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115.とっぱつ、春先問題

 早速次の日の午前から、俺は母さんの部屋で一緒に編み物の練習をすることになった。まずはまっすぐ編む練習ということで、古い毛糸を使ってひたすらプレーンに編んでみる。

 ……いや、編み方自体は簡単だよ。だけどさ、力の入れ具合ってやつが難しいんだよな、やってみて気がついた。


「セイレン、力を入れすぎよ。それだと、毛糸が引っ張られてふわっとした感触がなくなっちゃうわ」

「え、あ、ほんとだ」


 母さんの指摘を受けて、俺は両手の間にあるものを見る。2本の編み棒に規則正しく編まれて収まってるはずの毛糸は、ぎゅうぎゅうに引っ張られて編まれてるというよりみっちり織り込まれてるみたいな感じになっていた。

 同じように編んでるはずの母さんの手元、うん、あっちはちゃんと編み物だ。間違いない。俺、酷いなあ。力入り過ぎなのはよく分かったから、何度か深呼吸してふう、と肩の力を抜いてみる。いや、このままで編み進んでいければいいんだけど、ついなあ。


「そうそう、肩の力を抜いて。もっとゆったりした気持ちで、ね」

「は、はい……でも、やっぱり何か緊張してしまうっていうか」


 そりゃ、母さんは慣れてるからいいけどさ。編み目を間違えたりしないかとか、変なところで緊張して手に力入っちゃうんだもんよ。それでつい、毛糸引っ張ってしまうんだよな。


「まあ、初めてだものねえ。私も最初の頃はそうだったわ。毛糸がもったいないでしょう、って怒られたもの」

「それで、使い古したもので練習ですか……さすがは奥様」


 ちょうどそこへ、タカエさんがお茶淹れて持ってきてくれた。それで一旦、休憩ってことになる。

 はー、肩凝った。後でミノウさんにマッサージしてもらおう、と思いつつお茶をいただく。あ、甘くておいしい。

 母さんもお茶を飲みながら、にこにこ笑っている。ああ、本当はこういう生活、何年も前からやってるはずだったんだよなあ。この辺は恨むぞ、トーカさん。


「いくつか編みあげるとね、コツを覚えてくるものなのよ。そうしたら、私秘蔵の毛糸を出してきてあげるわ」

「秘蔵って。そんなのあるんですか」

「ガドーの牧場で育ててる山羊の毛を紡いだものなの。市場にはほどんど出回ってない、レアものよ」

「あー」


 うわ、久しぶりな名前聞いた。あのチーズ、美味しかったんだよなあ。

 ガドーさんの牧場って言えばゴンゾウのやつ、元気かなあ。ミノウさんとの決着、つくんだかつかないんだか分からないけど、元気でいてほしいな。



 それから編み物の練習を再開して、やっとこさ縦5センチくらい編み進められた頃。あ、幅は20センチくらいかな。

 ノックの音がして、タカエさんが扉を開けて応対してた。こっちを振り返った顔は、ちょっと白っぽく深刻な感じになってる。


「奥様。旦那様がおいでになりました」

「まあ。入ってもらって」


 母さんは目を丸くして、すぐに編み物をテーブルに置く。何だろう、と思いながら俺も同じように編みかけのなんとも言えない物体を、テーブルに置いた。

 程なく扉が大きく開いて、父さんが入ってきた。あれ、コート着てるぞ。今から外出、って話聞いてないけど何だ?


「あら、あなた」

「おお、セイレンもいたのか。すまん、急ぎの用でこれから北の集落に行かねばならなくなってな」

「北の集落ですの? またどうして」

「集落の側の森でな、赤大熊が出現したらしい」

「まあ」

「熊、ですか」


 って、春先だぞ。こっちの熊、本で読んだけど一応冬眠するはずだ。

 というか、赤大熊って言ったな、父さん。

 童話の本とかでよく出てくる悪役って向こうの世界だと狼が一般的なんだけど、こっちだと赤茶色の毛を持った熊、ってのが一般的なんだよね。狼もいるんだけど、それよりは熊の被害のほうが酷かったのが理由らしい。


「でも、衛兵に任せておけばよろしいのでは?」

「そうもいかんだろう。すまんな、すぐ出る」

「分かりました」


 短い会話を済ませて、父さんはさっさとこの部屋を出て行った。マジで急ぎなんだな。

 ところで、熊だよな。向こうでもたまにニュースで人里に熊が出た、なんてのは見たことがあるけどさ。父さん、つまり領主が泡食ってすっ飛んでいくほどのえらい事態なんだろうか、こっちだと。


「母さん。赤大熊って俺は本でしか知らないんですけど、どれくらい大きいんですか?」

「ものによっては、野生の馬を餌にすることもあるわね。あまり人里近くには出てこないはずなんだけど」

「そもそも、まだ冬眠しているはずですよね」


 俺の質問に対する答えプラス、タカエさんの疑問。馬食うって、結構でかいよな。いや、いくら何でも馬の数倍とかそんなわけない、と思うんだけど。

 それに、やっぱり冬眠してるよな。それが集落に出てきたってことになると、やばいか。


「ええ、だからこそ問題なのよ。冬眠から早く覚めたのなら、きっとお腹を空かせているわ」

「そうすると、家畜が狙われてるんですかね」


 基本はそこだと思うんだ。そもそも、人間が家畜を飼ってる理由の1つは食うためだし。

 だけど、母さんの答えはもうちょっとえらいことだった。曰く。


「あの辺りの家畜はこの時期、ほとんどが南に下がらせているか畜舎の中よ。外を出歩くのは多分、人のほうが多いわ」

「すると……人を襲う危険性がある」

「そういうことね。だから注意喚起と、できればその熊を仕留めてしまうために領主は、出向かなければならない」


 深く頷いた母さんに、俺は何も言うことができなかった。

 そういう状況なら、領主である父さんが視察に行くのはしょうがない、んだろう。偉い人が進んで危険なところに出向くってのは、周囲の人たちを力づける一番手っ取り早いやり方だからだ。

 ……タイガさんも、そうするんだろう。もし、同じことになったなら。



 サリュウの方にも父さんは顔を出したようで、俺たちが玄関ホールに降りていった時にはもう弟はそこにいた。

 父さんはコートの腰に長剣を下げていて、いかにもこれから出陣ですよって感じだった。相手がでっかい熊なら、鎧とか着たほうがいいんじゃないかなって思ったけど、さすがにここでそれ言うのもなあ。

 で、父さんの横にはちょっと厚手とはいえいつもどおりのずるずるな服を着ているジゲンさんの姿があった。今日持ってる杖はやたらでっかいやつで、森の中に住んでる魔法使いが持ってるみたいな感じだ。


「では、しばらく留守にする事になると思う。メイア、ユズルハ。後のことは頼んだぞ」

「分かりました。行ってらっしゃいませ、あなた」

「屋敷のことは、お任せくださいませ」


 そんな言葉をかけた父さんに、母さんとユズルハさんはしっかりと頷いて頭を下げる。2人の頭が上がるのを待たずに父さんは、俺とサリュウに視線を移してきた。普段よりも怖くて鋭い、これが領主シーヤ・モンドの顔なんだ。


「セイレン、サリュウ。あまり気にせずに、待っていなさい」

「……はい。行ってらっしゃい、父さん」

「行ってらっしゃい、父さま」


 俺も、そしてサリュウもろくな言葉なんて出てこない。だから、それだけを言ってやっぱり頭を下げた。

 顔を上げた時、父さんの表情はいつもの感じに戻ってた。あれま。


「何、すぐ帰ってくる。セイレンの花嫁姿を見なければならんからな」

「ご安心召されよ。この爺も供をさせていただきますじゃ」


 とりあえず、変なフラグを立ててくれた父さんをどうにかしてくれ。

 そのフラグを折ってもらうためにも、深く頷いて杖をついたジゲンさんを俺は信じることにした。いやだって、俺だって何度も助けてもらってるもんな。

 俺を助けてくれたこの爺さんが、父さんを助けられないわけがない、なんて都合のいい考えだけどさ。

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