぬかだろうしさ。けどそれで、人間を襲われても困るもんな。そりゃ、巡回してもらわないと駄目か。
春になったら、落ち着いてくれるかな。
……ところで、奥の厨房の方から血の匂いがするんだけど。
「あの、そういえばこの匂いって」
「ああ、中まで入ってきたな。仕方がないが」
くん、と鼻を鳴らして父さんはちょっと苦笑した。
「熊の肉だ。ほとんどは集落においてきたが、少しばかり分け前をもらってね。早いうちだと余り臭みがなくて済むから、メインディッシュに使ってもらおうと思ってな」
「はあ、なるほど」
獲った熊の肉を向こうの集落さんと分けたってことか。明日の晩ご飯辺りに、熊肉出るのかな。
ま、鹿とかでも食べるしな。熊も肉にしてしまえば、大事なタンパク源だ。毛皮だって防寒具に使うんだろうし、無駄にはできないよな。うん。
「セイレン、熊肉食べたことはあるの?」
「あ、いえ、ないです」
さすがに首を振る。レトルトか何かのカレーで熊肉入ってるのは聞いたことあるけど、食べてはいないもんなあ。
「そう。なら、初めての経験ね」
「はは、そうですね」
「僕はだいぶ前に一度食べたっきりだったかな。狩りの獲物でもないと、食べることないですもんね」
そっか、サリュウは食べたことあるのか。実際どんな味なんだろうなあ。臭みがあるかも知れないけど、胡椒があるならきっと頑張ってくれるだろう。うん。