116.むかしの、魔術師達
父さんが家を出てから2日。全く連絡はないので、とりあえず大丈夫だとは思っておく。いや、何かあったらジゲンさんがクオン先生宛てに蛇飛ばして来そうだしさ。それがないなら、大丈夫。
大丈夫、だと思い込もうとしてはいるんだけど、やっぱりどうしてもなあ。
「セイレン、気が散っているわよ」
「え、あ」
母さんに声をかけられて、慌てて意識を現実に戻す。うわー、2目ほど飛ばして編んでるよ、ある意味器用だな俺。
慌てて戻すのに、これまた一手間かかるんだよな。慎重に編み目を戻していってると、母さんは小さくため息をついた。
「困ったわねえ。編み物をしているのだから、目の前の毛糸と編み針にだけ集中なさい。これが縫い物だったら、もっと危ないことになるかもしれないわよ」
「……分かりました」
あー、はい、確かに。
いや、編み針だって変なところにぶっすり刺しちゃうかも知れないけどさ。でも、縫い針ほどには鋭くないし。
でも、何をするにしても手元には気をつけないとな。ほら、また編み目がぎっちり詰まってきてる。それに引き換え母さんは相変わらずのお手並みで、表情も普段とは変わらない。父さんが、危ないところに行ってるのに。
「か、母さんは、不安じゃないんですか」
「そうね、不安ね」
つい口に出てしまった問いに、母さんは事も無げに答えてくれた。あ、もしかして俺、また顔に出てたりしたか。
答えてくれてから母さんは、編みかけのマフラーを膝の上に置いた。たったひとつの編み方を延々と続けているそのマフラーは、だいぶ長くなっている。いつの間にか、途中で色を変えたらしい。
「でも、一番不安で苦労しているのは私でもあなたでもないもの。あの人と、それから危険になっているかもしれない集落の住民よ」
あ、母さん、意図的に感情抑えてる。俺が分かるってことはタカエさんや、他の皆にも分かるってことだ。
母さんも、我慢、してるのか。
「それに、私が不安がっていたら使用人たちにもその気持ちが移ってしまうわ。だから、頑張って虚勢を張らなくてはいけないの」
「虚勢、ですか」
「他に言いようがなくってね」
苦笑を浮かべる母さんの言葉に、俺はちょっと困ってしまった。いや、虚勢ってなあ。
つまり、やせ我慢してみせるってことだろ。多分それ、皆にバレてるし。
でも、バレててもやらなくちゃいけない、ってことなんだろうなあ。当主が屋敷を留守にしてる以上、この家のトップは当主夫人である母さんだ。その母さんがしっかりしてないと、駄目なんだってことか。
……俺、タイガさんのところに行ったら、そうしなくちゃいけないことが出てくるんだ。そうなったら俺は、使用人さんたちの前で虚勢を張ることができるだろうか。
ちょっと考えこんでしまった俺の肩を叩いて、笑みを浮かべた母さんは更に言葉を続けた。
「大体、あの人にはジゲンがついているのよ。彼がついていて、無事じゃないはずがないの」
「そう、なんですか」
「まあ、セイレンはあまり知らないものね」
そうなんだよねえ。
ジゲンさんがとんでもない魔術師だっていうのは話もちょくちょく聞くし、屋敷の壁をこともなげに直しちゃったりするところくらいは見たことがあるんだけどさ。
でも、俺を呼び戻した時とか院長先生を連れてきて送り返すときとか、そういうとんでもない魔術使ってるところはまるで見てないから、実感ないんだよね。
「そうですね……ミコトさんが王宮にいた時に、そこに専属魔術師としていたって話は聞きましたけど」
「今から25年くらい前までは、そうだったのよ。でも、隠居なさってね」
うわ。
昔話、あんまり聞いたことなかったぞ。この機会だから、しっかり聞いておくかなあ。
この家離れたら、聞く機会なんてほとんどなくなっちゃうだろうしさ。そう思って俺は編み物を膝に置いて、しっかりと座り直した。
「カサイ・ジゲンの名前はもう国の隅々にまで轟いていたの。それだけの実力を持つ魔術師が、あっさり王家の専属を離れて隠居していた。名前が有名すぎるから、隠居先を探しだすのも苦労したわ。もう、上手く隠れてるんですもの」
あー、有名人ってこっちでもプライバシー大変なんだ。そりゃそうか、向こうみたいにいろんな娯楽があるわけじゃないもんな。有名人が近くに来るってだけで大騒ぎなんだろう。
この場合の有名人って金持ちとか、王家関係の偉い人とか、だよなあ。だからレオさん、そこそこ顔は割れてたわけだ。なんてったって王子様、だし。オネエだけど。
「あなたを探し出すために方々を当たってやっと会えたとき、ジゲンはクオンと一緒に森の奥の小さな一軒家で暮らしていた。クオンはジゲンの孫娘としては顔が割れていなかったから、彼の世話を一手に引き受けていたのね」
どこか遠いところを見る目で、母さんは話してくれる。
俺が院長先生のもとで、四季野青蓮という男として育っていたその同じ頃。父さんと母さんは行方知れずになった俺を探すためにいろいろ考えて、いろいろ当たって、そうしてやっとカサイ・ジゲンに辿り着いた。
「それで、私とあの人がどうしてもジゲンに会いたいって必死で頼み込んだ。でもクオンにすげなく断られて、文字通り門前払いされたわ」
「え、クオン先生が?」
「それまで王宮にいたでしょう。きっと、裏の黒い部分とかいろいろ見ちゃってたのね。そりゃあ、人里離れた森の奥に引っ込むわよ」
出た。やっぱりこっちでもあるんだな、裏のドロドロ。ドラマとか漫画とかじゃなくって、現実問題として。
レオさんがああいったお仕事を引き受けてるのは、自分の性格が王位継承者に合わないって裏で言われてたからで、その陰口を叩き潰すためだったっけな。
俺はまだそういう黒い部分に直面してないけど、きっとそのうちぶつかることになる。うわ、覚悟しとかないと。俺自身のためにも、タイガさんのためにも。
「多分、1週間くらい通ったんじゃないかしら。近くに馬車着けて、その中で寝泊まりしてね」
「……何やってるんですか。無茶だなあ、もう」
「だって、カサイ・ジゲンに受けてもらえなければもう、あなたに会うことはできないって思ったの」
ある意味、ここら辺は俺の両親だなあ、と何か納得した。いや、どこでどう納得したかは自分にも分からないんだけどさ。
でも、領主夫妻が1週間馬車の中で寝泊まりて、めちゃくちゃ不便だったんじゃないだろうか。まあ、使用人さんたちも一緒にいただろうから食事なんかはいいとしてさ。向こうでキャンピングカーに乗って遊びに行くのとはわけが違うんだぞ。
「そうしたら、さすがにクオンが観念したのか家の中に通してくれてね。それで、ジゲンもそういうことなら、って話を聞いてくれたの」
両親の根気勝ちってことか。いやまあ、1週間通って通って通えば……なあ。クオン先生、困ってたんだろうなあ。
……探してもらった本人が、こんなこと言ってもあれなんだろうけど。
「今でも詳しくは知らないんだけどクオンの両親、つまりジゲンの子供夫婦は早くに亡くなったみたいで、ジゲンがクオンを育ててたのね。だからジゲンは、私たちの気持ちを汲んでくれたみたい」
ああ。
ジゲンさんは自分の子供を亡くしてて、だから子供がいなくなって悲しみに暮れている父さんと母さんの気持ちを。
「それで、クオン先生も一緒にうちに……」
「当然でしょう? 私たちの家族を探し出すために、ジゲンの大切な家族を置いて行かせるわけにはいかないもの」
俺の問いに、母さんは胸を張って答えた。
自分たちの娘を探すために雇った魔術師には、たった1人の孫娘がいた。自分たちが家族を探すために、その魔術師を家族から引き離すわけにはいかない。
だから、父さんと母さんはクオンさんも一緒に雇った。ジゲンさんの世話係として、そして引き取られたサリュウや、戻ってきた俺の家庭教師として。
「ジゲンでなければ、あなたがどこにいるのかすら私たちが生きている間に判明しなかったかもしれない。カサイ・ジゲンという魔術師は、それだけの力を持っているのよ」
うん、まあなんとなく、すごいのは分かった。
それと、父さんは絶対大丈夫だって言う、根拠の無い自信が湧いてきた。
うん、大丈夫。




